河西

 河西かさい


 季節は変わり、夏四月、劉秀りゅうしゅうに悩ましき事態が生じた。旱害かんがい蝗害こうがいである。これから龐萌ほうぼう董憲とうけん張歩ちょうほを攻めようという矢先である。しかし、尚書しょうしょからの奏上そうじょうを受けた劉秀、かつ南陽なんようが旱害に襲われた時、新野しんやにて独り田を確保して穀をえんに売った明察を持つ。考えれば、幾つか先が見えた。夏初旬である、盛夏に向けて害は広がると予想できた。敵とてこれから同じ苦しみを味わうことになる。敵に先んじるには如何に早急に対策すべきかであった。よって狼狽うろたえず対策を練り、太守県令には勅命ちょくめいし損害に備えさせる。

 洛陽らくようにて政に腐心する劉秀、これに襲われるじょ州・よう州の群雄は耐えるのが精一杯であったが、劉秀同様、方策を練り、時を待つことあたうは関西の群雄である。しょく公孫述こうそんじゅつは、武当ぶとうに破れて漢中かんちゅう郡に入って降った延岑えんしん大司馬だいしばと為して汝寧じょねい王に封じ、秭帰しきに敗れて郡に入って降った田戎でんじゅう翼江よくこう王に封じ、両将を以て己の両翼と為し、けい州を撃つべく兵力を養う。

 隴西ろうせい隗囂かいごう馬援ばえん洛陽らくようってからも、果たして劉秀にく事が正しいかと考え続けていた。先に班彪はんぴょうに『王命論』を奉じられ、権力の座を追うことをたしなめられても悟らぬ隗囂、劉秀への帰順を深く考えるは自らが帝王への道を望んでいることに他ならぬ。上辺は従順にして内心は異なる。隗囂、説客せつかく遊説ゆうぜいさせて、合従がっしょう連衡れんこうする利を各地に流布るふさせる。その一人、張玄ちょうげんは河西に入って曰く「皇帝劉玄、事業既に成り次いでた滅亡す。これ一姓、再び興らざるしるしなり。一方、今若し主たる者あって即ちこれに結びて、一旦拘束せらるれば、自ずからの権柄けんぺいを失わせよう。後に危難生じれば、ゆるといえども及ぶこと無し。今豪傑競い追い、雌雄いまだ決せず。まさに各々その領土に拠って隴・蜀と合従すべし。望みは高く戦国六雄りくゆうと為るべく、仮令たとい下ると雖も南海尉趙佗ちょうだ南越なんえつ王の地位を失わじ」

 かれる側の竇融とうゆう、自身は洛陽の劉秀に心を寄せるも、河西の行方は衆議で決めるべしと思えば、豪傑並びに諸所の太守を召して計議する。無論班彪もそこにすが、既に伝えたきことは竇融に伝えれば、ただ問われてこたえるのみ。或る智者曰く「漢はぎょうの運を継承し、天命は続きたり。今上きんじょう帝の姓号は図讖としんに見え、前世の博物方術師のこくうんりょう等が漢の再び命を受くる徴あることを明言して久しき。故に国師こくし劉歆りゅうきん、字は子駿ししゅん、名字を秀、潁叔えいしゅくと改易し、そのうらないに応ぜんことをこいねがう。王莽おうもうの末世に及んで、道士の西さいもんくんけい曰く、劉秀まさに天子と為るべしと。よって改名した劉歆を立てんことを謀る。西門君恵、事悟られて殺されるも、衆民の前に引き出されし時に劉秀は真の汝の主と言い放ちたり。みな近事にて明々白々、共に智者の見る所なり。天命を言うことを除いて、暫く人事を以て論じれば、今、帝と称する者は数人、而して洛陽は土地最も広く、鎧兵がいへい最も強く、号令最も明らかなり。図讖を見て人事を察するに、他姓は殆どいまだ当たること能わざるなり」

