羊飼いの少女 #2
宴が済んだ、次の日の朝。
クロムが目を覚ますと、部屋はまだ薄暗かった。
ラーセンやオリーブを踏まないよう気をつけながら、壁際の窓まで移動する。
二人を起こさないよう窓は開けず、隙間から外を覗く。
日はまだ昇っていないが、空は白み始めていた。
(朝だ!)
クロムは魔法のカバンを手に取ると、部屋に用意されたついたての奥に移動する。
そして、さっと着替えを済ませると、魔法のカバンを肩にかけて部屋を出た。
美味しそうな匂いが、階段の下から漂ってくる。
階段を降りると、昨日の宴があった大部屋の隣の台所で、老婆が食事の準備をしていた。
「おはようございます」
「クロムちゃんかえ、早いねえ」
「なんだか、早く目が覚めてしまいました」
「まだしばらくかかるでな。もしよければ、アンバーが羊に水をやりに行っているんで、手伝ってやってくれんかの」
「わかりました」
老婆から頼まれごとをされたクロムは、家を出た。
まだ、辺りは薄暗い。
出がけに老婆から聞いた、アンバーが世話をする羊がいる小屋の場所を目指して、クロムは歩いていく。
村のあちこちにあるどの家の煙突からも、あさげを準備しているのか、煙が立ち上っている。
(みんな、早起きなんだなあ)
今この村で寝ているのは、ラーセンとオリーブだけなのではないか。
そう思うと、クロムはなんだか面白くなり、小さな笑みが溢れた。
カランカラン、とベルの音が聞こえてくる。
音のなる方へ近づいていくと、小さな庭付きの羊小屋があった。
庭には水桶があり、羊たちが水を飲んでいた。
「みんな、おはよう。君たちの可愛いご主人様は、どこにお見えかい?」
クロムは羊たちに、おかしな口調で問いかける。
もちろん羊たちは、クロムに何も返事はせず、水桶の水をごくごくと飲んでいた。
ふわっと、周りが明るくなった。
山の端から、柔らかな朝の光が溢れてくる。
その光を背に受けて、こちらに歩いてくるアンバーの姿が見えた。
小脇に大きな杖を抱えたまま、羊にあげるのであろう、水の入った桶を持っている。
クロムは、アンバーの元へ駆け寄っていった。
「おはよう、アンバーちゃん!」
「お、おはよう、ございます……」
「早起きなんだね。それは、あの子達にあげるお水?」
「え、ええ」
「重いでしょう。貸して。持ってあげる」
「でも……」
「遠慮しなくていいから」
クロムは、アンバーの持っている水桶をひょいと持つと、アンバーと並んで歩き始めた。
急に手持ちぶさたになってしまったアンバーは、もじもじしながら杖を持って、クロムの横を歩いていく。
「アンバーちゃんは、いつもこんなに早起きなの?」
「朝は、羊たちに水をやらないと、いけない、から」
「偉いねー。私も学校に行っていた頃は、そこそこ早起きしていたけど、日が昇る前はさすがに寝てたよ。この後は、羊たちを山に連れていくの?」
「は、はい。草の多い中腹まで」
そう言って、アンバーは山の中腹あたりを指差す。
「すごいなー、あんな高いところまで」
アンバーの指差した先を見ていたクロムは、ふといいことを思いついたという感じで、アンバーの方に振り向いた。そしてアンバーに尋ねる。
「そうだ。今日、アンバーちゃんと一緒に羊の放牧についていってもいい?」
「え、ええ?!」
「大丈夫。邪魔はしないし、何か手伝えることがあれば、手伝うから」
「え、あ、あの……」
「あ、もし迷惑だったら断ってもらっていいんだけど」
畳み掛けるように問いかけるクロムに耐えられなくなったのか、アンバーはとうとうクロムを置いてかけだしてしまった。
クロムは、水桶を手にしたまま呆気に取られている。
羊たちが、水を催促するように、めえぇと鳴いた。
クロムが村長の家に戻ると、ちょうど朝ごはんが出来上がっていた。
ラーセンとオリーブも起きていて、テーブルを囲んでいた。
朝ごはんには、少し硬めの黒パンに、豆の入ったスープ。
そして、昨日とはちょっと違う、さっぱりした味のチーズが並んでいた。
