第11話 外からの囁き
透華会長が昨日、確かに俺の名を呼び「実績で語れ」と言った。そして、あの意味深な囁き――『弟候補』。その言葉は、今日の小等部の教室にまで響いていた。朝の陽射しが窓から差し込む教室は、もはや戦場と化していた。
休み時間。教室のあちこちで声が飛ぶ。まるで蜂の巣を突いたみたいに、噂話が止まらない。机を叩く音、笑い声、囁き声が混じり合い、俺の耳に飛び込んでくる。
「昨日の妖異を止めたの、長谷部なんだろ?」
「でも"無才"だって聞いたぞ」
「会長が認めたって話だよ」
「なんか耳元で何か囁いたらしいぜ」
「えー、まさか告白!?」
「バカ、そんなわけないだろ。でも何か特別な関係なのは確かだ」
確かに派閥の影は広がっていた。そして今回は、妙な憶測まで混じって、俺の居場所を奪っていく。俺はノートを開いたまま、視線を落とす。昨日書き留めた透華の言葉と、自分の決意が、青いインクで記されている。
『実績で語る。必ず』
「ねぇねぇ、長谷部クンって本当に無才なの~?」
前の席の女子――早乙女が振り返る。好奇心に満ちた目が、俺を値踏みするように見つめる。ピンクの髪留めをくるくると回しながら、首を傾げた。
「だってさぁ、会長があんなに評価するなんて……何か隠してるんじゃない? 実はすっごい能力とか~」
「俺は――」
言いかけた時、教室の空気が急変した。まるで冷水を浴びせられたような、張り詰めた緊張感。教室の温度が、一気に下がったような錯覚。
「家柄でもないのに、調子に乗るなよ」
佐久間だった。家系派の中心人物の一人。椅子を蹴って立ち上がり、俺を睨みつける。その瞳には、嫉妬と怒りが渦巻いていた。
「たまたま成功しただけで、天狗になってんじゃねぇの? 会長のお気に入りだからって、調子に乗るなっつーの」
教室の空気が、一気に冷える。派閥の対立が、また表面化した瞬間だった。
***
爆発したのは、美琴だった。
「尚は尚だよっ!」
隣の席で美琴が勢いよく立ち上がった。髪飾りの鈴が激しく鳴り、まっすぐに声を張り上げる。狐式神『紅葉』も主人の怒りに呼応して、赤い毛を逆立てながら牙を剥いた。空気中に、ほのかに狐火の匂いが漂う――焦げた秋の葉のような、懐かしくも危険な香り。
「派閥なんか関係ないもん! 昨日の妖異だって、尚がいなかったら消せなかった!」
美琴の声が震える。怒りと、悲しみが混じっている。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が光っていた。
「二重防壁の発想、誰にできた? できないでしょ! 尚は誰よりも頑張ってるんだから!」
一瞬、教室が静まり返る。でも、すぐに別の声が返った。
「感情論じゃん。友達だから庇ってるだけだろ」
「会長に気に入られただけだろ。実力じゃない」
「そもそも、何を囁かれたんだよ?」
美琴の頬が怒りで真っ赤に染まる。拳を震わせながら、声を絞り出す。
「違う! 尚は毎日毎日、血が滲むほど努力してるの! 朝5時から結界術の練習して、放課後も図書館で勉強してるんだもん!」
「美琴、もういい」
俺が制止しようとした、その瞬間。パン! 乾いた音が響いた。天音が机を叩いたのだ。その音は、まるで裁判官の木槌のように、教室を静寂に包んだ。
「……滑稽ね」
天音が椅子に腰掛けたまま、氷のような視線で教室を見渡す。長い黒髪が、わずかに揺れた。その瞳に宿る冷たい炎は、『氷炎術』の使い手らしい矛盾した美しさだった。
「派閥で線を引いて、何が残るの? 妖異はそんな線引き、見てくれない」
立ち上がり、一歩前に出る。その足音が、不思議なほど教室に響いた。
「昨日の侵入者を見なかった? あれは派閥なんて関係なく、全員を狙っていた。家系も一般も、平等に殺されるところだったのよ」
