僕は乱に身を立てる

らる鳥

プロローグ

第1話


「全く、本当に、これからどうしようかな……」

 西方国家群中央のドレアム王国と北西の雄、リャーグの丁度間に位置する中規模の国、ルバンダ行きの幌付き馬車の中で、僕は小さく溜息を吐く。

 空は青く、まるで旅立ちを祝福してくれているようだけれど、これから僕が歩く道は血にまみれてる。

 暖かな日差しが降り注ぐ中、のどかに馬車に揺られながら、僕は戦いが待つ場所へと向かう。


 つい先日、僕は奉公していた貴族家を解雇された。

 仕えていたのはドレアム王国のワルダべルグ家で、若君の近習として八才の頃からの七年間だ。

 でも残念ながら、僕は若君の父親であるワルダべルグ家の御当主には気に入られていたが、肝心の若君にはあまり好かれていなかったと思う。

 まぁそれも、悪く言えば文弱、良く言えば文官気質な若君に対し、御当主が剣だの乗馬だのが得意な僕を引き合いに出して事あるごとに叱っていたから仕方ない。

 あんな言い方をされ続ければ、父親を憎めない分、僕を嫌うのは当然である。


 元々ワルダべルグ家は文官よりの貴族家であったし、若君はそちら側の才は豊かだったから、武を重んじ過ぎた御当主の側に問題があったようにも思う。

 ……とは言えその御蔭で武器の扱いや馬、それから古くから貴族の間に伝わる呼吸法や戦術等を専門の教師から若君と一緒に習えたのだから、僕としては有り難かったが。


 僕、クリュー・ウィルダートは、没落した貴族の末裔だ。

 何でもドレアム王国とは縁の深かった国の、王族にも連なる結構な地位に居た貴族らしいが、国の滅亡とともに没落したという。

 家系図と家紋の入った旗は大事に持ってるから、その血を証明する事はできる。

 でも逆に言えばそれしかない僕を預かり、大事に育ててくれた御当主には、感謝は幾らしても足りない。

 ただそんな御当主も一年前、あのセル大帝国の征西軍と、西方国家群の大戦に参加して帰らぬ人となった。



 東方騎馬民族が打ち立てたセル大帝国の征西は、緩やかな対立と小競り合いを繰り返していた西方国家群を震え上がらせた大事件だ。

 西方国家群と東方の間には砂海と呼ばれる魔物が巣食う大砂漠が広がっており、東で騎馬民族がどれだけ勢力を拡大しようと、自分達には関係ないと思っていたから。

 しかしセル大帝国を出発した征西軍は南から、間にある国々を滅ぼし、或いは臣従させて回り込んで西へと攻め寄せる。

 臣従させた国の軍を取り込んで、膨れ上がった征西軍の総数は三十万。

 そんな大軍が長い遠征で溜まった飢えを解放したならば、もうそれはイナゴの群れ以上に全てを喰らい尽す災害だ。

 西方国家群の中でも最も南東に勢力を誇った大国、ミュードレア共和国は、あっと言う間に征西軍に飲み込まれ、幾つもの都市が焼かれ、奪われ、犯され、殺し尽された。


 だがそのミュードレア共和国の余りに凄惨な犠牲故に、緩やかな対立状態にあった西方国家群は互いの手を取り、セル大帝国の征西軍に対抗する事を決める。

 その中心となったのが、西方国家群の中でも特に大きな四つの国、通称四大国だ。

 まぁ、ミュードレア共和国が健全だったなら五大国だったのだけれども。


 残った四つは、西方国家群で最古の国、央のドレアム王国。

 武と海賊の国、北西のリャーグ。

 最大の支配面積と、最も多くの従属国を持つ国、北東のジャーランド。

 別の大陸にも商船を派遣しているという商業の国、南西のラリマール。


 以上四つの国が中心となり、更に周辺小国家も兵を出し合って、集まった軍の総数は二十五万。

 何とか対等の勝負に持ち込めるだけの数を集めたのだ。


 保有兵力が千に満たない小さな国家も決して少なくはない西方国家群では、これ程の数がぶつかり合うのは前代未聞の事である。

 ワードの平原で対峙した両軍の大戦は、夜明けとともに始まった。

 けれども序盤の様子見の小さなぶつかり合いは兎も角として、それ以降はじわじわと西方国家の合同軍が圧され続ける展開になってしまう。

 その理由は幾つかある。


 一つは西方国家軍の中心は四つあり、その四つがそれぞれ他の下に付けなかったが為に連携を欠いた事。

 特に商業の国であるラリマールと、大陸西部の沿岸や商戦を襲う海賊の国であるリャーグは長年の敵と言える間柄で、まともな協力は難しい。

 同じ戦場に立ち、互いに相手に刃を向けないのが精一杯と言った状態だった。


 そしてもう一つは、これも一つ目の理由と無関係ではないのだけれど、誰もこんな大軍の指揮をした事がなかったが故にだ。

