異世界転移【海の中で呼吸ができる世界】~古井戸の先は想像が魔法になる場所~
オオツキヒロミ
異世界転移編
1.手のかかる子供
「海に行くって約束したじゃん!!」
少年は、予想以上に自分の声が大きくなったことに驚いた。母に対してこんなにも声をあらげたのは産まれて初めてだった。
母にしても16年育ててきた一人息子がこんなにも感情的になるのを初めてみた。
少年は親指を入れた拳に力を込めてはいたが、呼吸を深くして必死に沸き上がる怒りを抑えようとしていた。こんなつもりではなかった。
夏休みの一週間、母のお盆休みを利用して二人で海のある所へ旅行に行こうと約束していた。去年(15歳)の夏休みは、高校受験をひかえてろくに遊べなかった。そんな少年の為に母は去年からこの旅行を約束してくれていた。
「来年の夏は二人で海に行こう」
その約束が破棄された。
母は出版社で編集の仕事をしている。現在担当している作家は、ミステリーとホラーを得意とするベストセラー作家である。
作品自体にクセもあり万人受けするものではないが、信者というべき熱狂的なファンを獲得している。そのため、出せば売れる!編集長からは彼からどんどん原稿をとってくるよう催促されている。
そんな期待の天才作家だが、いや、故にというほうがいいか、作品同様、作家自身もクセが強い。
お盆のこの時期、彼は唐突にある町の心霊スポットに取材に行きたいと言い出した。そして、言い出したら聞かない男である。
そんなもの手配だけして一人で行かせられれば楽なのだが、この作家、ホテルの予約の方法はおろかバスの乗り方も電車の乗り方も知らない。いや、知ろうとしないのである。
創作に必要な知識以外は興味がない。電車の乗り方やバスの乗り方も、作品に登場させるとなれば、自ら体験し、覚え、事細かに小説に描写する。しかし、それが終わればそんなこと忘れてしまう。
前任の編集者からの引き継ぎの際、それを聞いた母は初め冗談だと思った。事実だった。
そういう事情もあり、このお盆休み彼女は自分の休みを潰してその風変わりな作家を引率して心霊スポット巡りをするはめになったのである。
もちろん少年は、その事情はわかっていた。理解はできているつもりである。女でひとつで育ててくれた母。編集者としての給料で、シングルマザーでありながら少年にはなに不自由させた事はなかった。もちろん少年は、そんな母を尊敬している。例え約束を破っても「仕事なら仕方がない」いつもならそう言って笑って母を送り出していた。いつもなら…
でもなぜか今日は違っていた。思わず声をあらげてしまった。夏の暑さのせいかもしれない。このところ、雨もなく列島各地でその年の最高気温を更新している。
はたまた、少年の心の問題かもしれない。16歳。子供から大人に切り替わるこの年頃にやってくる反抗期。少年の頭は心は揺れていた。誰に当てればいいかわからないこの怒り。
その担当している作家に相談すれば旅行を中止してくれるかもしれない。または、日をずらしてくれるかもしれない。だが、少年にはわかっている。彼の印象ではそんな子供の心に配慮する作家では無いことはわかっている。
それにそもそもと少年は思う。これは甘えなのだ。母に対して自分は甘えたいのだ。仕事より自分を優先してほしい。自分の為に動いてほしい。
そんな甘えが声のボリュームを上げさせ、そんな子供っぽい自分を母親に見せたことが恥ずかしくて己に腹を立てている。そう思うと少年の結んだ唇は震えだし、うつむいた顔の両目には涙が溜まり始めた。
少年は、その涙がこぼれるのを母に見られまいと、後ろを向き玄関の扉まで駆け出した。
母が、困惑した様子で自分の名を呼ぶのが耳に入ったが、振り向かず勢いよくドアを開け、外へ飛び出した。
外に出ると、少年は思い直してそっと扉を閉める。それが彼があなた(母)に怒っているわけではありません。の精一杯のサインだった。
そして、少年は当てもなくマンションの階段を下りていく。
閉ざされた玄関の扉を見ながら母は安堵にもにた吐息をひとつもらす。初めて息子が自分に向けた怒り。それはウチの息子はこないんじゃないかと思っていた反抗期の片鱗であった。
息子の成長を感じ困惑よりも安堵の吐息がでたのだった。あの子は、確実に大人に近づいている。
とはいえ、16歳の学生を一週間置き去りして、旅行に行くのは親として心配である。自分も頼るべきは親である。
彼女は田舎の両親に一週間、孫を預かってくれるようお願いするためスマホをとりだした。
すると、ちょうど着信があった。そこに表示される登録名を見て彼女は再び息をもらす。
その風変わりな担当作家の名前が表示されたディスプレイを見ながら彼女は呟く。
「こっちの方が手のかかる子供だ……」
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