並一通りで、埋没する。特別な。
@yamimure
1話:並一通りで、埋没する。
聴覚は五感でもっとも記憶に残るものらしいと、どこかで言っていた覚えがある。
だからわたしは目覚めるのではなく、耳で聴いて起き上がる。寝返りにも耐え、耳孔をがっしり占有したままのカナル型イヤホンから流れていたのは、パッヘルベルの「カノン」。今日は高尚に過ごしたまえ、というお告げなのだろう。夜通しのランダム再生が目覚めた何を聴かせてくれるか、それを楽しみにするのがわたしの一つの趣味なのだ。
楽しいことはいくらあっても困らない。趣味がないと退屈だ。だからこれが趣味の一つ。珍しい趣味でもなんでもなくて、並一通りだとは思うけれど。
ちょっと雑にイヤホンを外す。寝る時につけるのは安物とはいえ、断線くらいは気にしてから外す。シワだらけのパジャマを脱いで、一応下着も付け替える。
あとはいつも通りのお嬢様な制服を着てしまって、馴染んだ赤い髪留めでぼさっとした前髪を手短に整えれば、あっという間に──。
「透子さん、朝ごはんができましたよ」
「ありがとうございます、お母さん。今降りますね」
そうして、なんでもなくなった。
わたしの名前は亜麻透子。高理女学院中等部一年生、十三歳、それなり以上の優等生。エレクトロニクス系大企業『アマテック』の社長令嬢。だとして、特に何も起こらない。
身長は低い。手足も身体も肉はない。顔立ちも短い髪の毛も並一通り。だから、何も言われる筋合いはない。
色々あるけれど、私は埋没している。
誰にも寄り添えないし、寄り添うつもりがないからだ。
※
「おはようございます、お母さん、お父さん、おばあちゃん」
「おはよう、透子」
「おはようございます、透子さん」
「おはよう、透子ちゃん」
亜麻家の屋敷は四人住まいだ。父と母と祖母とわたしの、典型的な家族形態。そしてもう一つ、おそらく立派な仏壇。
「はい。……おじいちゃんも、おはようございます」
鈴を鳴らして手を合わせて、家族全員に挨拶を。
「じゃあ、めしあがれ」
「いただきます、お母さん」
親しき仲にも礼儀あり。心底丁寧に朝を始めたわたしは、心底丁寧に自分の席に腰を下ろした。大きめと言うにはきっと言葉が足りないくらい大きな食卓。我々普通の家族では囲みきれなくて、わたしは長方形のそれの左端を定位置と好む。
まずはロールパンにバターをさくり。昔はこの食卓の下でぶらぶらと脚を揺らし続けるのが、退屈な時の日課だった。今はしていないとも。家では。
あくまでバターナイフに意識を向けながら、朝食開始。見渡すまでもなく毎日思うが、いちいちスケールの大きい屋敷だ。客間、客室、親戚の住んでいた部屋、臨時の「仕事部屋」。祖父が健在の頃は知らないが、父は社長業を家庭に持ち込まない。「普通の人間」しかいない我が家族では、若干持て余し気味だ。
普通の人間だと、わたしは己の血縁を客観的に形容できる。もちろん家系や地位やそれに伴う環境は特異と言って差し支えないのだろうけれど、ここには普通の人間しかいない。
「お父さん、口にジャムがついてますよ、ほら」
「ああごめん、秋。いやあ、どうにも家だと気が抜けるな」
「あんたは子供の頃から抜けてたでしょう」
「ちょっと母さん、そう言わないでくれよ」
ほら、この通り。家族みんな仲が良くて、緩やかに支え合うくらいの信頼はある。もちろんわたしも。ここでわたしが声を出さないのは仲が悪いからではなく、それくらいで関係が壊れないと互いに信じているから。それか、そもそも声を出すのが苦手なわたしに気を配っていてくれるから。そういう大切な誰かが特別で、大事で、尊重されている。それだけのことで、家族というものはみんな繋がっている。
だから普通の人たちだ。どんな家柄のどんな家庭であろうとも、仲睦まじく寄り添いあうのだから。
寄り添い、繋がり、仲がいい。それが亜麻家繁栄の秘訣。この「思いやり」は祖父が死んだ時も役立ったし、だから家族の喪失を乗り越えられたのも当たり前。みんなで悲しんでみんなで前を向いたから、みんなで歩んで行けた、らしい。眺めているぶんにはそうだった。今みたいに。眺めているわたしも、家族の内にいるらしかった。今みたいに。
