第三章 4

三週間が経って、真葛は卵巣摘出の腹腔鏡下手術を受けた。

 藤木は仕事が終わった夜や、休みの日に見舞いに来てくれた。そして真葛のいない間の猫たちの様子や写真などを彼女に見せては、しきりに寂しがる真葛を安心させるのだった。

 ある日、藤木は真葛に尋ねた。

「なあ立原」

「ん?」

「お前、好きな石なんだ」

「好きな石?」

「うん。好きな宝石」

「んーなんだろ」

 真葛はあまり装身具をつけない。ピアスと指輪くらいで、時計もしない。

「青い石が好きかな。サファイアとか」

「ふうん」

「なんで」

「別に」

 藤木は、忙しくなるからしばらく来られないと言って帰っていった。

 腹腔鏡下手術は、開腹してするわけではないから患者にダメージが少ない。それでも入院は十日に渡り、不便な生活を強いられた。

 退院の日、真葛は三時過ぎに一人で藤木の部屋に帰ってきて猫たちと再会を喜び、少し休んでから夕食を作って藤木の帰りを待った。

 台所に立っていると、メラが玄関の前にちょこんと立った。あら、と思っていると、扉が開いた。

「ただいま」

「おかえり。やっぱり藤木君だった」

「退院だな。ほら、退院祝い」

 藤木は水仙の花を持っていた。濃厚な香りが、部屋に漂った。

「わあ、お花。ひさしぶり」

「季節だからな」

 真葛は水仙の水切りをして、花瓶を出した。

「ごはんできてるよ。たべよ」

 食事をしながら、藤木はいつにもまして無口だった。真葛はそれを気にすることもなく、いつものように食べていた。

「仕事、いつから復帰するんだ」

 彼は突然聞いた。

「んー四月からかな。色々あったし、ちょっと休もうと思って」

「そうか」

 それから、またしばらく間があった。

 台所の床でメラが横になっている。イオが、とことことそこに向かって歩いている。

「立原」

「ん?」

「来週の金曜日、大学に行かないか」

「李光に?」

 真葛は驚いて、藤木の横顔を見た。彼は箸を黙々と動かしている。

「見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの?」

「間に合えばだけど」

「間に合えば?」

 なんのこと? と首を傾げたが、藤木はただ食べているだけで、なにもこたえない。

 こういう時の彼は、尋ねてもなにも言ってくれないのはわかっている。

 なんだろう。また牡丹かな。

 それよりも、引っ越しの方が気になった。せっかく時間があるのだから、暇のある隙に部屋を見ておきたい。そう思って、あちこちの不動産屋を予約した。

 そうこうするうちに、金曜日がやってきた。

 二人は久しぶりに李光に行って、キャンパス内に入った。

「どこまで行くの」

 真葛の手を引いて、藤木は歩いた。

「こっちだ」

 本館を横切り、中庭を通って離れを横切ると、それはそこにある。

「――温室?」

 真葛はなつかしいその透明な屋根を見上げると、入り口に向かっていく藤木を慌てて追いかけた。

 そこには、地植えの植物が多く植えられている。

 花々に目をやりながら真葛が目を細めていると、藤木がある植物の前で立ち止まった。

「立原」

 真葛は顔を上げた。

「これは竜舌蘭だ。じいちゃんがここの学生の頃、植えたものだ。俺は高校生の頃にこの蘭のことを聞いて、李光の園芸部に入ってこの目で見たいとずっと思っていた」

 長く厚い、縁にとげのある葉が四方に伸びた植物である。これを伝説上の龍の舌に見立てて名づけたもので、蘭は花の美しさに対してつけられたものだ。

 藤木はその蘭を前に、真葛に言った。

「じいちゃんはよく言ってた。日本は、女にとっては生きにくい場所だ。未だに女性蔑視がはびこって、根底にこびりついている。だからお前が女たちを守って、男社会を変えるんだって」

「――」

「俺は、男社会を変えられるかどうかはわからない。ぜんぶの女を守ることもできない」

 でも、彼は言った。

「でも、お前一人のことなら守ってやれる」

「……藤木君?」

「結婚しよう立原」

 まっすぐに真葛の目を見て、藤木は言った。

 真葛はなにを言われているのかわからなくて、口を両手で押さえた。

 ようやく彼の言葉を理解した時、彼女は口をぱくぱくとさせて言った。

「で、でも、私仕事したいし」

「知ってる。好きなだけすればいい。でもまた身体を壊した時に、一人よりは二人でいた方が、なにかと都合がいいだろ」

「でも、迷惑かけちゃうかもしれないし」

「お前になにかあった時に、一番に駆けつけるのは俺でありたいんだ」

「――」

 真葛の側に歩み寄って、藤木は言った。

「返事を聞かせてくれ」

 その真剣な様子に、思わず怯んだ。

 ごくん、息を飲んで言った。

「うん。する。結婚、する」

 そう返すと、彼はほっと吐息を漏らした。

「よかった」

 そして、ポケットに手を入れて、小さな箱を取り出した。

「ほら」

「?」

「作った」

「なに?」

 真葛はその箱を開けた。

 なかには、青い石のついた指輪が入っていた。

「わあ……」

 え、でも待って。

「作ったって、なに?」

「石だけを業者価格で売ってる、ショーみたいなのが月に一、二回あるんだよ。そこに行ってサファイアを買ってきて、自分で作れる工房を探して指輪を作った。本当はシルバーリングしか作れないのを無理言ってゴリ押しして、プラチナにさせてもらって。だから時間がかかって、今日まで間に合うかわからなかったから、ひやひやした」

「ああ、だから間に合えばって……」

「期限を決めれば背筋を正して作れると思ってさ」

 真葛はその指輪を取り出して、指にはめてみた。

「すごい。ぴったり」

 真葛は笑った。

「藤木君、なんでも作っちゃうのね」

「好きな女のものならな」

 雲が晴れて、日が差した。

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