幕末女子奮闘恋愛物語「直のブレッドと生糸の道」フワフワバンに魅せられた女子と桐生の生糸を世界に出すまで

@Tokotoka

第1話 初めて横浜へ行く

お直は横浜への道を、急いだ。

兄様の忘れ物を届けるために。



「直!お直〜」

庭先で母の声がした。

また叱られるか?と思いつつ、

「はーい、ただいま」と返事をしながら、母の声がする方へと小走りに駆けて行った。


「母上。いかがなされました?」

「また、庭で悪さをしていたのですか?」


お直は今数えで18歳。

結婚が早かった江戸時代では、もう適齢期に入っている。

時代は幕末。

ペリー来航から5年で、日米通商条約が結ばれ、イギリス、フランス、ロシアとも貿易が始まり、翌年には、横浜・神奈川が開港された少し後。


お直の父は三田(さんだ)藩の御用人。

三田藩は小藩ながら丹波や京都にも近く地の利もあり、江戸にも用人が多く住んでいた。

今の兵庫県の三田市周辺を領地として、山に囲まれた盆地で、農作物の出来も良く、藩主は歴代学問を重視し、昔から藩校もある。


江戸ではお城からは少し遠い芝に、上屋敷も、下屋敷もあった。

父は参勤交代で三田に戻る時期もあったが、家族は直が物心が付いて以来、ずっと江戸にいる。


開港には神戸・兵庫も含まれていて、六甲山を越えたら三田藩。

藩は先を見越して、従来の学問だけでなく蘭学、それより急務な洋学を有望な若者に学ばせて、貿易での藩の発展を考えていた。


「いたずらではありませぬ。古くなった襟をきれいにしようかと…」

「またそんなことを。お栄も一緒では?あの子も見当たりませぬ」


お栄とは仲良しの同い年で、商家から武家奉公に来ている娘。

7つからは、何でも一緒にやって来た仲で、叱られる時も一緒。

丸い顔で小さくて可愛い。


直は昔から庭で色々なことに熱中した。

虫は友達だし、お花の世話も好き。

1番好きなのは「変化」。

蝉が脱皮して違う形になって、飛んでいったり、小鳥の羽の色が変わっていったり。


お気に入りだったのが、色水作り。

庭や近所に咲いた花を、何種類も乳鉢と乳棒ですり潰して、それぞれ色を作る。

作った色を色々な割合で混ぜて、少し水を加えると、色とりどりの水が出来る。

好きな色が出来たら、ずっと見ていたいと思った。


難点は色水は時間が経つと、色が変わったり、腐ってしまい残せない。

ある日思い立って、白い歯切れを水に浸してみた。

真っ白な布が一瞬で違う色になる。

が、水で洗うとほぼ色は消えてしまう。


「何故だろう?」と思ったら、理由がどうしても知りたくなる。

そんな性分。

通った寺子屋、手習いでもいつも師匠を困らせた。「何故?」と聞いて。


母は女らしくさせようと、女の先生がいる寺子屋に、通わされた時期もあった。

が、この師匠は皆のいない時に内緒で、「本当のこと」を教えてくれたりした。

「身体は違って見えても、男と同じように、女にも考える力はちゃんとあること」なんかを。

寺子屋にはお栄も一緒に通った。


理由が知りたいなら、何か方法があるなら、詳しい人に聞くしか無い。

直はお栄より背が高いから、背格好の似た他の奉公人と、着物一式を交換して貰った。

町娘の着物と、自分は気に入らない薄い桃色の絹の着物や帯を交換した。

母にはもちろん内緒で。

そのお姉さんは間もなく祝言。「婚礼衣装に出来ます。ありがとうございます」と何度も頭を下げた。


町娘の格好でお栄と一緒に、まずは呉服屋や、古物屋へ行って尋ねてみた。

古物屋とは今の中古品を扱う、リサイクルショップのような店。

古物を購入するのは、町人に多いから、主に木綿の着物を扱う。

呉服屋も古物屋も染め方の違いは知っていても、どう染めているかは知らなかった。

何度か通い少し小物や古着を買うと、顔見知りになり、染め物をやっている、職人さんたちを、何軒か教えてくれた。


職人さんたちは気が荒く、言葉遣いは悪い。

怖そうだったけど、追い払われてもめげずに毎日のように通った。


黙って見ていた。

ある日職人さんの1人、今は木綿を扱うことが多いけど、絹の染めの修行の経験もある人が、声をかけてくれた、

「毎日見てて、飽きないのかよう?」から会話が始まった。


休憩時間に、職人さんは水を飲みながら、「色留めをしないと、染めた色はすぐに落ちるぜ」と言った。

コレは経験済みだった。

「知っております。色が落ちないようにするには、どうしたら良いのでしょうか。それが知りたいのです」


職人さんは、染める色や素材によって、色を留める物は違うことを、教えてくれた。

「本当なら商売の秘密だから、人にやすやすとは、教えられるもんじゃねえ」けどと言いながら。


お直が商売を考えている訳ではなく、謎が知りたいだけと知って、少し教えてくれた。

黄色にはミョウバン、藍染めには塩とか。

その前に大事なことも教えてくれた。


「色を作る時にはまず煮出す。物に寄って違うけど、何時間か煮出してより色を出してるかい?」と。

煮出すなんて、全く知らないことだった。目から鱗。


それからは、お栄と2人で庭で薬を煎じるように、花や葉っぱを煮出して、染めてを繰り返した。

黄色系は、成功率が高い。

職人さんが少しだけ、商売道具のミョウバンを分けてくれたから。

「黄色なら、コレを使いな」と。

お礼にたくさん大福を作って、持って行った。


今日も汚れが目立つ、白い襟を黄色に染める作戦中だった。

が、家の鍋では大量の染料が作れない。小物を染めるぐらいしかなく。

1番好きな色の花、ツユクサのあの青色は、染めて残せないことを知り、染め物に少し気持ちが薄れてきてはいた。


染める時は古物屋で買った、1番粗末な着物に、襷掛けで裾はたくし上げ。

町娘でも、表には出られ無いような出立ちだった。


「また、そんな格好をして。嫁の貰い手がなくなりますよ。そのまま年増になるつもりですか?が

母は最近、嫁をすぐに口にする。

「年頃ゆえに」とか、

「嫁入り先で、恥ずかしい思いをする」だの。


話を逸らすために、

「お兄様はどちらへ」と聞いてみた。

兄の新之助は、6歳上の23歳。

「新之助は、たった今出かけたはずですよ」

私に声もかけずに出かけたとは、急ぎの用か?


