青春は転校と共に
梢 葉月
第1話
締め切ったカーテンから漏れる光で、俺は目を覚ました。
眉間にしわを寄せながらスマホで時刻を確認すると、午前9時。
「……」
むくりと起き上がって目に入ったのは、ゴミが散らばった部屋の姿。
「はぁ……」
かれこれ、もうひきこもって3か月になる。
父親の仕事の都合で、高校の進学と共に地方の県立高校に転校した俺は、入学早々周りとの環境に馴染めず学校に行くのを止めた。
かつて不登校になった人たちのニュースや特集を見て「根性が足りん」とか「なんでこうなるのかわからん」とか小馬鹿にしたことを言っていたが、今では痛いほどわかる。
周囲では既にグループが構成され、疎外感と異物感に押しつぶされそうになりながら登校を続けるのは、苦痛でしかなかった。
幸いなことに、父も母も俺の事情を理解してくれて、しばらく学校を休むことにしたのだが、ずるずるとその期間が夏休みまで続いてしまっている。
「……ご飯」
部屋を出てリビングに向かうと、ベランダで干し物をしている母の後ろ姿が見えた。
なんだか自分の姿が見られるのが情けなくて、キッチンに置いてあった朝食をもらって、そそくさと部屋に戻る。
「いただきます」
ご飯を食べながら、スマホでもう日課となってしまったネットサーフィンをしていると、ちょうどメッセージアプリから通知が届いた。
空シンサイ:今日の夜って遊べますか?
相手は、
もちろん予定なんて存在しないので、快諾の返事を送る。
ドリームウォーカー:もちろんです。何時くらいですか?
このハンドルネームは、現実での自分の名前が
前は気にしていなかったが、今では夢もなくただだらだらと引きこもっている自分への皮肉になっていて嫌いだ。
空シンサイ:8時くらいでいいですか?
ドリームウォーカー:わかりました
「勉強、するか」
スマホをベッドに投げ込んで机に教科書を広げた。両親から学校に行かないことは認められているが、勉強はしろと言われているし自分でも思っているので少しずつでも勉強は進めている。
=======
ピピピッ、ピピピッ。
「ん、終わりか……」
タイマーが瀬呈した勉強時間の終わりを知らせたことに気づいて顔を上げた。
今日は結構進んだかな、平安時代は藤原氏が多すぎて困る……。
時刻は午後4時を回ったくらいで、学校ならもう放課後に入るくらいだろうか。
「今日の晩御飯は何かな」
昼食は母がパートの仕事に言っている間に食べたが、夕食は嫌でも顔を合わせないといけない。
父は仕事が忙しくて、最近は月1で帰ってくるかどうかというところなのがせめてもの救いだ。
ゴロゴロとして時間を潰してリビングに行く。
「あ、歩夢。これ、運んでおいてくれない?」
「うん」
母は俺が不登校になってからも何でもないように接してくれている。その優しさへの罪悪感から食卓を共にしても口数が減ってしまうが、できるだけ会話のキャッチボールは続けることを心掛けている。
「いただきます」
「はい。召し上がれ。今日ね、パートの先輩が言ってたんだけど」
「うん」
「植物は話しかけるとよく育つんですって」
「へえ、初耳だ」
「夏だし、何か家庭菜園とかやってみてもいいかも」
「いいじゃん」
今日の料理は肉じゃがだった。味は、あんまりしなかった。
部屋に戻って、中学生の頃に買ってもらったちょっとお高いゲーミングPCを起動する。
いつもやっている対戦ゲームのログイン画面に入り、チャットアプリを開いて、空シンサイさんにもうできることを伝えた。
空シンサイ:ちょっと遅れそうだから先始めててください。あと、ボイスチャット行けます
ドリームウォーカー:あ、了解です
肩慣らしがてら一人で試合に参加していると、途中でパーティー参加の通知が画面の端に映り、続いてボイスチャットが繋がった音、そして――
『やっほー、元気だった?』
快活な、言葉を選ばずに言うならギャルっぽい声がスピーカーを通して俺の耳に響いた。
彼女(多分)が空シンサイさんだ。
「元気元気。今日も元気に引きこもり中だった。そっちは?」
『あはは、まあぼちぼちかな。大学の課題も終わったし』
「ゲームしすぎて単位落とさないでくださいよ?」
年上の人にここまで砕けた態度をとることができるのも、多分この人の人柄によるところだと思う。
『じゃあアタシも入るわ。…は!?初動でキルされたんですけど、マジムカつく!』
「どんまいどんまい!すぐ取り返しましょう!」
『むっかつくー!喰らえ、怒りのロケットランチャー!』
この人、言動は多少荒いが決して人を貶めるようなことは言わないし、まだ学校に行かなくなってからすぐの頃には俺の事を励ましてくれた。
銃撃戦が続くゲーム画面を眺めながら、俺はシンサイさんと他愛もない会話を交わす。
『今日は何勉強したん?』
「日本史の平安時代。藤原氏多すぎて頭こんがらがった」
『わかるわー。藤原冬嗣、藤原道長、藤原マーチだよね!』
「藤原マーチ……っははは!」
互換がよくて思わず吹き出す。そうだな、平安時代はまさに藤原マーチだ。
『お?なんか勝てそうじゃない?』
「そうだな、粘った甲斐あって味方が押し返してる」
『――よーし!勝った!幸先いい一勝目!』
そうして、シンサイさんと午後10時くらいまで遊んで、午後11時には寝る。
それが高校生になってからの、俺の生活だった。
======
そんな生活が続き、夏休みに入ってからは数日が経ったある日に、母からお願いをされた。
「ねえ歩夢、ちょっとお使い頼まれてくれない?」
「おつかい?いいけど。土地勘ほとんどないよ俺」
「すぐそこのスーパーで買い物をしてきてほしいの。今日のお夕飯の材料ね。お母さんはお昼作ってるから、お願いね」
そんなわけで、俺は久しぶりの外出をした。
地球温暖化のせいで早起きしたセミたちの大合唱と、茹だるような湿気、そして肌を指す陽光に耐えながら、目的地のスーパーで一通りの買い物を済ませ、帰ろうとした、その時だった。
「あちーな。で、何買うんだっけ?」
「ここではスポドリの粉かな」
見覚えのある服装の二人組が、こちらに向かってくる
たしか、俺がいる高校の、多分テニス部か何かの部員だと思う。入学して間もなく、昼休みに熱烈な勧誘をしに来ていたから覚えていた。
そしてその顔にも見覚えがある。同じクラスの生徒だ。
反射的に視線を靴に落とし、息を殺した。
「おめー県総体がんばれよー?1年の期待の星なんだから」
「やめろよ。たまたま先輩たちに勝てただけだ」
すれ違いざまに、俺は振り向く。相手は俺を気にした風もなく歩いていく。
きっと彼らは、これから買い物をして、部活に言って、大会に出て、それで健闘して、おそらく忘れられない思い出を胸に秘めてこの夏休みを過ごすのだろう。
なら、俺はどうなのか。
家に引きこもり、親に心配をかける生活。
これが、青春と言えるのか?
じりじりと照り付ける太陽の下で、彼らの声が遠のく。俺の足は固まった。
「……クソ」
情けない、恥ずかしい、妬ましい。
不意に現実を見せられた引きこもりは、パンパンに詰まったレジ袋を持って、ナメクジのように来た道を戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます