秘密結社お助けクラブ

七凪亜美

第1話 ドキドキワクワク! 

 もう九月だというのに、外はまだ暑い。

 家に貼られていたカレンダーには、カーディガンを着た女の子が描かれていたけど、こんな暑さじゃカーディガンを着るなんて考えられない!


 ふと空を見上げると、雲一つない青空だった。

 確か……快晴。こういう空を快晴って言うのだと理科の教科書に載っていた気がする。


あおい、緊張してる?」


 運転席のママが、赤信号で車を止めたときにハンドルから手を少し離して、バックミラー越しに私を見た。

 目が合うと、にこっと安心させるような笑顔。


 私は少し胸を張って答える。


「んー、別に緊張はしてないよ! むしろ、ワクワクしてる感じかな!」


 ママは「そう」と短く言って、表情をほころばせた。


 でも――本当は、少しだけ緊張もしているんだ。


 左胸に手を当てると、トクトクと心臓の鼓動が伝わってきた。だけどそれは嫌なドキドキじゃない。

 “楽しいドキドキ”。


 私、長野 葵ながの あおいはパパの仕事の都合で、一週間前からこの町にやって来た。

 そして、今日から翠緑すいりょく小学校の五年二組の仲間入り。


 車の窓を少し開けて、外の様子を見てみる。

 山の斜面にぎっしりと並ぶ木々、キラキラと光る川、道路脇に咲いた野花が次々に流れていった。


「わぁ、緑がいっぱい」


 思わず声に出しちゃうくらい、木と山、川に囲まれたこの町。 

 息を吸うと空気が美味しい!


 引っ越した家の周りには、似たような家しかなかったからつまらないな~って思ってたけど、こんなに自然豊かな町なら、色々楽しめそう!


 新しい生活。新しい出会い。

 胸の奥で、期待と少しの不安が混ざり合っている。


 ママの運転する車は、やがて坂道を抜け、小学校の白い校舎が見えてきた。

 そこが、これから私が過ごす新しい居場所――翠緑小学校だった。


****


私はドアのすぐそばで、ランドセルの肩ひもをぎゅっと握りしめている。


 この学校には一時間前に来て、職員室で手続きや先生との顔合わせをすませていた。

 廊下や階段を案内してもらったけれど、第一印象は「少し小さい学校だな」ということ。


 前にいたひいらぎ小学校では、一学年に四クラス、六年生は五クラスもあった。校舎も広くて、廊下の窓からは見慣れた町並みが広がっていた。

 でも、この翠緑小学校は全学年二クラスしかなくて、廊下も短いし、靴箱の数も半分くらいしかない。


 少し寂しい気もする。けれど、こういう学校だからこそ、新しい毎日が始まる気もする。


 担任の山田先生は、丸眼鏡をかけた優しそうな女の先生だった。


「教室に入ったら、皆さんは拍手をしてあげてくださいね」

 そう言って背中を軽く押され、私は教室のドアを開けた。


 ――ワクワク、ドキドキ、そしてちょっとの緊張。


 ドアを開けた瞬間、ぱらぱらと拍手が広がり、やがて教室全体を包んだ。

 目の前に広がるのは、二十人ほどの子どもたち。思っていたよりも少ない。


 一番前の席の女の子は、体を乗り出すようにして大きな拍手をしてくれている。目が合うと、にこっと笑ってくれた。


 ――かわいい子だな。優しそう。

 その笑顔に少しだけ緊張が和らぐ。


 けれど、窓側の一番後ろの男の子は、拍手もせずに窓の外をじっと見つめていた。腕を組んでいるわけでもなく、ただ外に心を飛ばしているようで、こちらを見ようともしない。


 ……もー!


 その態度に、思わず心の中で小さく怒ってしまった。


「それでは、自己紹介をお願いします」


 山田先生が私の肩に手を置いた。

 あ、そうだった。自己紹介。

 家で考えてきたセリフを思い出して、私は一歩前に出る。


「はじめまして! ひいらぎ小学校から転校してきた長野葵です! よろしくお願いします!」


 できるだけ明るく、後ろの席まで届くように。


 先生が拍手をすると、再びクラスに拍手が広がった。

 前の席の女の子はまた全力で手を叩いてくれている。

 だけど、やっぱり窓側の後ろの男子――彼は手を動かさない。


 ……やっぱり、もー!


 そう心の中でつぶやいたとき、ふとその男子の隣の机が目に入った。

 そこだけ、ぽっかりと空いている。


 机と机は、男子と女子で交互に並べられている。

 ということは――彼の隣に座るのは、女子。


 えぇーっ!? まさか私じゃないよね? あんなに拍手してくれなかった人の隣なんて、絶対イヤだ!

 せめて前の席で、一生懸命拍手してくれた女の子の隣がいい!


