第17話


 ガガッと重い音を立て、左右からの連撃を二本の棍棒で防いだゲアルドが、反撃の前蹴りを繰り出す。

 けれども僕は必要最小限、二歩分の後退と体の逸らしで、その蹴りを避けた。

 彼の長い足で踏み込んで繰り出される蹴りを避けるには、僕が下がるのは一歩じゃ足りないが、三歩は過剰だ。

 二歩下がって体を逸らせば、それでギリギリ届かなくなる。


 今の僕には、ゲアルドの動きはそこまで詳細に見えていた。

 尤も、その代わりに他の全ては目に入らなくなってるけれども。


 これが戦場ならば、今の僕の状態は非常に危険だ。

 横から繰り出される槍や、偶然にも遠くから飛んできた流れ矢が、僕の命を奪うだろう。

 仮にそれらがなかったとしても、目の前の一人に勝てたところで、周りの状況が見れずに一人で敵中に取り残されでもしたら、とてもじゃないが生き残れやしない。

 どうせ集中するなら、もっと広くに目をやって、周囲の全てが見えるくらいになるんじゃなきゃ、戦場では使い物にはならなかった。


 いや、ゲアルドが言うように黒の騎兵衆がこの呼吸法を戦場で使いこなしているのなら、その域に達していない僕が未熟なだけかもしれないが。

 とはいえ、その未熟な僕の呼吸でも、今の状況でならばその効果は絶大だ。

 今、僕の前に敵はゲアルドしかおらず、闘技場に戦いを邪魔する者は一人もいない。

 他の何も見えずとも、彼の動きさえ見えれば、それで今の戦いには十分だから。


 ギリギリでゲアルドの前蹴りを避けた僕は、逸らした体を捻る動きで力を生み、それを握った剣に乗せて叩き付ける。

 ドレアム王国正式剣術は、体幹で剣を振る剣技だ。

 腕は剣を振るうのではなく、体幹で生み出した力を増幅し、剣に伝えるもの。

 もちろん持ち手の工夫やら手首の返しやら、色々と技術はあるんだけれど、意識をするべきはそれでも体幹だと、剣技を教えてくれた教師は何度も僕に言っていた。


 踏ん張った足から腰、捻る背中、生み出された力を増幅して伝える腕、両手剣のリーチ、それから重量。

 全てが掛け合わさって、威力になる。


 渾身の、会心の一撃。

 だがそれは、重ね合わされたゲアルドの二本の棍棒で止められた。

 あぁ、くそう。足りないか。


 僕がもう幾らか上背があって、その分だけ体が重ければ、或いは手に持った両手剣が木製ではなくもっと重い金属製だったら、ゲアルドを揺るがせる事もできたかもしれない。

 ……でもそれは、今の僕には単なる無い物ねだりだ。


 それから嵐のように振り回されるゲアルドの二本の棍棒を、僕は避けて、避けて、避けて、避ける。

 武器を使って受け止めはしない。

 彼の力で、しかもこんな勢いでの叩き付けを下手に受け止めれば、どちらの武器も圧し折れて駄目になってしまうかもしれないから。


 ゲアルドの棍棒は二本あるが、僕の両手剣は一本しかないので、その武器の破壊が齎す影響は決して等しくはないだろう。

 いいや、仮に僕の両手剣と引き換えに彼の棍棒が二本とも駄目になったとしても、その後に待っているのは素手での格闘戦だから、武器を使った戦い以上に体格差、重量差、腕力差が物を言う。

