第二章 アスリートとなった令嬢
株式会社アルカディア緊急会議
株式会社アルカディア代表取締役CEO――
圧倒的なビジョンと、人を惹きつける人間力。
そのカリスマ性によってアルカディアを牽引し、わずかなスタートアップを世界的企業へと押し上げた立役者である。
だが彼のこれまでの人生は必ずしも幸せだったとは言えない。
「パパ、私、昨日学校でね、先生にほめられたんだよ! パパについて書いた作文が上手く書けてるって」
賑やかな娘の声。隣には穏やかに微笑む若き頃の妻。
アイウェア越しに浮かび上がるのは、あの頃の家族の風景だった。
「私ね、大きくなったらパパみたいにみんなが喜ぶものを作りたいって書いたんだよ。私はみんなをたくさん喜ばせて、悲しみを世界からなくしたいんだよ」
正道が思い出すのは――かつて家族で出かけた見晴らしの良い高原。
雲ひとつない空の下、娘たちが小さな体で駆け回っている。
心地よい一陣の風が、見渡す限りの草原を波のように揺らしていく。その光景を妻と並んで立ちながら、高原のはるか向こうに夕日が沈みそうになるまで眺めていた。
正道は目を細め、もう二度と戻らない過去に浸る。
彼はずっと考えてきた。
――ARで、人々が本当に現実に重ねたいものは何か?
彼の導き出した答えこそが、『
肉体が滅びたとしても、その存在をいつまでも現実に重ねていられるとしたら、それはなんと素晴らしいことか。
彼のその思想から、仮想のARキャラクターとしての『
――そのとき。
「大神社長」
ノックと共に聞こえた声が、正道を現実へと引き戻す。
正道が小さく息を吐くと、鮮やかな高原の景色はかき消えた。そこは、いつもの社長室だった。
「……伊豆谷君か。入りなさい」
静かに告げると、姿を現したのはアルカディア開発主任――伊豆谷 凪。
端正な顔立ちに穏やかな表情、しかしその瞳の奥には底知れない光を宿している。それは昔の彼にはなかったものだ。
「eスポーツの決勝戦に、『マガツヒ』が現れたそうだね」
正道の重い声が室内に響く。
「はい。しかし、決勝に残った両チームが力を合わせ、撃退に成功しました」
凪はそれが大きな成果であるかのように答えた。
「まあ……それをイベントの演出のように見せかけられたことは確かに素晴らしい機転だった。だが、被害者も出てしまったのだろう?」
「……残念ながら。もっとも今のところは仮想化の恩恵で表立った騒ぎにはなっていないようです」
「しかし、隠し通せるのも長くはない。いずれ必ず露見するだろう。ならば、先手を打って公表するしかあるまい」
それは正道の苦渋の決断だった。
「――緊急会議の時間だな。この件は、私から話そう」
二人はアイウェアを通して会議に接続した。視界が一変すると、円卓を囲むようにスーツ姿の面々が並んで現れる。
副社長、事業部長、取締役の面々――国内外の離れた場所にいるはずの重役たちが、まるでそこに同席しているかのように視界に投影された。
「今日の議題は新しい衛星、十機の打ち上げ成功についてですかな?」
取締役の一人が切り出す。
「我が社のプレゼンスを大きく示せたのは確かだが、衛星のコストは馬鹿にならない。本当にこれほどまでに増やす必要があるのか?」
重役の疑問に凪が静かに応えた。
「ARクラウドにとって、正確な位置情報の取得は心臓部とも言えるコア機能です。カメラ映像から位置を算出するVPS(Vision Positioning System)では精度の限界があります。独自衛星網による高精度な位置同期こそ、サービス差異化の決定打になるでしょう」
「しかしだな――」
議論が荒れそうになったそのとき、正道が手を挙げて口を挟んだ。
「今回の本題は衛星の話ではない。『マガツヒ』の件だ」
その発言で一気に場の空気が変わった。重役たちの表情が引き締まる。
「現実世界に被害を与えるアニマなど、想像を絶する脅威だ。アルカディアの信頼が一気に損なわれかねない」
それに対し、凪は目を光らせて反論した。
「お言葉ですが、逆に、こうも考えられないでしょうか? もし現実に干渉できる仮想の存在がいて、それがアルカディアでのみ視認できるとしたら――それは我々のARクラウドが絶対的優位に立てることになりませんか?」
重役たちの間に短い沈黙が落ちる。そんな中、正道は断固たる口調で宣言した。
「私は決めた。この事実を、公開する」
「公開すればパニックを招きませんか?」
一人が声を上げる。
「いずれにしても時間の問題だ」
正道は言い切った。
「既に被害は出てしまっている。隠し続けていても混乱は避けられない。ならば情報を統制しつつ、正しい対応を示す――それが企業としての責任でもある」
正道の揺るぎない信念の前に、重役たちは誰一人として異を唱えることができなかった。
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