Fight Back ―優しき拳の格闘記―

@terason

第1話 乱闘の夜――拳で目覚めた少年

プロローグ ― 数十年後 ―

暗い独房。鉄格子越しに見える光はわずかだった。

男は椅子に座り、無機質な壁を見つめている。

縄で縛られた腕。死刑執行の時を待つ者の姿だった。


皺だらけの顔に、かすかな笑みが浮かぶ。

老いてもなお、瞳の奥には闘志の炎が残っていた。


刑務官が告げる。

「準備が整いました」


男は小さく頷いた。

その横顔は──若き日の橘琥珀と瓜二つだった。


読者がまだ知らぬ真実を抱えたまま、時は遡る。


現代 ― 家族とテレビ ―


リビングのテレビでは総合格闘技の試合が流れていた。


「うおお、かっけ〜っ!」

ソファで叫ぶ琥珀。拳を軽く握りしめ、思わず体が前に乗り出る。

双子の兄・凪と肩を並べて見ているが、琥珀の興奮は抑えられない。


母・瑠璃が揚げ物を盛った皿を運んできた。

「はいはい、そんな大声出さなくてもテレビは逃げないでしょ」

皿を置くと、揚げ物の香ばしい匂いが部屋中に広がる。


琥珀は箸を手に取り、思わず手が止まる。

「……やっぱり試合ってすごいな、動きが速すぎて目が追いつかない」


父・銀次はビールを片手に笑いながら口を開いた。

「おい琥珀、そんな油っぽいもんばっか食ってたら格闘家にはなれねーぞ?」

手元の唐揚げを指でつまみ、軽く口に運ぶ。


瑠璃がピシャリと返す。

「じゃあ銀次さん、自分のご飯は自分で作ってくださいね」

家族の笑い声が広がる。

琥珀もつられて笑う。肩越しに兄を見ると、凪もにやりと笑っていた。


二階の部屋 ― SNSでの出会い ―


食事を済ませ、琥珀は二階の部屋へ。

机の上には参考書が散らかっていたが、手は自然とスマホに伸びる。


タイムラインには「格闘技ファン交流オフ会」の文字。

「オフ会……? 実際に語り合えるのか」

手が少し震えた。期待と不安が入り混じる。


参加ボタンを押すと、通知音が鳴る。

「参加確定」

胸の奥が跳ねるように高鳴った。


オフ会 ― 初対面の熱気 ―


数日後。小さな居酒屋の一角。

初めて会う青年たちと、琥珀は緊張しながらも笑顔を交わしていた。


最初は楽しかった。

試合の話、好きな選手の話。


だが、会話はすぐに熱を帯びる。


「やっぱ打撃が一番だろ。人間は殴り合ってなんぼだ」

「何言ってんだ、寝技のほうが潰しが効くんだよ!」

「総合なんだから全部できなきゃダメに決まってる」


次第に視線は琥珀へ向けられる。

「お前はどう思うんだ?」


「え、えっと……俺は……」

琥珀は言葉を探す。

だが「全部がすごい」と言っても伝わらない。

その優しさと曖昧さは、相手には逃げ腰に映った。


「ははっ、やっぱ素人だな」

「観るだけの奴は黙ってろよ」


場の空気が尖る。やがて誰かが言った。

「……表で確かめるか」


路地裏の乱闘 ― 負けと覚醒 ―


夜。街灯の下。

相手は二十代前半の青年たち。筋肉質で、目つきが鋭い。


琥珀は構えすら知らない。

拳を前に出そうとするが、体は硬直する。


「ぐっ……!」

左フックをもろに食らい、肩まで痺れる痛みが走った。


背中に、脇腹に、蹴りが飛ぶ。

砂利が跳ね、皮膚にざらりと刺さる感覚。


(痛い……でも……悔しい……!)

胸の奥が熱くなる。怒りが体を支配する。


ある瞬間、琥珀の視界に、わずかな隙が見えた。

相手がフックを振りかぶるその瞬間、重心が後ろに傾いた。


(今だ!)

琥珀は反射的に相手の腰を抱え込み、力を使って地面に押し倒す。

「うわっ!」

青年は驚きの声を上げ、背中から砂利に倒れ込む。


胸の鼓動が速まる。初めてのテイクダウン成功。

だが、次に何をすればいいのかが分からず、琥珀は腰を引いたままモタモタしてしまう。


相手は地面で一瞬ふらつくが、すぐに体勢を立て直した。

そして、琥珀の顔面に右フックが飛んできた。


「ぐわっ!」

頭が揺さぶられ、息が詰まる。視界が赤く滲む。


気がつくと、琥珀は路地の砂利の上に倒れ、上から見下ろす青年たちの影が揺れていた。

敗北。


しかし、心の奥には火が灯った。

(負けた……でも、絶対に次は勝つ……!)


その夜。血と悔しさに濡れた少年の胸に、格闘家としての火がともった。

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