異世界転生?そんなことよりハンコ下さい!

秋山水酔亭

序章・第一話~第三話

序章


気がつくと、私は机の上で無数の書類に埋もれていた。


わたしはついさっき、白い光に包まれて死んだ――いや、そんなロマンチックなものではなく、切れかかった蛍光灯の下、あの地獄のような職場で19連勤の末、過労死した記憶まではある。だが目を開けて最初に見たのは、勇者でも魔王でもなく「未処理書類」の塔だった。今にも崩れ落ちそうな書類の山と、ざらざらとした年季の入った書類机。


「……あれ?異世界って、もっとこう……エルフとか美少女とか出てくるんじゃないの?」


誰にともなく呟いた声は、紙に埋もれて消えた。


扉が勢いよく開く。


「そなたが新任の書記官か!」


偉そうなおじさんが仁王立ちしている。


「魔王討伐のための許可証、半年も滞っておる!貴様の働き次第で国が滅びるぞ!」


いやいや、いきなりそんな重責を渡されても困るんですけど!?そもそもここはどこ?あなたが王様?ならこんな新人にそんな重要書類触らせるとか正気か?


しかし、文句を言う前にそのおじさん(後から知ったが、この国の大臣だったらしい)は


「いいか、前任者はあまりに仕事が遅いので炭鉱送りにしてやった!貴様もさっさとそこにある書類どもを片付けないと、ツルハシを抱えて穴倉暮らしになるぞ!」


そう言い放つと、扉をバタンと閉め、どこかヘと行ってしまった。


・・・ブラック企業からようやく解放された先にあったのは、労働基準法すら存在しないダークマター職場であった。


とはいえ、ぼやいていても炭鉱送りは回避できない。私は恐る恐る、目の前の山から幾つかの書類を取り出す。幸い、文字は読めるし、言葉も通じる。


兵糧搬送計画書、行軍許可願、勇者旅費精算書……そして気付いてしまった。すべて、押印欄がぽっかり空白。


「……ハンコ無いんですけど!」


大声で扉に向かって叫ぶと


「だからそなたがもらってこい!」


とぶっきらぼうに返事があった。


「いやいや!こんなに?倉庫番から王様まで二十人分!?しかも二部ずつ!?」


頭を抱えながらも、何とか優先順位を付けていると、乱暴に扉が開いた。


「おい!いつになったら俺たちは出発できるんだ!」


勇者一行である。勇者、僧侶、魔法使い、戦士。皆、武器や杖を構えたまま、完全に「出発する気満々」だ。


手間が省けたな、とばかりに私は書類を掲げた。


「兵糧計画書が未提出です。あと旅費の精算書も未完了。出発できるわけないでしょう。」


「なにィィ!?俺は魔王を倒すんだぞ!書類なんぞお前が何とかしろ!」


「その前に経費を倒してください。宿泊費は立替払い不可って書いてます。あと、勇者様ご一行のハンコ、押してもらえないと出発できませんから。」


前任者が相当のんびり仕事を進めるタイプだったのは察していたが、勇者はとっくに我慢の限界に達していたようで、それを聞くなり、剣を抜いて切っ先を向けてきた。


「いい気になるなよ!この木っ端役人!紙切れごときに縛られてたまるか!」


私は冷静に指差した。


「そこに“この書類がなければ兵士一人も動かせません”って書いてあります」


顔を真っ赤にしながら勇者が固まっていると、見かねた僧侶がぼそっと呟く。


「……あの、ハンコ持ってきますね」


こうして私の異世界転生、もとい転職?一日目が始まった。


剣も魔法も使えない。だが、ハンコのために城内を駆けずり回る脚力と、書類を三秒で仕分けるスキルだけは誰にも負けない。


異世界転生?


そんなことよりハンコ下さい!




第一話 地獄の請求書ラッシュ


「ただいま帰ったぞ!あと一歩のところで魔王は討伐できなかったが、無数の魔物どもを蹴散らし、王国を救った! 褒美と名誉と、それから経費の精算を要求する!」


轟音と共に私の執務室、という名の書類倉庫の扉が蹴破られ、勇者一行が土足で踏み込んできた。泥と返り血に汚れ、ところどころ破損した鎧は激戦の証だろう。だがその顔は、まるで給料日前の新兵のように期待と欲望に爛々と輝いていた。 私の机の上にドサッと投げ出されたのは、羊皮紙の束。インクの染みと、なぜか油染みが混じり合った、およそ公式書類とは呼び難い代物だった。