 誰か一人でもこんな大軍を率いた経験があったならば、自ら進んでそれを纏め上げようとしたかも知れない。

 しかしこんな大軍の集結自体がこれまで無かった事なので、そんな能力を誰も持ち合わせていなかった。

 それ故に軍を幾つかに分け、それぞれが勝手に、連携に乏しく戦うしかなかったのである。



 一方のセル大帝国の征西軍は、躊躇う事なく従属させて取り込んだ道中の国々の軍を前に出して磨り潰す戦術を選ぶ。

 元より彼等の間に仲間意識がある訳ではない。

 そもそも従属した国の軍隊は、後に統治する事を考えたならある程度数を減らしてくれた方が都合は良いのだ。

 従属国軍をぶつけ、消耗した相手をセル大帝国から来た精鋭部隊が打ち破る。

 これが征西軍の基本戦術であった。


 そのまま戦いが進んだならば、やがて各個撃破された西方国家軍は壊滅し、大陸西部はセル大帝国に散々に荒らされる事になっただろう。

 しかしこの戦いの最中に西方国家軍の、正確に言えば央のドレアム王国と北東のジャーランドがそれぞれ一つずつ策を発動させ、その二つが状況を一気にひっくり返す。


 一つ目、ドレアム王国が用意した策とは、とある場所への援軍要請だった。

 話は少し大戦から逸れるのだが、西方国家群でも最北から更に北へと向かうと、そこは人が住まう土地では無くなる。

 その地にあるのは、オーガやオークといった人型魔物が打ち立てたオグル帝国や、魔族等が暮らす国々なのだ。

 そんな人外達が南下してこないように、西方国家群と北方人外国群の間、緩衝地帯に住んで防いでいるのが、討魔の人と呼ばれる戦闘民族だった。

 ……その多くは魔族の血が混ざった人間で、桁違いの戦闘力を誇ると言う。


 ドレアム王国を始めとする西方中央部の国家は、魔族やオグル帝国に対する防壁として討魔の人に食料支援を行っていたのだが、その縁を以って今回の戦いに援軍を願ったのだ。

 普段、討魔の人は西方国家群には関わらず、ただひたすらに魔族のみを相手にするが、西方国家群が全て滅んでしまえば食糧支援は途絶え、魔族との戦いも難しくなると言って。

 そして援軍要請に応じて戦場に現れたのは、討魔の人が誇る精鋭、黒の騎兵衆が百余名。

 彼等はたった百騎だが、それでも圧倒的な活躍で戦況を変える。

 と言うのも征西軍の中心であるセル大帝国から来た精鋭部隊は、何よりも馬の扱いに誇りを抱く騎馬民族で、自分達よりも遥かに巧みに馬を駆り、人離れして精強な黒の騎兵衆の姿に大きく動揺したのだ。


 更にそこでもう一つの策、ジャーランドが密かに行っていた、征西軍が屈服させてきた国々への働き掛けの効果が発動した。

 ジャーランド自体が西方国家の中でも最も多くの従属国を従えた国で、その従属させられた側の心理は理解しているし、何より伝手も多い。

 また征西軍は、長い遠征の果てにこの遥か遠くの地までやって来ている。

 そんな彼等が何より嫌がるのが、帰り路を不安にさせられる事だとジャーランドは理解していたのだ。



 その二つの策により大きく動揺した征西軍を、西方国家軍は押し返して勝利する。

 しかし一時は崩壊しかかった西方国家軍には撤退する征西軍を追撃する余力は残っておらず、結果は辛勝に留まった。

 だが引き上げた征西軍が再度西方国家群にまでやって来るには莫大な費用を必要とするし、今回の遠征で得た被支配地域の取り込みも行わなければならないから、どんなに早くても十年、長ければ数十年は再び遠征軍が組まれる事はないだろう。

 まぁつまりその時には、今回のように後方を脅かして引き上げさせる策は使えないって話でもあるのだが。



 でもそれよりも問題は、今回の大戦が西方国家群にとっては未曾有の大動員で、尚且つ防戦だった事にある。

 その動員にはあり得ない程の費用が使われたのに、勝利した所で得る物は何もなかったのだ。

 命を懸けて戦った兵等への報酬、武功を上げた将への褒美等を考えれば、戦後処理で破綻してしまう国家も出るだろう。

 それを避けるにはどうするか?

 ……その答えは一つしかなかった。


 そう、同じように戦後処理で弱った隣国から奪うのだ。

 こうしてそれまで緩やかに時が流れていた西方国家群は、セル大帝国の征西を切っ掛けとし、未曽有の混乱、戦乱の渦に巻き込まれる事となる。


 ワルダべルグ家が御当主を失って陥った混乱も、セル大帝国が残した爪痕の一つだろう。


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