「ともかく家に入って着替えて、お花を生けてちょうだい」

直はお花は好きだが、生花のように自然では無い形にするのは、苦手だった。


家に入って玄関を通ると、上がりがまちに、風呂敷き包みがポツンと残されていた。

兄の忘れ物だと、瞬時にわかった。

風呂敷きは兄の物。


そっと開けてみると洋学の本。

兄が作った自作の単語帳だった。

「これが無いと、兄様は困る」と思った。

行き先は聞かずともわかる。

直は急いで、着替えを済ませた。


お直には幼馴染がいる。

兄の新之助の弟分でもある。

彦次郎と言う。

同じ藩の役人の父を持ち、仲良く育った。


が、途中兄と同じく三田の藩校に入って、離れた時期もある。

今は江戸で幕府の学校、各藩から優れた者だけが入れる、昌平黌に通いながら、洋学を学んでいた。


彼が少年時代に着ていた、今は小さくなった着物を直は持っていた。

男性のなりをして出歩くために、彦次郎から貰った物だ。


男子の着物はどれもよく似ているから、もう着ない小さい物が1つ無くなっても、彼の母親は気付かなかった。


幕末ともなれば、月代を剃って髷を結わない、浪人風の若者があちこちにいた。

笠まで被れば、ほぼ女と見破られたことは無い。

話すのは危険だけれど、わざと低くすれば短い会話なら、見破られない。

背も高く声も低めだから。


浪人風に髪を一つに縛り、男性用の着物に袴姿で、母に見つからないように、そっと家をでた。

お栄にだけは「兄様に届け物。片付けをお願いね」と、こっそり頼み。


芝の下屋敷は、東海道に近い。

兄が行ったであろう先の、横浜まで30キロ足らず。

7里半ぐらい。

歩くと今の時間で、6時間半ほど。

今は、5月半ばで日は長い。

まだ辰の刻。

兄は出かけたばかりだから、早く歩けば途中で捕まえられるかもしれない。

6時間なら、途中で休憩もする。

どこかできっと追いつけると、大股で男らしく、袴を翻しながら颯爽と歩いた。


芝から東海道に出た。

皐月の半ばだから、気候も良く、道の傍らの木のほうからは、鳥の鳴き声も聞こえてくる。

早く歩かねば、兄様には追いつけない。

「兄様を助けたい」その一心で歩いた。

水は用意はした。

どこかで、饅頭か何かを買わねばと。


兄はこのところ横浜に通っている。

藩の上層部はペリー来航以来、オランダでは無く、これからはアメリカとの貿易が、有望だと考えた。

オランダ語が出来る人は、それなりにいる。


藩はこれからの若い者には、イングリッシュ、英語を学ばせようと、優れた者を選んで江戸へ送り、洋学の勉強を支援した。

幕府が洋学の学校、蕃書調所を作ったのが、ペリー来航の3年後。

その前に、英語が出来る人から英語を私的に学ばせて、後には蕃書調所にも入った。

藩の1期生が、兄たち。


日米通商条約と開港が、1858年。

ペリー来航は53年。開港が5年後。

最初に建築が始まったのが、イギリスの商社ジャーディン・マセソン商会。

商館に隣接した日本人町は、開港の1か月後には、70を超える商人や店舗で賑った。

地元だけでなく、江戸や神奈川の商人たちも、今はこれぞと考えたか、商店が増えた。


英語が話せる人、わかる人の需要は高く、兄の新之助らは英語が出来る者として、幕府経由や、他からも声がかかった。


国として幕府と、アメリカやイギリスの代表との話し合いには、交渉力も人間力もある、要人があたり。

通訳するのも、よくわかる人たちが、慎重に応対した。


が、その他に実際に貿易実務に当たるのは、相手国もいわゆる貿易商で。

