◆送った側にいるへの応援コメント
まさかの熊……。
最近熊関連のニュースが多く、怖いですよね。
藤太郎さんの強さと哀しさが読んでいる側にもひしひしと伝わってきました。
そして、雪子の遺体をほぼ無感情に眺める真夏とのギャップ。
すべてを経験に、そしてそれを芸術に昇華していく。
どんな悲劇もどこか冷静に眺めている自分。
芸術家に求められる資質とはそういうものなのかも……。
大和田さん、ありがとうございました。
作者からの返信
未来屋 環さま
コメントをありがとうございます。
怒りと復讐を基盤にした熊小説と、一線を引きたかったのは意識していました。
芸術家に限らず、表現に携わる者は自分と他者との違いを認識するところから始まると考えています。
真夏の観察者としての冷徹さが共感されるか心配でした。御指摘の通り、当事者とのギャップを浮き彫りにするには必要でした。殻に閉じこもっている前半と、熊事件を第三者的に見ている後半で、表現者としての成長が書けていれば本望です。
◆送った側にいるへの応援コメント
助けられたはずの死と助けられる訳のない死、二つの経験が主人公の芸術をより高めたのでしょう。
最愛とも呼べる祖父の死は、主人公の心にやるせなさを残し、そのために絵画からは感情が消えてしまった。自分が気付いていれば、いまもこの世に生きていて、自分のことを応援してくれた。その事実が若い心に重くのしかかり、絵筆から生き生きとした線を取り上げて、無味乾燥な線を与えてしまったのでしょう。
そして、熊に襲われて亡くなった雪子さんの死に関して主人公はほとんど無感動な態度を取っているように思えました。それは彼女が雪子さんという人をあまり知らず、死体が空想された死体の様にそこにあったからだと思います。情が入っていない人の死、それは単なる出来事となり、大した影響を人に与えません。
ですが、それが熊と食い荒らされた死体という非日常的な存在によってもたらされたものとなると、そこには人の死を悼む気持ちよりもその死を経験としてどう残すか、という利己的な精神が働くと思います。
その利己的な精神は主人公の中に眠る祖父の死への後悔を瞬く間に上書きしていき、強烈な死の印象として、芸術の源泉として機能していった。
また、叔父の存在も非常に大きかったと思います。大切な人を喪った者としての共感は主人公の寂しい心を慰め、そこには人間的な温もりを感じることができました。
二つの死、その昇華、それを克明に描いた作品でした。
素敵な物語をありがとうございました。
作者からの返信
鍋谷葵さま
素敵な感想をありがとうございます。
三者三様の送り方から、当事者と他の人との、思い入れの在り方が表現できたかなと。
僕が一番気を遣ったのは、藤太郎が雪子を家に連れて帰るシーンです。
編集済
◆送った側にいるへの応援コメント
祖父を見送った真夏さん(くん?)
奥さんを見送った大樹さん
雪子さんを見送った藤太郎さん
そして熊を見送った3人
それぞれに死者を悼むだけではなく、これから生きていく人間としてしっかりこちら側にいます。それは単純な「強さ」とはちょっと違うもののように思えます。このタイトルはそんな意味を含んでいるのでしょうか。
ちなみに真夏って男の子なのかな。
前に読んだ「羆嵐」という小説を思い出しました。
作者からの返信
@nakamayu7さま
こんにちは。
僕は人間ドラマが好きです。起こったことに、どんな対応するかに美学を感じています。三者三様の送り方、そして、愛し方がテーマになっています。
勿論、タイトルはテーマを含めて付けました。
因みに真夏は女性として書きました。当初、名前を紹介した箇所に『姪』と書いたのですが、何度か推敲していたら消してしまったみたいです。(ノ゚0゚)ノ~
レギュレーションの問題で変更できません。
編集済
◆送った側にいるへの応援コメント
ひと夏のうちにお祖父さんや雪子さんの死、熊と命懸けの対峙など、強烈な心揺さぶられるであろう体験をした主人公。激しい動揺や気持ちの描写は少なく淡々と経験しているようにも感じられましたが、描く絵に変化が表れるほどに、内面が変化したのですね。経験を糧にして成長する様子を垣間見ることができました。素敵な作品です。
作者からの返信
海乃マリーさま
コメントをありがとうございます。
叔父さんや藤太郎さんの大事な人の送り方に触れて、視野が広がったと考えています。当事者だと視野が狭まりますが、強烈な事件の経験は、これからの生き方にも確実に影響を与えています。
熊と対峙する淡々さは、絵描きとしての性として、性格付けをしました。
絵を描く以外がポンコツなのも性格です(笑)