第9話

「待ちくたびれたぞ、亡霊ども」


 レイナの不敵な笑みが、張り詰めた森の空気を震わせた。それを合図に、二人は同時に動く。


【縮地】


 レイナの代名詞とも言える高速移動スキル。発動と同時に、常人には認識不可能な速度で距離を詰める神速の技だ。


 レイナの姿が陽炎のように揺らぎ、掻き消える。土を蹴る音すらしない。次の瞬間、彼女は敵陣の只中に現れていた。


【雷光】


 空気が裂ける甲高い音と共に、青い閃光が迸った。Aランク冒険者の本気の一閃は、暗殺者たちの粗末な革鎧を紙切れのように引き裂き、三つの命を鮮血と共に刈り取った。


「なっ……!?」

「速すぎる……!」


 包囲していた暗殺者たちの陣形が、恐怖によって明らかに乱れる。


 一方、リオンもまた、レイナの死角をカバーするように動いていた。彼の脳内では、【気配察知】スキルが捉えた敵の位置、殺気、呼吸、その全てが、一つの立体的な地図となって展開されていた。


「レイナ、右後方、二人! 木の影に潜んでる!」


 リオンの警告と同時に、木の影から二人の暗殺者が音もなく飛び出し、レイナの背後を狙う。


「ちっ!」


 レイナが振り向くよりも早く、リオンがその間に割り込んでいた。黒い剣が、二本の毒刃を甲高い音を立てて弾き返す。


「なっ……!?」

「お前たちの相手は、俺だ」


 リオンはレイナほどの圧倒的な攻撃力はない。だが、`剣術 Lv.3`と進化した`身体強化`を駆使し、二人の暗殺者を相手に一歩も引かない。彼はレイナが前線で暴れられるよう、その背中を完璧に守り抜いていた。


「クソが! なぜ位置がバレる!?」

「あのガキだ! あいつを先に殺せ!」


 暗殺者たちは連携の要がリオンであることに気づき、数人がレイナの迎撃をすり抜け、彼に殺到する。


(こいつ、本当にただの子供か……?)


 レイナもまた、リオンの異常な索敵能力と、今や自分と背中を合わせて戦うその姿に、内心で舌を巻いていた。


 このままではジリ貧だ。そう判断したリーダー格の男が、他の暗殺者たちにレイナを抑えさせ、自らリオンに襲いかかった。


「面白い芸当を見せてやる。これで貴様も、それまでだ」


 男――"影喰らい"のザガンは、蛇のように冷たい瞳でリオンを捉えると、その姿を揺らがせながら距離を詰める。


【幻惑のステップ】


 まるで何人もの分身がいるかのように、ザガンの姿が上下左右にブレる。


 リオンは一度目を閉じ、【気配察知】スキルを研ぎ澄ませた。無数の残像の中から、ただ一つだけ放たれる、本物の殺気。


「――そこか!」


 リオンは最短距離で踏み込むと、殺気の源へと向けて、訓練で培った流れるような三連撃を叩き込んだ。


 狙いは、腕、足、そして胴。


 幻惑を打ち破るための一点集中の連撃だ。



 そして、体勢を崩した本物のザガンへと、カウンターの【雷光】を放つ。


 しかし、ザガンは歴戦の暗殺者。リオンの渾身の一撃は、嘲笑うかのように空を切らせられ、逆に毒々しい紫の刃がリオンの脇腹を浅く、しかし的確に切り裂いた。


 ザガンはリオンの動きを完全に読んでいた。リオンの剣が空を切った瞬間の、ほんの僅かな硬直。そこを狙い澄ました、完璧な一撃だった。


「終わりだ、小僧」


 ザガンの嘲笑が響く。脇腹から走る焼けるような激痛。 傷口から、冷たい何かが血管に流れ込み、全身を急速に蝕んでいく。指先から力が抜け、視界がぐにゃりと歪む。思考に靄がかかり、立っていることすらままならない。


(これは……毒……?)


「超強力な神経毒だ。 それを食らったら最後、貴様は苦しみの中で息絶える」


 ザガンの歪んだ笑みが視界に映った。


 死が、すぐそこまで迫っている。 そんな感覚が毒が巡ると同時に走った。


『アップデートしますか? [Y/N]』


 霞む視界に、それでもはっきりと浮かび上がるウィンドウ。リオンは、朦朧とする意識の中で、最後の力を振り絞って応えた。


(アップデート……しろ……ッ!)


