第一章
03:内なる葛藤と、情報通の囁き
交易都市シルヴァニアでの一件から、数日が過ぎていた。
カレンダーの数字は無情にめくられていくけれど、カノンの心はあの日、あの瞬間に縛り付けられたままだった。
クイーン・ゲイル・マンティスに完膚なきまでに叩きのめされた屈辱。そして、ヴァイスから投げつけられた「やっぱり魔法剣士なんて、使い物にならない」という言葉。
それは、まるで呪いのようにカノンの耳の奥で繰り返し再生され、そのたびに胸の奥が鈍く痛んだ。鉛のように重い疲労感が、EIOにログインする気力さえも奪っていく。
物理的な傷は、EIOのシステムとフィリアの心のこもった治癒魔法によって、あっという間に癒えた。けれど、魂に刻まれた傷痕は、そう簡単には消えてくれそうにない。
(やはり、わたくしは……魔法剣士という道を選んだこと自体が、間違いだったのでしょうか……)
自室のベッドに深く沈み込みながら、カノンは何度となく、出口のない問いを心の中で反芻していた。
かつて夢見た、剣と魔法を華麗に操り、どんな状況にも対応できる万能な戦士の姿。その理想は、厳しい現実の前に脆くも崩れ去った。
剣技も魔法も、専門職の洗練された一撃には遠く及ばない。支援だって、その効果はあまりにも地味で、誰の目にも留まらない。まるで、陽の当たらない場所で虚しく手足を動かしているような、そんな無力感。
パーティに貢献したい。仲間たちの力になりたい。その純粋な願いは、今や自己嫌悪と劣等感に塗りつぶされそうになっていた。
タイムアタックという、純粋な「力」が試される場において、魔法剣士の多様性は「中途半端」という名の足枷でしかなかったのだ。
器用貧乏――あの乾いた評価が、今ほど骨身に染みたことはない。
カーマインスピリットの仲間たちは、カノンのそんな苦悩に気づいているのか、あるいは気づかぬふりをしてくれているのか、いつもと変わらずに接してくれた。
その優しさが、今は針ののようにも感じられる。
自分の不甲斐なさを、この胸に渦巻く黒い感情を、どうして素直に打ち明けられないのだろう。ちっぽけなプライドが邪魔をしているのか。それとも、これ以上仲間に幻滅され、見放されるのが怖いのか……。
どちらにしても、カノンは笑顔の仮面を貼り付け、孤独という名の鎧を静かに纏うしかなかった。
その日も、カノンは魔法学園都市ルーンヴァルトにあるクラン『カーマインスピリット』のクランハウスのラウンジで、一人、窓の外を流れる雲をぼんやりと眺めていた。
手元のティーカップには、もうすっかり湯気の消えた紅茶が、カノンの沈んだ心を映すかのように揺れている。
周囲からは、他のメンバーたちの楽しげな声が、まるで遠い世界の出来事のように微かに聞こえてくる。その喧騒が、かえってカノンの孤独を際立たせた。
カノンは深い溜め息をついて、
「やはり、わたくしには……決定的な何かが……まるで、魂を揺さぶるような一撃が、足りないのね……」
と、ぽつりと、誰に聞かせるともなく呟いた。
それは、心の奥底から絞り出したような、弱々しく、そして切実な響きをしていた。その瞬間、ふわりと、傍らに人の気配がした。
「あれ、カノンさん?どうかしたんですか、そんな深いため息ついちゃって。世界の終わりでも見ちゃったみたいな顔してますよ?」
不意にかけられた軽やかな声に、カノンははっとして顔を上げた。
そこに立っていたのは、同じカーマインスピリットのメンバーであるケビンだった。情報通で明るい性格の彼は、いつもクランのムードメーカー的な存在だ。
その屈託のない笑顔が、今のカノンには少しだけまぶしく感じられた。
「ケビンくん……ううん、なんでもないの。ちょっと、考え事をしていただけよ」
慌てて取り繕うように微笑んでみせるが、聡い彼の目は誤魔化せないようだった。声が、自分でも気づくほどにか細く震えていたかもしれない。
「ふぅん?まあ、カノンさんがそう言うなら、僕からは何も聞きませんけど」
ケビンはそう言うと、まるでカノンの心の壁を軽々と飛び越えるように、自然に彼女の向かいのソファに腰を下ろした。
そのさりげない距離感が、カノンの強張っていた心をほんの少しだけ和らげる。
「そういえばカノンさん、魔法剣士だよね。なんかさ、最近ちょっと面白い噂を聞いたんだよ。カノンさんなら、もしかしたら興味持つかなって思って」
「面白い噂……?」
カノンはしげに聞き返す。
今の自分に、面白い噂など心惹かれるはずもない。そう、頭では分かっているのに、心のどこかで、何かを期待している自分もいた。
「うん。まあ、本当にただの噂なんだけどね。確証なんて何もないやつ」
ケビンは悪戯っぽく片目をつぶると、まるで秘密を打ち明けるように、声を潜めて続けた。
「とある場所にね、すっごい腕の立つ魔法剣士がいるらしいんだ。その人、なんでも剣に綺麗な花びらみたいな光を纏わせながら戦って、最後にはドカーン!と、とんでもない威力の技を繰り出すって話で……。まあ、あくまで噂だけど、もし本当なら、今の魔法剣士のイメージ、ガラッと変わると思わない?」
花びらみたいな光――。
ドカーンと、とんでもない威力の技――。
ケビンの言葉は、カノンの心の奥底、硬く閉ざされていたはずの場所に、まるで小さな種を蒔くように、ぽとりと落ちた。
今の、不遇と言われ、自分自身ですら見限りかけていた魔法剣士とは全く異なる戦い方。まるで物語の中にしか存在しないような、幻想的な光景。
ありえない。そんな都合の良い話があるはずがない。けれど――。
(もし、本当に……そんな魔法剣士が、そんな技が存在するとしたら……?)
乾ききった大地に染み込む一滴の水のように、その言葉がカノンの心に微かな潤いを与えた。それはまだ、希望と呼ぶにはあまりにもおぼろげで、掴もうとすれば消えてしまいそうなほど儚いものだったけれど。
「……その噂、もう少し詳しく聞かせてくれるかしら?」
気づけば、カノンは身を乗り出してケビンに問いかけていた。
自分でも意外なほどの、真剣な、そしてどこか縋るような響きを帯びた声だった。
冷え切っていた紅茶のことなど、もう頭からは消え去っていた。
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