竜には井戸は狭すぎる
円坂成巳
前編
ぽつぽつと雨が降ってきて、車の窓ガラスに当たりはじめた。
「今日、すごかったね」「空に昇っていったよね」
亡くなった祖父の家を改修した里山体験施設からの帰り道、助手席の妻と後部座席の娘は明らかに興奮気味で、僕がなにかを語りだすのを期待していた。
あんな不思議で鮮烈な体験をした後で、なにかを知っていそうな僕を前にすれば、そこにどんな物語があるのかを気にするのは当然というものだろう。
別に隠すようなことではない。僕は、妻と娘に竜の子の話を聞かせることにした。現実とは思えない不思議な話をすることになる。娘は怖がるだろうか、それとも、よい話だったと思ってくれるのだろうか。何にしろ、僕は、だれかにこの話を伝えたいと思うのだ。その誰かが、妻と娘であることは僕にとって喜ばしいことだ。
まずは、僕の小学生の記憶を思い出さなければならない。二十年も前のことを思い出すのはなかなかたいへんなことなのだが、竜の子、そして祖父に関することは、もう細部まで思い出すことができていた。それは、たしかに僕の一部であり、僕の心に刻み込まれたものだからだ。忘れていた時期があったことも事実だが、今となっては、かけがえない記憶であり、消せない記憶でもあるのだ。
その子の顔を初めて見たのはいつだったろう。
僕の少年時代の記憶の中でも重要な部分を占めている夏休みの思い出の中に、いつまでも輪郭のあやふやな染みのように消えずに記憶の奥に残っていたあの子。
あの子を初めて見たのは、小学校二年生の夏だったと思う。
父に連れられ、田舎の祖父の家を初めて訪れて、見慣れぬ緑と川、煩い虫に囲まれ一週間を過ごした。東北地方の奥羽山脈に連なる山々の麓のとある村の中で、祖父の家は、村の一番奥に立っていた。山の麓に建った祖父の家は、祖父が子どもの頃には経っていたというから、少なくとも八十年くらいは経過した古民家だったのだと思う。
滞在の間、母は留守番という名目で家で好きなことをしてゆっくりと過ごしており、観光ネタを中心とする娯楽記事のライターであった父は記事執筆の仕事を持ち込み、いつもと違う環境で夏の特集記事の執筆に勤しんでいたのだった。
毎日が晴天で、蛙や蝉の合唱がこんなにもうるさいものだと初めて知った夏だった。
その日、僕は川で魚を捕まえていた。祖父宅の裏には山があり、そこから流れ出る水量の少ない川は、台風の時期には暴れ回るというが、水量が少なければ足が浸かる程度の流れで気持ちのいい沢だった。
祖父に渡された、ちりとりのような形の網を片手に持ち、父といっしょに川底の石をひっくり返して魚を探していた。父は、子供の頃は魚獲りの名人だったと言って楽しそうに川に入っている。ふだんは、よく言えば放任主義、悪く言えば放ったらかしだったら父が、いつもとは違い、積極的に外に連れ出してくれたり、いつもと違う姿を見せてくれることが、実は嬉しかった。
カジカという、茶色くて平たく目の大きな、ひょうきんな顔つきの魚を狙ってとった。ほかに沢蟹も捕まえることができた。捕まえたカジカや沢蟹は、後で祖父が唐揚げにしてくれたが、これがとんでもなく美味しかったのを覚えている。
水底のカジカを探すのに、必死で水面を見ているとき、それは現れた。水面に浮かぶ人の顔のようなもの。はじめは自分の顔が水面に映っているのだと思ったが、何だかおかしいと気づく。僕の髪は、こんなに女の子みたいに長くはない。ゆらゆらと水面が動くと、その顔も波打って歪むが、じっと見ていると、髪が長く意思の強そうな大きな目の子どもだとわかってきた。
笑っているようにも泣いているようにも見える。
僕は手を伸ばして水面の顔に触れてみた。いや、触れてみようとしたが、水の流れと冷たさを感じるだけで、水面に浮かぶ顔に触ることはできない。川の水に溶けるようにその顔は消えてしまった。