家族は死んでも家族だ。だから仏前に語りかけたのだと、並一通りの理屈がある。
かぷり。続けられる会話を無視して、焼きたてのロールパンを咀嚼する。ふわふわの繊維の間に差し込まれたバターの塩味が、味覚を通じて少しだけ眠気の残る身体に刺激を与える。そのまま食べ切って、次はスクランブルエッグ。ケチャップがかかっていて、これも塩気。朝の固い関節が、食器を動かすごとに解れていく。実に健康。ちゃんと朝食を食べているからだ。実に完璧。ちゃんと家族と食卓を囲んでいるからだ。
「ちゃんと」しているうちは、家族はわたしに問題を感じない。細かいところから大きいところまで、あらゆる点で問題を起こしたことなどない。父のことも母のことも祖母のことも亜麻家のことも、わたしはわたしなりに理解し受容している。
ただただ、こちらから働きかけないだけだ。
朝食の最後はホットコーヒーを流し込む。喉の奥まで焼いて焦がすみたいな、ブラックの苦さが気に入っている。少しずつ飲み下しながら、これで朝食は終了。朝の始まりの音楽も朝の終わりのコーヒーも些細なことだが、些細なことに喜びを感じるからこそ、生活が充実していると言えるものだ。不足はなく充実していて、目立たないまま完璧でいられている。
「ごちそうさまでした。では、学校に行ってきます」
「いつも早めに行ってて偉いねえ、近い学校なのに」
「朝の散歩が好きなんです。それも兼ねて」
もちろんこれから向かう学校だって、何の不満もありえない。
わたしの通う学校、高理女学院は家から徒歩五分の距離だ。せっかく近場に進学したのに寄り道しているという話ではあるが、別に悪いことじゃない。寄り道の内容は日によるが、それも一つの楽しみだ。
「父さんも早く出なきゃなあ」
「お父さんは仕事が大変だから、ゆっくりしてていいですよ」
そうかな、と父がわたしを見るので、そうですよ、と素っ気なく返事をする。わたしとあなたは別、当たり前。家族だからって何でもかんでも同じ要素でできているわけじゃない。むしろ違うことの方が多い。
わたしは早く出ても咎められなくて、父は足を止めるよう促される。わたしは自由で父は自由じゃない。裏返せば、現当主である父のおかげでこの家が成り立っているということでもある。それだけの責任、家族を抱える力仕事。
ならばわたしが好き勝手できるのは、楽にこなせる程度のことばかりやっているからに過ぎない。趣味はたくさん、楽しめることはたくさん。その代わりに苦労はなく、責任もない。勉強が苦ではないぶん、ずいぶんと好き勝手やっているはずだろう。自由とはすなわちくだらなさだ。
──だから、そのぶん。
「……じゃあ、今日も。行ってくるね、おじいちゃん」
だからそのぶん、従うのだ。
家族という、枠組みに。
既に三本の線香が備えられている仏壇に、もう一つ灯りを立てた。
何も変わりなく、並んでいた。
※
祖父が亡くなったのは、小学四年生の頃だった。生まれてからほとんど面識はなかった。孫と縁のない祖父なんて、よくあることだと理解していた。それでも血縁者の葬式には出席するものだ。面識などなくたって血縁はあるのだから、当たり前のことだと理解していた。だけどその上で、この出来事に特異なことがあった。
単純な話ではある。けれど、並一通りとはかけ離れた事実でもある。戦前から続く大企業の社長、亜麻家当主の死そのものが、ありふれた人のそれよりも重大である、ということだった。誰だって動揺して混乱して、泣いたって構わないような。
親族ならば、なおさらだ。
『アマテック社長死去、死因は肺がん』
母親から沈痛な面持ちで祖父の死を聞かされたあと、すぐにそんなニュースが世間を騒がせた。がんで入院していたからそもそもわたしと会わなかったのだとは、その時まで知らなかった。わたし以外の社会は、当たり前のように知っていたことらしいけれど。遠くも近くもないから、わたしは何も知らなかった。
「……父さん、俺はやるよ。絶対に」
父の部屋の前を通る時、そんな誰に語るでもない声がうっすら聞こえたのを覚えている。
わたしの前ではいつもにこやかな父親の振り絞るような言葉は、きっと初めてで、二度と聞かないものだった。亜麻家の長男というものは、そんなふうに一生背負う重荷らしかった。
