巡り逢いの柊をみつけて

霞花怜(Ray Kasuga)

第Ⅰ章

第1話 桜の木の下で

 春の夜はまだ肌寒い。

 いつものように適当に飲んで、ほろ酔い気分で家路をゆったり歩いていたら、桜の木の陰に何かを見付けた。


(……人? 子供か? いや、あれは……)


 人のような、人ではないモノ。

 そういう存在が子供の頃から視えるし判別できるから、基本的に関わらない。

 関わって良いことは、まずない。


 だけど、この時は。

 どうしてか、その少年から目が離せなかった。

 

 形は人だ。中学生くらいの子供の姿をしている。

 その姿から、人には有り得ない気が流れ出ている。


(狐狸の類かな。この辺りでは珍しい。最近はこういうモノを視る機会も減っていたのにな)


 少年が、こちらに目を向けた。

 うっかり目が合った。凝視しすぎたらしい。

 じっとこちらを窺う瞳から目が離せず、気まずい。


「えっと……、大丈夫?」


 仕方なく、声をかけた。

 少年が、大袈裟なほどに驚いた。


「え? えぇ? 僕ですか? 僕に言ってますか? 僕の姿、見えるんですか?」

「見えるよ。君に話しかけてる。随分と弱っているようだから、大丈夫かなって」


 少年から揺らめき立つ妖気は弱く、薄い。姿も透けて見えるから、消えかけているのかもしれない。

 慌てふためきながら、少年が桜の木にしがみ付いた。


「すみません、すみません。僕は人に害をなす妖怪じゃないし、そんな力もありません。見逃してください」


 泣きそうな顔で必死に桜にしがみ付く。

 春の夜、花が咲き誇る桜は、この辺りでは太く大きく、かなり古い。


(桜の霊力を分けてもらっているのか)


 社や霊地でなくとも、古い木は霊気を宿す。

 その大樹自体が神になる。


「神様の……、使いを、クビになりまして。妖力が、維持できなくて……」


 ぐぅぅ、と気の抜ける音が響いた。

 少年が慌てて自分の腹を抑えた。


「お腹空いてるんだ。んー……、そうねぇ」


 ポケットを弄る。

 飲み屋で貰った飴が出てきた。

 その飴を握り締めて、霊気を籠める。


「これ、あげるよ」


 少年の手に飴を握らせた。

 掌の飴を見詰めていた少年が、驚いた顔でこっちを見上げた。


「強い霊気です。貴方は、陰陽師とか呪禁師とか、そういう人ですか? それとも神社の神主様?」


 少年の問いかけに、吹き出した。


「いいや、全然。俺はただの伝奇小説家。御先祖様がちょっと変わった人間だったみたいだけどね」


 少年の視線が懐疑から羨望に変わった。

 まずいなと感じて、後ろに下がった。


「その飴、食べたら、ちょっとは元気出るんじゃない? 早く妖力が回復するといいね」


 言いながら手を振って、少年から離れた。

 さっきと同じように帰路に就く。


(いつもなら、あの手のモノに声掛けたりしないんだけどな。迂闊だったかな)


 ただの気紛れ、そんな夜があってもいい。

 ほんの少し、霊気を分けた程度であの不思議な少年の妖力は戻らない。

 消えるまでの短い時間を、苦しまずに美しい桜の元で過ごせればいい。

 そういう、気紛れだ。


(偽善という気紛れ。俺にはどうしてやりようも、ないもんね)


 ただの自己満足に、あの子の命を付き合わせただけだ。

 何をしてもしなくても消える命に、少しだけ干渉した。ただ、それだけ。


「命の長さは決まってる。人も、神様でさえ、その長さは変えられないんだから」


 人間であろうと妖怪であろうと、いつかは命の火が消える。

 それが自然の理だ。


「だから、仕方ないんだよ」


 ほんの数年前、自分の過去に言い聞かせるように呟いて、また歩き出した。

 春の夜風がむき出しの頬に流れて、肌が冷える。

 ひりつく肌を自分で慰めながら、どうしようもない気持ちが小さな笑みになって零れた。

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