3章 裏切り者は最低だ。

3.1 夕子さん


「珠厨音、もう晩御飯できたから机片付けてくれ」


 キッチンから本郷の声が届く。

 僕は本部への報告書を作るための資料とパソコンをしまう。


 片付くはしから皿が載っていく。

 今日の夕飯は具沢山のカレーだった。



「「いただきます」」



 犬のようにかき込む本郷。

 あっという間におかわりにいく。


「炊飯器が欲しいな。最低でも5合炊きがいい」


 などと言って、レンジでパックごはんを温めはじめる。


 事務所にはいつの間にか、本郷専用のコップ、箸、プロテイン、下着等の着替え、入浴セットと私物が増えていた。

 きっと、野山での外来種による侵略もこんな感じで版図を塗り替えていくものなのだろう。


「……住みつく気ですか?」

「いちいちホテル戻るの地味に面倒なんだよ。ここなら近くに銭湯とかあるしな。嫌か?」

「いえ、その、大家さんがええよって言わはるか、ようけ聞いてみぃひんことには」


 京言葉で誤魔化すが、この建物は魔法連盟の所有なのでむしろ僕が大家の側である。


「家賃ちゃんと払ってるなら住人一人増えようと文句言われないだろ」

「でも、借りるとき「犬とか飼わんといてくださいね」って言われたさかい」

「私はペットか!?」


 獣のようにガツガツ食べていた本郷が、咳きこみながらツッコむ。

 僕らの笑いが重なった。


 そうこうする間に本郷が二杯目も食べ終える。

 僕はまだ一皿目の半分も終わっていなかった。


「ほんと食べるの早いですね」

「警察学校はタイムスケジュールが厳しくてな。警官はみんな、何でもパパッて急いでやる癖がついちゃうんだよ。早寝早飯早グソって言ってだな」


 つぎは僕が咳き込んだ。


「あ、スマン。カレー食べてるときにシモの話をして」


 本郷がクツクツ笑う。

 最低な人だ。


「そういや、連日私と捜査してるけど学校の方はどうしてる?」


 僕は虚空を見つめる。


「どう、とは」

「いやね、行ってるように見えないが、出席とか大丈夫なのかなって? 捜査に協力させてる私が言うのもアレなんだけどもさ」


「一応、実家の家業手伝いということで特別な事情として認めさせた上で、補講を受けつつ成績上位をキープすれば、出席日数が三分の二以下でもどうにか進級は可能です」

「でも、去年は進級できなかったんだよな?」


「テスト行くのが億劫で。もういいやーって当日にブッチしちゃいました」

「お前なあ、そういうとこだぞ。ものぐさすぎるんだ珠厨音は。学校行くのってそんなに面倒か? 友達と会えるし部活もある。楽しいだろ」


 本郷は僕と根っから違う人種のようだ。

 きっとクラスでも今と同じくらい気さくで、陽キャの一軍にいたのだろう。


「僕に友達なんているわけがない。あんな閉鎖された、密な関係性を強制される空間は苦痛です。フーコーも言ってます、「教化しようとする点で学校と刑務所は一緒だ」みたいなこと。同意しますね。どちらも本質的には、密閉管理されながら洗脳を受ける施設です」


「ひねくれてるなぁ。っていうか、そもそもなんで珠厨音は高校に通い始めたんだ? もう魔法連盟の職に就いてるんだから学歴とか要らなくないか」

「そうですね。すでにイギリスで魔法学院も卒業してますし。何ででしょうね」


 わかってるくせに、僕はわからないふりをつづけた。

 僕のウソにもちろん本郷は気づかない。


「ま、始めたからには頑張って卒業するんだぞ。通い続けるにはそうだな、何か学校で楽しみとか見つけたらいいんじゃない? そうだ、学生らしく同級生に恋とかしてみたら? 髪とか綺麗に結んでれば、君は美人だからモテるぞ絶対」


「ハッ、こんな女々しい男を好きになるなんて相当の物好きですよ。この方、異性として意識されないですね。男として見てもらえませんでした」

「ん? その口ぶりは失恋したな? 相手はどんな人だったんだ?」


 失言であった。

 今ばかりは鋭い本郷が隣に座り、逃すまいと肩を組んでくる。

 のらりと誤魔化し、くらりと逃れようとするも、追及する本郷は僕を放さない。

 猟犬は執拗に僕を追い立てる。



 そうして今日も、根負けしたのは僕の方だった。

 やがて渋々語らされる。


「……一〇年以上、ある人をずっと好きでした。でも僕の気もちは真剣には捉えられていなかったようです。思えばずっと、弟扱いでした。魔法連盟の対悪魔殲滅課で世界中とびまわってたときも手紙を書き続けました。けれどアフリカでの悪魔との戦いで地獄をみて帰国したら、その人はすでに人妻になってました。とても優しい人でした」