「それじゃあ、たんと召しあがっとくれ」
老婆に言われると、ラーセンとオリーブは食事を取り始める。
クロムも食べ始めるが、いつものような勢いがない。
ラーセンとオリーブは、珍しいものを見るように、そんなクロムを眺めていた。
部屋に戻ると、クロムはため息をつく。
「どうしたのよう、珍しく元気がないじゃない」
オリーブが問いかけると、クロムはうなだれながら答えた。
「アンバーちゃんと仲良くなりたいのに、なかなか打ち解けてもらえなくて」
「それで、朝はあんなにわかりやすく落ち込んでいたのね」
「オリーブさんは、どうやってアンバーちゃんと、あんなに仲良くお話しできるようになったんですか」
藁にもすがる気持ちで、クロムはオリーブに問いかける。
オリーブは、やれやれという雰囲気で返事をする。
「クロちゃん、どうせアンバーちゃんに『朝は早いのー』とか『毎日羊の世話をしてるのー』とか、質問攻めをしたんじゃない?」
「うっ……」
「会って間もない人に、根掘り葉掘り聞かれたら、そりゃあアンバーちゃんじゃなくても嫌になっちゃうわよねえ」
「おっしゃる通りです……」
「まずは、当たり障りのないところから会話を始めて、興味のありそうなことを見つけたら、そこから少しずつ話題を膨らませていく。これが、仲良くお話しできるようになるコツよ」
その後、オリーブから酒場で鍛えたトーク術を教えてもらったクロムは、これならできそうだと思い始める。
しかし、どうやってアンバーともう一度話をするきっかけを作れば良いのか。
それがわからず、頭を抱える。
「それよりクロちゃん、この村に来た理由、覚えているの?」
「理由って、なんだっけ?」
「バカねぇ、魔法を探しに来たんでしょ」
「あ、そうだった。師匠、今日は何をしますか?」
クロムはこの村に来た元々の理由を思い出すと、慌ててラーセンに問いかける。
ラーセンは、ゴソゴソとカバンの中身を整理しながら答える。
「まあ、元々調査は自分一人でやっていたから、特に手伝ってもらうことはないかな」
「はあ」
うなだれるクロムを見て、ラーセンはちょっと助け舟を出す。
「特にやることがなければ、あの子と仲良くなって、村のことなど聞いてほしい。子供の意見は、大人とは別の視点で役に立つことも、存外あったりするからな」
「わかりました。仲良くなって、お話ししてきます」
そう答えたところで、階段の下からクロムを呼ぶ声がする。
クロムが階段を降りると、老婆が待っていた。
心なしか、顔が綻んでいる気がする。
「アンバーがのう、今日の放牧に一緒についてきて欲しいと言っとるんじゃ。忙しくなければ、お願いできんかのう?」
その言葉を聞いた途端、クロムの顔が、ぱあっと明るくなる。
「はい、よろこんで!」
「そりゃあよかった。今朝の羊小屋で待っているそうだで、準備ができたら、教えてもらえんか」
「準備、すぐできます!」
クロムは階段を駆け上がると、魔法のカバンを手に取った。
そしてラーセンとオリーブに、アンバーと出かけてくることを告げると、また階段を駆け降りていった。
「相変わらず、騒がしいわねえ」
「全くだ」
ラーセンとオリーブは顔を見合わす。
そして、ラーセンはオリーブに問いかける。
「俺は、村長に色々話を聞こうと思う。ついてくるか」
「もちろんよう」
魔法の調査をすることにした二人のことは気にも止めず、クロムは羊小屋の方にかけていった。
羊小屋の前では、アンバーが羊たちを連れていく準備をしていた。
「アンバーちゃーん」
はあはあと少し息を切らしたクロムが、アンバーの近くまで来る。
アンバーは杖を抱えながらぺこりと頭を下げると、クロムに話しかける。
「あ、ありがとう、ございます」
「ううん、こちらこそありがとう。アンバーちゃんと一緒にお出かけできるの、すごい楽しみ」
クロムの言葉に、アンバーの顔が少し赤くなる。
恥ずかしくなったのか、くるりと振り向くと、庭の扉を開けた。
羊たちがゾロゾロと、庭から出てくる。
その羊たちの後ろにアンバー、そしてクロムがついていく。
