第十四話:逆説理論の釣り人

 夕暮れの川辺に、奇妙な沈黙が流れた。


 釣り人の男は、突然現れた二人の少女を、訝しげな目で見比べている。一人は、上等とは言えないまでも、まともな身なりの少女が、必死の形相でこちらを見つめている。そして、その後ろには、まるで森そのものを身にまとったかのような、おびただしい量の木の実や枝を抱えた、不思議な雰囲気の少女が、きょとんとした顔で立っていた。


「…嬢ちゃんたち、一体どうしたんだ? 親とはぐれたのか?」


 男は、ひとまず常識的な範囲で、低い声で尋ねてきた。

 その言葉を待っていたとばかりに、ルーナは堰を切ったように話し始めた。


「お願いです、助けてください! 私は、遥か西の都市国家バイトから、この子に…この森に、無理やり連れてこられたのです! 故郷に帰らなければならないのですが、この子も一緒に連れて行かなければならなくて…!」


 ルーナの必死の訴え。しかし、それを聞いた男の顔からは、訝しさが消え、代わりに呆れたような笑みが浮かんだ。


「はっはっは! 嬢ちゃん、そりゃ面白い冗談だ。バイトだって? ここから馬車を乗り継いだって、半年はかかる場所だぞ。そんな遠くから、こんな小さな嬢ちゃんが、一体どうやってあんたを『誘拐』できるって言うんだい?」


 男は、ルーナの話を、家出少女が考えた、出来の悪い作り話だと決めつけて、からからと笑い飛ばした。その反応に、ルーナの顔から血の気が引いていく。

 

 信じて、もらえない。


「ほ、本当です! 冗談なんかじゃ…! この子が抱えている、そのどんぐりや木の実が、その証拠なんです! この子は、『固有魔法』の使い手で…!」


「固有魔法だぁ? そんなもん、伝説の中だけの話だぜ。学者の先生方が、それっぽい理屈をこねくり回してるだけさ」


 男が、取り付く島もなくそう言い放った、その時だった。

 いつの間にか、ルーナの真後ろに、フィナがすっと立っていた。

 そして、男の言葉を聞いていたのか、不思議そうに首を傾げた。


「固有魔法…? あたしが、ルーナに見せたやつ?」


「ん? ああ、もう一人の嬢ちゃんかい。あんた、本当にそんな大層な魔法が使えるのかい?」

 男は、からかうような口調で、フィナに尋ねた。

 フィナは、少し考えると、ふふんと自信ありげに微笑んだ。そして、ゆっくりと目を閉じ、意識を集中させる。


 風が、吹いた気がした。


 次の瞬間、フィナが空っぽだったはずの片手に、どこからともなく、大量のどんぐりが、ぱらぱらと音を立てて出現した。


「なっ…!?」


 目の前で起きた、あまりにも常識外れな現象に、釣り人の男は、あんぐりと口を開けて固まった。その顔から、余裕の笑みは完全に消え失せ、驚愕と、ほんの少しの恐怖が浮かんでいた。


 男は、ごくりと喉を鳴らすと、今度は真剣な眼差しで、ルーナの話に耳を傾け始めた。

「…分かった。分かったから、落ち着いてくれ。どうやら、あんたたちの話は、本当らしいな」


 ようやく信じてもらえたことに、ルーナは心の底から安堵した。

「よ、良かった…。お願いです。私たちを、ガイズの街まで連れて行ってもらえませんか?」


「ガイズまでかい?ああ、いいとも」

 男は、先ほどの驚きから一転、どこか興奮した様子で快諾した。


「こんな珍しい魔法を見ちまったんだ。礼の一つでもしなきゃ、女神様に怒られちまう。俺は、毎日この河原まで、ガイズから釣りに来て、生計を立ててるんだ。ここからなら、歩いて二時間もかからねえよ」


 その言葉に、ルーナは再び希望を見出す。文明は、すぐそこにあったのだ。


 男は、得意げに自分の釣り竿を指差した。

「これも、ガイズの学者さんから教えてもらった、ちょっとしたコツがあってな。『現象魔法概論』っていう難しい話なんだが、これが面白いんだ」

 男は、まるで秘伝の技を披露するかのように、声を潜めて自慢を始めた。


「普通、魚を釣る時は、『魚が釣れる』って強く思うだろ? だがな、俺は逆さ。徹底的に、『今日は、一匹も釣れないぞ』と、強く、強く、心の底から確信するんだ」


「…はあ?」


「すると、どうなると思う? 世界は、『魚が釣れない』という事象を成立させようとする。けど、俺みたいな一般市民がそう簡単に幸運は掴めないだろ? んで、大体は『不幸』が起こるわけだ。でも、この『不幸』は『魚が釣れない』に対する不幸だから、逆に魚が釣れてしまうのさ! これがガイズの学者先生方が見つけ出した、『逆説理論』による漁法よ!」


 その、あまりにも非論理的で、ふざけているとしか思えない理論。だが、男は本気で、それが最先端の魔法理論だと信じ込んでいるらしかった。


 ルーナは、顔がひくひくと引き攣るのを感じた。

 これこそが、自分が忌み嫌う、魔法哲学の戯言なのだ。


 しかし、隣で話を聞いていたフィナは、目をきらきらと輝かせていた。


「すごい!賢いね!世界を、だますんだ!」


 その純粋な感嘆の声に、ルーナは深い、深いため息をつくしかなかった。



 釣り人の男は、手際よく釣り竿をしまい、魚で満たされた籠を担ぐと、先頭に立って歩き始めた。ルーナとフィナは、その少し後ろを、黙ってついていく。小川の流れと、河原の石を踏む、三人の足音だけが、夜の静寂に響いていた。


