第18話







 『聞いたよ宇佐木ちゃんおめでと~! 美結浮かれすぎて昨日用水路に落ちてたよ』


 『ありがとう宇佐木さん……本当によかった』


 『お互い幸せになろうね!』


 『マジかお前』


 ≪宇佐木さん色々迷惑かけちゃってごめんね。また体調落ち着いたらお祝いさせてね!≫


 ≪えーーんよかった~! 今度また話そ、お詫びとお祝いさせて≫


 以上が、山県くん、笠松くん、15番目さん、本巣、そして羽島さん、瑞穂から同日に受けた祝福の言葉たちである。



 美結くんぶっちゃけ事件の翌日から、すでに私は自分の判断を後悔しはじめていた。


 「……電報でも打った? あと頭」


 「早い方がいいかなと思って」


 たまたま移動教室の合間に遭遇した美結くんは、私が寄越す冷ややかな眼差しに何も感じていないようだった。


 「美結くん、記憶喪失とかになってないよね」

 「もちろん」

 「なんかもうちょっとこう……なんかこう」


 恐ろしいほどのタフさを垣間見た。昨日まで今生の別れを覚悟していたとは思えないくらいけろりとしている。もしかすると私はとんでもない過ちを犯したのではないだろうか。


 と、最初こそ今後どうなることやらと震えあがっていたのだけれど。




 (……怖いくらい何の害もないな……)




 それからさらに1週間。

 何かの罠なのではないかと、今度は別の方向で疑いたくなるくらい穏やかだった。


 バイトのシフトが被っても今まで通りで、強いて言うならお互い自転車だと言うのに家まで送ると譲らなかったことだあろうか。例の統計学はちゃんと距離を保って教えてくれるし、被っていない授業の合間に見かけたら声をかけられるくらいで、会話の内容も別段変化はない。


 あれだけ恐れていた誰かからの攻撃というのも、四方八方警戒していても飛んでこない。



 そうなると、あのぶっちゃけ話も実は全て壮大なドッキリ計画の中にあり、私だけがとんでもない騙され方をしているのではないかと悶々と考えるようになった。

 とてつもなく世界に馴染んでいる。馴染みすぎている。


 私が美結くんと付き合っているという、その事実が。



 「お前も……普通の女だったんだな」

 「やめて。自分の舌噛みきりたくなる」


 その日シフトが被った本巣は嫌味こそ投げてくるけれど「まあよかったじゃん」穏やかにそう言った。


 「お前は無事に彼氏ができたし、俺はもう美結にガン飛ばされなくて済む。世界は平和になった」

 「ガン飛ばされてたんだ」

 「この前高校ん時のやつらにいよいよあの美結が宇佐木と付き合ったって報告したら沸いてたぞ」

 「なんで報告した?」


 ほれ、と差し出された本巣の画面には、確かに≪マジ!?≫≪祝うしかない≫≪おめでとうって言っといて≫とグループのメンバーが次々にリアクションしたことが分かるメッセージが並んでいた。


 「……え、平和……」

 「まあ、身の危険を感じたらいつでも相談しろよ。何もしてやれないけど」

 「何もしてくれないんだ。ありがとう。肝に銘じます」


 正直、こんなに平和になるならもっと早くこうしておけばよかったのではないかと錯覚しそうになりつつある。


 今の私と美結くんにおける"付き合っている"、というのは以前の本巣の言葉を借りるならあくまで肩書だけであって、内情としては普通の友達同士。

 これでは彼の思う壺だ。


 (……でも、なんというか)


 これまでの美結くんのエピソードだけ取り上げれば確かにとんでもない。

 しかし、謎の執着こそされているもののそれが果たして彼の言うような恋愛感情によるものなのかというと、正直疑問が湧いていた。


 美結くんも本当は私と同じで、私というコンテンツに固執しているだけなのではないだろうか。


 それを彼は、恋愛感情によるものだと誤認知しているだけで。



 「本巣」

 「なんだよ」

 「恋愛感情としての好きって、何?」

 「中学生みたいなこと聞いてくんな。自分で調べろ。ネット使え。言わせんな」


 本巣は教えてくれなかった。



 誰が何をどこまで知っているのか分からない以上、経緯について深く説明することを私は避けている。私からは吹聴しなので、情報管理については美結くんの好きにすればいいと預けた。


 『よかったじゃん。初彼氏が完璧な男って。少女漫画みたーい』


 報告した時の郡上のコメントの冒頭部分がそれだったので、私は1本5千円の彼女のお気に入りリップをへし折りたくなった。

 郡上は私がこの身を犠牲にしてまで妖怪退治をしようとしていることなど知らないのだ。誰かに言いたい。誰かに言いたいけれどその場合私も巻き添えになるので言いたくない。


 私からの条件提示の後、あれだけ無茶苦茶なことをしてきていた美結くんには最後の最後まで『本気か』と疑われて心外だった。


 人目につくところで声をかけても構わないのか、誰に言ってもいいのか、といくつもしつこく確認してくるので、端的に『キス以上のことは一切しない』『下の名前で呼ばないで』という2点だけを伝えた。


