第32話 「臨機応変に行きましょう!」は通じない
「それは不思議な事態ですね」
その日の調査を追えたわたしと教授は、町役場に戻って亀永さんに一連の出来事を報告していた。
デスクの亀永さんは、「どうしたものですかねえ」と胡麻塩頭をボールペンのおしりで掻いていた。
「植物の魔物化が本当なら、環境アセスメントの評価が大きく変わります。これまでの報告も見直さなければなりません」
「そうですよねえ」
教授の言葉が、亀永さんの眉間にしわを作る。
魔物化が事実であれば、公害問題になってしまいかねない。
だが――
「水崎さん、写真などは残していないんですよね?」
「はい、すみません……」
まさかこんなことになるとは予想もしていなかったので、写真なんて撮っていなかった。
「いえいえ、責めているわけではないんです。ただ、証拠もないのに魔物化を事実として動くのも難しいというだけで」
証人がわたし一人なら見間違えで済まされたかもしれない。
しかし、幸か不幸か証人はもうひとりいた。
「魔物がいたのは本当よ。凍らせたもの」
もうひとりの証人であるウーナは、自分のデスクでチョコ菓子をつまみながら答える。
亀永さんは、「もちろん疑っているわけではないですよ。ただ、関係各所に納得ただける材料がないと言うだけです」と苦笑いをした。
「日中の調査だけでは不足があったのかもしれません。夜間にだけ活発化する変異をしたのかもしれませんね。陽光に反応して姿を消した可能性もあります」
「ちがうわ。凍らせたもの」
教授の言葉に、ウーナが珍しく明確な否定をした。
「溶けてから逃げたんじゃないの?」と尋ねると、
「ちがうわ。お昼過ぎまで凍らせたもの」と返ってくる。
ウーナとの会話はいつも捉えどころがないが、今日は受け答えがしっかりしている気がする。何か悪いものでも食べたのだろうか?
「今日の調査で社の床下を確認したのは正午頃でした。その時間までは凍結状態が続いているはずだったということですか?」
「そうよ。調べる前に溶けてしまったら意味がないもの」
ウーナはこともなげに頷く。
何も考えていないように見えたけれど、一応調査のことなどを配慮していたのか。それなら写真とかも気にしてくれればいいのに……と思ったけれど、これは責任の押し付けだな。
ウーナが電子機器をいじっているところはほとんど見たことがない。こちら側の技術に属することなのだから、気を回すべきはわたしの方だった。
そこまで考えて、申し訳なさに肩の辺りが重くなる。
人に絡みつくツタなんて、どう考えても危険生物だ。
単体で殺傷力がなかったとしても、転んで怪我をする人がいるかもしれない。それが農作業中なら大怪我をする可能性だってある。
たとえば草刈りの最中に、いきなり腕にツタが絡んだら?
脚立でビニールハウスを補修していたら?
手押し耕運機の操作中だったら?
間上田のおばあちゃんや、マダムの顔が脳裏をよぎって背筋が寒くなる。
放置してよい問題じゃない。
被害が出る前に対応しないと……。
「こちらとしては夜間調査も環境アセスメントの項目に加えたいのですが、いかがでしょうか?」
「お願いしたいのは山々ですが……」
亀永さんが苦り切った顔をして手元の書類をめくる。
見ているのはゲートの環境アセスメントの計画書だ。
細かい項目に分かれ、それぞれに予算やスケジュールが記載されている。
夜間調査を実施するには、この計画書の書き換えが必要なのだ。
そして、書き換えるにはれっきとした根拠が必要となる。
勤め人時代のわたしなら「お役所仕事は融通がきかないなあ」なんて腐していただろうけれども、実際に役場で働き始めた今ならわかる。
役場で使うお金は国民の税金なのだ。
1円たりとも無駄に使ってはいけないし、勝手に使途を変更することも許されない。効率よりも公正さが求められる世界で、「臨機応変に行きましょう!」は通じないし、それは不正の温床になるのである。
となればどうするか、なのだが……
「あ、そういえば現場に忘れ物をしたかもしれません。いや、しました。午後は講義があるので、夜にでも取りに伺いますがかまいませんよね?」
「ええ、もちろん。立ち入り許可に時間制限はありませんよ」
教授が悪い笑顔を浮かべ、亀永さんが申し訳なさそうに頭を下げた。
教授が忘れ物なんてするようには思えないけど……と一瞬考えてから、やっと意図を理解した。
「わ、わたしも忘れ物をしたかもです! 教授は何時頃にいらっしゃいますか!?」
「そうですねえ。昨日水崎さんが現場に行ったのが22時頃でしたか。いや、偶然ですがそれくらいの時間になりそうです」
「はい! わたしもそれくらいの時間になりそうです!」
忘れ物にかこつけて、夜間調査をするつもりなのだ。
そこで確たる証拠を確保し、計画の修正を申し出る算段だろう。
となれば、ある意味戦犯であるわたしも傍観するわけにはいかない。
慌てて同行を申し出ることにした。
それにしても咄嗟にこんな口実を思いつくとは、教授の大人力が半端ねえぜ……!
「夜食はおにぎりがいいわ。こんぶとおかかが好きよ」
ウーナもばっちりついてくる気満々のようだ。
もしも凶暴な魔物が現れたらわたしと教授じゃ手に負えないかもしれないので、非常に心強い。
とりあえず、おかあさんには多めにご飯を炊いてもらっておこう。
スマホにメッセージを打ち込んでいる横で、亀永さんが申し訳なさそうに片手で手刀を切っていた。
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