霊感ヤンキー少女と老鍼灸師の異界カルテ

zzrr33

第1話母の影

朝、鍼灸院の待合室。

未来は無表情で床を拭き、淡々とタオルをたたんでいる。

動作はそつがないが、颯太と目を合わせようとしない。

颯太は奥の部屋で針を整えながら、何も言わず見守る。



「……誰かを信用したら、また裏切られるだけだ。

だから近づかない、頼らない。それでいい。」



昼過ぎ、40歳ほどの女性・佐和子が来院する。

髪は乱れ、服はしわだらけ。

子どもを4人育てながら、夫はほとんど不在。

やっと作った時間に、息を切らしながら入ってきた。


「すみません……どうしても疲れがとれなくて……

喉も……詰まったみたいで、息が苦しいんです……」


未来は無言でタオルを差し出す。

だが視線は、佐和子の背後に釘付けになっていた。



背後には、ただれた肌、髪が抜け落ち、腐敗臭を漂わせる女の霊がいた。

未来は眉をひそめ、吐き気をこらえる。



「……最悪。なんであんなのが……」


颯太は佐和子を施術台に横たえ、

背中にそっと手を置き、優しく語る。



「……つかれているね。」


その声は“疲れている”とも“憑かれている”とも取れる。

未来は思わず問いかける。


「じいさん……あれが見えてんのか?」


颯太はゆっくりと微笑み、


「何が?」

とだけ答える。



施術が進む中、未来は霊と目が合う。

その瞬間、脳裏に映像が走る。


病院のベッドで必死に赤ん坊を抱こうとする女性


涙でかすれる声「……ごめん……でも、生きて……」


白いシーツに沈む彼女の冷たい手


未来は息を呑む。


「……この霊……あんたの母親だ……」


佐和子の顔が、見る間に強張る。

目を大きく見開き、顔を左右に振りながら、声を震わせる。


「な、何を……急に……

母は……私が生まれてすぐに死んだのよ!?

そんなはず……そんなはずない……!」


声は怒りに似ていたが、その奥には恐怖と混乱が入り混じっている。

自分でも信じきれないことを言われ、

それでも心のどこかで「もしかしたら……」と感じている。


「やめて……そんなこと言わないで……」

佐和子は両手で顔を覆い、涙をこらえるように肩を震わせた。


颯太は鍼を静かに打ちながら、深く息を吐いた。

重く、低い声で言葉を紡ぐ。


「母親はな……

ときに命を懸けて、子どもを守ろうとするんだ。

だが――守ろうとする想いが強すぎると、

守れなかった無念も、

“手放せない愛情”も、魂をこの世に縛りつける。」


未来も佐和子も、声を失ったように黙り込む。


颯太は、ゆっくりと続ける。

「それは呪いじゃない。

でも、愛だけでもない。

守りたい、守れなかった、

その相反する気持ちが絡み合って、

子を苦しめ、親もまた苦しむ……。


親も、子も……正解も、不正解もない。

ただ……“想い”だけが、残ってしまうんだ。」


その言葉は、佐和子の胸にも、未来の胸にも深く突き刺さる。

佐和子は、涙が溢れるのを止められず、

手で口を押さえたまま、震える声で呟いた。


「……私……ずっと……

見られてる気がしてたの……

苦しいのに……

でも、どこかで……怖くなかった……

まさか……母が……」



颯太が最後の鍼を打つと、霊は涙を流しながら離れていく。

その顔はもう醜くなく、優しく微笑み、佐和子を見守りながら消えていった。


佐和子は嗚咽を漏らし、


「……母が……守ってくれていたんですね……」

と呟き、深く頭を下げて帰っていった。


未来は颯太に背を向けたまま、


「……守ってもらわなくても生きていける。

私は誰にも守ってもらいたくない……

そんなもん、この世にはないから!」

と叫ぶ。


颯太は静かに頷き、


「ゆっくりでいい。今は答えを見つけなくていい。」


未来は何も言えず、ただ胸の奥に小さな引っかかりを抱えたまま、

窓の外の夜空を見つめていた。

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