「……なんですか、これは」


積まれた紙束を前に、私のこめかみがヒクリと引き攣る。


「見ての通り、旅費精算書だ!」


勇者はまるで聖剣を掲げるように、汚れた紙束の頂点を指さし、胸を張った。


「なにせ、あの極悪非道な魔王の城まで行ってきたんだ。道中の経費がすべて王宮持ちなのは、労働者の正当な権利だよな?」


ため息を押し殺し、私は一番上にあった勇者本人の提出書類を手に取った。インクが滲み、揚げ物の油がこびりついて読みにくいが、なんとか解読する。


――【支出項目】酒場代:金貨三十枚 ――【備考】士気の高揚のため。勇者セット(最高級エール一晩中飲み放題、特製ローストドラゴンの丸焼き、看板娘の応援付き)を注文。


「……勇者様。早速ですが、この『女の子付き』というのは、経費として認められません」 「なにぃっ!? おかしいだろう! これは過酷な旅でささくれ立った我々の士気を高めるために、絶対に必要なものだったんだぞ! 彼女たちの『頑張って♡』という声援がなければ、ラストダンジョンの毒沼は越えられなかった!」

「その声援に金貨三十枚ですか。王都の高級酒場で一週間遊び続けてもお釣りが来ますよ」

「プライスレスなものに値段をつけるな、無粋な!」



理屈が通じない。相手をしている時間も無駄なので、私は次の書類、聖職者である僧侶のものに手を伸ばした。恐らく、彼は勇者一行の中で最もまともな人物と見えるし、さすがに勇者の請求書もどきよりはマシだと思っていたが・・・。


――【収入項目】寄付金:金貨八枚 ――【備考】村長より、魔王軍との戦いのため、自発的な寄付の申し出アリ。

――【支出項目】寄付金:金貨五枚 ――【備考】対魔王戦勝祈願のため、由緒正しき我が宗派の総本山へ奉納。


「僧侶様。これは完全にあなたの私費でやってください。信仰は個人の自由です」

「いえ、お待ちください! これは公務です! 我らパーティと、ひいては王国全体の勝利を神に祈る、聖なる儀式です。寄付金が多ければ多いほど、神のご加護も篤くなるというもの。むしろ、王国を挙げて金貨百枚を我が宗派に寄付なさってはどうでしょうか?」

「あなたの個人的な信仰ポイント稼ぎに、国庫を充てることはできません。っていうか、なんで受け取った寄付金より寄付額が少ないんですか?」

「それはあれです、あの、後で寄付するつもりだったんです!一旦酒場に預けましたが、誓って散財はしておりません!」


論外も論外である。これ以上彼の請求書を見ていると精神衛生上よろしくない。



続いて、寡黙な戦士の書類。一見したところ、書類の体裁は整っているが、なぜか紙の枚数が妙に多い。


――【支出項目】鎧の修理代:金貨十五枚 ――【備考】戦闘による損傷。ついでに、故郷の母に贈る壺と、酒場で意気投合した踊り子への首飾り代も含む。

――【支出項目】剣の修理代:金貨五枚 ――【備考】戦闘による損傷。ついでに、故郷の母に贈る特注の花束代とその配送費も含む


「“ついでに”って何ですか、“ついでに”って! 備考欄に堂々と書くことじゃありませんよ! というか、この壺、やけに高額ですね!」

「……母は、花を愛でる人だ。最高の花瓶と花を贈りたかった」

「それは素晴らしい親孝行ですが、自腹でお願いします!あと踊り子!」



最後に、知性派を気取る魔法使いの領収書。枚数も少ないのでまともかと思いきや、これが一番酷かった。


――【支出項目】魔導書代:金貨二十枚 ――【備考】古代魔術の解読資料として購入。書名『きらめきラブポエマー ~君の瞳は王都の星 書き下ろし総集編』

――【支出項目】魔導書代:金貨七枚 ――【備考】道中での魔力鍛錬の息抜きとして購入。書名『爆笑ジョーク500選!王国中が腹を抱えた名作を収録! プレミアム復刻版』


「……これ、ただの恋愛詩集と娯楽詩集ですよね? どっちも先日、王都の本屋で平積みになってましたよ」

「否! 愛の力こそが、この世における最大の魔力なのだ! この詩集に詠われた情熱的な言葉の一つ一つが、古代竜の言語を解読する上で重要なヒントと……」

「なってませんよね? 『君の唇は魅惑の宝庫。魔法なんていらないYO』という一節が、どう古代魔術に繋がるんですか!」

「……そこは、まだ解読中だ」

「金額こそ少ないですけど、娯楽詩集も完全に息抜きの域を超えてますよね?」

「いや、これを読むことで魔力の鍛錬の効率が上がるのだ!」

「『おいおいブラザー、そんなの王城が往生しちゃうぜ!HAHAHA!』これが、ですか・・・。」


「そうとも!愛と笑いは魔物に効く!」


私は両手で頭を抱えた。本気でダメだ、このパーティ。どうやって魔物を倒したんだ。奇跡か?スライムを狩り続けていたのか?


