最終話 かけがえのない不自由




「晴れ! 出発日和だねえ!」

「そうですか?」


 異世界滞在五日目。

 眼前に広がるのは赤焼けた大地。

 激流樹海アシリミッツの北、名前もない地平線まで続く乾燥地帯だった。


「ねーちゃーん! ありがとー!」

「親御さんに心配かけんのも程々になー! 駆け落ち貴族令嬢っ!」

「だからっ、その嘘話デマはなんだっての!」


 カナンの村の人々も見送りに来ている。

 竜胆ウルウとアナテマ=ブレイクゲート。

 二人の少女はお世話になったカナンの村に別れを告げ、北へと向かう。


 ちなみに移動手段は徒歩ではない。

 ウルウの目の前には大きな馬車があった。


「……ハラムも随分と奮発しましたね」

「お礼とお詫びだってさ。樹海では使わないらしいし、ありがたく貰っちゃおう」


 豪華な馬車ではない。

 だが、質素な見た目をしていながら、その材質は高級品質。丈夫な造りの車だった。


「でも、肝心の馬が居ませんよ」

「馬は高価だからねえ。カナンの村にも長耳牛カウエルフくらいは居たけど、それを買い取るのも流石に悪いし。……ま、問題はないよ。さあさあ、乗った乗った!」

「コケ!」


 馬車の上に、トリィが乗る。

 それに続いて、ウルウとアナテマも乗り込む。

 そして、車の中でアナテマは真円に十字を嵌め込んだ金属──太陽十字を握った。



「日輪を曳く牛車の手綱。星空回す天の車軸よ。東より西へ、夜より昼へ、冬より春へ、廻れよ廻れ。空を駆けよ──『車輪の奇蹟』」



 カラコロ、と。

 馬車の車輪がひとりでに動き出す。

 自動車さながら、車を曳くモノがおらずとも北へ向かう。


「いよーし。目指すは聖都。始まりの聖火を掲げる崇拝都市。あの場所ならウルウを故郷に戻す手掛かりくらい見つかるでしょ」

「いいんですか」

「何が?」

「聖都って……アナテマが追放された街でしょう。そこに戻って、あなたは傷付かないんですか?」

「…………」


 アナテマ=ブレイクゲートは──かつてエルマ=エスペラントと名乗っていた少女は教会から追放された。お前はもう必要ないと告げられたのだ。

 彼女が神に見放された大地にいた理由も今なら分かる。きっと、彼女は居場所が欲しかった。自分が必要とされる何処かを求めていたのだ。


「心配してくれてありがと。でも、大丈夫」

「……」

「そんな顔しなくてもホントだって。大丈夫なんだよ、もう。ウルウと出会ったから心配ないんだって」

「私が?」

「前にも言ったでしょ。ウルウはわたしにしか救えない都合の良い女の子だったって。君に出会えたから、もう何にも感じないよ。だいじょーぶ」


 アナテマはウルウの頭を撫でる。

 髪をわしゃわしゃとかき混ぜ、角や鱗を執拗に撫でた。


 それは話を誤魔化すようでもあったけれど、ウルウは気にせず頭をアナテマの膝に委ねる。

 この状態モードに入ったアナテマに話を聞いた所で有耶無耶にされるだけだ。


「そういやさ。足枷と首輪、外さないの?」


 ふと気付いたようにアナテマは呟く。

 頭を撫でている時、黒髪の隙間から首輪が見えたからだろう。


「当分は外しません。武器になりますから。……鉄球を腕に付け替えたりはあるかもしれませんけど」

「首輪は? 何の武器にもならないけど」

「……付けたままにしておきます」

「そっか。ウルウが良いんなら、いいよ」

「それに、」

「?」


 ウルウは何か言いかけて、慌てて口を閉じる。何かあるのは明白だ。だが、ウルウは口を尖らせて否定するように言う。


「………………いや。別に、何でも」

「きっ、気になるなあ。ウルウって言いかけた事を引っ込める癖とかあるよね?」

「は? ありませんけど」

「何でそこでケンカ腰⁉︎」


 何でも何も、恥ずかしいからだ。

 真上にあるアナテマの顔を見れず、遠くに広がる青空を睨む。


 ウルウは首輪を外すつもりがない。

 実用性とか以前に、絶対に手放さない。



 だって。

 ウルウは首輪を付けられて安心したのだ。



(言える訳ないじゃないですか。そんな恥ずかしい事……)


 昔から、青空が苦手だった。高い天井を見上げるのが怖くて、体育館で逆立ちするのも苦痛だった。

 澄んだ晴天を見上げる度に、空へ落ちていくんじゃないかと錯覚した。それが怖かった。自由が怖かった。空に浮かぶ事が怖かった。


 だから、アナテマに無理やり首輪を付けられた時、感じたのは不快感ではなく安堵だった。

 束縛された事が、自由を奪われた事が、ウルウは何よりも嬉しかったのだ。……こんな事、面と向かって言葉にできないけれど。


 ウルウは今も怖い。

 この広い異世界が、ウルウを縛るしがらみが何もないこの世界が怖くて仕方ない。

 だから、首輪が必要なのだ。足枷が、鉄球が、ウルウを繋ぎ止める鎖が必要なのだ。アナテマ=ブレイクゲートが竜胆ウルウを縛っている実感が必要なのだ。


 ウルウは何かを堪えるように唇を噛む。

 それを見て、アナテマはウルウの唇を優しくなぞった。


「ウルウ、良いよ」

「……何がです」

「弱みを見せるくらいなんて事ないよ。わたしだってウルウに散々弱みを見せたし。わたしはウルウから逃げない。というか、そもそもさ、今更わたしがウルウの事を手放すワケないでしょ」


