隣の席の速水さんが、目を合わせてくれない。
みつぎ
第1話
高校入学初日。自分の席に初めて座り、今日から俺も高校生か、と感慨にふける。
さて、まずは近場のクラスメイトに声をかけて、交友関係を築いていこうか――と、隣の席を見てみると、女子生徒が本を読んでいた。
とてつもない美人だった。
サラリと落ちる長い黒髪に、横顔でも分かる整った顔立ち。冷たく光る瞳は、本に釘付けになっている。
教室の喧騒を気にも留めず静かに本を開くその姿は、まるで氷で作られた彫像のようだった。
ダメだ、とても声なんてかけられない。
本を読む姿があまりに絵になりすぎていて、話しかけづらい。それに加え、本人からの『話しかけるなオーラ』を強く感じる。まだ話しかけていないのに、『本を読む邪魔をするな』と言われているようだ。
「お、おはよう」
と、隣の席――ではなく、前の席の男子に話しかける。その男子はこちらを振り返って、挨拶を返してくれた。
こうして俺は、隣の席の美人に話しかけることを、早々に諦めた。
後に行われたホームルームでの自己紹介で、彼女の名前が『
あと、趣味は読書らしい。つまり新たに得た情報は、名前と声が小さいことくらいだった。
それから一週間が経って、クラスの交友グループがなんとなく確立し始めてきた頃。
今朝は意にそぐわず早く起きてしまい、いつもより早い時間に登校してしまった。教室内を見渡すと、俺がよく絡んでるメンツはまだ来ていないようだ。
席に座り、ふと隣を見る。速水さんが相変わらず、一人で本を読んでいた。
「速水さんって、一人でも全然平気なタイプ?」
寝ぼけて頭が回っていなかったとしか思えない。俺はいきなり速水さんに、話しかけていた。
ただ正直、勝手に彼女に対してお節介な気持ちを抱いていたというのもある。
入学二日目辺りまで、速水さんはクラスメイトから何度か話しかけられていたけど、三日目辺りから俺の知る限り、誰からも話しかけられなくなっていた。
つまり速水さんは今、クラスで孤立しかけている。
隣の席でそれを感じ取っていた身として、少し心配な気持ちがあった。それが口をついて出てしまったのだ。
まあ彼女にとってはきっと、余計なお世話でしかないのだろうけど――
「……平気じゃない」
「えっ?」
「平気じゃないわ」
本から目線を外さないまま、速水さんは呟いた。
久しぶりに聞く、小さな、だけど綺麗な声。
あまりに予想外の返答だったので、声をかけたのは俺の方なのに、固まってしまった。そもそも返答があったことに驚いた。なんとなく、無視される気がしていたから。
「平気……じゃないんだ?」
「うん。全然平気じゃない」
そんなつらっと言われると、平気なように聞こえてしまうが……。いや、さっきのお節介な考えとは矛盾するけど、彼女は一人で読書に没頭する孤高なイメージがあったから、やはり予想外だ。
「……でも入学初日から、ずっと一人でいるよね?」
「そうね」
「じゃあやっぱり、平気なんじゃ」
「どうすればいいと思う?」
「はい?」
「だから、どうすれば私は、今の状況を打開できると思う?」
「……もしかして」
ごく、と、俺は唾を飲む。
「めちゃくちゃ悩んでいらっしゃる?」
「……」
肯定も否定しなかった。ということはもう、肯定したも同然だった。
まあ、そうだよな。
一人で本を読む姿があまりにも様になっていたから、勝手なイメージを持っていたけど……。そりゃ高校生活始まって一週間、クラスで孤立しかけていたら、悩むのは当然だ。
「
「えっ?」
急に名前を呼ばれ、俺は驚く。
「私のどこがダメなのか、ちょっと指摘してくれないかしら」
「……はい?」
「隣の席だし、なんとなく分かるでしょう?」
どんどん予想外な方向に話が動いていく。そんなつもりで声をかけたわけじゃないのに。
そして、ちゃんと第三者目線で指摘をもらって反省しようとしてるあたり、真面目なんだろうな。
「じゃあ、単刀直入に言うけど。まずその、話しかけるなオーラをなんとかした方がいいかも」
「オーラなんて私、出してないんだけど」
「……いや、うん」
美人だけど、それ故になんとなく話しかけづらい。速水さんに対してクラス内でそんなイメージが定着しつつあるのを、俺は肌で感じていた。
でもそれは、こちら側が勝手に作り上げたイメージでしかなくて。速水さん自身からしてみれば、「なんのこと?」 といった感覚なのだろう。
「言い方が悪かった。そういうオーラが意図せず出ちゃってるんだよ。速水さんずっと、一人で本読んでるじゃん。正直、話しかけづらいというか」
「どうして? みんなだって休み時間になれば、スマホ見たりしてるじゃない。それと同じよ」
「いや、そうだけど……」
「本、好きなのよ」
「そうなんでしょうけど!」
もしかしてこの人、ちょっと天然入ってないか? それとも意外とユーモアがある人なのか?
「本、好きなのは分かるけど……友達を作りたいなら、積極的に自分から話しかけにいかないとさ」
ぎゅっと、本を掴む指が強張ったように見えた。
「それができたら、苦労しないわ……」
ごもっともだった。今のは全く無駄なアドバイスだったと自分でも反省する。そんなの分かりきっていて、それができないから、悩んでいるのだろう。
それに問題は多分、そこじゃない。だって話しかけづらいとは言っても、最初の内は何人かの生徒から、彼女は普通に話しかけられていたのだから。
「なんか……態度が、冷たい印象を受けるかも」
「……えっ?」
正直、速水さんの希望とはいえ、良くないところを指摘し続けるのは結構しんどかった。
だけど彼女自身は意に介していない様子で、
「もっと具体的に言ってくれないかしら」
と言った。具体的に言うのがしんどいから、ぼかしたのに。
「だから、こう......目をもっと、合わせたほうがいいんじゃないか?」
「......ああ」
「今も本を見てるからさ。人と話すわけだから、本は閉じて、相手の方を見たほうが」
説教みたいになってしまって、更に胸が痛むけど……でもきっとこれが、一番の理由だ。
速水さんは誰から話しかけられても、常に本から目を離さない。
口数が少ないとか声が小さいとか細かい要因もあるけど、やっぱり人と良好な関係を築く上で、致命的なのはここだろう。
「そっか……そうよね」
速水さんは、意外にもあっさりと本を閉じた。パタンと音が鳴る。
そして、こちらを向いた。
「こう?」
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