「お義母さん、大丈夫ですか」
「ありがとう、秋さん。……そうねえ、ちょっと寂しいねえ」
祖母と母はそうやって、純粋に家族の欠落を悲しんでいた。悲しいことなどない方がいいかもしれないが、きっと悲しまねばならない時もあるのだと、それくらいはわたしにも理解できた。亜麻家の当主である前に、祖父は「わたしたち」の家族だったのだ。
その死を悼むのは、至極当然のことだった。そしてそれなら亜麻家の一人娘であるわたしにも、などと考えたりした。血を継ぐ孫娘として、人の死を初めて感じた小娘として、皆に悼まれる誰かのために、わたしは何を思うのだろうと。
足が床につかないくらい幼い頃、そういう揺れと期待があった。幼さゆえの不謹慎ではあるが、身内の不幸は人生において初めての出来事だったのだ。自負、矜持、どんな品のないものであっても、もちろん一度も対面したことがなくても。偉大な祖父の孫娘として、心の動きを を待っていた。自分の心が、みんなのように揺れるのを。
亜麻家の親族数十人が集まり、皆が祖父の死を嘆いて悲しんで感情を揺れ動かしている葬式の場で。啜り泣きが聞こえた。重い空気を吸った。ここにあるのはきっと一つの幕引きで、たくさんの人に影響を与えた祖父は偉大な人物だったと理解していながら。顔も知らず人柄も知らずとも、周囲の誰か一人にでも寄り添うことはできたはずだった。だってわたしは、「出来のいい」子供なのだから。
ただ。
ただ、わたしは。
それでも、ただ。
抑えきれずに、脚を揺らして。
意識が途切れるのも嫌だと、多めに瞬きをして。
その時間を、空間を受け止めて。
鐘の音。人の音。優しい間。鎮痛な間。
そこにあるもの、皆すべてを。
ただ。
ただ、つまらないと思ったのだ。
どうでもいいと。
それだけしか、感じなかった。
わたしひとりだけ、極点のように冷めていた。
※
今も同じ。毎朝毎朝欠かさず仏壇に手を合わせれど、わたしは何も想わない。父は当たり前のように祖父のすべてを継ぐのだろう。母は当たり前のようにそれを支えているのだろう。祖母は当たり前のように伴侶の安らかな眠りを祈るのだろう。ならばわたしだって同じように、「当たり前」にみんなに従えるはず。みんなが知っている利発な亜麻透子なら。
そうでもなかった。
悲しみにも繋がりにも誰にも寄り添えなかったわたしは、きっと埋没している。
──まあ、いいんだ。
だって、つまらないものはつまらないんだから。人との繋がりは、つまらない。
理屈にならない感情の発露がなくて、どうにもならない感性の歪みがある。「普通」の家族に、ずらりと並んだ親戚に、一つも共感できなくても。欠落を抱えていないという点で、わたしは誰にも寄り添わない。
「行ってらっしゃい、透子さん。……はいこれ、お弁当」
「ありがとうございます、お母さん」
仏壇の前を立つ。かかとの固い制靴を履く。ぎいぃ、と豪勢な邸宅の扉を開く。爽やかだろう九月の空気が制服の裾から入ってきて、きっと今のわたしはいい気分に違いない。こつりこつりと歩みを進めて、一歩だけくるりと反転して。
「行ってきます」
「完璧」な家族への対応をこなして、わたしは学校へ向かう。充実した朝だった。素敵な朝だった。いつも通りの朝だった。
つまらない。馴染んだようなふりをした、仲間はずれの真似事だった。
音楽は楽しい。一人になれるから。朝食は落ち着く。家族に囲まれているから。朝。家を出るまで。何も足りないものはなくて、何も埋めるものはない。わたしの影と足音だけの通学路までは、一人も他人も充実している。
普通はみんなで生きていて、たまには一人がいい人がいて、だとしてそれだけでは生きる理由にならない。生活、人生、生命活動が続くこと。生きることは簡単で、なのに人生はつまらない。日常を形成するあらゆるものは、「普通」を、いのちを超えない。そういうものは、愉しくない。
今はその狭間を歩んでいる。色々なものがある空間から、もの寂しい朝の道へ。また色々なものがある学校に着くまで、そして学校が終わったあと。そこが狭間。そこには空虚がある。すなわち自由。すなわち異常。すなわち、わたしの趣味の時間。