 どくん、と心臓が脈打つ。

 ウルウの音か、アナテマの音か。

 二人の心音は溶け合って区別がつかない。


「……ウルウって、ほんとは漢字で『うるう』って名前だったんです。母がそう名付けたらしくて……」


 小さく、ウルウは唇を開く。

 それは今まで言えなかった不安。

 負けず嫌いのウルウが明かせずにいたこと。


「でも、あまり良い意味じゃなかった。アナテマなら分かりますか? 『閏』って、日本語では『余分なもの』って意味なんです。だから、父が勝手に名前をカタカナにした。母から与えられた唯一のものを取り上げる事ができず、それでも少しでも嫌な意味をなくすために」


 ウルウが浮かないように、父は自分の名前まで改名してカタカナに変えてくれた。

 優しい人だった。母に捨てられても、ウルウには父がいた。……それでも、心に残る恐怖があった。


「私は、……怖いのでしょうね。首輪を外して、何処でも生きていけるようになって、それで、あなたに手放される事がきっと」


 だって、ウルウにはアナテマしかいないけど、アナテマはたくさんのヒトに好かれる。

 トリィにも、ハラムにも、カナンの村の人々にも。だから、ウルウはずっと不安だった。この首輪を外して自由になる事が不安だった。


 誰にも負けたくなかった。

 アナテマの手を取るのは自分であって欲しかった。


 わしゃわしゃわしゃー、と。

 アナテマはウルウの頭を無茶苦茶に撫でる。

 不安を散らすように、アナテマは明るい声で笑った。


「ウルウ。良い名前じゃん。その名前はきっと洗礼名と同じで、ウルウの運命を示していたんじゃない?」

「……母を知らないくせによく言いますね」

「ふふん。わたしを舐めてもらっちゃ困るなあ。わたしは神様から『預言の奇蹟』を授けられた聖女。漢字にだって精通しているし、君の名前の由来だってバッチリ分かるよ」


 思わず、ウルウは瞬きをした。

 『預言の奇蹟』。確かに、その効果ならばあり得るのか……?


 アナテマは告げる。

 それはまるで神話を謳うように。


「『閏』っていう字はね、『門』に閉じ込められたひとりぼっちの『王』様の意味なんだよ」

「……『預言の奇蹟』って漢字まで教えてくれるんですね」

「それでね。わたしの名前は何?」

「? アナテマです。アナテマ=ブレイクゲート」

「そう。君が『門』に閉じ込められたひとりぼっちの『王』様で、わたしは『門を破壊する者ブレイクゲート』。これってさ、運命じゃない?」

「っっっ‼︎」


 門に閉じ込められたウルウと。

 門を破壊するアナテマ。

 二人が出会ったのは運命だった、と。


「確かに、元のセカイじゃあ君はひとりぼっちだったのかもしれない。母親にも捨てられたのかもしれない。でも、わたしは違う。わたしと出会った君はもうひとりぼっちなんかじゃない。君の名前はそういう意味なんだよ。君とわたしが出会う事は運命だったんだよ!」


 詭弁だ。

 母が考えたのはそんな意味ではない。

 分かっている。分かっているけれど。


 でも、それでも。

 ウルウという名前が何処か誇らしいモノのように感じた。


「……アナテマ」

「なあに……って、わぷっ」

「アナテマ」

「ちょちょちょいっ、ちょい重いって!」


 アナテマの服を引っ張って押し倒し、全体重を乗せて覆い被さる。

 自動で動く馬車の中を覗き込む者はいない。馬車の上に乗ったトリィも空気を読んでか何も言わない。


「アナテマ。私は奴隷です。アナテマの、奴隷です。私の体も、私の心も、何もかもあなたのものです」

「お、大げさだなあ」

「門を破壊したのはあなたですから。私を引っ張り出したのはあなたですから。責任を取って、ちゃんと囲ってください。私を捕まえていてください。あなたと出会う事が運命だと言うのなら、あなたと共に生きる事が私の勝利条件です。だから──」


 ウルウの体は重かった。

 それでも、アナテマは体重を預けられた事が嬉しかった。

 人生の全てを委ねてくれた事が、アナテマ=ブレイクゲートを誰よりも必要としてくれた事が何よりも嬉しかった。



「ずっと私に首輪をかけていてください」

「いいよ。わたしが君の重しになったげる」



 押し倒されたアナテマは、ウルウの背中に手を伸ばした。翼や鱗が肌に触れる。少女の体温がじんわりと伝わる。

 アナテマ=ブレイクゲートは覚悟した。目の前の少女を絶対に救うと。彼女一人を救うためならセカイの救済だって放り出してみせると決意した。


「約束ですよ」

「はいはい。分かったから離して──」

「がぶー」

「──いたあ⁉︎ 首噛んだ⁉︎ 首噛んだよねナンデっ⁉︎」

「約束の印です」


 ウルウに手加減はなかった。

 血が出たんじゃないかと思うほどのシャレにならない痛みが首筋に走った。


(逃しませんよ、アナテマ。あなたが教会からいらないと追放されたのならば、私が元の世界に連れて帰ります。逃げられると思わない事です)


 首輪をかけられたのは果たしてどちらか。

 邪竜は聖女に囚われて、聖女は邪竜に攫われる。



 これは、ひとりぼっちの聖女と邪竜が運命の出会いを果たす物語である。

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