第3話 魔法

学院医療棟――。


白壁と魔術結界に包まれた空間は、冷たい清潔さと魔力の光が同居していた。

壁際に並ぶ魔導器械。結晶管の中を光の粒が静かに流れる。


石造りの大広間とはまるで別世界。ここは現代医学と魔術技術の粋を集めた場所だ。


「こちらへどうぞ」


白衣の看護師に案内され、俺はベッドに腰を下ろす。

その瞬間、複数の視線が俺に集中した。


「本当に……男の人」

「信じられない……目の前にいるなんて」

「やっぱり……かっこいい」


観察を装った声。けれど熱を帯びている。

俺は肩をすくめた。


……完全に研究対象だな。


悪意はない。

だが珍しい動物を囲む子供の視線みたいに、好奇心の熱が肌に突き刺さってくる。


「まずは基礎的な検査です。……性別を確認させていただきます」


顔が一気に熱くなる。


「……え、そこからですか」

「当然です」


ヴェラの冷静な声が落ちる。


「この世界では魔法で外見や性別を偽装できる。あなたが本当に男かどうか、学院として確認せざるを得ない」


衣服を脱がされる。冷気が肌を撫でた。

看護師たちの視線が一斉に集まる。小さな息が漏れる。


「……間違いない。男性です」

「無駄のない身体……」

「それも……すごく綺麗」


囁きが飛び交う。耳まで熱くなる。


「ちょっと……そんなに見ないでください」


看護師の一人が慌てて笑った。


「ごめんなさい。でも……珍しくて」


――コン。


ヴェラの杖が床を叩く。


「浮かれすぎよ。職務に集中なさい」


背筋を正す看護師たち。だが視線の熱は消えなかった。


衣服を戻す。胸が上下を繰り返す。

ようやく息が整ったころ、次の検査が始まる。


「魔力測定を行います。ここに手を置いてください」


運び込まれたのは水晶の測定器。

透明な球体が淡い光を帯びていた。


俺に魔力なんて……。魔法は女しか使えないはずだ。


それでも指示に従い、右手を水晶に置いた。


――ぱあっ。


眩しい光が室内を弾ける。看護師たちの息が止まった。


「反応しました! 男性なのに!」

「総量が……すごい! こんな数値、見たことありません!」


壁のパネルが走り、数値が上限を振り切る。警告音が鳴り響いた。


「総量……常人の数百倍。女性の最上位クラスを超えてます」


驚きで胸が詰まる。


……男である俺が?


だが次の声は冷ややかだった。


「出力……ゼロに近いです」

「流せていません。総量は莫大なのに、魔力を外に放てていない」


ヴェラが立ち上がる。群青の瞳が俺を射抜いた。


「……そういうこと。あなた自身は魔法を使えない」


声が出なかった。


ヴェラは淡々と続ける。


「男性が魔法を使えない理由。それは“出力が存在しない”から。総量を抱えていても術式を編めない。だから歴史上、男は誰一人として魔法を使えなかった」


拳を握る。


……結局、何もできないのか。


そのとき、小さな声が漏れた。


「……でも、おかしいんです。出力ゼロのはずなのに、私の魔導リングが反応していて」


「え?」


顔を上げる。


「まるで自分から放てない代わりに、体の外へ溢れているみたいで……もし他者に渡せるなら、説明がつきます」


ざわめきが走る。


「供給……?」

「記録にあった“供給者”……まさか」


――コン。


ヴェラの杖が強く鳴る。


「軽々しく口にするものではない。だが……」


俺を見据える瞳。


「伝承にある。膨大な魔力を自分で使えず、他者に与えることで戦場を覆した者がいたと」


胸が沈む。


誰かに渡す……俺の力を?


「リク。あなたがその再来かどうか、これから確かめる必要がある。学院はあなたを特別保護下に置く。……反論は?」


俯いた。首を縦に振るしかなかった。


どうして俺はそんな能力を持っているのだろう。


看護師たちの視線。熱。興味。恐れ。

俺はすでに“異物”として刻まれていた。


――コン。


杖の音が床に響く。運命が動き始める合図のように。



検査室に残されたのは、俺とヴェラだけだった。


光を失った水晶装置が机の上に沈黙している。

さっき常識を覆したばかりだ。


ヴェラは椅子に深く腰を下ろし、杖を膝に置いた。

群青の瞳がまっすぐ俺に向かう。


「……あなたは、“ただの記憶喪失”ではない」


声が低く響く。

喉が詰まった。


「……どうして、そう思うんですか」

「生きてきた時間が教えるのよ」


視線は逸れない。


「私は悠久の時を生きる者。数えきれない歴史を見てきた。常識では説明できない存在を、何度も」


胸がざわつく。


……ごまかせない。この人には。


「問いましょう、リク」


声は澄んでいた。


「あなたは本当に、この世界で生まれた人間?」


沈黙。

逃げても意味がない。


「……違います」


唇を噛む。


「俺は……別の世界で生きていました」


ヴェラの瞳が細くなる。


「前の世界で俺は医学生でした。……幼なじみに刺され、死んで。気づいたらここに」


沈黙。

ヴェラの瞳が揺れない。


やがて杖が軽く床を叩いた。――コン。


「……やはり」


「……信じるんですか」

「信じる信じないではない。整合するのよ。あなたの態度も、測定の結果も」


胸が痛む。

言えてしまった安堵と、知られてしまった恐怖。


ヴェラが椅子を引き寄せる。距離が縮まる。


「だが、この真実を外に明かすことはできない」


背に冷たい汗が伝う。


「想像して。転生者。前の世界の知識を持ち、規格外の魔力量を抱える男。――三大企業も、星環教団も、黙ってはいない」


奪い合いの光景が頭に浮かぶ。


「……じゃあ、どうすれば」

「隠すしかない」


机を指で叩きながらヴェラは言う。


「あなたは学院で保護される。ただし表向きには――《犯罪組織に拉致され、実験の犠牲となり、記憶を失った》ことにする」


「……実験?」

「あり得る話よ。裏社会には禁忌の魔術や改造研究を試みる者がいる。被害者であれば学院も庇護の理由を作れる」


視線を落とす。


「嘘を、つくんですね」

「嘘ではない。真実を覆い隠す物語」


ヴェラの声は静かで強い。


「物語がなければ、あなたは奪われる。学院にいても企業は狙う。守るには、物語が要るの」


「……俺は、普通の学生でいたいだけなんです」

「それは無理かもしれないわね」


断言する声。


「でも普通を望むなら、なおさら偽装が必要。あなたが特別であることを晒さないために」


心臓が強く打つ。


普通でいるために……特別を隠す。

それしかない。


ヴェラが立ち上がる。杖を鳴らす。――コン。


「学院は中立。だが均衡は脆い。出資企業は圧力をかけ、教団は信仰を押しつける。だからこそ、ここで守らなければならない」


顔を上げた。

群青の瞳の奥に、わずかな温かさがあった。


「安心なさい。あなたの秘密は、私が握る。……学院が握る」

「……ありがとうございます」


声が震える。

だが胸の奥に、小さな炎が灯った気がした。


普通の学生でいたい。

その願いをもう一度抱いてもいいのかもしれない。


けれど、その道は“偽りの物語”の上にしか築けない。


静かに頷く。


「……わかりました。俺は、記憶を失った学生として生きます」


ヴェラはわずかに微笑んだ。


「それでいい」


――コン。


杖の音が医療棟に響いた。


その瞬間、悟った。

俺の“第二の人生”は、この学院という檻の中で始まるのだと。

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