そうこうしているうちに、勇者一行の帰還を聞きつけたのだろう。血相を変えた経理担当の会計官が、胃薬の瓶を片手に部屋へ飛び込んできた。会うたびに胃薬の量が増えているのが心配だが、今回ばかりは私も何粒か分けてもらいたいくらいだ。


彼は机の上の書類を一瞥するなり、


「認められませんぞ、そんなもの! このままでは王国の予算が破綻します!」


と部屋の書類が吹き飛びそうになる声量で一喝し、勇者一行を睨みつけた。


「この書類は一枚たりとも認められん! 却下だ、却下!」


その言葉に、勇者の手が腰の剣にかかる。


「貴様ら、命を懸けて世界を救った勇者一行の労を、紙切れ一枚で踏みにじる気か! 魔王の仲間か!」


「「邪魔しているのはあなた方のそのふざけた領収書です!」」


私と会計官の声が、珍しく綺麗にハモった。

結局、小一時間の問答の末、私は一つの致命的な不備を発見した。


「道中の宿泊費、領収書が一切添付されておりません。」


これでは、彼らが本当にその宿に泊まったのかすら証明できない。

問題なのはここからだ。誰かが領収書を取りに行かねばならない。しかし勇者一行はゴネて石のようにその場から動こうとしない。結局、「もういい!おい新任、今すぐ取ってこい!」という会計官の鶴の一声で、なぜか私が、一行が道中で利用したという宿まで走らされる羽目になった。


書類を作った本人たちを差し置いて、なぜ私が。


夜道を一台の馬車で揺られながら、私は心底うんざりしていた。なぜ文官である私が、ゴブリンの縄張りを抜け、夜盗の噂がある森を越えねばならないのか。 途中、魔物に追いかけられたり、野盗に身ぐるみ剥がれたり、果ては馬車が壊れて岩山を這い上がったりのアクシデントを乗り越え、何とか辿り着いた宿の主人に事情を話すと、主人は大きなため息をついた。


「ああ、あの脳みそまで筋肉でできたご一行ね! 確かに泊まりましたよ」


主人は帳簿にサインをしながら、ボヤキを続ける。 「料金は払ってくれたが、戦士さんはベッドを薪代わりに燃やそうとするし、魔法使いさんは屋根裏で『愛よ、届け!』とか叫びながら呪文の練習を始めるしで、もう大変だったよ! ああ、これ、ついでに備品破損の請求書ね。勇者さんのサイン入りだから」 ……新たな武器を手に入れた。


数日後。目の下に深いクマを作り、疲労困憊で王宮に戻った私は、復讐の鬼と化していた。徹夜で「経費精算マニュアル~勇者パーティ特別版~」全三十八項を作成し、勇者たちの前に叩きつけた。


「まず、酒場代は情報収集の必要性を鑑み、全額カットはいたしません。一律半額カットです。ただし、有益な情報(ダンジョンの地図など)を得られた場合は、その証拠提出を条件に成功報酬を検討します」

「なっ!?」


「寄付金は個人の信仰と切り離し、新たに設立する『王宮基金』で一括管理。用途は戦災孤児への支援などに限定します。それと、道中で得た寄付金は王都に着くまで一切手を付けないでください。」

「酒代、じゃなくて神のご加護が!」


「装備品の修理及び購入は、王宮指定の業者発行の領収書が必須。土産物との合算は不正経費として、三倍の罰金を徴収します」

「ぐっ……!」


「そして魔法使いさん。恋愛詩集など、戦闘に直接関係のない書籍は、すべて“趣味娯楽費”として分類しますので、自費でお願いします」

「愛と笑いの宝庫なのに!」


「ふざけるな! この国は勇者を誰だと思っているんだ!」


烈火のごとく怒る勇者に、私は悪役さながらの冷たい笑みを浮かべてみせた。


「もちろん、多数の魔物を討伐なさった英雄です。ですが、書類上はただの出張職員に過ぎません。次、同じような精算書を提出したら、その書類はすべて私の机の上で“紛失”しますよ」


私は懐から、宿屋の主人にもらった請求書をひらひらと見せつける。


「こっちはわざわざあなた方が泊まった宿まで検分に行ってきたんです。この手間賃と、備品破損の代金、給与から天引きさせていただいてもいいんですよ?」


勇者はがくりと膝をつき、床に手をついて呻いた。


「こ、こんな世界……魔王より、紙切れ一枚の方がずっと強いじゃないか……!」


そうだろうとも。私は心の中で静かに頷いた。 この世界の本当のラスボスは、玉座に鎮座する魔王などではない。 いつだって、机の上に山と積まれた“よく分からん書類”なのだから。



