第2話 指輪と異世界の扉(2)⚔️🧹

れん、お前はもう斬るな。掃除でもしてろ」


 あれは、ボスに言われた言葉だった。

 生きるすべを持たなかった俺に、剣を教えてくれた男。

 父親のような存在にそう言われて十年。今では俺も四十を越えた、ただの中年だ。


 掃除、洗濯、料理、買い出し。

 剣を握る代わりに、雑巾ぞうきん包丁ほうちょうにぎる日々。

 肉を切り、野菜を刻み、汚れを削ぎ落とす。


「お前は、斬るだけの男じゃない」


 そう言って、包丁の握り方を教えてくれたのも、ボスだった。

 身体がにぶると、剣術の稽古けいこの合間に味噌汁の出汁の取り方を語る。

 あの人は、戦うことと生きることを、同じくらい大切にしていた。


 俺の料理は、変わった。


 鶏の唐揚げは好評らしい。ボスの好きな、なめこの味噌汁も欠かさない。

 鶏むね肉は筋を取り、フォークで穴を開けてから下味をもみ込む。

 醤油と酒、生姜を混ぜたタレに漬け込み、三十分ほど寝かせる。


 なめこはザルにあけ、流水でぬめりを落とし、水気をしっかり切る。

 豆腐は食べやすいように、約一・五センチ角に切り分ける。


 かつて命を断っていたこの手が、今は命を支えるために動いている。

 それでも、刃の重みは変わらなかった。

 包丁を持てば、今でも剣に見立てることがある。

 汚れを落とす感覚が、血をぬぐうのと似ていた。


 あの時のボスの言葉が、今も俺を動かしている。

 目的も感情も失い、ただ斬るだけの道具になった俺を、見ていられなかったのだろう。

 今なら、痛いほどわかる。


 ……それでも、俺は雑巾を握り続けた。

 それが、俺に残された唯一の“戦場”だった。


 ──そして、そんな日々にも終わりがきた。


 その朝、空気が違っていた。

 山の稜線りょうせんに霧がかかり、鳥の鳴き声が途絶とだえた。

 風も止み、集落全体が息を潜めたようだった。


 ここは、四国・徳島県の山間部にある八咫村やたむら

 古代の陰陽道施設跡を改修した、『黒鴉くろがらす』の本拠地だ。

 表向きは警備会社や清掃業者として活動しているが、裏では暗殺・情報・異物回収を担う影の組織。

 俺が所属していた“清掃班”も、実態は処理班――つまり、断罪屋だった。


 本社は東京にあるが、ボスの生活拠点は、山の斜面に沿って建てられた巨大な和風屋敷。

 隠し通路や罠が張り巡らされ、地下には異世界漂流物オーパーツの保管庫がある。

 外界から隔絶されたこの場所は、長らく組織の訓練場として機能してきた。


 今では、使い捨ての闇バイトやドローンが主流になり、この屋敷も役目を終えつつある。


 だが、その静寂せいじゃくは破られた。

 掃討そうとう部隊が動いた。示し合わせたような連携だった。

 企業連合と政府の一部が手を組み、混成部隊が『黒鴉』を潰しにかかった。


 情報がれた。裏切り者がいた。

 だが、それだけが理由じゃない。


 異世界漂流物オーパーツと呼ばれる異物の密売。

 発見された場所や時代にそぐわない、出土品や加工品の総称だ。

 以前は宇宙人の技術だという説もあったが、最近では――この宇宙とは異なる世界――異世界から流れ着いたものだという見解が主流になりつつある。


 もちろん、誰もその事実を証明できるわけではない。

 だが、権力者たちはその異物に強い関心を寄せていた。


 組織は異世界漂流物オーパーツを集め、密かに販売していた。

 拡大と安定を狙った動きだったのだろう。

 表には出せない政財界との裏取引――組織は、やり過ぎた。


 特に異物の扱いは、もっと慎重であるべきだった。


 日本政府の管轄下にある特務省・第三区管理局が、それらの異物を密かに収集しているとうわさされていた。

 地下保管庫には、得体の知れない異物が並んでいるらしい。

 形状も素材も、今の技術では再現できない。

 一部の研究者は異世界――この世界とは異なる次元の存在――を示唆しさしていた。

 もちろん、公式には“古代技術の残滓”とされている。


 詳細は、政府の特務省が握っている。

 俺たち現場の人間には、真相なんてわからない。


 あの時までは俺も眉唾だと思っていた。

 だが、異世界漂流物が持つ能力を、俺は実際に“見た”。

 いや、正確には――“戦った”と言うべきか。


 刃がないのに、対象を切断する“剣”。

 刃がない以上、剣と呼ぶのもためらわれる。

 だが、あれは確かに“原理がまったく説明できない代物”だった。


 港湾倉庫の密輸現場。敵の麻薬組織が雇っていた殺し屋が、それを使っていた。

 異様なプレッシャーを感じ、俺が一歩退いた瞬間――空間が裂けるような音が響いた。


 何も触れていないはずの鉄製コンテナが、音もなく真っ二つに割れた。

 内部は、まるで時間が止まったように静まり返っていた。

 切断面には熱も摩擦もなく、“存在そのもの”が断ち切られたようだった。


 あれは、異世界漂流物オーパーツ

 すべてが危険なわけじゃない。

 だが、“危険ではない”と証明するのは、もっと難しい。


 そんな代物を大量に扱っていたことも、組織が狙われた理由のひとつだ。

 『黒鴉』は、大きくなりすぎた。


 異物の密売。政財界との裏取引。

 結果として、敵を作りすぎた。


 さらに、“闇バイト”と称して一般市民を犯罪に巻き込む行為。

 今の政府にとっても、もはや『黒鴉』は――制御不能な存在だった。


 夕飯の食材を買いに出ていた俺は、ママチャリを乗り捨て、買い物袋をぶら下げたまま屋敷の奥へと駆け込んだ。


 奇襲きしゅうを受けたらしい。

 玄関には、黒い制服スーツを着た仲間の遺体が転がっていた。

 廊下には血痕けっこん薬莢やっきょうが散らばり、壁には弾痕だんこん


 この屋敷には、侵入者を排除するための罠がいくつも仕掛けられている。

 そう簡単には攻め落とせないはずだ――それなのに、何かがおかしい。


 罠が作動した形跡がない。

 まるで、誰かが侵入者を招き入れたようだった。

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