 僕はなにを言ってるのだろう。

 話してるとダメージが蘇り、死にたくなってきた。


 本郷を見る。

 こんな時ばっかり少女のように赤面して、頬をおさえていた。


「珠厨音、それめっちゃ純愛じゃん……かわいそうに」


 そういうまっとうな反応やめてくれ。

 僕まで恥ずかしくなってくる。


「終わり! この話はここまでです、次は潤さんの番ですよ! 人に聞いたんですから、潤さんも恥ずかしい話をしてください」

「ええ!? 私に君レベルの恥ずかしい話はないぞ?」


 僕レベルってなんだよ。


「不公平です。じゃあ今の恋愛事情とかでも構いません。恋人とのノロケ話でも」

「恋人いないしなあ」


「ああもうっ、じゃあ理想の恋愛について存分に語って羞恥に悶える様を僕にみせてください」

「すごくピンポイントでイヤなオーダーだな……」

「ほら。ピンクな妄想を存分に語ってください」


 それでも騎士道精神にのっとり、不承不承本郷も語りだす。


「そのな、まあ。こんな見た目してる私にはにあわない、恥ずかしい話だけど」


 頬を桃色に染める本郷。

 指を重ねて急に内股になるその姿は、箱入りのウブなお姫様のようだった。


「みんなにバカにされるんだけど、白馬の王子様ってのにいまだ憧れてる。器が広くて、何よりも私を優先して大事にしてくれる、私のことを守ってくれるくらい強い、白馬に乗った男子おのこを組み敷いて、その遺伝子を我が子種にしたい」


 うん……うん?


「敵に囲まれてピンチになったとき、颯爽と現れて敵を倒して、お姫様抱っこで病院に運んでくれる益荒雄ますらおにずっと憧れてきた。怪我した私の手術後のリハビリを手伝ってくれて、今後私が敵に負けないよう稽古をつけてくれる人がいい。そして私はいずれその人を超えて、組み敷き我がものとする。分かるかな、ただ守られたいとか自分色に染めたいっていうだけじゃない。私を救うくらい強い人に恋をして、やがてその強い人よりも強くなって、その人を征服して支配して屈服させて、身も心も自分のものにしてしまいたいっていう、この守られたい欲と征服欲がどちらも大事なんだ」


 姫は姫でも、どうやら戦闘民族とか辺境の蛮族の出自らしい。

 恥じらう乙女の仕草で語られても、脳の処理が追いつかずリアクションに困る。


「……確かにそれは、一度で二度美味しい感じ、なんでしょうかね」


 まったくわからない。


「理想が高すぎるってのはわかってるんだけど、どうしてもそういうシチュエーションに憧れちゃうんだよ。最近実家帰ると母から「そろそろいい人のひとりでもいないの」ってお見合い写真を見せられる。けどいつか、いやこれだけ焦がれてきたんだからそろそろ白馬に乗った益荒雄おうじさまが来てくれてもいい頃合いなんじゃないかって、夢見ちゃうんだよ」


 自分の世界、自分の信じたいものにこだわりすぎである。


 合理的に考えると、求める相手と状況が特殊すぎる。

 条件を満たす武神本郷以上の男が日本に何人いる?

 そしてそれが本郷のピンチに現れてくれる確率は?


 以前なにかの本で読んだことがある。

 婚活の際、結婚相談所で女性が相手に求める条件を「身長が平均よりも上」で「収入が平均よりも上」で「容姿が平均よりもイケメン」と設定したとする。

 その場合、ごくごく単純化して 五〇%×五〇%×五〇% で計算しても、条件を満たす相手は結婚適齢期の全男性の一二.五%にまで狭まる。


 そんなトップティアの相手が婚期を逃して相談所に来ている確率は?