第二話 勇者免許更新試験


「……おい、ここは何の砦だ。魔王軍の新拠点か?」


王都の大広場に、この日のためだけに建てられた巨大な仮設建築物の前で、勇者は腕を組み、眉間にグランドキャニオンどころか、地球の地殻変動が起こったかのような深い皺を寄せていた。石造りの外壁には、いかにもお役所的な、石板を削った無機質なフォントでこう書かれている。その文字には、勇者の浪漫を全て吸い取るかのような、事務的な冷酷さが滲み出ていた。 【王立勇者免許更新センター】


「ですから、先ほど馬車の中で百回は説明したでしょう。勇者免許更新センターです」


俺はこめかみを揉みながら、本日もはや数えるのも諦めた、悟りの境地に至るようなため息をついた。


「勇者たるもの、数年に一度はその資格を更新せねばならないのです。期限を過ぎれば“無免許勇者”として、賞金首の討伐やダンジョン探索などの公務への参加が一切認められなくなります」

「無免許だと……? この俺が!? 聖剣エクスカリバーに選ばれ、オークをも一撃で屠るこの俺が、無免許だと!?」


勇者の声は、まるで世界がひっくり返ったかのような、いや、魔王城が崩壊したかのような絶叫だった。


「はい。そして無免許で魔物討伐を行った場合、罰金として金貨五十枚、及び三ヶ月の勇者資格停止処分が科せられます」

「くそっ! 勇者なのに馬車の運転免許と同じ扱いか! 俺の栄光はどこへ行ったんだ!」


聖剣が割り箸になったかのような絶望が、彼の顔に浮かんでいた。 建物の前には、すでに長蛇の列ができている。ミスリル銀でピカピカに磨かれた鎧を自慢げに着込んだ若者、歴戦の傷が無数に刻まれた大剣を背負うベテラン、どう見ても場違いなほど軽装な盗賊風の男まで、多種多様な「勇者」たちが、皆一様に死んだ魚のような目をして、羊皮紙の申請書を手にじっと並んでいる。その目に映るのは、未来への希望ではなく、ただひたすら書類の山と、どこまでも続く待ち時間への絶望だけだった。


「信じられん……。なぜこの俺が、行列などに並ばねばならんのだ! 魔王城なら正面から突撃して、列ごと薙ぎ払ってやるところだぞ!」

「ここは魔王城じゃなくて更新センターです。順番を守らないと即刻失格になりますので、お静かに」


俺はもはや諦念を込めた声で、そう諭した。


数時間後、ようやく受付を済ませた。(申請書にサインではなく、親指を噛み切って血判を押そうとする勇者を係員と一緒に羽交い締めにして止めるという、いつも通りの一幕を挟んで)。待合室に入ると、そこは地獄の釜が開いたかのようなカオスに満ちていた。絶望の呻き、疲労困憊の溜め息、そして鉛のような空気が充満し、まるで魂を吸い取られるかのような心地だった。


「ああ……去年は筆記で落ちちまったんだ……。“魔物に襲われた際に市民が取るべき避難行動は?”という問いに、『強き者の後ろに隠れる』と書いたら、『市民一人一人の主体性を軽んじている』とかで減点された……。『市民は皆、独立した意思を持つ尊厳ある存在であり、その主体的な行動が地域の安全に寄与することを忘れてはなりません』と、お役所的な美辞麗句で諭された挙げ句、不合格通知を突きつけられたんだ……理不尽だ!」

「俺なんか実技で渡された木剣を、開始の合図と同時に気合で粉砕しちまって失格だったぞ。冗談じゃねえ。試験官の呆れ顔が忘れられねえよ、まるで宇宙人を見るような目だったぜ」

「俺なんて面接で“魔王を倒したら何をしたいか”って聞かれて、正直に“酒池肉林のパラダイスを作りたい”って答えたら、『その欲望、魔王と何が違うのかね?』って言われて落とされたんだぜ……。だってよ、普通に考えたら自分の願望を言えってことだと思うだろ……?あんな睨まなくてもいいじゃねえか」


勇者は、周囲の猛者たちのあまりに情けない愚痴を聞き、くるりと俺の方を振り返った。


「……なあ。俺、今ものすごく嫌な予感がしてきたんだが」


「五時間前に気づいてほしかったですね。」


壁には「勇者更新試験・過去の主な不正行為一覧」と題された、シミだらけの張り紙があった。


・答案用紙の代わりにモンスターの皮を提出した(しかも未加工)『剥ぎたてホヤホヤの鮮度!』と力説していたが、もちろん却下されたらしい。生臭くて換気が大変だった、と担当者が嘆いていたな。