それが狭間にある。今とか、あととか。何にもならない時間で、早く過ぎ去った方がいい時間で、そこでだけ、そこでだけ得られる愉しみがある。
放っておいたら人生は続いて、苦しくても死ぬことはない。退屈で退屈で、退屈は人を殺してくれない。生きているだけでは死ぬより酷いから、少しだけいのちを投げ出そう。
わたしは、生きていたいと思いたいから。
そうしてすぐ、いつも通り辿り着いた。公園の隅、ゴミ捨て場、道路の脇、ゆらりぐらりと「寄り道」しながら、粛々と。県内屈指の進学校、プロテスタント教系ミッション・スクール、高理女学院中学高等学校へ。白い床の教室まで脚を動かして木造りの教室の扉を手で開けて、褪せた窓際の席にいつも通り座る。
このまま授業が始まっても終わっても、誰とも言葉を交わさない。他人は苦手だ。声を交わすのは上手くいかない。それでも誰も、気にしない。みんなから孤立した距離を求められるのが、孤高の優等生というものだ、とか。
やがてチャイムが鳴って、授業を担当する先生が入ってくる。一時間目は英語で、本場イギリスの先生だ。授業の内容はハイレベルで、毎日の学校生活はそれなりに知的好奇心をくすぐる事柄に満ちている。勉学というものにうんざりしている子もいるのだろうが、優等生からすればむしろ楽しむべきことに違いない。というわけでいつも通り、「Hallo」から授業を始めるのを聞いて。
そのままいつも通り「わたしは」返事をせず、教科書と板書だけに意識を向けていた。ノートをとって、集中して頭を動かして。たまに窓の外を見ながら授業に合ったBGMを脳内で鳴らし、ちょっとだけ脚をばたつかせる。それくらいの遊びを入れつつ、チャイムが鳴るまで気ままに学びを楽しむ。六時間目まで、だいたいそれの繰り返し。休み時間だって一人だけど、今日も「完璧」に、学校をこなした。午前から午後まで、いろいろなことを楽しんだ。
放課後が、待ち遠しかった。
※
というわけで午後四時、夕方とも呼べない、放課後の幕開けの時間帯である。遊ばず喋らずでカロリー消費を抑えたとはいえ、この年頃で朝からずっと過ごしていれば、お腹というものはぺこぺこだ。まだ晩ご飯には早いのは重ね重ね承知の上で、ぺこぺこだ。ちなみにぺこぺこという表現は子供っぽいと父に言われたことがある。やかましい。たまに喋るとこうだ。
──そのぶん腑を満たすのが、多幸感と期待感。もうすぐ、これから、一日のうち少しだけ、私の人生は色を得る。
人気の無くなってきた教室から、誰にも目をかけられずに出て行った。僅かに弾性を孕むリノリウムの上を、撫ぜて弾くようにとつとつと。軽くて通る足音に混ざるのは、疼いて響く心音の高鳴り。誰も悟らない、誰も知らない。わたしの秘密へ、ゆっくりと脚を運んでいく。
思えば入学した初日は、こんなつもりではなかったのだろう。今では当たり前のように選ぶルーティンも、あの時のわたしは想像だにしていなかったことだ。だけどあの日見つけたから、わたしは弾んで悦びを得られる。
だからありきたりな部活には入らなかった。だからできるだけ独りの時間を作るよう振る舞った。友達がいなくて家族は疑いを持たなくて、だからわたしは秘密を持てる。
唯一。
心、躍る。
愉しい、秘密だ。
三階、二階、一階と校舎を降りて、曲がって曲がって裏口じみた扉へ。実際こちらには何もないから、裏口だ。正門へ行くなら最初に見える校舎の正面口から出ればいいし、各部活動の部室が連なる別館へはさっきの角を左に曲がればいい。
中高六学年が北と南の二つだけに詰め込まれた、結構立派な建物なのが我が校の校舎だが、それでも誰も通らない無駄な道というものはあるのだ。少なくとも入学してからこの九月まで、毎日あそこでわたし以外を見たことはない。
ここから出て、この先には。静かで、寂れて、哀れで──そういう、場所には。
脚が勝手に動いている気がした。心臓も気ままに荒れている気がした。放課後にはいつも、わたしというものがわからなくなる。いつも、いつも通りじゃなくなる。
校舎を出てコンクリートを通り過ぎて、帰路とは反対方向にある細道に入る。敷地の端、申し訳程度に舗装された木々の合間の裏の道。靴が汚れていく。脚が擦り切れる。汚い。痛い。いい気分だ。沼に浸かっていくみたいだ。ずぶりずぶり、完璧な「わたし」が穢れていく。
