悠久の森のリリエル
☆ほしい
第1話
光があった。
それは、まだ名前を持たない感覚。
暖かく、柔らかく、世界を満たす優しい何か。
次に感じたのは音。
低く、穏やかに響く鼓動と、それよりも高く澄んだ、せせらぎのような声。
そして、香り。
甘い乳と、雨上がりの土と、咲き誇る花々が混じり合ったような、生命の匂い。
これが、私の世界のすべてだった。
私の名前はリリエル。
ハイエルフの族長の家系に生まれた、ただの赤ん坊。
千年を生きるハイエルフにとって、最初の数年など瞬きのようなものだと、後の私は知ることになる。
けれど、この時の私にとって、一日は永遠にも等しい長さだった。
私の揺りかごは、家そのものである巨大な銀樹の太い枝から吊るされていた。
ハイエルフの街「銀樹の揺り籠」では、家は建てるものではなく、育てるものだ。
何千年もの歳月を生きた銀樹の許しを得て、私たちは木々と共に暮らす。
天井は生きた葉の天蓋で、太陽の光は木漏れ日となって、絶えず美しい模様を床に描いていた。
目を覚ますと、いつも母であるライラの顔がそこにあった。
月光を溶かし込んだような銀色の髪、春の若葉のような瞳。
母が私を抱き上げ、その胸に抱かれると、世界で一番安心できる場所に来たのだと、言葉にならない感情が胸を満たした。
母は歌うのが好きだった。
その歌声はただの音の連なりではなく、生命力を活性化させる微かな力を帯びていた。
母が歌うと、窓辺に置かれた鉢植えの新芽が嬉しそうに伸び、固い蕾がゆっくりと綻び始めるのが見えた。
私はその不思議な歌を子守唄に、満ち足りた眠りに落ちるのが常だった。
父のエラリオンは、言葉少なで思慮深いエルフだった。
彼もまた美しい銀髪を持っていたが、その瞳は秋の森のように深く、穏やかな知性を湛えていた。
父は森の歴史を記憶し、木々と対話する「木詠み」だった。
父が指でそっと触れると、古木の幹に美しい模様が浮かび上がり、若い枝はしなやかに曲がって椅子や机の形を成した。
父の仕事場は、様々な木の香りと、古い羊皮紙の匂いで満ちていた。
時折、父は私を膝に乗せ、まだ意味も分からない私に、古代の詩や英雄譚を、朗々とした声で読み聞かせてくれた。
その声の響きは心地よく、私は父の胸に頭を預け、うとうとしながらその音の波に身を委ねた。
私の最初の年は、感覚の世界を旅する冒険だった。
春、雪解け水が銀樹の根を洗い、生命の息吹が森中に満ちる。
風が運んでくる花の蜜の甘い香りを、私は小さな鼻で懸命に吸い込んだ。
夏、木漏れ日は強く、鮮やかな緑色をしていた。
葉擦れの音は賑やかな音楽のようだった。
初めて口にしたすり潰されたベリーの、甘酸っぱい衝撃は今でも忘れられない。
秋、森は金色と赤色に染まった。
空気は澄み渡り、乾いた落ち葉の匂いがした。
父の肩車に乗って見上げた空の高さと、渡り鳥の群れが描く軌跡が、私の小さな目に焼き付いた。
冬、世界から音が消えた。
窓の外では雪が音もなく降り積もり、森のすべてを純白に塗り替えていく。
暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる音と、母が淹れてくれた温かいハーブティーの湯気の匂いが、部屋を満たしていた。
ハイエルフの赤子は、人間のように頻繁には泣かない。
けれど、世界は驚きに満ちていた。
光の中で踊る埃の粒、壁を伝う木目の不思議な模様、天井から吊るされた水晶が光を反射して作る虹色の輝き。
そのすべてが、私にとっては初めて見る不思議な出来事だった。
私はそれらを飽きることなく、一日中目で追い続けた。
ある晴れた日の午後だった。
私はいつものように揺りかごに揺られ、葉の天蓋から差し込む光の筋を眺めていた。
光はきらきらと輝き、まるで生きているかのようだった。
それは暖かく、優しく、私のすべてを肯定してくれるようだった。
言葉にしたい。
この美しいものを、この満ち足りた感情を、どうにかして形にしたい。
私の小さな口から、自然と音が漏れた。
「――ラウレ」
それは、古代エルフ語で「光」を意味する言葉。
私の、生まれて初めての言葉だった。
部屋の隅で書き物をしていた父が顔を上げ、驚きに目を見開いた。
隣で竪琴の弦を張り替えていた母も、手を止めて私を見た。
二人の顔に、柔らかな微笑みが広がる。
父がそっと近づき、私の小さな手をその大きな指で包み込んだ。
「ああ、リリエル。お前が最初に覚えたのは、光の名か」
母が私を抱き上げ、その頬に優しく口づけをした。
「この世界が、あなたの千年を、いつも優しい光で照らしてくれますように」
母の歌声が、再び部屋に響き渡る。
それはいつもの子守唄とは違う、喜びに満ちた祝福の歌だった。
父の深い声がそれに重なり、美しい調べが生まれる。
私は両親の腕の中で、その歌声に包まれながら、再びきらきらと輝く木漏れ日を見つめていた。
「ラウレ」
もう一度、私は呟いた。
私の千年の物語は、この一言の光から始まったのだ。
一年という歳月が過ぎ、私は世界で最も美しいものの名前を、一つだけ覚えた。
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