第19話 暗転




 うたのお礼に喝采を浴びるアナテマ。

 その騒ぎに混ざって、ウルウもまた手を叩いて拍手を鳴らす。


 面白い神話ものがたりだった。

 普通のヒトにしか見えないアナテマが狼の子孫である獣人種リカントだというのは驚いたが、翻訳された結果同じ言葉でも同じ生き物を指している訳ではないというのは甘月実バナナでよく分かっている。

 人類ヒトではあっても、ウルウの世界の人間とは異なる生き物なのだ。そういう事もあるだろう。


 だから、竜胆ウルウが気になったのはもっと別の点だった。



(天の亀裂から這い出て、神様を喰らった黒い蛇────黒い?)



 蛇と竜。

 特に神話に詳しい訳ではないウルウでも、その二種類が近似している事はよく知っている。

 特に、翼の生えた蜥蜴トカゲのような西洋のドラゴンとは違って、東洋のドラゴンは細長い手足の生えた蛇のような見た目だった。

 

(空から落ちて来た、ドラゴン。私と黒い蛇との共通点は偶然でしょうか?)


 あるいは、火の神マーティラスとやらがウルウを敵対視するのもまた────



「ウルウ!」



 アナテマの呼びかけで思考が途切れる。

 いつの間にか、アナテマはウルウの手を握るほどに接近していた。


「え、はい。何ですか?」

「ちょこっと手伝って欲しいんだけど……」

「別に、良いですけど……何ですか?」


 いつになく、真剣な顔だった。

 いつも明るいアナテマ=ブレイクゲートでも、この時ばかりは曇らざるを得なかった。


「カナンの村が滅びかけてる」





 焼け野原。

 昨晩、祭りで灰が撒かれた大地を進む。

 その時点で既に、異変は始まっていた。


「最初に気付いたのは、トリィだよ」


 コケッ! と。

 アナテマの頭上に居座るトリィは自慢げに鳴いた。


「ウルウには秘密にしてたけど、実はトリィってただの鳥のじゃないんだよねえ」

「知ってますけど」

「ええっ、うそお⁉︎」

「トリィって飲食も排泄トイレもしていないでしょう? 生き物ではないというのは何となく分かっていました」


 生き物というのは汚い。

 それは野良猫を触ってみれば分かる事だ。

 だが、トリィは不自然に綺麗すぎた。人形と言われた方が納得できるくらいに。


「そっか。いつも一人……トリィと二人旅だったから気が抜けてたなあ。ウルウの予想通り、トリィは生き物じゃないよ」

「……魔法ですか?」

「ううん。トリィはね、神様の奇蹟の具現。朝告鳥ニワトリに宿った神様の分け火──神様の御使いってワケ」


 火の神を崇める聖火教。

 先ほどその話を聞いたばかりだからこそ、この世界の常識がないウルウにもトリィという存在の貴重さがよく分かった。

 トリィは信仰対象なのだ。それこそ、神殿の奥深くで祀られていても不思議ではないほどの。


「まあ、御使いとは言っても大した力を持ってる訳じゃないんだけどねえ。単に神様の火を宿してるってだけで、特別頭が良い訳でも力が強い訳でもない。神様が操っている訳でもないし、ただ食事がなくても生きていけるってだけ」

「十分凄いと思いますけど」

「そうかな? でも、それ以上にトリィにはすっごい特技があるから」


 コケェェ! とトリィの声が響く。

 それはまるで警告音だった。


「一つはトリィの存在自体が神殿代わりになること。神殿ってのは火を祀っておけば神殿だから。聖火を宿したトリィさえいれば、超簡易的だけど神殿代わりになるってワケ」


 アナテマの足が止まる。

 見えていた異変が目前にある。

 思わず、ウルウは息を呑んだ。



「そして、もう一つは──



 目の前にあるのは森。

 何の変哲もない、ただの樹々。


 だが、明らかに不自然だった。

 


「これがトリィの感知した異変。森の氾濫──激流樹海アシリミッツという魔境の侵食!」

「昨日……燃やしたばかりですよ⁉︎ こんな、たった一晩でッ⁉︎」


 森の氾濫。

 それが眼前の異変だった。


 激流樹海アシリミッツは危険だ。

 それは、たった一日ちょっとしか滞在していないウルウでも分かる事実。

 アナテマが毎晩、姿を隠す『朔月の奇蹟』や獣除けになる『破魔の奇蹟』を行使していたのはなぜか。それだけ危険だからだ。それだけ魔物に溢れている魔境だからだ。


 神殿代わりになるトリィと優れた神官であるアナテマが揃って、ようやく退けられる森の脅威。

 それが教会もないカナンの村を襲えば、きっとひとたまりもないだろう。


「今日、『破魔の奇蹟』で獣除けが更新された。当分は魔物が来る心配はないだろうけど……半年は保たないかもなあ」

「それまでに、森が伸びた理由を見つけると?」

「というか、今日中に解決しちゃおう。祭りに水を差すのはごめんってワケ」


 アナテマとウルウは用心して森に足を踏み入れる。

 異変の中心地。この先には何があるか分からない。


「さてさて、どんな魔法かなあーっと」


 森に入ってすぐ、生い茂った草むらを掻き分けて、アナテマは地面を調べた。

 指に触れる感触は灰。昨晩、灰果祭はいかまつりで巻いたモノ──


────)




