第三章 魔女の過去と都市の闇

第18話 都市の心臓、螺旋の記憶 ⚔️⚙️

 夜の第7階層は、いつも通り粒子まみれで、静かだった。

 魔導排気口から漏れ出す白煙が、空気をぬるくにごらせている。

 皮膚ひふがピリつくほどの濃度だが、もうれた。


 俺は、フリル付きのエプロンに三角巾という、完全に家政夫スタイルで研究室へ向かっていた。

 腰には布巾、手には夜食のトレイ。

 見た目はどうあれ、都市の断罪屋としての誇りはある。


 階層の通路を抜けると、自動扉が静かに開いた。

 粒子フィルターが低くうなり、室内の空気がわずかに澄んでいるのがわかる。


 ここは、かつて企業が使っていた研究棟の一角。

 今はエリシアが独自に再稼働させている。

 設備は古いが、魔導解析には十分らしい。


 研究室の奥へ足を踏み入れると、エリシアは魔導スクリーンの前で、いつものように解析に没頭していた。

 俺はトレイをそっと机の端に置く。


 魔導保温容器に入れたスープと、粒子耐性のあるパン。

 淡い琥珀色のスープは、魔導根菜と合成タンパクを低温魔力でじっくり煮込んだものだ。


 根菜はほくほくと柔らかく、噛むとほんのり甘みが広がる。

 タンパクは弾力があり、スープにコクを加えている。

 見た目は地味でも、香りはしっかり立っていて、エリシアの好物だ。


 日中は、第8階層の排気口からいて出た巨大ゴキブリの群れと格闘していた。

 ドクター・バグスのゴキブリとは違う。

 あれは実験体、こっちは都市の“自然災害”だ。


 洗濯物に群がる連中を、魔導洗剤と剣の両方でなんとか駆除した。

 あのサイズのゴキブリは、魔導粒子を吸って膨張する。

 火は吐かないが、雑食性で布地でも配線でも平気でかじる。


 放っておけば、排気系や通信ラインに入り込んで、都市の機能をじわじわ蝕む。

 家政夫の仕事は、命がけだ。

 剣を振るうのも、雑巾を絞るのも、同じくらいの覚悟がいる。


 空気は重い。魔導粒子がじわじわと肺に絡みついてくる。

 研究室のフィルターは稼働しているが、完全には遮断しゃだんできない。

 都市の底層に近いこの場所では、それが日常だ。


 エリシアはスクリーンの前で、例の結晶の解析を続けていた。

 あの螺旋らせん状のオルド結晶――3日前、第5階層の旧研究区、施設の奥で回収したものだ。


 あの時、結晶は人間を排除するように暴走していた。

 今は研究室の中央、魔導隔離ケースの中で低温フィールドに包まれ、静かに脈動している。

 表面には、都市の浮遊炉と酷似した魔導紋が浮かび上がっていた。

 魔導炉の特化型で、都市の浮遊・階層維持に使われている。


「夜食を持ってきた。今日は根菜のスープだ。粒子濃度が高かったから、味は保証しない」


 俺はエプロン姿のまま、トレイをそっと机のはしに置いた。

 スープの香りが、フィルター越しにわずかにただよう。


 エリシアはスクリーンから目を離し、手を止めてこちらへ向き直った。

 無言のまま、トレイに目を落とす。

 そして、スープの容器を手に取ると、ほんの少しだけ口許くちもとゆるんだ。


 俺はその表情を見て、そっと言った。


「……食べてからでいい。冷める前にな」


 エリシアはうなずき、スープを口に運ぶ。

 ホフホフと、口の中で熱を逃がしながら、ゆっくりと味わう。

 その仕草は、いつものエリシアらしい――どこか抜けてて、でも妙に真剣だった。


 スープを一口飲んだあと、パンをちぎってスープに沈めながら、ふと俺の方を見た。


「……この結晶、都市の浮遊炉と同じ構造をしてるわ」


 そう言いながら、パンを口に運ぶ。

 モグモグと噛みながら、何か言いたげに眉を動かす。

 俺がスープの容器を指差して言った。


「……のどを詰まらせるぞ。ゆっくり食え」


 エリシアは口をもぐもぐさせたまま、頷いた。

 そして、飲み込んでから、少しだけ真面目な顔に戻る。


「もしかすると、師匠が残した記録かもしれない」


 スクリーンに映る断面図をスプーンで指差す。

 俺は結晶を見つめる。


 あの施設――ヴァル=クロノ・インダストリィで結晶に触れた瞬間、何かが脳裏に焼き付いた。

 都市の記憶が、俺に何かを訴えていたような気がした。


 脈動する結晶を見ていると、あの時の感覚がよみがえる。

 第5階層の施設内部――都市そのものが、何かを伝えようとしていた。

 断罪屋として過ごした日々、家政夫として見てきた汚れ。

 その全部が、この結晶の鼓動と重なっていた。


「……この都市、そろそろ限界かもな」


 根拠はない。ただの直感だ。

 でも、俺はこういう直感で何度も命を拾ってきた。

 都市の空気が変わる瞬間――それをぎ分けるのが、断罪屋の勘ってやつだ。


 エリシアはスープを一口すすると、ホフホフと口の中で熱を逃がしながら、静かに頷いた。


「実は……限界はとっくに超えてるの。あとは、誰かがそれを止めるだけ」


 その“誰か”は、たぶん俺なんだろう。

 布巾で額の汗を拭きながら、結晶に目を戻す。

 脈動は、まるで心臓の鼓動みたいに規則的で、どこか不気味だ。


 もう一度、確かめた方がいい。


「……触れても問題ないか?」


「今は安定してるから大丈夫よ。低温フィールドで暴走は抑えられてるけど……記録が残ってるなら、反応する可能性はあるかも」


「記録……都市の記憶か?」


 エリシアは少しだけ目を細めた。


「都市の記憶というより、魔導圧縮炉コンデンス・リアクターに関わった人間の記憶かしら。私の過去を見たのなら、それは師匠の記録が埋め込まれてる可能性が高いわ」


 俺は結晶に手を伸ばしかけて、ふと止まった。


「……俺が触ったら、何が見える?」


「それは、あなた次第。記憶は、見る者の感情に反応するから」


 エリシアはスプーンの先でスクリーンに映る断面図を軽く指し示した。

 その動きは、説明というより“確認”に近かった。


 俺は深く息を吸って、結晶に手を置いた。

 家政夫の仕事は、掃除だけじゃない。

 都市の“汚れ”を落とすのも、俺の役目だ。

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