 その静寂は、すぐに男の陽気な声によって破られた。

「いやー、しかし、嬢ちゃんたちは面白いな! 特に、そっちのちっこい嬢ちゃんの『固有魔法』! ガイズの学者先生に話したら、きっと腰を抜かすぜ!」

 男は、すっかり上機嫌だった。

 そして、一度回り始めた口は、もう止まらなかった。


「俺の『逆説理論』も、ある意味じゃあ固有魔法みてえなもんだけどな! これは、釣りにだけ効くんじゃねえんだ。例えば、惚れた女がいるんだがな、『俺のことなんか好きになるわけがねえ』って、毎日毎日、心の底から確信してたらよ。最近、なぜかやけに優しくしてくれるんだ! 賭け事もそうだ。『次は絶対に負ける、有り金全部なくなる』って本気で信じ込むと、なぜか勝てるんだよなあ!」


 男が自慢げに語る、あまりにも都合のいい成功譚。

 ルーナは、その全てがただの思い込みか偶然の産物であると、魔法工学の徒として断言できた。しかし、それを指摘する気力もない。

 

 ただ、引きつった笑顔を顔に貼り付け、「へえ、すごいですね」と、感情のこもらない相槌を打つことしかできなかった。


 だが、フィナは違った。

「ねえ、おじさん! その『ぎゃくせつりろん』ってやつ、どうやるの!? あたしにも教えて!」

 フィナは、その奇妙な理論に、心の底から興味を惹かれているようだった。


「おお、いいとも!」

 男は、初めての弟子ができたかのように、嬉しそうに説明を始めた。


「いいかい、嬢ちゃん。一番大事なのはな、『願ったことは、だいたい外れるもんだ』っていう、長年の経験と、確信なのさ。心の底から『こうなってほしくない』と願うことで、世界は逆に、その望んだ事象を連れてくるんだとよ」


「願ったことは、外れる…?」

 フィナは、本気で理解できない、といった顔で首を傾げた。


「でも、あたしが欲しいって思ったものは、だいたい手に入るよ?」

 その、彼女にとってはただの事実でしかない言葉が、あまりにも無邪気な自慢のように聞こえ、ルーナは頭を抱えたくなった。


 フィナと釣り人が、楽しそうに「逆説理論」の講義に花を咲かせている。その光景を、ルーナは少し離れた場所から、冷めた目で見つめていた。そして、自分の心の中に、奇妙な感情が芽生えていることに気づく。


(…何よ、あのおじさん。フィナは、私の話し相手なのに…)


 誘拐犯であり、無垢なる怪物であるはずの少女。その話し相手を、下品な釣り人に奪われたという、ただそれだけのことに、ルーナは燃えるような憎しみすら抱いていた。


「うーん…」

 フィナは、何度か「逆説理論」を試しているようだった。目を瞑り、「綺麗な石ころ、見つからないで!」と念じてみる。しかし、何も起こらない。


 彼女は、この理論を「世界を騙す」ことだと解釈しているらしかった。そして、彼女の純粋すぎる心は、その「騙す」という行為そのものを、本質的に良しとしていないのだ。だから、心の底からの「確信」が、生まれない。


 あたりがすっかり暗くなった頃、男は革の鞄から、一つのランタンを取り出した。カチリ、と小さな音を立てると、ランタンはぼうっと、温かいオレンジ色の光を灯した。


 その光を見た瞬間、ルーナの目が輝いた。

 久しぶりに見る、文明の光。魔法工学の産物だ。


「そのランタン! 『物質付与』が施されているのですね!? どのような理論で光を恒常化させているのですか? 燃料は何を? 魔力変換効率は!?」

 ルーナは、先ほどまでの不機嫌も忘れ、矢継ぎ早に男に質問を浴びせた。


 しかし、男は、きょとんとした顔で、手に持ったランタンとルーナの顔を、交互に見比べるだけだった。


「…らんたん? ああ、これか。ただのランタンだが…」

 男は、ランタンの下部にある蓋を開けて、中を見せた。

 そこには、黒光りする石ころが一つ、入っているだけだった。


「ぶっしつふよ、ってのは知らねえが、燃料はこれだ。魔石。燃える石だよ」


 魔石。それは、ただの石炭の俗称だった。

 つまり、このランタンは、ただの石炭ランプなのだ。

 魔法の「ま」の字も関係ない、原始的な道具。


(ガイズは…ここまで、技術が遅れているの…?)

 ルーナは、あまりの衝撃に、深いため息をついた。

 故郷への道は、想像以上に遠いのかもしれない。


 その、落ち込んだルーナの頭を、不意に、小さな手が優しく撫でた。

 見上げると、フィナが、心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。


 彼女は、ルーナがなぜ落ち込んでいるのか、その理由は全く分かっていないだろう。ただ、「ルーナががっかりしている」という事実だけを、その純粋な心で感じ取ったのだ。

 その、不器用で、温かい感触に、ルーナは何も言えなくなってしまった。

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