第6話 ティータイム

昼休み。学院の中庭は芝生の上で弁当を広げる生徒たちと、談笑する声で溢れていた。空を横切る鳥の影が水路に揺れ、塔の鐘が正午を告げる。

俺は食事を終え一休みしようと、空いているベンチを探していた。だが、すぐに囲まれる。


「リクくん、ここ座って!」

「うちのグループに来ない?」

「ねえ、寮の部屋ってどんな感じ? 今度見せてくれない?」


矢継ぎ早に差し出される声と笑顔。制服の裾が揺れ、ぐるりと俺の周りを取り囲んだ。


「えっと……」

困惑していると、右にいた子が半歩近づいた。

「私、魔術史の課題で詰まってて……手伝ってほしいな。今夜、部屋に来てくれる?」

「部屋で……?」

「うん、静かな方がいいでしょ? 二人きりで」


胸の奥で警鐘が鳴った。だが否定する前に、別の子が俺の腕に触れる。

「ねぇ、それより一緒にカフェ行こ。校門前の新しい店、すっごく美味しいんだよ」

「え、カフェ? そんなのより寮のほうが――」

「寮? ちょっと図々しくない?」

「何よ、私が先に声かけたの!」


声が高まり、空気がざわつく。完全に包囲され、逃げ場を失った。


そのとき。


「リクさん、探しました」


澄んだ声が割り込む。女生徒たちの視線が一斉に動き、輪がわずかに緩む。

栗色の髪を束ね、凛とした姿でそこに立っていたのは――エリナ=アルステラ。


「次の講義資料、一緒に確認しましょう」

当たり前のようにそう告げ、彼女は俺の腕に軽く触れる。

「失礼」


引かれるまま、輪の隙間を抜ける。女生徒たちの視線が背中に突き刺さった。


「……アルステラさん、強引」

「ずるいわよ」

「でも仕方ないかも」


ざわめきが遠ざかっていく。


「……助かった」

安堵の息を吐くと、エリナは淡々と答える。

「礼は不要です」


彼女の歩調は少し速く、頬がかすかに赤い。

そのまま学院の門を抜け、石畳の街路へ。人の流れが緩やかに散り、二人だけの空気になる。


「お茶、行きませんか」

「いいのか?」

「ええ。隠れ家的なカフェを知っているんです」



街外れのカフェは、ガラス越しに魔導植物の蔓が揺れ、光が緑色に染まっていた。

テーブルに腰を下ろし、注文した紅茶が運ばれてくる。ようやく落ち着いた。


カップを手に取り、思わず笑う。

「……ほんとにありがとう。あのままだと、どうなってたか」

「連れ込まれていたでしょうね」エリナは平然と言う。

「そ、そんなストレートに……」

「事実です。あなたは目立ちすぎる」


紅茶を口にし、彼女は瞳を細めた。

「あなたが美形であることは否定できません。その顔立ちは……憎らしいほど」

「憎らしいって……」苦笑が漏れる。「そんなに?」

「はい」一拍置いて、小さく付け加える。「……少し、嫉妬もしています」


カップを持つ手が止まる。

「嫉妬?」

「私が声をかける前に、あれほど群がられるのですから。心穏やかではありません」


思わず笑みが出る。

「悪いな。俺だって好きでこんな顔してるわけじゃない」

「多少、自覚はあるでしょう」

「……まぁ、昔から言われたことはあるけどさ」

「ほら」


皮肉交じりの返しに、俺は肩をすくめた。


少し間が空く。窓の外で通りを歩く学生たちの声が、かすかに届いた。

紅茶を見つめながら、つい呟く。

「……でも、ずっと気になってたことがある」

「何でしょう」

「この世界の女性、みんな美人すぎないか?」


エリナは瞬きをした。

「美人?」

「だって、君もそうだし、学院の子たちもそう。……記憶を失ってるから、正直“普通”がどんなものだったかもう曖昧だけど……それでも、違和感がある」


カップを置いた彼女は少し考え込む。

「……なるほど。あなたの視点からは、そう映るのですね」

「理由があるのか?」

「あります」静かに頷く。

「男性の数が減ったからです」


息が止まった。彼女は続ける。


「男性が希少になった時代から、女性同士の生存競争は苛烈になりました。魅力を高めることが、家を繁栄させるための最重要要素になったのです」

「……生存競争」

「そう。美しさ、知性、魔力、地位。そのすべてが“選ばれる理由”になった。結果、見た目においても、より洗練された者が多く生き残った」


呆然とした。

(俺の違和感は間違いじゃなかった。ここでは“美しさ”すら必然として磨かれてきたのか)


「つまり、俺が“美人ばかりだ”と感じるのは――」

「当然の結果です」エリナは淡々と言う。

「あなたの目には誇張に映るかもしれませんが、これはこの社会の常識。希少な男性をめぐっての競争が、文化も身体も変えてきたのです」

「……すごいな」

「すごい、というより……残酷です。選ばれない者は、居場所を失う。社会のどこかに吸収されるか、消えていく」


彼女の瞳が一瞬陰る。

「私はアルステラ家の出。立場があるからまだ良い。でも、全員がそうではありません」


カップを握りしめる。

「……じゃあ、俺がここに来たことで、その競争がまた激しくなるんじゃないか?」

「その通りです」迷いなく答える。「あなたの存在は、新たな火種になる」


重い沈黙。


だが、ふっと彼女が微笑んだ。

「でも、あなたがそれを気に病む必要はありません」

「どうして」

「あなたはただ、生きているだけ。罪はありません。……むしろ、あなたが普通を望むなら、私がそれを支えます」


息を呑んだ。

(俺が“普通でいたい”って言ったこと……覚えてくれてるんだ)


「エリナ……」

「なにか?」

「いや、ありがとう」


カップを掲げ、軽く合わせる。澄んだ音が窓際に響いた。


紅茶の香りが満ちる中、ふと気づく。

――この瞬間だけは、普通の学生の時間を手にしているのだ、と。

 

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