・スライムに答えを覚えさせ、カンニングペーパーとして使用した(スライムは試験中に興奮して答えを叫び出し、会場中を大混乱に陥れたという。)

・面接官に賄賂を渡そうとしたが、ケチって『呪いの金貨』を渡そうとした(金貨を受け取った面接官が、その場でカエルに変身したため即バレ。呪い返し、というやつだ)

・実技試験に、どこかで捕まえてきた本物のドラゴンを連れてきて会場を半壊させた(『俺のペットは最強なんだぜ!』と自慢げだったらしいが、もはやペットの範疇を超えていた。その受験者は今も修理費を払いきれず、炭鉱で日雇いのバイトをしている)


「……バカしかいないのか、この業界は」


勇者の呟きに、私は無言で頷いた。あなたもその一人ですよ、と言いたかったが、もはやその気力すら湧かなかった。ちなみにドラゴンを連れてきたのは伝説の竜騎士バルバロッサで、この事件以来、実技試験での「ペット及び召喚獣の持ち込み」は固く禁じられている。世知辛いことに、伝説の竜騎士もここではただの規則違反者だった。


そうこうしているうちに、いよいよ筆記試験が始まった。羊皮紙に印刷された問題に、羽ペンで〇をつけていく、古式ゆかしいマークシート方式だ。受験者の質が質なので、受験補助員(この場合は私だ)の同伴が認められている。


「始め!」という試験官の合図と共に、最前列に座っていたバーサーカーが「ウォォォ!」と雄叫びを上げ、開始一秒で減点されていた。試験官の「開始一秒で減点!」という事務的な宣告が、その場の混沌に拍車をかけた。他の受験生からは「雄叫びは駄目なのか・・・。」というささやきが漏れる。なぜ容認されていると思ったのだろうか・・・。


そして我らが勇者様はと言えば、一問目から顔を真っ赤にして、羽ペンを握りつぶさんばかりの勢いだ。


「“問1:魔王討伐に向かう際の正しい手順を、番号で答えよ”だと!? ①兵糧の確保、②仲間の編成、③魔法省への出頭許可申請、④討伐出発……当然④からに決まってるだろう!食料なんぞ途中で買える!」


「④から行ったら三分で飢え死にしますよ。正解は①→②→③→④の順番です。落ち着いてください」


私は即座にツッコんだ。というかこの問題、明らかに使い回しである。念のため王都の雑貨屋で買っておいたボロボロの過去問と一言一句同じである。本当に大丈夫か、この国は・・・。


「くそっ、俺は実戦で学ぶタイプなんだよ! 机上の空論など知るか!」


どうやらこの勇者の脳みその中には、常に「まず突撃!」という選択肢しかないようだった。考えるという選択肢は初めから排除されているらしい。 さらに二問目で、勇者の忍耐は早くも限界を迎えていた。


「“問2:城下町に出現したスライム(レベル1)を倒すための推奨武器は?”……選択肢が、①火炎魔法、②銀の剣、③清掃用モップ、④税務署の査察官が使う印鑑……だと?」

「正解は③です」

「ふざけるな! スライムごときに、この俺がモップだと!?」

「実務上、城内の美観を損ねず、市民に不安を与えずに処理するには、モップでの物理的拭き取りが最適解とされています。王宮騎士団公式マニュアルの78ページにも記載があります」

「相手は魔物だぞ!?そんな悠長にやってられるか!」

「そういう規則です。ほら、時間制限もあるんですからね。」


どこまでも事務的で現実的な説明が、勇者の絶叫をさらに悲劇的なものにした。勇者は机に突っ伏し、「俺のエクスカリバーが……モップに負けた……」と半泣きで答案を書き続けた。その姿は、まさしく栄光を失い、モップに魂を奪われた漢の末路であった。


さて、そんな精魂尽き果てた勇者を次に待ち受けるのは、阿鼻叫喚の実技試験である。扉の奥の模擬ダンジョンからは、断末魔の叫びと、試験官の怒号、そして何かが破壊される鈍い音が途切れることなく響いていた。試験内容はシンプル。模擬ダンジョンで、ゴブリン役に扮した試験官と木剣で戦うという内容だ。試験官は、いかにも歴戦の猛者といった風情の、隻眼の元S級冒険者、ゴードン氏。彼は受験者が弱いとキレるが、手加減せずに攻撃しても激怒することで有名だ。理不尽の極みだが、この老人の逆鱗を避けて程よい攻撃を加えるというのはある意味非常に高度な技能である。