 諸郡の太守各々賓客ひんきゃく有って、或いは同じことを言い、或いは異なることを言う。竇融、細心に事を決めるべしと思う。班彪に問えば如何なるかと思えば、既に読みたる『王命論』と同じことを言うと分かった。高祖こうそには天命を受ける五つのあかしがあった。一つ、劉氏はぎょうの末裔である。二つ、体格容貌ようぼうが常人に非ざる。三つ、武徳に天佑てんゆうが応じる。四つ、寛大・明察にして慈悲深い。五つ、人を知って善く任用する。洛陽の劉秀、尭の末裔の劉氏である。日角の相、額が丸く突き出た角の様、天子の相と聞く。昆陽こんようの戦いでは雷雨が加勢した。竇融、王邑おうゆうの近衛兵として参戦すればそのことを数月前のように思い出す。寛大・明察にして毎年のように大赦たいしゃを行いて慈悲深い。そして劉玄りゅうげんとは異なり、人の任用には遺漏いろうが少ない。竇融考えれば考えるほど、天の流れ、地の向き、人の行方ゆくえは洛陽に応じて動いているとしか思えない。竇融、遂に策を決し東に向う。次官の劉鈞りゅうきんつかわして書を奉じて馬を献じさせる。梁統りょうとう等も各々使いを遣わし劉鈞に随行ずいこうさせる。

 時に劉秀、長安ちょうあんからの密奏みつそうで、隗囂が河西をして合従連衡の策を取らせようと説客を放ったと聞いて、それを確かめるべく慌てて使者を遣った。その使者、道中に劉鈞と出遭であう。よって劉鈞を洛陽へ案内する。皇帝劉秀、河西が隗囂の策に乗りし事を覚悟すれば、竇融の使いの劉鈞が帰順の旨を伝えると聞いてすこぶる喜ぶ。よって礼を以て大いに劉鈞を歓待した。


 五月、劉秀の予想した様に旱害蝗害は広がった。その対策を臣下に練らせた劉秀、自らの意見は最後とし、先ず思う所を述べさせる。洛陽の朝会にのぞむ主だった幕僚、大司徒だいしと伏湛ふくたん大司空だいしくう宋弘そうこう衛尉えいい銚期ちょうき大司農だいしのう李通りつう執金吾しっきんご朱浮しゅふ尚書令しょうしょれい侯覇こうは、尚書馮勤ふうきん光禄大夫こうろくたいふ樊宏はんこう太中たちゅう大夫たいふ来歙らいきゅう張純ちょうじゅん左曹さそう堅鐔けんたん、左将軍賈復かふく、右将軍鄧禹とうう、左曹侍中じちゅう邳彤ひとう、それに朝請をたまわった三人の列侯、前信都しんと太守の阿陵ありょう任光じんこう、前上谷じょうこく太守の隃麋ゆび耿況こうきょう、罪に問いし県令を囲むも自害され坐して東郡とうぐん太守を免ぜられた高陽こうよう耿純こうじゅん

 或る者は蔵を開けて穀を放出すべしと述べ、或る者は王莽の末にないがしろにされた灌漑を整えることを述べ、或る者は古典を引いて災禍は天が為政の誤りを告げ、天子に善政をうながすものと述べる。

 治水は大事業であり一朝一夕に成せることではない、それに賦役ふえきが要る。またさん・郡国には囚人が居り、これを用いる手もある。されど囚人は食わせる必要がある。劉秀、多くの幕僚の意見から使えるものを選び出す。これだけは劉秀の仕事であり、余人にはゆずれないところである。

 皇帝劉秀、みことのりして曰く「ひでりが続いて麦を損ない、秋種未だかれず、ちんはなはだこれをうれう。或いは酷吏未だ絶えず、獄に冤罪多く、万民はうれうらんで、天の気を感じ動かせるか。それ京師諸官府、三輔、郡国をして未決の拘置囚を出し、罪が殺害に非ずんば取り調べず、服役囚は免じて庶民と為さしめよ。努めて温厚善良の吏を進め、貪婪どんらん残酷の吏を退け、各々事を正せ」

 囚人を解放させて労力と為す。また天の警告であれば、これはそれに応じるものとなる。

 使者劉鈞、これを見聞し、詔書を預かって河西に帰す。それを見送る一行の中で、来歙、馬援ばえんに何時帰られますと問えば、馬援は今しばらく洛陽に身を寄せんと返す。来歙、その表情を読めば何も言わぬ。馬援が悩むのも無理も無い。既に馬援は中原の覇者は劉秀であり、隗囂はそれに降るべきであると悟るも、当の隗囂は揺れて、表は劉秀に附く振りをし、裏では合従連衡、小群雄同士が連携して劉秀と対等の立場に立つことを模索する。馬援、洛陽でそれを知ったが故に、隗囂のための方策、馬援自らの方策を立てるときが欲しかった。

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