『スキル:毒耐性 Lv.1 を獲得しました』

『スキル:気配察知 Lv.1 が Lv.2 にアップデートされました』


 次の瞬間、リオンの体内で劇的な変化が起こる。


 全身を蝕んでいた毒が、まるで燃え滓のように浄化され、力が漲っていく。傷口からは黒い血が勢いよく排出され、肉が盛り上がり、瞬時に塞がっていく。


 リオンが、何事もなかったかのようにすっくと立ち上がるその光景に、ザガンの余裕に満ちた表情が、初めて凍りついた。


「馬鹿な!? 俺の毒が……! それに、その傷……再生スキルだと……!?」


 【気配察知 Lv.2】に進化したことで、ザガンの殺気や筋肉の収縮、呼吸のリズムまでが、手に取るようにわかる。


 視界に映る何体ものザガンが焦るように攻撃してくる。


 しかし、今のリオンには幻惑のステップで見えなかった攻撃の「本線」がハッキリと映し出されていた。


「なぜだ! なぜ俺の動きが読める!」


 ザガンの攻撃が大振りになり、動きから洗練さが消える。百戦錬磨の暗殺者の余裕が、焦りと怒りによって完全に崩れ去っていた。


「ありえない……この俺が、こんなガキに……!」


 喉を震わせ、ザガンはこれまで見せたことのない憎悪と屈辱に顔を歪ませた。もはや余裕など一片もない。


 彼は最後の切り札を切る。


【影潜り】


 ザガンの姿が、まるで水に落ちた絵の具のように、足元の影にじわりと溶けて消えた。気配も、殺気も、音も、完全に消滅する。


(どこだ……!? 【気配察知】に、何も映らない……!)


 これまで頼りにしてきた絶対的な感覚が、初めて沈黙する。全方位、どこもかしこもが死角。いつ、どこから殺されてもおかしくない。冷たい汗が、リオンの背筋を伝った。


 リオンが全神経を集中させた、その瞬間。


 真後ろの影が、ありえないほど濃く、深く、蠢いた。音もなく、そこから毒刃が心臓を狙って突き出される。


「しまっ――!」


 紙一重で身を捻るが、刃が肩を骨まで深く抉った。


「ぐっ……ああああッ!」


 肉が裂け、骨が軋む激痛が走り、リオンは思わず膝をつく。ザガンは影から上半身だけを現し、勝利を確信した愉悦の笑みを浮かべた。


「終わりだ、ガキ」


 しかし、その神髄を間近で「見て」「受けた」ことで、リオンの脳内に、再びあのウィンドウが開く。


『アップデートしますか? [Y/N]』


 ザガンが、とどめの一撃を振りかぶる。その刃がスローモーションのように迫る、死の刹那。


「――アップデート」


『スキル:影潜り Lv.1 を獲得しました』

『スキル:雷光 Lv.1 が Lv.2 にアップデートされました』


 ザガンの刃がリオンの首筋を捉える、その寸前。リオンの姿もまた、足元の影に溶けるように消えた。


 空振りしたザガンが、信じられないというように目を見開く。


「な、なに!? 俺のスキルがなぜ!」


 次の瞬間、彼の背後の影から、音もなくリオンが姿を現した。その黒い剣には、以前の比ではない、眩いばかりに凝縮された青い雷光が、バチバチと音を立てて纏わりついていた。


「お前の技と、師匠の技。二つ合わせて、アップデートさせてもらった」


【雷光 Lv.2】


 雷が、槍となって放たれた。それはもはや斬撃ではなく、必中の刺突。回避する間もなく、ザガンの右腕を貫き、焼き切った。


 ◇


 リーダーを失った暗殺者たちは、レイナによって速やかに掃討された。彼女は右腕を失い、血の海に沈むザガンの前に、音もなく降り立つ。


 その鋼色の瞳には、一切の感情がなかった。


「奈落の鱗……お前たちの雇い主は誰だ?」


 レイナの冷たい問いに、ザガンは苦痛に顔を歪めながらも、喉の奥で嘲笑った。


「クク……殺せよ、"雷光"のレイナ。俺が……言うとでも?」

「言え」


 レイナはザガンの傷口を、ヒールで容赦なく踏みつけた。


「ぐ、ああああああッ!?」

「言わなければ、お前の残りの四肢を一本ずつ切り落とし、舌を抜き、達磨にしてフロンティアの門に吊るしてやる。どちらが楽か、選べ」


 その声は、氷のように冷え切っていた。ザガンは、彼女が本気であることを悟ると、狂ったように笑い出した。


「ククク……ハハハ! いいだろう、教えてやる! どうせ、あんたじゃ逆立ちしても手が出せねえ相手だ!」


 ザガンは、吐き出す息に愉悦を滲ませながら、その名を告げた。


「この街の大商人、ヴァレリウス様だ! あんたが武器を買った、あのヴァレリウス商会の主さ!」


 その名を聞いた瞬間、レイナの動きが止まった。


「ああ、そうだ……思い出したぞ。一年前、あんたの仲間を罠に嵌めて殺すよう依頼してきたのも、ヴァレリウス様だったなあ! あの時の断末魔は……最高だったぜ……!」


 ザガンが言い終わる前に、レイナの剣が一閃した。彼の首が、言葉もなく宙を舞う。


 リオンが殺した"聖なる剣"も、自分たちを襲ってきた暗殺者たちも、全ては仲間を殺した宿敵に繋がっていた。


 復讐の対象が明確になったことで、レイナの灰色の瞳に、これまでにないほど冷たく、そして激しい怒りの炎が宿る。


 彼女は、リオンに向き直り、静かに、しかし力強く告げた。


「次の標的が決まった。――ヴァレリウスを殺す」

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