蒼の短夜
東海林 春山
A1_あの夜あの時間
初めて踊る姿を見たとき、目が離せなかった。
ぱぁっと光が射してるみたいに、彼女だけが眩しくて。
今では同じチームメンバーとして、一緒に練り上げた世界をダンスで表現しているのが、いまだに嬉しい。
たくさん調整を重ねた振り付けが気持ちいいくらいぴったりとハマって、目線を交わす。明るい鏡越しに笑い合う。
◆
何度も聴き込んだ曲が小型のスピーカーから鳴り響く。
窓から差し込む真夏の太陽光が壁張りのミラーに反射する。
床とスニーカーが
夢にまで見るくらい練習したところはバッチリ息が合って、完璧だった。
皆の意識が呼応し合って、室内の出来事全部を俯瞰できている感覚がある。私たちが踊っている空間丸ごと、一人一人の神経が隅々まで張り巡って、一つのおっきな生き物みたいに感じられる。
「んめっちゃよかった! キマってた〜」
パイプ椅子の上に立って動きをチェックしていた先輩が、満面の笑みと共に立てた親指を突き出した。チームの皆から拍手や歓声が上がる。
「じゃ、休憩〜っ」
リーダーが号令をかけると、皆、崩れるように床へへたり込んで水をごくごく飲み始めた。
この区民センターの体育館には一応古いクーラーも備わっている。でも限りなく稼働していないに等しく、この夏の盛りに踊り続けた私たちは汗だくだ。業務用の巨大扇風機も一台だけ室内の隅に設置されているけど、焼け石に水でしかない。
皆一様に「あちー。無理。あちぃー」とうめきながらTシャツの裾をパタパタとはためかせたり、ハンディ扇風機を使ったりして、なんとか風を体に送ろうとしている。
「ちょっ……とマジでこれは異常に暑くない?」
「んあー全身ドロドロ」
「シャワー浴びたーい」
「絶対Tシャツから汗絞れるんだけど」
「プール行きたーい」
「飲んだ水が全部汗になって出てく。体が汗製造機になってる」
「水風呂入りたーい」
「暑くない。暑くない。心頭滅却すれば火もまた……いやこれ暑すぎんだろ!」
「うるさい、やめろ。もっと暑くなるから。ただ耐えるしかないのだ、現実に……」
ぐったりしながら、全員それぞれ暑さへの怨嗟を口にしている。拭いても拭いても汗が噴き出してくる。
「誰が一番、汗絞れるか賭けない?」
「え、絶対俺」
「と見せかけてこの私」
「おし、負けたやつがアイス奢りな!」
汚いからここでやらないでよ、と本気で嫌な顔をされた数人が、ワイワイと外へ出て行く。残ったメンバーたちは呆れ顔で「元気だなー……」と見送る。
皆と本気で踊っているときも当然楽しいけど、こういう時間も私は好きだ。
タオルで身体中を拭いていた先輩が、耐えかねたように声を上げる。
「もー顔面どろっどろだわ! メイク落とそ!」
そう言うと、先輩はメイク落としのシートを手に、ぐいっとアイメイクを落とした。
気持ちいーっ、と心地よさそうに言う彼女の横で、リーダーは「色気ねーなあ」とつぶやいた。すかさず先輩は、「は? あんたのために化粧してねーし」と吐き捨てて、女子勢が一斉に「まじそれ」と声を揃えるから、リーダーは下唇を突き出してしょぼくれた表情になる。
どんな先輩だって綺麗だと思う。普段バチバチにキメてるメイクを落とした彼女はちょっとあどけなくなった顔で、リーダーの背中を叩いて笑っている。
このダンスサークルは高校生から社会人まで、色んな人が所属している。私がここに入るきっかけとなったのは先輩だった。ダンスレッスンで彼女と知り合い、友人とダンスサークルを立ち上げるから入らないかと誘われたのだった。
年上ばかりのメンバーに最初は気後れしたけれど、先輩が気さくに輪へ入れてくれたから、人見知りしがちな私でも打ち解けることができた。
最近入ったばかりの最年少の女の子に、先輩が優しい表情で話しかける。
「うちのチーム野蛮なやつ多いけど、どう? 楽しくやれてるかな」
「はい、楽しいです。――あ、楽しい!」
このチームは年齢に関わらず敬語が禁止されているから、女の子ははにかんで言い直す。