「次、そこの魔法使い! 始め!」

「くらえ! 我が魔力の咆哮を! ファイアボール!」


魔法使いの受験者が呪文を叫んだ瞬間、模擬ダンジョンの壁が盛大に吹っ飛び、天井から魔法式のスプリンクラーが作動して会場が水浸しになった。誰かが『もう水属性でいいんじゃないか?』と呟いたのが聞こえた気がした。いや、あれはゴードン氏の心の声だったかもしれない。


「威力を制御しろとあれほど言っただろうが、この馬鹿者がァ! 失格だ!」


ゴードン氏の怒号が響き渡る。


さて、そうこうしているうちに我らが勇者様の番が来た。


「うおおおぉぉぉ! 正義の一撃!」


勇者は力任せに木剣を振り下ろし、ゴードン氏を模擬ダンジョンの壁ごと遥か彼方へ吹っ飛ばしてしまった。壁に人型の穴が空いている。


「おい! 本気を出すなと、言ったばかりだろうがァ! 大幅減点だ、この脳筋め!」


瓦礫の中から這い出してきたゴードン氏が、土埃まみれの顔で、隻眼をさらに見開いた鬼のような形相で叫んだ。


「これでもかなり手加減してるんだ! 本気ならこの建物ごと消し炭だぞ!」

「貴様ァ!手加減とはなんだ!老人扱いするな!この若造が!」


勇者の反論にゴードン氏が怒鳴り返す。私はもう、何も考えたくなかった。必死に謝って何とか失格は回避し、最後に待ち受けるのは戦慄の面接試験だ。正直、この脳筋勇者にとっての最難関はここだろう。耳を澄ますと、前の受験者の受け答えが聞こえる。


「勇者見習い時代に力を入れたことは?」

「はい!毎日勇者になった時のためにサインの練習をしてました!」

「うん、不合格!帰れ!」


・・・少なくとも、こいつよりはうちの勇者の方がマシだと信じたい。


さて、いよいよ我らが勇者様の順番である。受験番号を呼ばれて扉をくぐると、三人の面接官が厳しい表情で俺たちを待ち構えていた。その冷たい視線は、まるで魂の奥底まで覗き込むかのように、勇者の全ての武装を剥ぎ取るようだった。


「ではまず第一問、あなたが勇者として最も大切にしていることは何ですか?」


勇者は自信満々に胸を張った。


「……強さ、だろうか?」 私は背後から、腹話術師もかくやという小声で囁いた。


「『いかなる時も、民を思いやる奉仕の精神』と答えてください!」

「こ、国民への……奉仕の精神であります!」


勇者の口の端がピクピクと震え、まるで別人が喋っているかのようだった。面接官は満足げに頷いた。次の質問。


「あなたの長所と短所を教えてください」

「長所は強すぎること! 短所も強すぎることだ!何しろ他の勇者の分まで魔物を狩り尽くしてしまうからな!ハハハ!」


面接官の眉がピクリと動き、部屋の空気が一瞬で氷点下まで下がった。


「ち、長所は…不屈の闘志…短所は…猪突猛進なところ…です…!」


私の胃は、すでに限界だった。胃酸が逆流する音すら聞こえそうだった。もはや、彼の胃壁が魔王城の壁よりも厚く感じられた。




全ての試験が終わり、結果が掲示された。 勇者の受験番号に、小さな合格印が、確かについていた。奇跡と、俺の胃壁の犠牲の上に、かろうじて記された奇跡の結果である。


「やったぞ! やはり俺は、神に選ばれし真の勇者だった!」


勇者が大声で勝利の雄叫びを上げる。私は胸をなで下ろした。筆記は奇跡のギリギリ通過、実技は失格スレスレの減点に次ぐ減点、面接はほぼ私の腹話術だったが、どうにかこうにか合格はしたのだ。 が、その直後。受付嬢の氷のように冷たい声がフロアに響き渡った。


「受験番号百三十二番の勇者様。更新料と受験料、合わせて金貨三十枚のお支払いが、まだ確認できておりませんが」


「……は?」


勇者が固まった。凍りついたフロアに、ただカラン、と何かが落ちる音が響いた。勇者と私の魂だったかもしれない。


「更新料を納めていただかなければ、免許証は発行できません。なお、お支払いは現金一括のみとなっております。カードや戦利品のドラゴンのはらわた等でのお支払いは受け付けておりませんので、ご了承ください」

「くそっ! 誰もそんな大事なこと、言ってなかったぞ!」

「いいえ、お渡しした案内書の表紙の一番上に、極太のフォントでデカデカと書いてありました」


受付嬢は涼しい顔で、事務的な正論を、まるで聖なる真理のように突きつけた。 勇者は顔面蒼白になり、私の袖を掴んでぶんぶん振り回した。まるで人生の全てを託すかのように。