 私は背伸びをして、先生が持つ座席表をのぞき込む。けれど、小さな字までは見えない。


「ありがとう、長野さん。じゃあ、長野さんの席は……」


 先生の人差し指がすっと伸びる。


みなとくんの隣」


 ――やっぱり!


 私はランドセルを背負ったまま、ヨボヨボと足を引きずるようにして席へ向かった。

 湊、と呼ばれたその男子は、相変わらず窓の外を見つめていて、こちらには関心を示さない。


 ちょっとくらい「よろしく」って言ってもいいじゃん!

 私は鼻から小さく「フンッ」と息を漏らしながら椅子に座った。


 机や椅子の大きさは前の学校と変わらない。

 黒板には学級目標「思いやりの花を育てよう」の文字。日直表や係の名前、掃除当番の札が壁に並んでいる。

 懐かしさと新しさがいっしょになって、胸の中でごちゃごちゃになった。


 隣の男子は……もう放っておこう。


****


 と、意気込んだのはいいものの。

 今日は夏休み明けの始業式ということもあり、授業はほとんどが夏休みの思い出を皆の前で話たり、提出物を出したり、体育館で校長先生の話を聞くだけでつまらなかった。


 学んだことを言うならば、前の席で沢山拍手をしてくれた子の名前は佐々木 美空ささき みそらちゃん。夏休みは、バーベキューをしたり、海に行ったりしたらしい。

 他にも、ツインテールの遠藤さんはフランスに旅行したり、日焼けしている児島くんは習い事のサッカーで練習三昧の日々だったらしい。


 そして、隣の無愛想男子。湊 天みなと てんくんは、家族とキャンプをしたそうだ。


 あと、もう一つ学んだことがある。

 それは、この学校には自由研究がないということだ。


 日記と作文くらいで、あの面倒な自由研究をやらなくてもいいなんて!

 羨ましい反面、ちょっとだけ寂しい気もした。だって、自由研究こそ「夏」って感じだったのに。


****


 放課後。

 私はランドセルに荷物を詰めながらため息をついた。まだ友達は一人もできていない。

 でも、まだ一日目。これからだ。明日から頑張ればいい。


 そう思って席を立った瞬間、廊下から二人の影が見えた。


 ――美空ちゃんと、湊くん。


 美空ちゃんは笑顔で楽しそうに話し、湊くんも優しい表情を浮かべていた。

 無愛想だと思っていたあの男子が、美空ちゃんの前では笑っている。


 二人、仲いいんだ……。

 驚きすぎて声が出なかった。足も動かない。


 その二人が教室に入ってきて、私の姿に気づいた。


「あ、いたいた! 葵ちゃんだよね!」


 美空ちゃんが駆け寄ってきて、目を輝かせた。


「う、うん」


「実はね、これは誰にも言わないでほしいんだけど……」


 美空ちゃんは湊くんを見て、ためらいなく続けた。


「秘密結社お助けクラブに入らない?」


 ――え!?


「ひ、秘密結社!? お助けクラブ!?」


 私の声は裏返ってしまった。


「違う違う! 悪いことするんじゃないの!」


 美空ちゃんは慌てて手を振る。


「助けることしかしないんだよ! この学校には昔から“秘密結社お助けクラブ”っていう、限られた人しか入れないクラブがあってね。私たちはそのメンバーなの。葵ちゃんにもぜひ入ってほしいんだ!」


 美空ちゃんの期待に満ちた目。


 でも、私はどうしても隣にいる湊くんのことが気になってしまう。


「ごめん……まだ引っ越しの片づけが残ってて、今日は早く帰らなきゃ」


 本当の理由は別。

 ――この無愛想男子と一緒は嫌だ。


 私は両手を合わせて美空ちゃんに謝り、駆け足で廊下を渡り、階段を降りて靴箱へ向かった。


 ふと、靴箱の横にある掲示板には給食だよりや、各学年のおたより、校長先生の言葉が載った紙が貼られていた。    


 私は靴を脱ぎながら、軽く目を通す。


「あれ、これ……」  


 掲示板の後ろ側に、紙の一部分が長く見える。  

 よく見ないと、見落としてしまいそうなところに。  

 私は、掲示板を少しずらして後ろを覗いた。

 そこには、一枚の紙が大きく貼られていた。


『困ったことがあればなんでも相談してください!

 秘密結社お助けクラブ

 営業日~毎日

 営業時間~放課後から十七時半まで

 場所~第二体育館の隣、空き倉庫

 ※先生には言わないでください!』


 下には可愛らしいクマやウサギのイラストがある。


 本当にあるんだ……活動してるんだ……。


 その瞬間、廊下から美空ちゃんの声が聞こえてきた。


「やばい!」


 私は慌てて靴を履き替え、校門へ走った。

 ママの車が待っていて、助手席の窓から手を振っている。


「お疲れ! 上手くいった?」


 シートベルトを締めながら、私は笑って答えた。


「うん、上手くいったよ!」


 胸の奥にしまった“秘密”を抱えたまま――。



 

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