「でも……皆さん“振り入れ”がすっごく早くて結構ついてくのに必死っていうか。私、さっきの振りのとこ、実はまだあんまり覚えられてなくて……」
「難しいよねー、あそこ。ちょっとゆっくりやるから見てて」
パッと立ち上がった先輩が、鏡の前へ移動して踊り始める。その瞬間、空気が変わる。
腕を広げれば彼女の周りにダイナミックな空間が拡がり、指先ひとつの所作で空気がぎゅっと圧縮される。三次元の空間も、時間の速さも、観客の意識も、その身体だけで自在に操る。彼女の踊りは、まるで魔法みたい。
どの瞬間を切り取ってもシルエットが美しくて、どうやったらあんなにしなやかで、それでいて爆発力を兼ね備えられるのか、不思議で仕方がない。
どんな音も細やかに拾って最高のコレオに昇華させるから、彼女のダンスは音楽の質を押し上げる。音楽に合わせてただ踊るのではなく、彼女の踊りが音楽の魅力を引き出す。彼女が踊ることによって、歌詞の意味や音像の可能性に観客は気付かされてしまうのだ。
先輩が踊り終えた瞬間、女の子は拍手をして、
「わー……。ただ見惚れちゃって、全然ダンス頭に入ってこなかったです……」
先輩はワハハと呵呵大笑して、「一緒にやろやろ」とマンツーマンで教え始める。
丁寧な教え方のおかげで、女の子はどんどん振り付けを体に染み込ませていった。このサークルに所属したばかりの頃の私と比べたら、彼女は遥かに覚えが早いし、踊りも上手い。
何とも言えない焦りがじわりと私の全身に広がる。
今練習しているのは、この秋開催されるダンスコンテストの課題曲だ。そのコンテストの前にサークル内で行う本番メンバー選抜のオーディションに受からなければ、コンテストで踊ることはできない。
絶対に本番メンバーに選ばれたい理由が、私にはある。
整理のつかない感情を胸に押し込めて靴紐を結んでいると、視界の隅に映った鏡の中で、先輩がこちらに注意を向けたのがわかった。近づいてくる彼女に気づいていないふりをしながら、期待で呼吸が浅くなる。
「やっほー。ねーさっきの練習、よかったよ。あのBメロのとことかさ。アンニュイな質感、ほんと得意だよね」
「――ありがと」
素直に嬉しい気持ちを表したいけど、こういうとき、私は上手に笑えない。
頼りないリーダーの代わりに、事実上の副リーダーである先輩がメンバー全員に気を配っているのはわかっているし。
「あ、今日もネイルかわいーねえ」
それでもやっぱり少し、私は先輩から気にかけてもらえることが多いかな、なんて思う。
私の手を取り、爪をまじまじと見つめて笑顔を浮かべる先輩の肘が、私の膝に触れている。
あぐらをかく先輩のスニーカーの靴底が目に入った。何度も繰り返し練習していた動きによって、彼女の靴底は不思議な場所がすり減っている。
それだけ、先輩は誰よりも努力しているのだ。
なぜだか私は、勝手に誇らしい気持ちになる。
◆
夜が更けて
ピピピ、とリーダーのスマートフォンが鳴って休憩時間になったことを知らせる。ビルの警備員が巡回してくる時間帯だから、メンバーたちはそそくさとビルの前から退散する。
「コンビニ行くけどなんかいる人ー」
「あ、俺も行きたい」
「何でもいいからグミ買ってきて」
「ほんとに何でもいいんだな。おけ」
「えーやっぱ自分で選ぶわ」
「お前は?」
「いい、もうちょっと構成考えたいから」
リーダーから声をかけられても、先輩は正解を探るように小さく踊りながら、上の空で答えた。コンテストのソロパートの振り付けを考えているのだ。来年は地方の一般企業に就職をするから、先輩にとっては今回が最後の大会になる。
他のメンバーは皆コンビニへ行って、先輩と二人きりになった。
曲のリズムを擬音でぶつぶつとつぶやきながら、彼女は踊り続けている。どういう試行錯誤を経てあのダンスに辿り着くのか、その一端が露わになっているようで、その工程はとても興味深い。真剣な表情は、“今ここ”ではない世界を見つめていて、よりよい表現の核をがっしりと捉え続けている。