「なあ! 親友! 頼む! 立て替えてくれ! この通りだ! な!?」


私は空になった財布を開き、天を仰いで、本日何度目か分からない、絶望のため息をつく。


「分かりましたよ……。今月の食費を、前借りですね……。……いい加減、給料上げてほしいな、この仕事。」


勇者は小切手の踏み倒しで銀行から百年間出禁にされているため、やむを得ず私が自分の名義で更新料を支払い、ようやくペラペラの羊皮紙に印刷された勇者免許証が発行された。 勇者はそれを誇らしげに掲げ、高らかに宣言する。


「やったぞ! これで俺は、国に認められた公認の勇者だ!」


私は、そんな彼の栄光に満ちた姿を見ながら、頭を抱えて静かに呟いた。


「……その薄っぺらい栄光の裏には、私の涙ぐましい財政努力と、今月の食費が犠牲になっているんですけどね……」




そして、きっと来年も、再来年も、この戦いは繰り返されるのだろう。勇者の戦いは、魔王との戦いだけではないのだ。世知辛い事務処理と、終わらない金策との、孤独な戦いでもあるのだから。



第三話 討伐対象は天然記念物!?




王都の役所に、一枚の羊皮紙でできた依頼書が届いたことから、この地獄は始まった。


「近郊の『やすらぎの森』周辺の村が、森から現れた魔物の群れに襲われて困っている。お手すきの勇者パーティーに討伐を願いたい」


勇者はそれを読み終えるなり、まるで魔王の首でも取ったかのように拳を天に突き上げ、叫んだ。残る勇者パーティーメンバー、もとい問題児たちも


「よし来た! 最近はこの平和にも飽きが来ていたところだ! 全員、準備はいいな! 肩慣らしといくぞ!」

「おう! 久々に俺の剣が血を求めるぜ!」

「荒ぶる魂を浄化し、徳を積む良い機会ですね」

「ちょうど新しく覚えた対消滅魔法のフィールドテストにいいな。森ごと消し飛ばないように加減しないと」


と、完全に村と森を実験台扱いする気満々だ。


……もう既に嫌な予感しかしない。そして、その予感は常に的中するのだ。


案の定だった。村へ向かう街道の手前、森の入り口で、見慣れない恰好、まるで木こりのような制服を身に纏った役人の一団が、我々の前に立ちはだかったのである。


「止まれ! この先、『やすらぎの森』は王国が定める第一級国定魔物保護区である! 『特例討伐許可証』なき者の立ち入り、及び区域内での討伐行為は、王都法第7章32条に基づき固く禁ずる!」


これには勇者だけでなく全員が鳩が豆鉄砲を食らったような顔で目を剥いた。


「な、何を言っているんだ貴様ら! あいつらは村を襲った凶悪な魔物だぞ!お前らは村人がまた襲われてもいいって言うのかよ!?」


と勇者が抗議すると、役人の一人が感情のこもっていない声で淡々と答える。


「その件は承知しております。しかし、依頼書に記載の魔物『モフモフ・グリズリー』は、現在“希少魔物リスト・ランクA”として手厚い保護の対象となっておりますので……」

「人を襲う希少種ってのは何なんだよ! そんなもん、ただの害獣じゃねえか!」


戦士が噛みつくが、役人は眉一つ動かさない。


「それが害獣か否かは、まず専門家を交えた“生態系影響評価に関する有識者会議”を招集し、その答申を待ってから判断せねばなりません。私どもの規則に基づけば、許可を得ていない方は何人たりともこの場を通すことはできません。お引き取りを。」


……私は、頭を抱えてその場にしゃがみ込みたくなった。


その後も必死に縋り付いたものの、「許可が無ければ立ち入りは許可できません」の一言で私たちの嘆願は全て却下された。それでも勇者たちが食い下がったところ、なぜか監督責任者である私だけが、役所に任意同行という名の連行をされることになった。

「王都環境保全課魔物対策室」という、やたら長ったらしい名前の部署に通されると、目の前の机に、まるで呪われた魔導書のように禍々しいオーラを放つ書類の山がずしんと積まれた。


「まずはこちらの『緊急討伐申請書フォーム82-B』にご記入を。討伐理由の正当性、生態系への影響、代替生息地の確保の可能性など、全三百項目を、羽ペンで、黒インクで、楷書で、丁寧にご記入ください。ああ、それから添付資料として『魔物のフンのサンプル』も忘れずに。一項目でも漏れがあれば受理できませんからね。」