たぶん、これが最初の記憶だ。このときに祖父に伝えていれば、もしかすると何か違ったのかもしれないが、そのときの僕は、特に怖がることも驚くこともなく、田舎ではそんなこともあるんだなあと不思議に感じただけで、また、魚獲りに集中していたのだった。
次にその子を見たのは、翌年、小学三年生の夏休みだった。
もう明日には祖父の家から帰ろうという最後の滞在日。この年は、仲良くなった地元の子供たちと毎日、虫を捕ったり、川で泳いで遊んでいた。
祖父宅の裏の山から流れる川は、別の山から流れてくるもっと大きい川に流れ込んでいく。その川も水量が大きいわけではないのだが、適度に流れがゆるやかで水がたまっている場所があり、よく村の子供達が泳いで遊んでいた。すぐ下流では、だれか大人がタバコを吸いながら釣りをしていることが多く、今思うと、子どもたちが危険なことをしないか見張っていたのかもしれない。その日は祖父とその友人のおじいさん、それからもう少し若いおじさんの三人が釣り糸を垂らしていた。
川では、子どもたちが、次々と岩の上から川の深みに飛び込んでおり、その様子に僕は憧れていた。大小さまざまな岩や石があるが、その岩は、飛込み台というなんのひねりもない名前で呼ばれており、川の真ん中にどっしりと突き出し、登るにも寝そべるにも丁度いい平らな岩であった。ちなみに少し下流で祖父らが釣りをしている岩は、腰掛けるのにちょうどいい腰掛け岩と呼ばれていた。
今日こそは、飛び込むのだと心に決めていたのだが、しかし、いざ岩の上に立ってみると、どうしても足がすくんでしまって、飛び込むことができないでいた。せいぜい二メートルの高さで、下から見ると大したことないのに、上から見下ろすと断崖絶壁のように感じるから不思議なものだ。足を一歩踏み出せばいいだけなのに、それがどうしても難しい。
でも今日はそれじゃだめだと強く思っていた。もう明日には家に帰らなきゃならないから。せいぜい大人の背丈くらいの岩で、たいした高さじゃない。スイミングに通っていてクロールだってできるんだ、大丈夫だと自分に言い聞かせた。
余所者の僕のことを仲間に入れてくれた子供達のリーダー格のケンちゃんや村の子供たちに、いつまでも弱虫とは思われたくなかったし、学校が始まったらみんなに自慢したいという気持ちもあった。
飛込み台の上で僕が固まるのを、みんなが見守っているのがわかった。蝉の声も川のせせらぎも耳に入らなくなる。一歩を踏み出すだけでいい。たった一歩だ。
「いけるぞ」
「こわくないよ、だいじょぶだってば」
声をかける子の中には僕より小さい子もいて、負けたくないという気持ちが湧く。
どうせなら、誰かが背中を押してくれたなら簡単なんだろうが、自分で踏み出さないと飛び込んだことにはならない。下を見ると、どうしても足がすくんでしまう。
一度、二歩下がって、深呼吸をして、一度空を見上げる。空はあんなに遠くても全く怖くない。前を向くと、断崖絶壁のように思えた岩場はちっぽけなものに思える。そうだ、別にビルから飛び降りるわけでも、井戸に飛び込むわけでもない。下は水なんだから鉄棒やジャングルジムから飛び降りるよりも安全なはずだ。
そうして僕は、ついに勇気を出して、岩の上から一歩を踏み出した。
飛び降りてしまえば、もう何もできることはなく、水面が近づくのを待つしかなかった。着水と同時に一瞬目を閉じて、次に開いたときはすでに水底だ。足はつかない。独特の浮遊感が心地よい。やった。気泡が舞っている中、小さい魚が何匹か逃げていったのを目の端に捉える。あとは力を抜いて浮かぶだけ。みんな喜んでくれるだろうか。
そこで気づいたのだった。岩の陰からぼくのことを見つめる子どもの顔が目に入った。ゆらめく豊かな髪の隙間に覗くのは、まっ白な顔、恨めしそうな羨ましそうな黒目がちな瞳。