「──ー?」




 

 


「ぐふふふふ。聖人序列一位の聖女をこんな辺境で見つけられるとはなあー! 貴様の奇蹟ちから、吾輩のために存分に使わせてもらうぞおー?」


 ぐふふふふ、と。

 奇妙な笑い声をあげる葉巻タバコを咥えた男。

 アナテマ=ブレイクゲートの足元。草むらの中にその男は潜んでいたのだ。


 一〇〇センチちょっとしかない身長に、短い手足。腹だけが出たアンバランスな肥満体型。

 浅黒い褐色の肌に、輝くような金髪。ギラギラとした布と、大きな宝石の指輪。ボンレスハムのような腹をした強欲な商人。



「っ、ハラム=アサイラムッ⁉︎」



 奴隷商、ハラム=アサイラム。

 無法都市の王がそこにいた。


「誘われたっ、わたしが来るのを狙って異変を起こしたってワケ⁉︎」

「ぐふふふ、貴様のようなお人好しは絶対に来ると思ったぞー。考えなしの馬鹿で助かったなあー!」


 アナテマは身動きが取れなかった。

 それは竹の硬さ以上に、力が出しづらいように関節を竹によって固められているためである。


「植物を生やした……? いや、これは──」

「面白いだろー。これが吾輩の魔法だー。植物を自在に操る力、激流樹海アシリミッツの王に相応しい力だろー?」

「魔法? 

「…………ふん、気付いたか。まあ、何でもいい。吾輩のために働いてもらうぞー、!」


 ウルウは内心、首を傾げた。

 ハラムが何を言っているのか理解できても、どうしてそんな言葉が吐かれたのか理解できなかったから。



「破門、聖女……?」



 意味が分からなかった。

 エルマ=エスペラントという名前も。

 それに心当たりがありそうなアナテマの顔も。


「貴様、亜人ではなかったのか……?」

「エルマ=エスペラントとは誰の事ですか?」

「……知らんのかー。そいつだ、アナテマ=ブレイクゲートとか名乗ってるヤツの事だー」


 知らない。知る訳がない。

 彼女の名前が偽名である事も、破門聖女だなんて呼び名で呼ばれている事も初めて知った。


「聖人を知っているかー? 神から奇蹟そのものを授けられた人類ヒトの呼び名、人類ヒトを救う使命を聖痕と共に焼き付けられた者。一時的に奇蹟を模倣する祈祷術ではなく、!」


 例えば、毛のない狼。

 奇蹟を授けられた神の救いの代行者。

 人類ヒトの身でありながら神の座に近き者。


洗礼名なまえを偽っていたため気付けなかったが、貴様の聖痕を見れば一目瞭然だ! この神の見守る大地シア・マーティラスに十数人しかいない聖人の中でも、貴様は神からー‼︎」


 『預言の奇蹟』。

 それこそが、アナテマ=ブレイクゲート──そう名乗っていたエルマ=エスペラントの持つ力。


 ウルウも疑問に思っていた。アナテマは出会ってすぐのタイミングで、祈祷術を使う様子もなく言語習得の奇蹟を使った。

 だが、祈祷術なんて使う必要はなかったのだ。神から一時的に奇蹟を借り受けずとも、『預言の奇蹟』は常に彼女に宿っていたのだから。


「……『狼煙の奇蹟』、は?」

「何の話だー? 『狼煙の奇蹟』は単に自分の言葉や知識を他者へ伝達するだけ術だろー。『預言の奇蹟』とは全くの別物だぞー」


 言語習得の奇蹟を使うというのは真っ赤な嘘だった。

 アナテマが持つ言語の知識、それをただ流し込んでいただけだったのだ。


「ぐふふふふふ! 騙されていたのかー? 可哀想な女だなあー! だが、そいつは破門聖女だぞー? ⁉︎ ー‼︎」

「…………ごめん、ウルウ」

「ッッッ‼︎」


 何もかもが嘘だった。

 その言葉の何もかもが信用できない。

 当たり前だ。言葉が通じたって、その心の全てが通じる訳ではないのだから。



!」



 

 


