第6話 迷いの森の出会い
それはまだ、俺が自分の能力を知って間もない頃の出来事だった。
陰陽師の会合なんて、大人にとっては将来の人脈づくりだろうけど……子供の俺にとってはただの苦行だ。豪華な屋敷の二階、子供部屋に集められても、俺は「無才」って烙印を押されている。まともに話しかけてくるやつなんていない。
「……美琴がいればな」
今日に限って、幼馴染は風邪で欠席。孤立感はいつも以上だった。部屋の隅で膝を抱えていると、同年代の子供たちの笑い声が壁に反響して、余計に胸が締め付けられる。
そのとき――視線の端に、もう一人、輪から外れている少女がいた。
桐生天音。
天才、才女、隔絶した技量。持ち上げられる肩書きは数知れず。でも今の彼女は、窓際で月明かりに照らされながら、じっと外を見つめていた。その横顔は、どこか寂しそうで――いや、退屈そうで。まるで檻の中の鳥みたいに。
けれど、同年代の子供たちには近寄りがたいのか、彼女もまた一人だった。
やがて天音は黙って立ち上がり、部屋を出ていく。絹のような黒髪が、ふわりと揺れた。誰も止めない。もちろん声もかけない。みんな彼女を見上げるだけで、横に並ぼうとはしないんだ。
「……なんか、似てるな」
孤独の形は違えど、一人ぼっちは一人ぼっち。気になって、俺も後を追った。
***
辿り着いたのは学園の奥にある「迷いの森」。
月光が木々の隙間から差し込み、地面に不規則な光の模様を描いている。本来は十五歳の儀式でしか使わない結界領域だ。ここは侵入者を惑わせ、永遠に彷徨わせる危険な場所として知られている。
「まさか……入るのか?」
俺の心配をよそに、天音は白い指先を結界に触れさせる。複雑な印を結ぶと、青白い光が彼女の手から溢れ、結界があっさりと解除された。まるで水面に投げた石が波紋を作るように、結界が揺らいで道を開く。
その背中は迷いなく、真っ直ぐ中心へ進んでいく。
「やっぱすげぇな……」
思わず感嘆の息が漏れた。同い年のはずなのに、まるで次元が違う。俺も恐る恐る足を踏み入れると、空気が急に重くなった気がした。
中心部に着くと、彼女は式を起動させる。地面に浮かび上がる幾何学模様。それは術者の霊力に干渉して方向を惑わせる――高等術式。小学生で扱うなんて、とんでもない。
俺は木の陰から、息を殺して見守っていた。
……のはずだった。
「……あれ?」
天音が同じところをぐるぐる回り始める。右へ、左へ、また右へ。まるで見えない壁にぶつかるように、何度も何度も同じ場所を通過していく。
「ちょ、ちょっと待て……まさか」
彼女の顔が見る見るうちに青ざめていく。額には汗が浮かび、呼吸も荒くなってきた。
「お、おい、大丈夫か!?」
慌てて駆け寄ると、彼女は耳まで真っ赤にして叫んだ。振り向いた瞬間、その瞳には涙が浮かんでいて――
「……方向音痴なのよっ!」
「は?」
完璧超人のはずが、思わぬ弱点。あの桐生天音が、まさか迷子になるなんて。思わず吹き出しそうになったけど、彼女の必死な表情を見て、慌てて式を観察する。
(なるほど、ループ処理が暴走してる……終了条件が設定されてない……これなら)
終了条件を追加して、俺は指先で空中に新しい術式を描いた。青い光の線が、複雑な模様を描いて広がっていく。
「ループ処理を切断……終了条件を追加……脱出ルートの可視化……よし!」
修正を施した瞬間、地面に光の道筋が浮かび上がった。それは迷路の出口へと続く、ただ一本の正解ルート。
「こっちだ! 迷わずついて来い!」
俺は彼女の手を取った。ひんやりと冷たくて、でも柔らかい。
「……し、仕方ないわね」
強がりを言いつつ、彼女は素直に俺の後を歩いた。その手が、ぎゅっと俺の手を握り返してくる。震えているのが伝わってきて、なんだか守ってあげたくなった。
「大丈夫、もうすぐ出られるから」
「……うん」
いつもの凛とした声じゃなくて、小さな、本当に小さな返事だった。
***
森を抜けた瞬間、大人たちが駆け寄る。松明の光が眩しくて、目を細めた。
「さすが桐生天音様!」
「やはり次代を担う才女だ!」
「迷いの森を単独で踏破するとは!」
口々に賞賛が飛ぶ。もちろん、俺は眼中にない。いつものことだ。
「……まぁ、いいか」
俺は小さく息を吐いた。別に褒められたくてやったわけじゃない。俺の力なんて、まだ磨き始めたばかりだ。それに、彼女が無事ならそれで――
ただ――
褒められる天音が、ちらりと俺を見た。その瞳には、ほんの少しの興味と……不思議な色が混じっていた。まるで初めて見つけた宝物を見るような、そんな輝き。
そして彼女は、大人たちに囲まれながらも、小さく口を動かした。
『ありがとう』
声には出さない、俺だけへのメッセージ。
胸の奥で、何かが弾けた。まるで封印されていた扉が、音を立てて開いたみたいに。これが、俺たちの始まりだった。
***
それからだ。
彼女は俺と同じ道場に入門し、学校でもクラスが違うのに絡んでくるようになった。
「ねぇ、今日の放課後、一緒に術式の練習しない?」
「また迷子になるからか?」
「ち、違うわよ! あなたの変な術式改良、もっと見てみたいだけ!」
そんなやり取りが、日常になっていく。
「……こんな俺の、どこが気に入ったんだろうな」
夕焼けに染まる道場の縁側で、そう呟いた胸の奥は、ほんの少し熱を帯びていた。彼女の笑顔を思い出すたびに、その熱はじんわりと広がっていく。
きっとこれは、恋なんて呼ぶにはまだ早い、でも友情って言うには特別すぎる、そんな感情。
俺たちの物語は、迷いの森から始まった。
お互いが迷子だったからこそ、見つけられた道がある――そんな気がした。
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