だれか先に飛び込んでいたのかなと不思議に思いながら水上に顔を出すと、みんなが喝采をあげている。何人かの子供達が飛び込んできて、僕を揉みくちゃにしてくる。そうだった。僕はついに岩から飛び込めたのだった。嬉しくて、ちょっとはしゃいでから、そういえばとさっきの子を探す。
「髪の長い子なんていたっけ。底に潜っていたけど」
「髪短いやつしかいないだろ」
「いま全員いるしな」
年長組が、一人一人指差すが、確かに全員いるようだ。
子供らが不思議がっていると、釣りをしていたおじさんが声をかけてきた。
「今日はみんな帰るぞ」
みんな自然にみんな川から上がりはじめた。僕も、ちょっと奇妙には思いながらも、皆に従い、川遊びの次は、鬼ごっこかかくれんぼをしたのだったか。
身体を拭きながらケンちゃんに聞いたのだが、大人たちはきっと水の神様を気にしたのだろうということだった。
川遊びについては、祖父からも、地元の子供たちからも、注意されていたことがある。川底の石は滑るから注意すること。一人では絶対に川に入らないこと。深みに気をつけること。雨が降ったらすぐに川から出ること。それから、もう一つ、遊んでいて知らない子供が増えていても声をかけないこと。子供が川遊びをしていると、長髪で肌の青白い見知らぬ裸の少年が増えていることがあるのだという。それは水の神様で無視していれば消えるのだが、もし声をかけると、連れて行かれるのだという。何処へとは語られていない。水の神様が現れたら、川から離れる決まりなのだという。
実際に見たことがあるという子どもたちもいたが、話かけられた経験は誰にもないという。
ばかばかしいと一蹴するには皆が真剣すぎて、その話を聞いてから暫くは川で遊んでいる子供の数が増えていないか気になるようになってしまった。そうは言っても、遊んでいて楽しく過ごしているうち忘れてしまう程度の恐れだったが。
水の神様といえば、その前日の夏祭りでもその名前を聞いたばかりだった。
お盆の前半の時期、村に一つだけある小さい神社の敷地内の広場で、ちょっとした出店が出る。お好み焼きや綿あめを食べて、父や他のこどもたちと神社内を散策していると、広場の中央で、笛や和太鼓が演奏され、竜舞いが始まった。
竜舞いでは、十人の子どもたちがそれぞれ一本ずつ棒をもち、髪や布で作った竜を動かす。先頭の持ち手の棒の先には竜の頭が、後続は、胴体の部分がついており、後ろの子は尻尾だ。竜の頭から尻尾まではつながっており、持ち手をもった子どもたちが並んで歩きながら棒を動かすと、まるで竜が生きていて舞っているように見えるのだ。全国にこのような祭りがあることを今では知っているが、初めて見た僕は、その動きの荘厳さ、かっこよさにほんとうに感動したものだった。この竜が村では水の神様として崇められている存在であるらしく、真っ白の布で作られていた。そして、顔に白い化粧をした大柄な男性が竜を退治した豪傑の役柄となり、皆の前で舞うのだ。何人かの村人が笛や和太鼓を演奏して、これはとても見応えのある祭りだった。竜が豪傑に井戸に閉じ込められて、竜舞いはおわるのだが、その後、小さな藁人形が、盆に載せられ、本物の井戸に奉納される。奉納される井戸は、祖父の家の裏手の井戸だった。
神主さんが、盆を持って、祝詞、このときの僕にはお経と区別がつかなったが、を唱えながら、村人を連れて、まず、神社の裏を祖父の家に向かって歩いていく。その道の中間点にある社に水の神様が祀られているそうで、そこに礼拝した後、さらにその先に進むと、祖父の家の裏の井戸に着く。祖父宅の井戸は、実際に竜が閉じ込められた伝承があるのだということを知った。
