ゆるキャラ好きの悪役令嬢はオネエ公爵に拾われる

柊ハセル

第1話 くまちゃん

「侯爵令嬢ロベリア・アラベスク、君との婚約を破棄させてもらう!」

 傍らにいる男爵令嬢マリア・ケルビンの肩を抱いたヘンリー王太子は、私を指差し、そう告げた。


 今日は王立学園の卒業式。

 あろうことか、式の後、王宮内で催された舞踏会に集まった大衆の前で、王太子は告げたのだ。

「なぜ急にそんなことをおっしゃられるのです?」

 突然婚約破棄を告げられた私は、ここで怯んではいけないと自分に言い聞かせ、余裕のある笑みを浮かべながら王太子に訊いた。

 私の様子に一瞬驚いた顔をした王太子は、目を逸らしながら、いかにも面倒そうに答える。

「……それは、お前が、嫉妬に狂ってマリアを虐めるような腹黒だからだ! そ、そんな女を私の妃に、次代の王妃になどできるはずがないだろう!」

「そうですか。虐めた覚えはないですが……ご自分の浮気を棚に上げて相手だけを責めるというのは、誠実さに欠けますね」

 怒りも嘆きもせず、ただ淡々と返す私の様子に、少し怯んだ王太子は癇癪を起こしたように、さらに語気を強める。

「お、お前に誠実さを言われる覚えはない! 陰でマリアを虐めるなど、その上、それを追及されてとぼけるなど、お前のほうこそ歪んでいるではないか!」

「浮気だなんて酷いですわ! わたくしはただ、殿下にご相談をしただけで……!」

 ここでようやく口を開いたマリア嬢は、王太子に肩を抱かれながら、わざとらしくシナを作って泣き出すと、さらに王太子に寄り添った。

 王太子はさらに彼女を抱き寄せ、優しく声をかける。

「マリア、君は何も悪くない。悪いのは全てロベリアだ」

「殿下……! いいえ。わたくしにもきっと悪いところがあったのですわ。全てロベリア様のせいでは……」

「マリアのせいなはずないだろう? ロベリアが悪いに決まっている!」

 そんな二人のやり取りにうんざりしながらも、私はさらに淡々と冷たい視線を送る。

 ここで怯むわけにはいかない。きちんと言うべきことは言っておかなくては。

「はあ……きっと何を話しても今は聞く耳を持たれないのでしょう。それに私には婚約破棄を決める権限がございません。陛下にご自身で直接お伝えください。では、私は失礼いたしますわ」

 そう言って、私は出入り口に向かって足早に歩き出した。

 けれど婚約破棄の承諾をここでどうしても得ておきたいのか、王太子は必死に私を引き留めようと声を上げる。

「ロベリア! おい、待て! ロベリア! ロベリア!」

「チッ……」

 取り乱す王太子の隣から小さな舌打ちが聞こえた気がした。

 けれど、王太子の叫び声にかき消され、その場にいた他の誰も、それに気づくことはなかった――。



「やったー! これで、これでついに解放よー!!」

 会場から離れ、周りに人の気配がないことを確認してから、私は一人喜びの声を上げていた。

 五歳の頃に高熱で寝込み、目覚めると同時に前世の記憶を思い出した私は、自分が、前世でプレイしていた乙女ゲームの悪役令嬢に転生したことに気づいた。

 そして、その抗えない強制力のようなものによって、七歳の時に王太子との婚約が決まり、真剣に考えるようになる。

 断罪自体は別に構わなかったけれど、私は死ぬことだけは、どうしても嫌だった。

 なのに、このゲーム、やたらと悪役令嬢死亡ルートが多いのだ。

(冤罪で断罪されて、その上殺されるなんて絶対にごめんだわ!)

 そこで記憶の限りを書き出し、なんとか死ぬルートだけを回避すべく動き続けた。

 その結果、王太子攻略の修道院送りルートにどうにか辿り着いたのだ。

(なぜか最後のヒロインの台詞だけ、国外追放暗殺ルートの台詞だったのが気になるけれど……王太子の台詞は修道院送りルートのものだったし、大丈夫なはずよね!)

 とはいえ、死ぬルートからは逃れられたものの、修道院行きは決まってしまった。

 先を考えれば、明るいばかりではいられない……。

「家に帰れるのも今日が最後かもしれないわね……はあ、修道院送りか。どんな生活になるのかしら」

 帰るのが少し怖くなってきてしまった。

 他の関係者に遭遇するのも避けるべく、会場の反対方向に位置する中庭へ向かい、その中の四阿の椅子に腰を下ろす。

 それからおもむろに、ドレスの隙間に入れていたお守り『くま吉』を取り出す。

 前世の記憶が発現してすぐの頃、あまりの心細さから、前世で大好きだったゆるキャラ『くま吉』の小さなマスコットキーホルダーを侍女と共に作った。

 前世の私は無類のゆるキャラ好きで、日本各地のゆるキャラグッズを集めることを趣味としていた。

 まさかその旅行のお供にやっていた乙女ゲームの世界に転生するなんて……。

 そんなゆるキャラたちの中でも、一番最初に心惹かれた『くま吉』は、私にとって特別な存在だった。

 これまで前世でも今世でも、心が折れそうになる度、『くま吉』を支えに耐えてきた。

「くま吉……私これからどうなるのかしら……」

 くま吉を手に、拝むように項垂れる。

 ここまではゲームのシナリオ通り回避できたけれど、ここから先のシナリオは全く知らない。未知の領域だ。

 未来への不安に押し潰されそうになり、必死に堪えていた涙がじんわりと滲み始めたその時だった。

「そのクマちゃん……!」

 突然、背後から声をかけられ、その声の低さと告げられた単語に違和感を覚えながら思わず振り向いた――。

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