 そう。作戦はまだ始まったばかり、安心してはいけない。


私が今後美結くんの彼女としての認知度が上がれば上がるほど、私の身の危険度は上がっていくはずだ。何かあったら即座に終わりを宣告させてもらう。





 「──ここで使うのは?」

 「……変動係数?」

 「はい、正解」


 学祭という大学生の一大イベントを3日後に控えた大学敷地内はどこもかしこもその準備で賑わっていた。パフォーマンスを予定しているサークルや部活の人たちがあちこちで練習をし、心なしか浮足立っているのが分かる。

 なお、一方の私は粛々と図書館のミーティングルームで美結くんに統計学の課題を助けてもらっているのだけれど。


 普通にしていればただの良い人だ。錯覚しそうになる。

 身を売るつもりでこの提案をしたのに、あたかもこれが最適解だったかのような。


 「宇佐木?」

 「あ、なんでもない」


 普通すぎる。


 「で、次の問題が……」


 やはり美結くんは、自分から逃げ惑う奇特な人間を追いかけたかっただけなのではないだろうか。

 分からなさ過ぎて過去に買った電子書籍の中から少女漫画を抜粋して読み倒したものの、読めば読むほど謎は深まるばかりだった。


 これをされたら脈あり、というコラムまで読んでしまった。


 該当するのは第5位の【返信が早い】くらいだった。



 もしかしたら彼なりの罪滅ぼしのために、彼氏いない歴年齢の私に気を遣って男女交際という事実を作ってくれているだけなのではないだろうか。


 (え、だとしたら私は今アジア一恥ずかしい奴なのでは?)


 確かによく考えれば、一泡吹かせようと思って『付き合おう』と提案した時も『何言ってんだ』という顔しかしていなかった。


 「そういえば、宇佐木は学祭行く?」

 「え」


 学祭の期間は3日間。去年は1日目だけ郡上と回ったけれど、残りの2日は授業がないのをいいことにフルでバイトを入れていた。


 「2、3日目はバイト入ってないしありかも」

 「どっちかは郡上さんと?」

 「……郡上は今年彼氏に有給取らせて旅行に行かれるそうで」


 3日目が土曜なのもあって、ちょうど2日目から行ってしまうらしい。致し方ない。



 「じゃあ一緒に回る?」



 そういえばそうなるか、と、私は一瞬呆けた顔をしてしまった。


 「あれ、美結くんバイト入ってなかったっけ」

 「3日目の夜だけ入ってる」

 「じゃあ2日目とか? いいよ」


 付き合うということになってから、私と美結くんは大学とバイト先以外で2人で会ったことが1度もない。以前ちらりと喫茶店の話が出ていたのでその伏線回収がされるかと思いきや、喫茶店はおろか一緒に出かけようという誘いもなかった。それもまた私の中でますます謎を深めることになっていたのだけれど。


 「え」


 快諾をすると美結くんの方が素っ頓狂な声を上げた。


 「え? なに?」

 「いや、駄目だろうなと思ってたから」


 どうやら断られるつもりで提案してきていたらしい。しまった。


 「……別に。ひとりで模擬店買い回るよりはマシだから」


 誤魔化そうと血迷ってツンデレを吐き出してしまった。そんなキャラじゃないのに。


 まずい。このままでは私は彼に洗脳されてしまう。





 そして学祭前日、謎の焦燥感に駆られた私は総合教育棟の2階で見かけたオレンジ頭の彼の腕を掴んでいた。


 「え」


 振り返ってそう声を上げた彼の今の『え』にはしっかりと濁点がついていた。まるで蜂にでも刺されたような顔をしている。


 「笠松くん。ちょっといい?」

 「え、なに?」


 自分だってこの前私に面を貸せと言って連れ出したくせに、笠松くんはかなり怯えた様子で私についてきていた。強面に怯えられるようなことをするはずがないのに。

 そそくさと北側の廊下の踊り場に拉致すると、私を見下ろしている笠松くんのほうがどこか小さく見えた。


 「嘘吐いてない?」

 「嘘とは……?」


 美結くんと付き合い始めた時、なんとなく黙っているのは気が悪く、笠松くんの中学時代の転校事情を美結くんから聞いてしまったこと、そして記憶が曖昧だったことをすでに詫びている。


 本人もそれについて隠していたつもりはなかったらしく、彼の母が精神的に不安定だったことから本人の意思に反してあのような恰好をしていたのだという話を聞かされた。その話の過程で、笠松くんとはちょっとした友情が芽生えている。


 しかしそれだけではない。彼は重要な証人である。

 今これから自分の口から吐き出そうとしている質問内容の恥ずかしさに一瞬迷いを抱きつつ、しかし私は意を決した。

 