普段は近寄ってはいけないと言われていた井戸の周りに皆が集まる。注連縄の外側にみんなが立っているが、神主と祖父だけが、注連縄の内側にいた。祖父は神主の服装に似た白い服を身にまとっていた。
神主が祖父にお盆を渡すと、祖父が一人で井戸の前に進む。普段は石の蓋がしてある井戸は、儀式のためか開放されていた。祖父は礼をして、お盆の上の藁人形を、井戸の中に放り込んだ。
神主がなにかもにょもにょと唱えると、みんなが頭を傾けてそれを聞いて、儀式は終わる。
どんな儀式なのかわかってはいなかったが、祖父が活躍することで僕は得意な気持ちになっていたものだった。
あとで父に儀式の意味を聞くと、洪水被害が起きないように、それから、子どもが安全に川で遊べるように、お祈りをする儀式なのだと聞いた。父はライターの仕事で、この祭りのことを旅行雑誌に書いたことがあったそうだ。
藁人形は、毎年、井戸の底に溜まっていくのではないかと気になって聞いたところ、糸がついており、後で引き上げて回収しているとのことだった。
二年後、僕は五年生だった。三年生の夏休みに年上のガキ大将のケンちゃんが仲間にいれてくれて、その年も四年生の夏もそうであったように、夏にだけ出会う友人達は僕を迎え入れてくれた。祖父や父と遊ぶこともあったが昼はだいたい地元の子供たちと遊んだ。特に楽しみなのは川遊びだった。怖くてできなかった岩からの飛び込みだって、今は平気で楽しめるようになった。水の底で魚だって見つけられる。
その日は格別に晴れ渡っており、冷たい水が心地よかった。川で潜水していると、見事な泳ぎを披露する少年に気がついた。まるで魚のように水中でくるっと方向転換し、いつまでも水の中に潜ったままなのだ。僕よりも小さくて、こんな子いたかなと怪訝に思う。みんな日焼けしている中で不自然に白い肌が際立つ。腰まである長い髪が水中にたなびいていて、しかも裸だった。その泳ぎは本当にきれいで、目を離すことができなかったが、そのうち僕の息が続かなくなる。僕が浅瀬で立ち上がると、その子は水面に顔だけを出してこちらを見ていた。そしてそのまま動かないので心配になった。
「どうしたの。寒くなった?」
話しかけると、少年はまん丸に目を見開いて僕の顔をじっと見る。黒目がちで吸い込まれそうな瞳。
「だいじょうぶ?」と一歩近づいた。
その子は突然に口を開いた。
「わしを助けてくれんか?」
問われて、僕は自然に答えていた。
「え、いいけど、なにを」
そう答えると、少年は、にやりと笑みを浮かべて、
「助けてくれるんじゃな、約束じゃ、約束じゃな」まくしたてるように話した。
そこで気づいた。僕はこれまでもその子を見たことがある。三年生の夏、それからその前年もどこかで。祖父や子供たちの水の神様の話を思い出して背筋がぞわっとした。
話してはいけないと言われていたものに対して答えてしまっていた。
「助けてって、何をしてほしいの」
「約束じゃ、約束じゃ」
僕の問いには答えず一人で納得して、少年はばしゃんと音を立てて水面下に消えた。川に沈んだというよりは、川の水に溶けてなくなったように見えた。
もう少年はどこにもいない。なにかたいへんなことをしてしまったのではないかという気がして、真っ青になって固まっていた僕に、ケンちゃんが気づいた。僕の話を聞いて、ケンちゃんが、すぐ下流で釣りをしていた大人を呼びにいくと、みんな今日は川から出るようと促された。
僕は、その日の夕方、祖父から、明日から川に行くなと強く言われ、驚いた。
「なんで、明日も晴れそうなのに」
「水の神様がそんなにはっきり見えたら、しばらく川には入らんほうがいい。ほかの子供らもみな川には入らないようにいわれているはずだべ。我慢してけれ」
祖父に真剣な表情で言われると、納得しているわけではなかったが、わかったよと言うしかなかった。