 まともに考えると成婚はない。


 本郷の理想の益荒雄様と、夢見がちな婚活男女の理想のパートナー。

 いったいどちらの実現可能性のほうが高いのか。

 思わず僕は冷静に計算してしまう。



 でもまあ恋愛感情って、そうした合理性を超えたものでもあるんだろう。


「あっつ! なあもういいか、珠厨音? 恥ずい、もうやめにしよう!」


 火照った顔を扇ぐ本郷が、涼を求めて窓を開ける。

 そのとき、外からブロロロロと低いバイク音がした。

 そしてその音は事務所の真下に停まった。


「おっ、いいバイクだな」

「ちょ待った、ウソ、何でこのタイミングで!? 潤さん僕はいませんよろしくお願いします!」


 僕は保管室に駆け込み鍵をかけた。

 それと同時に玄関でチャイムが鳴った。

 ドアの向こうから、本郷と客の会話が聞こえてくる。


「こんばんは〜スズちゃん久しぶり……あら? どなた?」

「どうも初めまして、支局長にお世話になっている警察の者です。本郷と申します。お姉さんは珠厨音支局長の、えーと?」


「あら、そうなの? どうも申し遅れました、スズちゃんのお姉ちゃんの、鷺ノ宮夕子と申します。ええっと、スズちゃんはいまどちらに?」

「彼は……何か急用を思い出したとかで、保管室で作業を」

「あら〜忙しいのね。お邪魔しま〜す」


 二人分の足音が応接室へ。

 そして保管室の前でとまる。

 僕の心臓が痛いほど暴れ、息が荒くなる。


「スズちゃん、夕子お姉ちゃんだよ〜」

「珠厨音、お姉さんが来てるぞ。顔くらい出せ」


 早く諦めて出ていってくれ、もうやめてくれ、そう祈っても気まずい時間は無限に引き延ばされたように遅々と進まない。

 そうして叩かれ続けるドアの音に耐えきれず、やがて僕は顔を出した。


「……ご無沙汰してます、夕子義姉ねえさん」

「久しぶりね〜スズちゃん。ちゃんとご飯食べてる? ほら、今回もスズちゃんの好きなおばんざい作ってきたからね。めんどくさがらずにご飯食べるのよ?」

「よかったらお茶でもどうですか?」


 本郷が夕子さんをソファへ誘う。

 そうして僕は、夕子さんと机を挟んで正対した。

 おっとり顔の夕子さんは、今日も柔らかな金木犀の香水をまとっていた。


「最近全然連絡くれないし、事務所にもいないからお姉ちゃん心配してたのよ?」

「ご心配をおかけしました。色々と面倒ごとがありましたが生きてます」


「ならよかったわ〜。そうそう、ちゃんと学校行ってる?」

「えっと、まあ、ぼちぼち」


「ほんとお?」

「これから頑張ります。今年は留年しないよう努めます」


「うん、がんばってね。お姉ちゃん応援してる。仕事と学校の両立は大変だけど、辛いことあったらいつでも実家帰ってきていいからね? その歳で『穢泥王』の冠名をもらうくらいスズちゃんはすごい魔法使いだけど、まだ子どもなんだから。一人暮らしも大変でしょ?」


 夕子さんが次の言葉を紡ぐよりもさきに、本郷が緑茶を差し出した。


「彼は若いけどとてもしっかりしてますよ。私もとても助けられてます。それから最近はご飯も、こうしてそれなりのものを一緒に食べてますよ」


 コンロのカレー鍋を指差し、本郷が僕の隣に座る。

 そしてそれとなく話題を逸らした。


「ところで下のバイク、お姉さんのですか?」

「はい〜。私、バイクがすきなんですよ」


 おっとりした喋り方に似合わず、夕子さんはバイクのクラッチを切り、アクセルを捻る動作をする。

 薬指に光る指輪が眩しかった。


「レブル一一〇〇ですか。いい趣味ですね。車体のデザインが可愛い。足つきも良さそうだ」

「あら〜? 本郷さんもバイクお好き?」


「今はニンジャ一一〇〇に乗ってます」

「ほんとお? 素敵ね〜、ボディは何色? カスタムは?」

「写真見ますか? 可愛いですよウチの子」


 そう言って本郷はスマホをみせながら、僕にこっそりウィンクした。


 バイク話であっという間に二人が盛り上がる。

 本郷のコミュ力には脱帽だった。


「こうして会ったも何かの縁ね〜。機会があればいつかツーリングでも」

「素敵なお誘いどうも。ですが私は東京在住でして。こっちには出張で来てます」

「あらそうなの〜、残念。愛車と離れ離れは辛いですよね〜」


 参加できないバイク話にこれ幸いと、僕はキッチンで皿を洗う。

 洗い終えても、二人は京都市周辺のツーリングコースの話で盛り上がっていた。


「もう夜もだいぶ更けてますが、夕子義姉さんはまだ帰らなくても大丈夫ですか」

「あら〜、もうそんな時間? そうね、そろそろ帰らなくっちゃ。本郷さん、今日はありがとうございました。スズちゃんもまたね。朝やる気が出なくいからって学校サボっちゃダメよ? それから部屋はいつも掃除してね。スズちゃんよく「何もしてないのに部屋が汚れる」ってぼやくけど、何もしないから部屋が汚れるんだからね? それから――……」


 話し終える気配のない夕子さんを、僕はむりやり玄関から送り出す。

 本郷は夕子さんを下まで送り、まだ何かの話を続けている。


 僕は夕子さんがいなくなった部屋で、一人安堵の息をついた。

 ようやく息ができた気がした。

 その時、電話がかかる。



 帰ってきた本郷は鼻歌混じりだった。


「……あー、バイクの話してると走りたくなってきたなぁ。珠厨音もどうだ、後ろに乗っけてやるから今度走りにいかないか?」


 僕はそれよりも手短に告げる。


「ディミトリーの端末が開きました。取ってきます」






――――――――――――――――――――――――――

 ご高覧ありがとうございます。

 読んでくださる方のおかげで話が続いています。

 引き続き、ご愛読いただけると幸いです。

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