アダムはマナビの実をたべた

明日へ

プロローグ

プロローグ

「黄色信号って、赤信号と青信号どっちの味方なの?」


 アベルは信号の前で、カインの背中に聞いた。


「アベル。今はそんなことを言っている場合じゃないのはわかるだろ」カインはため息をついて振り返る。「それに、赤も青も黄色もみんな別々だよ。どっちの味方とかじゃない」


 誰もいない。サルのカインとアベルは、魂を失った街の中にいた。二匹のいる大きなスクランブル交差点は、普段であればたくさんの車やヒトで溢れている場所だが、今は車どころかヒトすら見当たらず、役目を果たしていない信号が無言で点滅している。信号が青に変わると、彼らは歩くその足の裏に、コンクリートのいつもとは違う何かざらついたものを感じた。


 ビルの上には巨大な液晶モニターが見える。何も映っていない真っ黒なそれは、異様な不気味さを街に放っていた。百貨店の前を通り過ぎる。ガラス越しに、マネキンが季節外れの洋服をすまし顔で着こなして立っていた。


 ビルの間を抜けてくる冷たい風が、アベルの柔らかな毛を揺らす。いつもは気にもならなかった飄々ひょうひょうという風の音が、彼らの不安を募らせた。


「ねえ、ヒトは絶滅しちゃったの?」アベルが聞く。


「まさか」カインはあたりを見渡す。「誰も外に出なくなったんだよ」


 風で飛ばされてきた新聞が、カインの栗色の足に巻きついた。ひしゃげた紙面に「新型コロナ」「パンデミック」の文字が見える。


「学校はどうなっているだろうか」


 カインたちは顔を上げて学校に向かって歩き出した。


 学校の校門から中に入ると、いつもは子供の声が反響して騒がしいほどだった学校も静まり返り、巨大で無機質な建物が無言の圧を与えてくる。


「たくさんヒトも死んじゃったね」


 校庭の真ん中でアベルは、目に涙が浮かぶのをカインに見られないように背を向けた。アベルの目に映る、遠くにぼんやりと見える王国の木は、その生気を失っているようだった。

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