そうしてふてくされていた僕は、夕食までの時間に、蝉の声を聞きながら縁側に座り、ぼうっと外を眺めていた。夕日が赤く不気味に思えるほどで、蝉の大合唱が頭の中まで反響するようだ。絵でも描こうかなと思いつく。父が夏休みの宿題用にと買ってくれたスケッチブックと色鉛筆は、そのころの僕の宝物なのだ。
何を描こうかと少し考えて、川の中にいた子供のことを思い出した。魚のような達者な泳ぎを思い出して、絵を描いてみる。祖父やケンちゃんたちの話を考えてみると、あの子は水の神様ということなのだろうか。考えながら描いた絵は、自分でもなかなかの出来だった。水の中の表現が、うまくできたように思える。夏休みの自主課題にだしても良いかもしれない。
ぱしゃん、水に何か落ちるような音が聞こえた。なんだろう、縁側から降りて、音の方向を探す。
また、ぱしゃんと音がした。屋敷の裏だ。山の方向。
縁側から降りて、少し歩くと、その先で目に入ったのは井戸だった。
祖父の家の裏手で、山との境界にあるその井戸には、危ないから近づくなと言われていた。そう言われていなくても、いつもなら気味が悪くて近づかない井戸だが、このときの僕は、川に行くなと言われたことで反発心が勝っていた。
注連縄をくぐり、井戸に近づくと、蓋が開いていた。中を覗き込むと、底から小さな男の子が見上げていた。川にいた子だ。肌が真っ白で、髪の長い美しい小柄な男の子。井戸の中に子供がいることに不思議と違和感を覚えなかった。
「どうしたの?」
聞くと、男の子は、答える。
「井戸にはまって出られん。助けてけろ。助けるって約束したろ」
僕はそんな約束まではしていないと思ったが、助けなきゃいけない状況だと理解した。でも、まさか僕一人で助けることは不可能だ。
「じいちゃんと父さん呼んでくるから待ってて」
「いらん。手え伸ばしてけろ」
深くて届くわけがないのに、そう思いながらも言われるままに手を伸ばすと、がしっと強い力で両腕をつかまれていた。
「びぇっ」
へんな声が出た。男の子の顔が目の前にあった。彼はは胴体がにょろっと伸びて、両手でぼくの両手を掴んでいたのだ。
「さ。引けや引けや人の子や。引かねば落ちるぞ。落ちれば食うぞ」
うれしそうな顔で歌う目の前の少年は、皮膚が緑の苔に覆われていて、妖怪図鑑で見た半魚人を連想させた。胴体には鱗がびっしりだ。
いやだ、逃げないと。手を振りほどこうとしたが離れない。男の子の力は強く、僕はずるずると井戸に引きずり込まれそうになる。
お腹が井戸の縁に引っかかっている状況で、ふんばっていた両足が地面を離れた。川に飛び込む時と似た気持ち悪い浮遊感。もうだめだ。ここで死んじゃうんだ。井戸の底の水面が目に入り思わず目をつぶった。もう落下するしかない。
落ちたはず、そう思ったのに、いつまでも水面に到達した感触はない。目を開けると僕はまだ井戸の上にいた。背後から誰かが僕の身体を抱きかかえて引っ張っている。
「聞けやあ聞けやあ竜の子や。井戸の底から出たければ、さあさあわしの手を掴め。悪さをせんと誓うなら、二十人力のわしならば、お主を天に引き上げよう」
祖父の声だった。祖父が右手で僕の胴体を支えながら、左手で何かを井戸に差し入れる。僕の腕と並んで井戸に入って来たのは、藁の人形だった。前の年の夏祭りで見たのを覚えている。毎年、夏祭りの最後に井戸に祖父が放り込んでいる人形だ。これは、明日の夏祭りのための人形かもしれない。
少年は、藁の人形をがっしりと掴んだ。祖父が人形から手を離すと、もろともに井戸の底に落ちていく。ばしゃんと音がして、人形は浮かぶこともなく、井戸の底に引きずりこまれていった。少年は消えていた。
「この井戸にはもう近づいちゃなんねえぞ。一生だ。次は助からねえ」
僕は恐る恐る頷く。
「じいちゃん、あれはなんなの」
冷たい麦茶を準備し、縁側に並んで座って祖父は語ってくれる。