その冷たい響きに、数人の生徒が息を呑んだ。天音の瞳に、本物の怒りが宿っていた。普段の冷静な彼女からは想像できない、激しい感情。けれど反発もまた強まる。
「言い方が上からなんだよ!」
「天才様は余裕だな」
「私たちは必死なんだ!」
天音が両手を机について、身を乗り出す。その瞳に、青い炎のような怒りが燃えていた。
「必死? それなら尚を見なさい」
彼女の声が、まるで氷の刃のように教室に響く。
「霊力は低い。家系の後ろ盾もない。それでも妖異を止めた。なぜ?」
一呼吸置いて、痛烈な一言を放つ。
「派閥に頼らず、自分の力を磨いたから。あなたたちは、派閥を言い訳に努力から逃げているだけよ」
教室が、しんと静まり返った。その時、俺の中で何かが繋がった。透華の言葉、美琴の信頼、天音の怒り。全てが、一つの答えを導き出していた。俺は拳を握り、ゆっくりと立ち上がった。
「みんな、聞いてくれ」
全員の視線が、俺に集まる。数十対の瞳が、俺を見つめていた。
「俺は確かに無才だ。霊力も低い。それは事実だ」
深呼吸して、続ける。胸の奥から、熱い想いが込み上げてくる。
「でも――だからこそ、見えるものがある」
一歩前に出る。朝の光が、俺の影を教室に長く伸ばした。
「式を力任せに動かせない俺は、別の視点で見るしかなかった。謎を解くように、仕組みを理解するように。それが俺の武器だ」
視線を教室全体に向ける。一人一人の顔を、しっかりと見据える。
「これは派閥じゃない、個人の特性だ。家系の佐久間には、代々受け継がれた強力な術式『獅子咆哮術』がある。一般の村井には、新しい発想と柔軟性がある。みんな違って、みんな必要なんだ」
教室がざわめく。誰かが息を呑む音が聞こえた。
「昨日の妖異を思い出してくれ。あいつらは俺たちが争ってる隙を狙ってきた。もし協力していたら、もっと早く倒せたかもしれない」
そして、最後の言葉に、全ての思いを込める。
「俺たちが争ってる間に、本当の敵は力を増している。妖異は待ってくれない。だから――協力しよう。派閥を超えて。それが、俺たちが生き残る道だ」
美琴と天音を見る。二人とも、真剣な顔で俺を見ていた。美琴は涙を拭いて、天音は静かに頷いた。
「会長が俺に囁いたのは『期待してる』って言葉だ。俺個人にじゃない。俺たち世代に期待してるって」
教室中の視線が、さらに熱を帯びる。そして、決定的な一言を放った。
「――派閥の常識なんて、全部ぶっ壊してやる!」
教室が静まり返る。一秒、二秒、三秒――そして次の瞬間。
「おぉぉぉ!」
爆発的な拍手が起こった。まるで堰を切ったように、歓声と拍手が教室を包む。
***
最初に動いたのは、意外な人物だった。
「……クソッ」
佐久間が、苦々しく呟いた。でも、その顔には認めざるを得ないような表情があった。頬を掻きながら、視線を逸らす。
「認めたくねぇけどよぉ……確かに、昨日は長谷部がいなかったらヤバかった。俺の『獅子咆哮術』も全然効かなかったしな」
その言葉が、堰を切ったように流れを変える。
「……俺も、入れてくれないか?」
村井だった。一般派の一人。丸眼鏡を上げながら、恥ずかしそうに頭を掻く。
「お前の修正、すごかった。正直、悔しかった。でも……俺も学びたい。強くなりたいんだ。俺の『電子結界術』も、お前のアイデアと合わせたら、もっと強くなれるはずなんだ」
続いて、別の生徒も手を挙げる。家系派の女子、結城さんだった。紫のツインテールを揺らしながら、頬を赤らめる。
「私も……その、派閥とか、もうどうでもいいかな。みんなで強くなれたら、それが一番よね。私の『水鏡術』も役に立つはずだし」
一人、また一人と。派閥を超えて、手が挙がっていく。まるでドミノ倒しのように、教室の雰囲気が変わっていった。
「俺も俺も!」と、クラスのムードメーカー・木下が手を挙げる。「俺の『風読み術』、偵察には最高だぜ!」