日本側にも、イギリス側にも必要とされたのが、通訳だった。


1862年には、ペリー来航の時に通訳をした堀達之助が、日本初の英語の辞書を作った。

開港の4年後。


それまでに英語を学ぶために、先生や先輩方も単語帳のような物を作り、辞書代わりに使ってきた。

自身で書き写したりして、皆で貴重な物として扱ってきた。


が、実際に会話すると、そこには出て来ない単語や、言い回しも出て来る。

兄は独自に、主に貿易に関係する単語や、日常で使うフレーズを自身で書き溜めていた。

その当時は各自が各々が作り、友人同士で、内容を交換したりした。


だからコレは兄にとっては、何物にも変え難い大切な物。

横浜までの日帰りは難しい。

兄は泊まって帰らない。

あちらに1週間いたり。


直は少し寂しくもあった。

兄が大好きだったから。

イタズラや、親に叱られる時には、いつも庇ってくれた。

優しくて、頭が良くて、私の知らない世界を教えてくれる人。


「異人さんはどのようなのか?」も丁寧に説明してくれた。

「着物は着ておらぬゆえ、まず見た目が全く違う」

「髪の色も金色の人もおる。目玉が青かったり、緑だったり」

見たことの無い直には、「それは同じ人間?」と感じた。

兄は「食べる物も違うからな。でも同じところもたくさんある」と言っていた。


「まだ、川崎か…」

すぐ近くで捕まえられると考えていたけど、どうやら兄も急いでいるのか、途中の茶店にも姿は無く。


ほぼ半分まで来た。3時間休憩もなく。

兄がいないか、また茶店で止まり、饅頭を買って食べた。

ここまで来て引き返すことは、出来ない。

「これを届けなくては…」その一心で歩いた。

途中小雨は降ったけど、パラパラ程度。


横浜の日本人街が見えて来た。

その通りの中程に、兄の後ろ姿を見つけた。

お直は、思わず駆け出した。

「兄様!」大声を出しながら、走った。

兄は声が聞こえたのか、振り返った。

「直?」とビックリしていた。


兄の胸に、風呂敷包みを押し付けた。

「こんなところまで、どうして来た?汗だらけじゃないか」と言って、腰の手拭いで、お直の顔を拭いてくれた。

「また、こんななりで出かけたのか」と叱りながら、兄様は微笑んだ。


お母様には内緒だけど、兄は時々私が男のフリをして、出かけているのは知っていた。

「これを届けに来たのか?」

ようやく、息を整えて直は答えた。

「ええ。大事な物でございましょう。無くては、お困りかと」

「馬鹿だなぁ」とまた、兄は微笑んだ。

「もう単語は覚えたから、これは無くても平気だけど、お守り代わりにずっと持ち歩いおる」

「気付いた時には、戻る時間もなかったしな」


兄は直の頭をくしゃくしゃっと撫でた。

兄の手は大きくて、暖かい。

ありがとうの気持ちも伝わってきた。

手のひらから、兄様の温もりも伝わってくる。


「お直。こんなところまで来て、帰りはどうするのだ?」

今時刻は3時前おやつの時間、八つ過ぎ。

これから戻ると、また6時間半以上はかかる。

暮れ六つをとうに過ぎて、戻りは木戸が閉まる、猪の刻四つにギリギリ間に合うかどうか。


「木戸が閉まる前に辿り着けるのか?女の足で。お前は今着いたばかりで、疲れているだろうし…。」

「兄はな、日本人街のお店でこれから打ち合わせて、夜はそのまま世話になる。明日朝からは、イギリスの商人と商談の予定なのだ」


兄は顎先に手をやり思案している。

「いくら、男子のなりをしているとは言え、夜道を帰すのはなぁ…。」

顔を上げて兄様は言った。