昔、空から落ちてきた竜の子供がこの地に住み着いた。川を氾濫させて村人を苦しめ、年に一度は子供の生贄を要求した。あるとき、二十人力と言われた村の豪傑が龍をこらしめ、井戸に閉じ込めた。龍は改心し、治水の神様となった。そんな話。
よくある昔話に思えた。祖父は、その竜の子がさっきの少年なのだという。地域に伝わりまことしやかに噂されているところでは、竜の子は井戸から出られないのだが、腹を減らしているのが寂しいのか、夏になると付近の川に写し身を遣わして子供を井戸に誘うのだと言われているのだとか。そのため夏祭りには、藁人形を井戸に放り込み竜の子を慰めるのだという。出られないのに姿を現すとはへんな話だがお化けとはそんなものなのかもしれない。
「人柱って意味わがっか?」
「なんとなく。神様にお願いするために沼に入ったり、沈められたりするやつ」
祖父の突然の問いに、本やテレビドラマで見た知識からのイメージを答えた。
「んだ。さっきの話、竜の子なんてもんは本当はおらんのよ」
「え、さっきはいるって」
「竜は後付け、実際は人柱の子供だったんじゃろうな。ここいら昔から日照りで水がなくて困ったかと思えば、雨が降ったら降ったで増水じゃ洪水じゃと大騒ぎじゃ。だから、水神に人柱を捧げる歴史があったんじゃ」
「雨をちょうどよく降らしてほしいってお祈りするってこと?」
「んだな。じゃがそれも口実よ。ほんとうはなあ、もどすのが目的じゃったんだろうなあ。むごいもんよ。その祟りを恐れて祀っとるのを、竜の子を祀るという話に置き換えたんじゃろうとわしは考えとるんじゃ」
「もどすって?」
「ああ、今はわからんでいいんじゃ。わしの趣味に付き合わせて悪かっだな。忘れっべ。じゃが、わしが死んだらこの井戸をどう管理するか、お前の親父らで決めねばなんね。あやつらは運よく井戸に呼ばれることもなかったからな、わしの話なんぞ歯牙にもかけんじゃろし、もう土地に縛られる時代でもねえ。そんときは、おめはわしの話をちょっとだけ思い出してくれりゃあいい」
祖父は、代々の先祖が井戸をずっと守ってきたのだという。今思うと、僕にもその一端だけでも伝えたかったのかもしれない。
「井戸を埋めたり建物で囲おうとするとな、必ず事故が起こる。増水して堤防が壊れたり、悪いことが起こるんじゃなあ。だからずうっとこのままなんじゃ。井戸を祀ってるうちは大人しくしとるが、ぞんざいに扱ったら暴れ出す。そういう怖い神様だと思っておけばいい」
にっと笑う祖父だが、一転、厳しい表情で、僕の目を見て言う。
「おめは目えつけられたから、もうあの井戸には近づいちゃなんねえ。来年からはうちにも来ね方がいい。寂しいが命にゃあ変えらんねえべ」
その晩は、祖父が僕のことを見張るかのように、隣の布団で寝て、翌日は予定を繰り上げ、帰宅することになった。父は納得していなかったようだが、祖父だけでなく、村の神社の神主にまで説得されて折れたようだった。
その年を境に僕は、夏も正月も祖父の家に遊びに行くことはなくなった。祖父は何度か僕の家に遊びに来てくれたけれど、本当は僕の方から行きたかった。ケンちゃんや他のみんなにも会いたかったし、川遊びもしたかった。でも、祖父は許さなかった。
中学くらいまでは未練があったけど、高校生にもなると流石にこの体験のことは思い出さなくなってきたし、祖父の家に行きたいと両親に駄々をこねることもなくなっていた。
だから楽しい夏の思い出も、不思議で怖いあの体験も、すごく鮮やかで印象的ではあったはずなのに、記憶のずっと奥の方にしまったままになっていて、ずっと引っかかってはいるものの、いつしか思い出すことも少なくなっていたのだ。
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