CASE 2 猫ウェイウェイミーム

2-1 ヒューマンエラー

 日常生活を送る中でも、AIの便利さを実感する場面は多々ある。


 例えば、食料品の買い出し。AIカメラ付きの冷蔵庫ならば、出先からでも端末で庫内の最新状況を確認することができる。予め買い物リストを作っておかなくても、買い忘れやダブりを回避できるのだ。

 さらに家計アプリや食事管理アプリと連動させれば、余計な買い物をすることなく、経済的で健康的な食生活を維持することも可能だろう。


 食に無頓着で自分に甘い俺のような者にとっては、生命線にすらなり得る。



 これは、俺とメメが共に日常を過ごし、共に解決した案件を記憶しておくための備忘録である。



 ■



 ある平日、夕方のスーパーにて。俺は買い物カートを押しながら、右往左往していた。


「えーと、何を買うんだっけ?」

「タマネギとニンジン、それからジャガイモ。この三つは料理の基本の野菜だから」

「タマネギはどうやって選んだらいい?」

「なるべく丸々したやつね。首と根っこが小さく締まってて、皮がしっかり乾燥してて、傷の少ないのを選んで。ずっしり重みがあって硬いものの方が、水分多くて美味しいよ」

「へえ、そうなんだ」


 食材選びのアドバイスをくれるのは、俺の肩に乗った小型ドローンだ。

 ボディの鮮やかなオレンジに、プロペラ部分の黒がクールなツートンカラー。

 我が相棒、Mind Expanding Multi-device of Erudition ——通称【M.E.M.E.メメ】である。


 「自炊しなよ」とメメにさんざん言われ続けた末に、俺はようやく重い腰を上げた。

 まずは手始めにカレーライスを作るべく、食材を調達しに来た。AIに頼るまでもなく冷蔵庫内は閑散としているため、何もかもを揃えなければならない。


「肉は? やっぱ牛肉? 豪勢に塊のやつ買ってサイコロに切るか。ひき肉でキーマカレーもいいな」

「無難に豚こま肉にしときなよ。牛肉は高いし、キーマカレーは味付けで失敗する可能性がある」


 俺はしぶしぶ豚こま肉を買い物カゴに入れる。


「なんかさ、隠し味でチョコとかインスタントコーヒーとか入れるって聞くじゃん。そういうのあった方が美味くならない? それか、こういうイイ感じのスパイスみたいなやつ。クミン? コリアンダー? すごい本格感出そうじゃね?」

「まずは固形ルウを使って基本のレシピ通りに作りなよ。隠し味入れるとかスパイスから作るとかの高等テクは、ごく普通のカレーが難なく作れるようになってからね。メシマズの人って、なんでかすぐ謎のオリジナリティを出そうとするよね。王道カレーを極めようよ」


 誰がメシマズの人だ。……という反論すら、包丁をほとんど握ったことのない俺にはできない。

 メメの言うところの『王道カレー』の材料を揃えるために、慣れない食品売り場をあちらへこちらへ行ったり来たり。


「カレールウってどこに置いてある?」

「真ん中らへんの通路じゃない?」

「福神漬けは?」

「最初に行った野菜売り場の近くでしょ」

「念の為カップ麺も買っとこうかな」

「カレールウのあった列の次の通路だよ」

「卵はどこだ?」

「惣菜売り場の横ね」

「あっ! 米もなかったかも」

「野菜売り場の二つ隣」


 できれば最短ルートも案内してもらえるとありがたいのだが。


 菓子売り場では、小学校低学年くらいの兄弟がキャッキャしながら歌っている。


「飲もーぜウェイウェイ! 飲もーぜウェイウェイ!」

「いますぐー? いっとくー! 飲もーぜウェイウェイ!」


 最近ネットで流行ってるやつだ。どうして子供って同じフレーズの言葉をやたら繰り返すんだろう。

 そんな二人を、お母さんらしき女性が「静かにしなさい!」と注意するのを尻目に、俺は買い物を続けた。


「……はぁ、疲れた……」

「慣れないことをすると疲れるっていう理屈は分かるよ」


 どうにかこうにか買い物を終え、スーパーからの帰り道を歩く。


「なんか、人間活動してるって感じがするな」

「ちゃんと生活するには、やっぱりあらゆる面で余裕が必要だよね」


 パンダミームの案件以降、ぽつぽつと個人依頼が来るようになっていた。依頼人だったココナさんたちが、メメの出した広告をあちこちでシェアしてくれたらしい。おかげで、いろんなパターンの『デジタル怪奇現象』を解決させていただいている。

