第9話 不正は不正義か
「オ、オデ……オマエ、アンナイする」
そう言って竜胆ウルウを先導するのは、青褪めた肌の
彼の言葉は理解できないが、身振り手振りでなんとなく何を指示しているのか伝わった。
『それは……足枷ですか』
「オマエ、ツケロ」
足枷、そして鎖で繋がれた鉄球。
目の前の
(重い、ですね……逃がさないようにって以上に、落ちたら負けの闘技場として落ちやすくしてるのでしょうか)
「コレモ、ヤル」
ぐっ、と
それは小さな、ウルウにも簡単に振り回せそうなくらいの
「オ、オデのブキ、ヤル。マケルナ、ドラゴン」
『確かに、武器の一つも持ってないようじゃ舐められますね。ありがとうございます』
選手入場。
相変わらず話の流れを理解できていないウルウだが、重要なだけは分かっている。
勝てば良い。
勝てさえすれば、全て上手くいく。
「うわっ、多いなあ⁉︎」
思わず、アナテマ=ブレイクゲートは声を上げる。闘技場──傷んだ吊り橋を囲むように、様々な大樹の枝に
無法都市にいる全ての
相変わらず子供や老人はいないが、意外と男性だけという訳でもない。ちらほらと女性も見かける。その大半は、男に守られた情婦のようだが。
「……いたのだよー。上から二本目の枝、その最前列にいる灰色の髪の男。ヤツがあり得ない倍率で何度も賭けに勝っている冒険者だぞー」
「あいつって……最初に見たヤツじゃん!」
隣の席で見物する
初め、無法都市に入ってすぐにアナテマとウルウに絡んできたゲロウという男だったのだ。
ヒュー、と
きっと、その剣士は初めから知っていた。だからこそ、ゲロウとアナテマ達の会話に割り込み、因縁が生まれた少女達を奴隷商の元まで案内したのだ。
「何か不審な動きを見せたら戦いは即中断。ウルウは絶対に助ける。その条件は変わらないからね」
「分かった……が、命の危険に晒される事はまずないよー。そのための地面に落下したら負けという
わああああああああああああっ‼︎‼︎‼︎ と。
ハラムの言葉を遮るように、歓声が響き渡る。
選手入場。ウルウとその対戦相手が互いに吊り橋の端へ歩みを進んだのだ。
対戦相手は銀の髪の少女。
顔立ちからしてウルウと同じくらいの歳に見えるが、あまりにも細すぎる体付きが年齢の印象を引き下げている。
端的に言ってガリガリで弱そう。確かに、こんな少女が突然連勝を始めれば、誰だって不正を疑うだろう。
「あれが疑惑の奴隷。強さに見合わない戦績を誇る、現在五連勝中の奴隷だぞー」
「連勝中……って、勝った奴隷は自分を買い戻せるんじゃなかったっけ?」
「何度も勝てば、だけどねー。六連勝すれば、奴隷はその身分から解放されるよー」
「……
銀髪の少女、痩せ細った奴隷。
ともすれば同情しそうな相手でも、竜胆ウルウは気を抜かない。
勝つためならば何でもやる。少女はそんな精神性を持った怪物であるからだ。
(……でも、お父さんはどんなゲームでも対戦相手には礼儀を払いなさいって言ってましたっけ)
礼儀とはルールだ、と。
ウルウの父はそう言った。
ルールを破って勝ったとしても、それは本当の意味での勝利ではないと。
だから、ウルウは相手が理解できないと分かっていても、大きな声を出してお辞儀をした。
『対戦よろしくお願いします』
きょとん、と場違いなお辞儀に目を丸くする少女。
銀髪の少女はそこで初めて対戦相手がウルウである事に気がついたようで、どこか安心したように呟いた。
「助かったぜ。亜人ならクソみてえに神経使って手加減する必要もねえわな」
低い男の声で、そう言って笑った。
「──────ま、さか」
動揺する暇などない。
吊り橋に入った時点で、戦いの
ウルウの予想が正しければ、全ての想定が裏切られる。
勝敗の結果が歪められている? 違う、的外れにも程がある。歪められているのは勝敗じゃなく対戦表だった!