 名前が嘘でも、言葉は嘘でも。

 アナテマはウルウを救ってくれた。

 食べ物を与え、常識を教え、言葉を授けた。

 その行動に、何一つとして嘘はない。

 アナテマ=ブレイクゲートは心の底から竜胆ウルウを救おうとしていた。


「その男が何を言おうと、あなた自身が何を言おうとッ、アナテマ=ブレイクゲートという馬鹿な女が私を救ってくれた事に変わりはありません! そんな男の戯言に私の言葉が負けるとでも⁉︎」

「ウル、ウ……」

「何を謝っているんですか? 私を馬鹿にしないでください。良いでしょう、討論ディベートでも何でもやってやりましょう。私は口喧嘩でも負けません。あなたが謝る必要なんてこれっぽっちもありはしない!」


 ウルウは迷いなく言い切る。

 言葉にせずとも、アナテマの優しさなんて分かりきっている。疑うはずもない。

 アナテマ=ブレイクゲートだろうが、エルマ=エスペラントだろうが、どうでもいい。彼女が彼女であるだけで、信じる理由は十分なのだから。


 ウルウは掌に意識を集中する。

 いつでも、魔法を発動できるように。


「ハラム=アサイラム、でしたか。奴隷も連れず単独で動くとは不用心ですね。あなた一人に私達が負けると思いましたか?」

「不用心は貴様だー。? ー」


 瞬間、ウルウの背筋に悪寒が走る。

 気付かなかった。

 気付けなかった。

 



「……悪いのう。じゃが、容赦はせんぞ」



 一九〇センチはある華奢な偉丈夫。翠色エメラルドの長髪に、あまりにも白すぎる肌。長身の女性にも、美人な男性にも見える顔立ち。

 身に纏うのは極彩色の羽毛のツギハギ。目を引く色鮮やかな衣装でも、それは彩色溢れる樹海の中では迷彩色として機能していた。


 ハラムの用心棒、樹人種エルフの剣士。

 マガリのクランのキリジ。

 ハラム=アサイラムの更に奥、奴隷商の一歩後ろに侍るようにその樹人種エルフは佇んでいた。


 研ぎ澄まされた刃のような圧。

 樹人種エルフの白い手が、腰に携えられた三日月のように曲がった湾刀の柄に触れる。




「魔剣抜刀──────『絶風たちかぜ』」




 

 


「───────────は?」


 その声だけが漏れて。

 竜胆ウルウは今更ながらに気付いた。

 


「ウルウっ⁉︎」


 アナテマの悲鳴が遠く聞こえる。

 ウルウの意識は既に肉体から乖離していた。


 強靭なはずの制服うろこごと、竜胆ウルウの肉体は腰から肩を斜めに切り上げるようにして切断されていた。

 明らかに致命傷。膨大な血液が噴射するように飛び散り、竜胆ウルウは後ろへ倒れた。


「ふむ、浅い。踏み込みが足らんかったか、あるいは強度を見誤ったかのう」


 しかし、何よりもあり得ないのは鱗を絶つ湾刀の切れ味────


「魔法……? ゲロウみたいに幻影で間合いを誤魔化してッ、それでウルウが斬られた⁉︎」

彼奴きやつのような雑魚と同じにするでないぞ。儂のは魔法でも何でもない、ただの剣技じゃ。

「そんなっ、訳が……っ!」


 だが、実際に斬撃は飛んだ。

 そして、トリィが反応できていない時点で、それが魔法でも祈祷術でもない事は明白だった。


 怪物。あるいは、この場の誰よりも。

 聖人より、ドラゴンより、目の前の剣士こそが一番の異常だった。


 剣技のみで神の摂理を捻じ曲げる者。

 くうを斬り、距離を裂く外法。

 故に、魔剣。



「ま、て……」

「ウルウ! もう動かないで!」



 肉体を切り裂かれながら、まだ這ってでも戦おうとするウルウ。

 アナテマは少女に駆け寄ろうとするが、ドンッ! とその頭をキリジが湾刀の柄で殴り飛ばす。それだけで簡単にアナテマは動かなくなった。


「キリジ! 聖女であるぞー⁉︎ 丁重に扱え!」

「この程度じゃ死なんじゃろ。それと、こっちはどうするのじゃ?」


 マガリのクランのキリジは顎で方向を指し示す。

 そこにはズタボロの状態でも、必死に立ちあがろうとするウルウの姿があった。


「……わざわざトドメを刺すまでもない。放っておけば死ぬだろー」

「そうか────儂を恨め、わらべよ。じゃが、一番恨むべきは無力なお主じゃ。力なきモノは、ただ他者の不条理に隷属するしかないのだと知れ」


 ウルウの視界が歪む。

 倒れたアナテマを担いで、キリジとハラムは森の中へ消えていく。


「まち、なさい……」


 手を伸ばす。

 届かないと知りながら。

 魔法の力は無力だった。



「アナ、テマ────」



 暗転。

 ウルウは意識を完全に失った。


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