「こうなったら、お直も一緒に候させて貰うしか。もう少しでそのお宅だから、頼もう」

「さ、行くぞ」と、兄は歩き出した。

直も付いて行くしかない。


歩いていると異国の人がいた。

確かに兄様の言う通り、まず衣服が違う。

男子も袖の狭い上着に、袴の代わりに履いているのも幅が狭い。

上着の合わせ目からは、下着のような物も覗いている。


「おう、珍しいか。初めて見たら驚くのは無理も無い」

「はい。異国の方の衣服は、袂は無いのですね」

「昔は膨らんだ袖が、流行った時期もあると聞いたし絵図も見た。今はどこの国も、男子はあんななりだな」


兄は気にせず、スタスタと歩いていく。

「確かに髪の色も違います」

「お直は金色の髪に、青い目をした人を見たら、仰天しそうだな」と笑った。


「ここが今回お世話になる、商人のお宅兼お店だよ」

兄は声も掛けず入っていく。

店の奥では、まだ若い30ぐらいの若旦那のような男性が座って、書き物をしていた。


「参りました。角桐生屋さん」と、兄様は声をかけた。

若旦那らしい人は、立ち上がって、こちらまで来て

「新之助さん。遠いところまで度々御足労いただき、ありがとうございます。この度もどうぞよろしく、お願いいたします」と頭を下げた。

そして、連れがいるのを見て、

「こちらは?と尋ねた。


「実はお願いしたいことがありまして」と兄は切り出した。

「これは洋学の見習いの者で。私が忘れた物を、届けに来てくれまして」


「いつもお持ちの、綴り帳でございますな。この度もまた少しでも書き写せるかと、心待ちにしておりました。水野様のようにその場で、意味がわかるまでには、なかなか参りませんが、書き物の一部でも少しは分からねば、商人としても恥ずかしいばかりで…。」


「で、お願いとは、いかがなされましたか」

「今、ここまで芝から歩き通しで、この者も疲れておるでしょう。厚かましいとは存じますが、今夜こちらで、拙者と共にお世話になれればと…」


兄様が言い終わるかで、若旦那は

「ようございますよ。水野様の弟分の方なら、ウチは何も構いませんよ。どうぞお泊まり下さいませ。狭くて申し訳ございませんが」と笑顔で答えた。


兄様は直の肩に手を置き

「羽場直太朗と申します。洋学は始めたばかりで、英語はさっぱりですが、後学のために、何卒よろしくお願いいたします」

直は頭を下げた。


若旦那は「角桐生屋の主人、惣太郎と申します。異人さんはもう見られましたか?」

声を出すのは、極力控えるしかない直は、大きく2度うなづいた。

「驚きなさったでしょう?私も最初は、大口を開けてしまいましたよ」と笑った。


「それより水野様。今宵ですが、スチュアート商会さんと、ウチで夕餉をご一緒にって話になりまして。どうか水野様もご同席いただければと…」

「夕餉ですか。私はお邪魔では?」


「いえいえ、何度かお話は出たんですが、私では英語が全くなもんだから、お互いに困ってしまうだけ。

今宵ならば、新之助様がいらっしゃるならと、お話をお受けしたんです。断られても、何とかお願いしようと、返事は待たせてあります」


「三助!」若旦那は、声を大きくして、使用人を呼んだ。

「スチュアートさんまで、ちょっと言付けに行ってくれるかい?ご一緒に水野様とお連れもいらっしゃるので、こちらは3名でお迎えいたしますと、あちらの使用人に伝えておくれでないかい」

三助と呼ばれた使用人は、「へい、承知いたしました」と、店から出て行った。



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