「丁度良いぜ。あの場違いな嬢ちゃんにも見せてやる。この街がどれだけクソったれな所かってのをよォ‼︎」
銀髪の少女が振るうのは短い片手剣。
咄嗟にウルウは跳ねるように後退し──
メキメキメキメキィッッッ‼︎‼︎‼︎ と。
骨が砕け散るような衝撃が響いた。
「なに、が……何が起こってんの⁉︎」
戦っているウルウよりも、むしろ動揺していたのはアナテマの方だった。
遠くから眺めているアナテマだからこそ、よく分かる。どう考えても、ウルウは剣を避けていた。ほんの僅か掠める程度ならまだ分かる。
だが、あんな音が響くほどの直撃ではなかったはずだ。
クリーンヒット。
遠目からではあるが、ウルウが腹を抑えて顔を歪めているのが見てとれる。
「不自然だろー? あの奴隷は明らかに間合いを超える相手にも攻撃を届かせるんだよー。まるで斬撃でも飛ばしているみたいに」
「あり得ない。そんなの剣術じゃない!」
「そもそも、あり得ないのはあの痩せ細った腕で剣を上手く振り回すのもだよー。吾輩は祈祷術か何かだと思ったのだけど──」
「それはない。祈祷術を使ってたらわたしが気付く。祈祷術は祭りの一部分を抽出して扱うモノだけど、彼女の動きはどんな祭りにも当てはまらない!」
アナテマは視線をゲロウに移した。
しかし、不自然な動きは何もない。
灰色の髪の男はただ、祈るように手を組んでその戦いを眺めていた。
ゲロウにも祈祷術を使っている様子はない。
祈りは形だけで、本職の神官からすればあれでは何の奇蹟も起こせない。
「だとすれば」
「それならー」
巡礼者アナテマ=ブレイクゲート。
奴隷商ハラム=アサイラム。
二人の見解は一致した。
「「────魔法」」
逃げる、逃げる、逃げる。
時には吊り橋の手すりを足場に、時には相手自身股をくぐって、ウルウは攻撃を避け続ける。
最初の一撃で
(大体分かってきました)
じくじくと痛む腹を抑えながら、ウルウはその
『幻影、ですね』
回答はない。
そう理解しながら、ウルウは告げた。
(簡単な事でした。弱い奴隷をどうにか勝たせていたんじゃなく、弱い奴隷と強い誰かをすり替えていただけ。私の本当の対戦相手は痩せ細った銀髪の少女なんかじゃない。筋肉があって、背丈があって、声の低い男の冒険者です)
避けたと思った剣が当たっていた。
それは相手の腕の長さがこちらの想定よりも長く、おそらくは剣自体の長さも見えているモノよりも長かったのだ。
ウルウは防戦一方。
相手の攻撃を大きく躱わす事に全神経を注ぐしかない。
側から見れば、最初の一撃で攻撃を恐れているようにも見えるだろう動き。
だが、追い詰められているのは銀髪の少女──その姿に化けた他の誰かだった。
「なんでだッ! なんで当たらねえ⁉︎」
それは明らかにおかしかった。
ウルウは攻撃の本当の軌道が見えていない。
それなのに、最初の一撃を除けば傷一つなく避け続けている。
(でも、分かれば対処は簡単です。何せ相手は見た目を誤魔化せても、自分の姿を消すような完全なる幻覚を見せる事はできません。それは間違いないでしょう)
見た目、身長、腕の長さなどは誤魔化せても、幻影のいる位置に相手が存在している事には違いない。
もしもそれすら幻影で騙せていたのなら、ウルウはとっくに負けていた。だが、そうはならなかった。大体の場所が分かる。あとは頭の中で本当の姿形を補正していくだけだ。
……それは、言葉にするほど簡単な事ではない。
本来ならば不可能。分かっていても、ヒトは視覚の情報に騙される生き物だ。
しかし、ウルウには竜の感覚器が備わっていた。
(尻尾に相手が動く足音が伝わる。鼻で相手の体の大きさが分かる。翼が剣で揺れる空気の動きを捉える。……勝ちます。たとえ
異常な光景だった。
竜胆ウルウはどこにでもいる普通の女子中学生だった。本当なら、こんな血みどろの殺し合いで活躍できる訳がない。
しかし、こうは考えられないだろうか。竜胆ウルウはありふれた女子中学生だったが、それは平穏な世界にいたからだ……と。
竜胆ウルウのイかれた才能は、血みどろの異世界でこそ輝くのではないか。
『見えました』
ゴッッッ‼︎‼︎‼︎ と。
竜胆ウルウの拳が突き刺さる。
銀髪の少女の体が軽々と宙に舞った。
少女の見た目をしていて分かりづらいが、そこには成人男性一人分の体重がある。
それは空中にまで跳ね上げるとは、一体どれほどの怪力がウルウの細腕に秘められているのか。
「クソっ、たれが……」
がごん‼︎ と男は吊り橋へ落下する。
闘技場のルールとしてはまだ負けていない。
だが、誰がどう見ても勝敗は決まっていた。
蓋を開けれみれば呆気ない幕切れ。
不正な介入者は
アナテマ=ブレイクゲートはそれを見た。
銀髪の少女が吊り橋に落下した瞬間、その姿は解けるように別の形に変わっていた。
少女に化けた男。
奴隷とすり替わった冒険者。
その男の名は、ゲロウ。
灰色の逆立った髪に、両腕の刺青。
『逃げ水』のゲロウ本人が戦っていた。
「……なるほどー。あちらは
同時。上から二本目の枝の最前列。
監視していたゲロウの姿も別の形へと変貌する。
そこにいたのは銀髪の奴隷少女。簡単な話、二人は入れ替わっていたというワケだ。
奴隷少女の周囲にいる冒険者もざわざわと騒ぎ出し、あっという間に銀髪の少女はハラムの手の者に突き出された。
最終的に、青褪めた肌の
ただ、ハラムに対して一言こう言った。
「……発案者はあたしです。兄さんは関係ありません」
ウルウは一切の容赦をしなかった。
たとえ勝敗がほとんど決まっているとしても、ルール上では相手はまだ負けていない。
だからこそ、男の首ねっこを掴んで無理やり吊り橋から落とそうとする。
男は必死にもがいた。
もはや大した力も出ない腕を振り回し、みっともなく鼻水すらも垂らして必死に泣き喚く。
「たの、む。頼むよ。勝たせてくれよ。あと一勝なんだ。あとちょっとで、アイツを──オレの妹をこのクソったれな街から逃がせるんだよ……‼︎」
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