「私の『治癒術』も必要でしょ?」と、おとなしい図書委員の小林さんも立ち上がる。
その時、教室のドアが勢いよく開いた。
「何をざわついている」
担任の皆月先生が入ってきた。でも、その目には満足そうな光があった。眼鏡の奥で、確かに微笑んでいる。
「……まぁいい。ちょうどいいタイミングだ」
先生は手にした資料を机に置き、真剣な顔で告げる。手元の端末から、ホログラムが浮かび上がる。そこには『第七次模擬任務 詳細』の文字が。
「来週、小等部三年は単独で模擬任務を行う。実習だが、結果次第では上級への推薦や評価にも影響する」
ホログラムが切り替わり、森の中の古い遺跡が映し出される。
「場所は『忘却の森』。Cランク妖異が多数生息する危険区域だ。チームで協力して、中心部にある『霊石』を回収する。制限時間は6時間」
教室のざわめきが一層大きくなる。期待と不安が入り混じった声が飛び交う。
「Cランクって、俺たちにはキツくない?」
「でも、チーム戦なら……」
「そして――」
皆月先生の目が、俺を捉えた。眼鏡の奥で、確かに微笑んでいる。
「派閥争いを持ち込むような者は、すぐに外す。覚悟して臨め。今回は、個人ではなくチーム戦だ。誰と組むか、よく考えることだ」
そして、小さく付け加える。含み笑いを浮かべながら。
「ちなみに、優勝チームには会長直々の特別指導がある。さらに、『月影流』の秘伝書へのアクセス権も与えられる」
「会長の特別指導!?」
「月影流の秘伝書だって!?」
教室が沸いた。まるで爆弾が投下されたような騒ぎになる。月影流は、学園でも最高峰の術式流派。その秘伝書は、通常なら上級生でも見ることができない代物だ。美琴が俺を見て、満面の笑みを浮かべる。狐式神の紅葉も嬉しそうに尻尾を振った。
「尚、一緒に組もうね! 絶対勝つよ! 約束だもん! 紅葉も張り切ってるし!」
天音もわずかに目を細め、俺に視線を投げる。その瞳に、珍しく競争心が宿っていた。
「異論はないわ。最適な組み合わせね。負ける気はしないわよ。私の『氷炎術・凍える業火』を見せてあげる」
佐久間が舌打ちしながらも、近づいてくる。照れ隠しのように、乱暴に頭を掻いた。
「……俺も入れろよ。負けるのは嫌だからな。それに、お前の戦い方、もっと見てみたいしよ」
村井も、結城さんも、続々と集まってくる。みんなの顔に、希望の光が宿っていた。木下が調子に乗って叫ぶ。
「よっしゃー! 俺たちのチーム名は『派閥ぶっ壊し隊』だ!」
「ダサっ!」と誰かが突っ込み、教室に笑い声が広がる。俺は胸が熱くなるのを感じた。確実に何かが変わり始めている。派閥の壁に、ひびが入った。いや、崩れ始めている。
「みんな……ありがとう。一緒に、勝とう」
そして、みんなを見回して宣言した。拳を高く掲げて。
「――今度こそ、常識をぶっ壊してやる!」
教室が再び爆発的な拍手に包まれた。
「「「おー!」」」
窓の外を見ると、結界塔が静かに輝いていた。まるで、俺たちの決意を祝福するように、青い光を放っている。その光は、希望の色だった。しかし、その時――結界塔の頂上に、一瞬だけ黒い影がよぎった。俺だけが気づいたその影は、まるで何かを監視しているように見えた。
(まさか……新たな敵か?)
だが今は、その不安を胸に秘める。仲間たちとの絆を、まず固めなければ。次の試練が、もう目の前に迫っていた。でも今度は、一人じゃない。派閥を超えた、本当の仲間と一緒に戦う。それが、俺たちの新しい物語の始まりだった。派閥の壁を壊し、みんなで強くなる。常識なんて、全部ひっくり返してやる。そして来週――『忘却の森』で、俺たちの真価が問われる。
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