いつまでも彼女を観察していたいけれど、私は早朝にバイトをしているので終電に間に合う必要がある。静かに帰り支度を進めていると、先輩がハッとして振り返った。
「あ、ごめん。夢中になってた。そろそろ帰るよね」
「うん」
「朝早いのに、深夜練も毎回ちゃんと来て、ほんと偉いね」
「……や、そんな。皆に追いつきたいから」
「その意気やヨシ」
先輩がニコニコと頷いているのが可愛くて、帰りたくなくなる。
この深夜練のあと、朝までカラオケすることもあるらしい。ダンスという自分の好きなことをやらせてもらっているから親にはすごく感謝してるけど、家計を支えるためのバイトは正直すっぽかしたいときもある。すると突然、
「オネーサンたち何してんの? 迷子?」
スーツを着た、いかにも酔っ払いな男性二人が声をかけてくる。
すっと表情をなくした先輩が、「あ、ダイジョブでーす」と硬い声を返しても、「ダイジョブじゃないでしょお。家まで送ってあげようか」と男は一歩近づいてへらへら言う。
そのとき、「アー!!!」と雄叫びが響き、リーダーがどすどすと走ってきた。
「生き別れの妹みっけ! よく生きてたな妹よ!」
「兄者!」
二人はひっしと抱擁を交わし、それから酔っ払いたちを睨みつける。
「てことで、おっけーでーす。解散願いまーす」
全員集合したメンバーが完璧にシンクロした動きで、両手を合わせ頭を下げる。気圧された酔っ払いたちも大人しく「あ、ハーイ」と帰っていく。
「助かったよ、お兄ちゃん♪」
先輩は舌足らずな口調で甘えてから、ドスの効いた声で「最悪」とサラリーマンたちの後ろ姿につぶやいた。
「最近ここらへんの治安終わってない?」
「練習場所変える?」
「でもなー。ここでかいガラスと照明の感じがちょうどいいんだよなー」
「ま、他に良さそうなとこないか皆意識して街歩こ」
「あっ! てか時間大丈夫?」
私へ振り向いた先輩に笑顔を向ける。
「早歩きで行けば大丈夫。じゃあ、おつかれさまでした」
「なんか心配だから、一緒にダッシュで駅まで行こ!」
「えっ先輩の帰りのほうが心配になるから、いいって!」
「だいじょぶ、リーダーとか呼びつけるから。行くよ!」
スマートフォンだけジーンズの後ろポケットにねじ込むと、先輩は私の手を引っ掴んで走り出した。静まったオフィス街を駆け抜け、駅を目指す。途中から先輩が歌を口ずさみ始め、私たちはふざけてワルツを踊るみたいに手を取り合って夜の街を渡った。何でもないいつもの風景がきらめいて、どんどん後ろへ流れていく。
「てか優雅に踊りすぎたね。あとは駅までダッシュ!」
「早い早い! 待って!」
「鍛錬が足りんっ」
繋いだ手をぐいぐいと引っ張って彼女は走る。笑いながら走るから、息が上がる。
駅に近づくと、ゆっくり歩いているカップルがいた。楽器ケースを背負った子とロングヘアの子は、私たちとは違うしっぽりした雰囲気の手の繋ぎ方で、いいな、と羨ましくなる。
「はー間に合ったね」
歌ったり踊ったり笑ったりしながら走ったものだから、さすがの先輩も息が乱れている。駅は照明が明るくて、崩れたメイクがきっと見えてしまうから嫌だ。あまり顔を見られないよう、そそくさと改札の中へ入る。
「先輩、ありがとうございました」
「はい、じゃあね〜気をつけて!」
「うん、先輩も」
せっかく駅まで送ってくれたのに、まともに目も合わせず、そっけなくしてしまう。早足で遠ざかりながら、髪の毛を手ぐしで素早く整え、十分に離れたところから声を上げる。
「先輩、また明日! 絶対皆呼んで安全に帰ってね!」
「はいはい、また明日! おやすみ〜」
離れがたくて何度も振り返って手を振っていたら、「乗り遅れるよ! 早く行きな!」と笑われた。遠くの小さくなった、Tシャツとジーンズ姿の先輩を目に焼き付けて、ホームへ走る。
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