「それじゃあ、よろしく」
「は、はい。お願いします」
道中、オリーブからのアドバイスに従って、クロムは色々質問したいところを我慢していた。
沈黙している雰囲気にちょっと不安を持つが、アンバーの後ろ姿は特に緊張している様子には見えない。
どちらかといえば、リラックスしているようだ。
(なるほど、話しかけない方がいい人もいるのね)
そういうわけで、クロムは、アンバーや羊たちを観察しながら歩いていくことにした。
アンバーの羊飼いとしての腕が良いのか、羊たちはおおむね、ひとかたまりになって歩いていた。
時折群れからはぐれてしまいそうになる羊も出てくるが、その度に、一緒についてきている牧羊犬が群れに押し戻していた。
山へ続く道は、村を抜けると、少しずつ上り坂へと変わっていた。
道を登るにつれて、心なしか空気もひんやりと冷たくなっている
クロムが周りを見渡すと、少し離れた山の斜面を白い雲が駆け上がっていた。
「あそこ」
アンバーが突然足を止め、持っていた杖で指し示した先には、小さな小屋が立っていた。
「何か、小さな小屋があるね」
クロムは、聞き返すのではなく、アンバーが言いたいことを言葉にするように答えた。
アンバーは、歩き始めると、少しずつ話し出した。
その小屋には、かつて一人の魔法使いが住んでいた。
結構なお年寄りのお爺さんで、あまり小屋から出てくることはなかった。
それでも、時々村に降りてきては、大きな杖を使って魔法を出し、村人たちの暮らしを助けてきた。
アンバーがまだ小さく、羊飼いの仕事をしていない頃は、よくその小屋に遊びに行き、そして魔法を教えてもらっていた。
少し大きくなって羊飼いの仕事を始めてからは、あまり訪ねることができなくなってしまった。
そして二年前くらいに、その魔法使いは用事ができたと言って、村を去ってしまった。
「おじいには、もっと魔法を教えてもらいたかった」
最後にポツリと、願いとも諦めとも取れるような言葉をこぼした頃、ようやく放牧地点に辿り着いた。
アンバーが羊たちを追うことをやめると、羊たちはめいめいに散らばり、草をはみ始めた。
それを見たアンバーは、おそらく定位置であろう岩に腰掛けた。
その傍に牧羊犬が座り込む。
牧羊犬は大きくあくびをすると、うとうととし始めた。
クロムはそんなアンバーの横に立った。
そして、自分の魔法について話し始めた。
「魔法は、素敵だよね。私も勉強中」
「クロムさんも、魔法使いなの?」
「そうよ。ジュリアード魔法女学園って知ってる? 私、そこで近代魔法を学んでいるの」
「近代、魔法?」
「そう、近代魔法。アンバーちゃんは、どんな魔法を使うの?」
クロムとしては当たり前のことを聞いたつもりだったが、アンバーはその質問の意図が分からず、きょとんとしている。
「あれ? 近代魔法とか、古典魔法とか、そういう魔法の体系って、聞いたことない?」
「魔法は魔法、としか分からない」
気をつけていたつもりだったが、魔法の話となるとつい突っ込んでしまったことに、クロムは気がつくと、慌ててフォローし始めた。
「あ、ごめんごめん。世の中にはいろんな魔法があるんだよね。そのうちアンバーちゃんの魔法も、見せてもらってもいい? 私、魔法のこと大好きなの」
「いい、よ……」
「ありがとう」
一通り話し終わると、二人と一匹は、静かに羊たちを眺めていた。
風が、木々の葉を揺らす音。
空を飛ぶ鳥たちの鳴き声。
時折遠くから聞こえる、獣の遠吠え。
クロムは、普段の街の生活では感じることのできなかった、ゆったりとした時の流れの中に、身を委ねていた。
「アンバーちゃん、ここは本当に素敵な場所ね」
クロムは、素直な気持ちをアンバーに伝えた。
「はい」
アンバーは、初めて少しはにかんでクロムに返事をした。
ほんの少し、アンバーとの距離が縮んだように、クロムは感じた。
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