 Olsisオルシスに出している広告の文言にも、少し付け加えた。


【デジタル怪奇現象ならおまかせ! 、端末の誤作動など、お気軽にご相談ください!——オータムAIサービス】


 あれから家の片付けもぼちぼちやっていた。またいつ顔出しで通話する羽目になるか分からないからだ。

 狭いワンルームながらも、居住環境が整えばまあまあ快適である。マトモな人間らしい生活に近づきつつある、ような気がする。

 自炊しようと思えたのも、そのせいかもしれない。


 が。


「あれ? 俺いつの間にこんなの買った?」


 買い物荷物を片付けている最中、俺は気付いた。

 目の前には、缶チューハイ『フェアリーストロング』が一本。


「え? 何これ? なんでここにあるの?」


 その酒、全く買った覚えがないのである。


「支払い履歴を確認したけど、確かに代金を支払ってるね」

「怖っ!」


 俺は下戸なので、酒を買うこと自体ほとんどない。

 もちろん今回の買い物では選びようのないものだった。何しろカレーの材料を買うのに精一杯だったのだから。

 つまり、買う意思も買った記憶もないのに、買った記録と現物がしっかりある状況。


「AIと一緒に買い物して、記憶にないもの買っちゃってるとか……もしやこれがデジタル怪奇現象?」

「シンプルにアキトのヒューマンエラーでしょ」

「え……もしや若年性の認知症的な何かだったり? メメ、類似のケースを検索」

「病状で検索するのはおすすめしないよ。怖い症例ばっかり出てきて、無駄に不安になるだけだよ」


 メメは俺の周りをぐるりと回った。


「ひとまず脳波に問題なし。こういうことが頻繁に起こるようなら、受診した方がいいと思うけどね。誰かのイタズラで買い物カゴに放り込まれた可能性の方がまだ高いんじゃないの」

「あーなるほど、イタズラね。それなら良いんだけどさ。いや別に良くはないか」


 まあ、おおかたメメの言う通りなのだろう。

 わざわざ返品しに行くのも面倒だし、誰か飲む人がうちへ来た時にあげればいいやと、俺はフェアリーストロングを冷蔵庫の奥にしまった。


 さて、今日の本題はカレーライスである。

 炊飯器に米をセットしてから、メメに指示を出す。


「メメ、野菜の切り方の動画出して」

「え、そこから?」

「そこからなんだよ」

「小学生の家庭科レベルだね」


 メメがボディを前部を軽く下げた。人間だったら溜め息でも聞こえてきそうなところだ。


「この辺りがいいかな……あっ、野菜の扱い方で間違ったこと書いてるサイトがあったから、管理者に報告してくるね」

「何、最新のAIみたいじゃん」

「ボクもアップデートしてるんですー。ひと月くらい前から、AIによる誤情報の修正サービスを、各社リリースしてるでしょ。それに倣う形だよ」


 ひと昔前はAIが誤った情報をさも事実のように伝えてくる、いわゆるハルシネーションが結構あった。

 今はAIの情報選択の精度が上がり、逆に間違いを正してくれる時代になったのである。


 俺が間違って酒を買った時に指摘してくれれば良かったのに、と思わなくもないが。


「アキト、おすすめの動画が見つかったよ」

「おー、ありがとう」


 俺はイヤーカフ端末で動画アプリ〈U-Tubeユーチューブ〉を起動し、メメの探してくれた料理動画を再生する。


 動画の指示通りに、タマネギを切り、ニンジンやジャガイモの皮を剥き、一口サイズに刻んでいく。

 手元がもたつきすぎて、何回も動画を一時停止しては戻し、繰り返し同じ映像を見る。


 途中、CMが割り込んできた。


『フェアリ〜〜ストロ〜〜〜〜ング! 飲もーぜウェイウェイ! 飲もーぜウェイウェイ! 飲も』

「広告をスキップ」


 思わず薄目になってしまった。よりによってフェアリーストロング。黒猫のキャラクターが軽快に踊る、最近たびたび見かけるCMだが、今日はウザさが段違いである。

 そういえば、スーパーでも子供が歌っていたっけ。


 気を取り直して作業再開。

 苦労して切り終えた野菜と豚こま肉を鍋で炒め、しばらく煮込む。ルウを割り入れ、更に煮込んで完成だ。いろいろ時間はかかったが、手順としては案外シンプルだった。

 炊き立ての白飯に、とろりとしたカレーをかける。そこに福神漬けを添えて。


「すげえ、本物のカレーができた。いただきます! うまっ! 天才かよ!」

「よくできました! 大事な第一歩だよ、アキト。頑張ったね!」


 何の変哲もないカレーライスだが、ちゃんと食えるものが完成したことに俺は感動していた。

 こういう時のメメは手放しで褒めてくれるし、とにかく良い気分だった。


 冷蔵庫の奥に入れたフェアリーストロングのことは、いつしかすっかり忘れていた。

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