人はいない。自然も手入れされていない。何もかもが整えられた高理女学院からしてみれば、ここはきっと隠したいようなみっともない場所なのだろう、と思う。植物のにおいも土と石のにおいも、誰も欲しがらなかったものなのだろう。もちろん、わたしも欲しくない。誰にも望まれないから、この場所はこの場所なのだ。
先へ進む。もはやお腹の減り具合など忘れてしまった。これから先、今からすぐやることは、待ち構えるだけですべてを塗り替えてしまう。毎日毎日同じ道を通ったって、一度もこの場所でやりたいことに飽きたりはしないから。
だって。
「……今日も、着いた」
目指す場所が、今日も変わらずあるからだ。
愉しい愉しい、特別な趣味の時間だ。
※
高理女学院中学高等学校の敷地の外れには、誰も手入れしていない庭園がある。庭園といっても最早そう名付けられているだけで、自然が放置されているだけのものをおよそ庭園とは呼べないだろう。まあでもそんな場所が、確かに細道の先にある。
……そしてその象徴が、開けた場所の左端にある一つの小屋なのだ。半分腐った木の柱で支えられた、屋根と腰掛けだけの簡素な小屋。出来た当初はもう少し風情があっただろう、古くて壊れてどうしようもない小屋。ここだけ時間の流れが止まっているようで、わたしが呼吸するまでは空気まで死んでいるみたいに錯覚する。
腰掛ける。だからわたしは、この場所が好きだ。ここにはわたし以外の人間はいないから。わたしだけが生きていて、何不自由ない。たとえば肩を支える柱に張った蜘蛛の巣はぼろぼろで、たとえば少し残しておいた弁当箱をひっくり返せばみすぼらしく揃えた足元には瞬く間に蟻が寄ってくる。みんな飢えている。待ち望むことしかできない。
そういうところに、わたしという餌を落とす。
そういう時間だ。
そういう場所だ。
ここは。
人間なんかよりもっとちっぽけで、脆くて、救い難くて。誰にも顧みられない虫けらが、ここでわたしを待っているから。
だからわたしは、この場所に来て──。
「お疲れ様。待ってたよ、"お姉ちゃん"」
──一番哀れな「それ」を、救い上げてあげるのだ。
「うん。ありがと、"ゆう"」
ぽつり、ふわり、首筋までずーっと伸ばした黒髪と、毎日毎日辿り着いてから揺れる瞳。笑うのには慣れているのに喜ぶのは下手なその柔らかい微笑み方。校章は三つ上。"お姉ちゃん"。このどうしようもない空間で一番どうしようもない、わたしの一番。
──ああ、愉しい。
浮いた脚が、思わず音なく揺れていた。
心、躍る。
「さ、早く座ろ? 疲れたでしょ」
"お姉ちゃん"。本名は知らない。"ゆう"。どういう意味かは知らない。聞こうとも思わない。二週間前にこの庭園で出会ってから、これがわたしの趣味。お姉ちゃんと過ごすのが、ほかの何物にも変え難い喜び。
「ゆうと早く話したかった」
「それは嬉しい。いつも聞いてるけど」
「いじわる」
「嫌って意味じゃないよ」
「なら許す」
そう、「趣味」。二週間もあれば馴染んだわけだけど、それでも楽しい、愉しいから趣味だ。簡単なことしかやらせてもらえない人生は退屈で、一人でこなす作業は単純だ。そういうわけで、わたしには趣味が必要だった。ゲームの相手、盤上のコミュニケーション、他愛もない児戯。
「聞いてよゆう、また宮川さんがさ」
「ちょっと、その前に」
横に座ったお姉ちゃんが話し始めたので、その前に開幕を告げる儀式の提示。そう、これはしめやかなる儀式である。手順の通りに事を進めて、一つ一つ破綻を探す。"お姉ちゃん"と"ゆう"の関係性を、わたし好みにしていく。どうしようもないヒトガタを。
「あっ……まだ慣れないな」
「でも、欲しいでしょ」
そう言って、横を向き、
ぎゅっ、と、背まで手を回して抱擁した。お姉ちゃんの方からも、ぎこちなく手が伸びてくる。右、左、そして左手の小指に嵌めている銀の指輪が当たる。掴むというより覆うようだ。触れて壊れるのを恐れるようだ。わたしか、お姉ちゃんか。
びくっとなる。いやあ、わたしも慣れていない。でも、いい。
「泣いていいよ」
「……うん」