 「……どう解釈しても、美結くんが私のことを好きなようには思えないんだけど」


 正直、どっちだろうがどうでもいい。

 ただ今の状況は非常に屈辱的だった。明らかに私が美結くんに付き合っていただいているようにしか思えない。そんなつもりは1ミリもないのに。


 「中学高校の同窓生合同で壮大なドッキリを仕掛けてるとかではない?」

 「あの、本当に何をおっしゃっているのか俺も分からないんですが……」

 「笠松くんだったら美結くんから何か聞いてるんじゃないの。今の私たちのこの状況について」


 笠松くんは本気で困ったような顔をしてたじろいでいる。


 「それは、なんというか美結本人に直接聞けばいいのでは」

 「いや。そうじゃなくて、美結くんがそもそも何か自分の感情を理解できていない可能性がある」


 だとしたら私の今の解決方法は得策ではない。世界は一見平和になっているけれど、根本的な部分が何も変わらない。

 瑞穂にも一度相談したけれど≪惚気? いくらでも聞くから電話してきて≫と酔っ払いのような回答を寄こしてきたのでそれ以降宛てにしていない。


 となれば、おそらく事の発端の時期に1番近くにいた笠松くんくらいしか縋る先がないのだ。


 「絶対に認めたくないけど、今私は彼の手の平の上で転がして遊ばれてるような気さえする」

 「いやいやいや」

 「私のこのたった1度しかない20歳の大学生活が……」


 すでにもうその半分が美結くんに翻弄されて終わりつつあるというのに。


 「……あの、もう本当に。普通に聞いた方が良いと思う。なんで宇佐木さんが、そんなに頑ななのか知らないけど」

 「聞いてすぐ正解が出てくるなら聞いてます」

 「多分、美結もあんまり余裕ないだけだと思うけど」

 「余裕?」


 笑うしかない。余裕は有り余っているようにすら見えるというのに。


 「信じられないなら、適当に美結の手でも握ってみたらどうかな」


 「手?」


 「ハグできるならハグでも」


 それで分かると思うけど、と、笠松くんは言い、そしてこうも続けた。


 「そんなに気にするほど、宇佐木さんも美結のこと好きなんだ。よかった」

 「本当にやめて」


 心外すぎて心が壊れてしまう。




──学祭2日目。


 学祭自体は朝からやっているものの、美結くんと待ち合わせたのは16時。ただ単に私が朝から回った場合うまく解散宣言を出せそうになかったからなのだけれど。

 美結くんの友達で誰かステージ企画に出る人はいないのかと聞けば、都合よく山県くんの所属するアカペラサークルが17時から出演するというので、それに合わせることになった。

 

 「へー。夕方だとこんなに高校生来てるんだ」


 構内には普段見かけない、制服姿の高校生がわらわらと模擬店エリアを練り歩いている。どうやら近所の高校に通う子たちのようだ。時々大学生集団に絡まれて楽しそうに声を上げて笑っている。


 「まあ、オープンキャンパスも兼ねてるのかな」

 「そっか、なるほど」


 去年来た時は郡上と午前中だけ顔を出して、午後はそのまま2人で買い物に出かけてしまったのでこの時間帯の学祭を見るのは初めてだった。午前中とはまた違った賑わい方をしている。


 腹は括っていたけれど、やはり美結くんは目立つ。もしかして背中に金色のクワガタでも張り付けているんじゃないかと疑うくらい、あらゆる学生、高校生、親子連れまでもが振り返る。

 花火大会の時にはそこまで感じなかった視線も、やはりあれほどの人混みではないせいか、気にしないようにしていても気になってしまう。


 誰もがまず美結くんを見て、次に隣の私を見て、最後にもう一度美結くんを見る。先ほどすれ違った女子高生3人組はぴったり3人同じタイミングでその動きをしていた。おそらく私たち2人の関係性が分からないのだろう。別に手を繋いで歩いているわけでもなく、私に至ってはまっすぐ前を向いて歩きながら黙々とたこ焼きを食べているのだから。


 (耐えねば……)


 超えた先に、明るい未来があると信じて。


 「あ、いたいた」


 山県くんが出演するステージの観覧席となる広場には身内らしい学生や家族がわらわらと集まってきていた。


 「雨降らなくてよかったね」


 天気予報では降水確率40%だった。大丈夫だと思って信じると時々裏切られてしまうレベルの確率。

 照明に照らされたステージの上で、楽しそうにアカペラサークルの1年生たちが前座らしきトークを繰り広げていた。周りからは笑い声や野次が飛ぶ。

 普段は慌ただしく教室移動に通りかかるだけのこの場所が、今はまるで別世界のようだった。花火大会ともまた違った、見慣れた景色の中にぽっかりと浮き上がる非日常感。


 (私、何してるんだろ)


 ちらりと見上げた先にある美結くんの顔は、ステージの方に向けられていた。

 中学から今に至るまで私を縛ってきていたという美結くんに一矢報いることすらできず、これぞ思った策は何も彼に影響を与えていない。それどころか泥沼の延長戦に入っているような気がする。


 私は結局美結くんをどうしたいんだろう。本当は彼の土下座を見れば気が済んだんだろうか。


 怖いのは、美結くんが『気が済んだので、さようなら』と言ったその瞬間じゃないだろうか。

 そうなったら、私が今まで彼に割いてきた色んな思考と苦悩の全てが無駄になる。


 「あ。次、山県だ」


 ステージ上で仲間たちと楽しそうに歌い、こちらを見つけて手を振っている山県くんが眩しくてよく見えなかった。明るすぎる照明のせいかもしれない。





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