「戦う前に書類で俺たちが殺されるぞ!」


いつぞやの勇者の絶叫が、頭の中に虚しく響いた。


それからが本当の地獄だった。


「俺たちも手伝うぞ!」と息巻いた勇者は、被害にあった村人たちを証人として役所に連れてきたが、


「証言書には本人の署名と、村長さんの実印が必要です」

「え? 俺は読み書きができないだ」

「ハンコ? 大根を彫ったやつならあるが」


という有様で、全員まとめて差し戻し。


「大丈夫です!神のご加護の力をお見せしましょう!」と意気込んだ僧侶は、聖なる祈祷書を添えた嘆願書を提出したが、


「宗教関連の申請は、あちらの文化振興課宗教法人係が窓口となります。ただし、これは『異宗派魔物に対する浄化活動』にあたるため、別途『宗教活動許可申請書』と『浄化魔法使用に伴う環境汚染リスク報告書』が必要です」


と、さらに複雑な手続きを要求されて撃沈。その後はお得意の賄賂で何とかしようと試みるも、危うく牢獄行きになりかけ、這う這うの体で役所から撤退していった。


「物理的な証拠が一番だろ!」と豪語した戦士は、斥候が持ち帰った魔物の牙を突きつけ、「これが村を襲った証拠だ!見ろ!人の血と衣服の欠片が付いている!どう見てもあの魔物は害獣だ!」


と叫んだが、「許可なき保護区内からの物品の持ち出しは密猟と見なします」と、牙を「証拠品」として没収された挙句、始末書まで書かされる始末。


業を煮やして「もう我慢できん! 森ごと燃やせば、証拠も魔物も問題も、全部解決するだろ!」


と提案した魔法使いは、


「自然保護法違反及び大量破壊魔法の不法使用教唆の罪で、あなたの魔法使い免許、停止処分にできますよ?」


と役人に真顔で凄まれ、シュンとしていた。


…四人が四人とも、驚くほど役に立たない。いや、むしろこいつらは魔物の仲間なのではないかと思うほどに私の足を引っ張っている。

結局、私が三徹して書類を作ることになってしまった。ダークマタードリンク(と呼ばれている目覚まし効果のある苦い薬草汁)をガブ飲みし、目の下に魔王軍の将軍よりどす黒いクマを作りながら、嘆願書を清書し、目撃証言をまとめ直し、各部署を走り回って「ハンコラリー」を制覇し……ようやく最後の決裁印が押されたのは、依頼書が届いてから丸三日後のことだった。


「前例のないことですが、今回は特例中の特例として許可します。感謝するように」


役人が、虫けらを見るような目で言い放つ。役所の庁舎を出るころには、パーティーの全員が疲労困憊であった。ぼそりと勇者が


「……魔物より、役所の方が、よっぽど強敵だ……」


とつぶやくが、今回ばかりは私も同意せざるを得ない。


こうしてようやく討伐のスタートラインに立ったものの、討伐自体は驚くほどあっけなかった。

三日遅れで現地に到着した時には、村人たちが自力でかなり頑丈な柵を村の外周に築き上げており、それにしびれを切らした魔物は半分以上がどこかへ逃げ去っていた。残った数匹も、三日分の鬱憤を込めた勇者の一撃で、文字通り塵と化した。


「これを最初からやらせろってんだよ!」


怒鳴る勇者を横目に、私は心を無にして、修行僧のごとくひたすらメジャーで死骸のサイズを測り、魔法写真機で証拠写真を撮り、各部位をサンプルとして採取する。すべては、役所に提出するための“希少種駆除完了報告書”に添付するためだ。


王都への帰還後、私の机の上には、新たな書類の山が築かれていた。

「討伐完了証明書(村長の印鑑要)」「希少種駆除後生態系変化観測報告書」「死骸の処分費用請求書」……。

私は深いため息をつき、疲れ果てた顔の勇者たちに告げた。


「いいですか、皆さん。次から保護区で依頼を受けるときは、まず何よりも先に、役所で許可証を取ってください。いいですね?」

「俺はもう二度と保護区には行かん!」


勇者が叫び、戦士と僧侶と魔法使いが激しく頷く。正直、私も彼らに全面的に同意する。こんなのはもうたくさんだ。希少種だか何だか知らないが、私の中ではこれまでで最悪の魔物である。


だが、私は知っている。恐らく、モフモフグリズリーの討伐は早晩マシな部類になるだろうということを。彼らの会話の最中、給仕係がそっと私の机の山の一番上に置いた一枚の新しい依頼書。

私はそれを振るえる手で取り上げ、内容を読み上げる。


「『隣国の王女様がペットとして熱望されている『ふわふわキラキラスライム(超々希少種)』の捕獲依頼(於:第一級厳戒魔物保護区)』……」


勇者たちの顔から、すっと色が消えた。

私は石像のように固まりながら、遠くを見つめるしかなかった。


また、ダークマタードリンクと胃薬を買いに行く必要がありそうだ。

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