そう耳元で囁くだけで、わたしにだけは破綻を見せてくれるのだから。
わたしにしか救えない。
わたしにしか赦せない。
これが、わたしの趣味。"お姉ちゃん"に、"ゆう"として接する。まともな人間関係ではなくて、ほつれた部分を埋めることをする。求めることさえできない者に、偽物の優しさを与えて。縋ることすらできない愚者に、わたしの血肉を差し出して。そうするのが愉しいと、あの時わたしは識ったのだから。初めて自分から、こうしたいと思えたのだから。
あの時。
そう、
あの時に、目を覚ました。
退屈極まりない、祖父の葬式で。
※
祖父の葬式は、長い長い時間をかけて執り行われた。それだけ偉大で惜しまれた人物だったからだ。誰もが知っていて、誰もが求める。だから葬式も盛大なのだと理解していて、されどつまらないとばかり思っていたのがあの時のわたしだった。
誰かがたくさん喋っていたのは覚えているし、見覚えのある顔が泣いていたのも覚えてはいるけれど、わたしがどうしていたかは記憶にない。何を考えていたかも、記憶にない。
ただずっと漠然と、つまらないと思っていた。それだけは覚えていた。つまらないことは、「つまらないと思ったこと」は、覚えていられた。
あの時間はわたしにとってどうでもいいもの。多くの人に手を差し伸べてもらえる人間なんて、繋がりを持つのが当たり前の人間というものなんて、本当にどうでもいいもの。人間は、くだらないもの。
だけど、忘れられない思い出があるから。
──蚊が一匹、わたしの腕の血を吸っていた。それを眺めて、殺すこともしなかった。細くて白い腕に、縋るように傷痕を付けた。わたしの血で、腹部を赤く紅く満たしていた。
それだけ。
いつでも殺せるものを殺さなくて、わたしにしか救えないものを赦した。救済の見返りは、気色の悪い痒みの感覚だった。だから、覚えていられた。
色々なことを試した。公園の隅で蜘蛛の巣にかかった蝶を逃した。ゴミ捨て場で野良猫がいたから鰆の煮付けをやった。後日その猫が道路の脇で死んでいたから、ちゃんとお墓を建ててやった。誰も彼もが、わたしの手に汚れをつける。鱗粉、斑毛、肉塊。綺麗にしておいた心と体に、そういう、「見返り」をくれる。
人間なんて、みんな顧みられている。繋がりを持って、素直に弱音を吐いて、誰かと誰かで支えあう。だけどもっと弱々しい、地を這うばかりで生きられないものたちがいる。どうしようもないみじめさを、不満とすら思えない可哀そうないきものがいる。
自分から救われたいと手を伸ばせるのは、ある程度恵まれた存在だ。下等であること、愚鈍であること、そういうものは己の欠落を認識することすらできやしない。
更に彼らは愚かだ。たとえ救われたとしても、救われたことに気づかない。救われた手に汚れを付ける。心底、救いようがない。
だから、手を差し伸べたくてたまらないのだ。救いようがないものを救おうとするなんて無駄なこと、きっと永遠に続けられるから。
※
「……ちゃんと生きてね」
「……うん」
この放課後、"お姉ちゃん"が、その一番。意味はないかもしれない。何か悪いことかもしれない。だけどどうしようもなく心躍って愉しいから、趣味と呼んで差し支えない。
いきものを救うのが、わたしの愉しみ。
自己を削いで下等に捧げるのは、言い表しようがないほどに気持ちがいい。
心、躍る。
そしてわたしが出会ったのが、"お姉ちゃん"。学校の誰も、宇宙の誰も知らないだろう、これの救い難さを見つけられたこと。わたしにしかわからない破綻が、わたしには見せてもらえたこと。だから特別。だから一番。人の形をしているのに人じゃないから、一番酷くて一番いい。
人間はつまらない。一人で立てるから。でもあなたは一人だとうずくまるばかりなのだから、きっと生きているだけで大変なのだろう。「そういうもの」だから、わたしにとっての特別だ。
この時間、この空間、愉しい趣味。
明日もきっと、同じことのために頑張れる。
「ゆう、大好き」
だから。あなたの目が本当はどこに向いているのかとか、そういうこともまだ知らない。
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