 やっぱり僕が著しく不利になる事に違いはなかった。


「シィッ!」

 鋭く息を吐き、振り回される棍棒の間隙に両手剣を突き込むが、その切っ先はゲアルドには届かない。

 まるで僕の反撃のタイミングがわかっていたかのように、彼が一歩下がってそれを避けたのだ。


 勘か、経験による判断か、それともゲアルドも何らかの技を学んでいるのか、それはわからないけれども、……彼は勢いに任せた攻撃だけじゃなく、実は防御も巧みな様子。

 考えてもみれば、黒の騎兵衆を見て、単に挑んで打ち負かしたいじゃなく、その技を知って上回りたいなんて発想をするゲアルドが、攻撃一辺倒の猪である筈がなかった。

 強いだろうとは思ってたけれど、彼は僕が想像していたよりも、更に強い戦士である。


 避けて、避けて、避けて、反撃して。

 避けて、避けて、避けながら反撃して。

 集中力を増す呼吸法のお陰でゲアルドの動きは見えているが、純粋な肉体の能力差で押されていた。

 ドレアム王国正式剣術は使っているのだけれど、彼の方にも技はある。

 一見するとゲアルドの攻撃は大味で勢いに任せたものに見えるけれど、実際には計算されて合理的だし、それでいて虚実が巧みに織り交ぜられていた。

 独学や、武器の扱いを覚えて実戦経験を積むだけじゃこうはならない筈だ。

 ここまでの動きから判断するに、ドレアム王国で練られてるもの程には洗練されていないが、彼も何らかの技を学んで、それを使っているのだろう。


 じわ、じわと押されていく。

 押されて押されて、押し返せない。

 粘れてはいるけれど、僕とゲアルドじゃ、体力が尽きるのはこちらの方が早いだろう事は明白だ。

 また呼吸法によって高めた集中力も、無限には続かず、時間制限がある。


 ゲアルドが僕の想像を超えていた分だけ、勝ち目は随分と薄くなった。

 残された可能性は、ほんの僅かだ。

 だけどそれでも皆無じゃないから。

 僕は押されながらも避けて、避けて、避けて、その機を狙ってジッと待つ。


 そしてその時は、唐突に訪れる。

 嵐のように振るわれるゲアルドの棍棒が、何時もよりほんの少しだけ大きく力を込めて振るわれたのだ。

 呼吸法によって高めた僕の集中力は、それを見逃さずに見て取った。


 もしかすると、これはゲアルドの誘いで、虚かもしれない。

 だがこれを見逃して次を待つ余裕は、僕にはもうないから。


 ひゅうっと、強く激しく息を吸い、体の中に燃える炎にそれを注ぐ。

 集中力を高めるそれとは別の、発する力を増す呼吸法。

 高められた集中力は、呼吸法をやめたからっていきなりオフになる訳じゃない。

 呼吸をしながら集中力を高めるのに使った分の時間くらいは、それが下がるのにも猶予があった。


 故に今だけは、僕は二種類の呼吸の恩恵を同時に受けられるのだ。

 ゲアルドの強い一撃に合わせ、僕もそれに自分の武器を叩き付ける。

 増した力で、全力で。


 それが引き起こすのは、これまで僕が避けてきた事態。

 パァンと音を立て、ゲアルドの棍棒と、僕の両手剣が、どちらも弾けて圧し折れた。

 音が聞こえたのは、僕がゲアルドに向ける集中力が下がりつつあるって事だけれど、それはもう別に構わない。


 今、重要なのは、ゲアルドと武器をぶつけ合っても力負けせず、僕の体勢は崩れてなくて、この手の中には圧し折れた両手剣が、柄と幾らかは残ってた。

 ゲアルドは、覚悟して武器をぶつけに行った僕とは違い、ぶつかった力が思ったよりも大きかったからか、ほんの少し体が泳いでる。

 あの体勢からだと、残った逆の手の棍棒が振るわれるまでには、ほんの刹那程だが猶予がある筈。

 だから、踏み込む。

 

 振りかざす両手剣の刀身部分は折れているが、それでも問題はない。

 僕がゲアルドにぶつけようとしてるのは、刀身じゃなくて柄頭。

 本来は両手剣の間合いの内側に踏み込んできた相手に対処する技だけれども、今回は僕から精一杯に間合いを詰めて。


 けれども、ズンっと僕の体に衝撃が走る。

 それは僕の肺腑から空気をすべて絞り出して口から吐かせた。

 何故か体が折り曲がった視界に飛び込んできたのは、ゲアルドの膝が突き刺さった僕の腹。


 あぁ、彼は残ったもう片方の棍棒、武器を振るう事に固執せずに、崩れた態勢も整えず、そのまま膝蹴りで僕を迎え撃つ事を選んだのか。

 ……全く、もう、本当にそれじゃあ、敵わない。

 完全に動きの止まってしまった僕の意識は、ゲアルドの拳に刈り取られる。

 それが棍棒の一撃じゃなかったのは、彼のせめてもの優しさだったのかもしれない。



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