50kgの肉を処理する方法

まさしの

第一章 廃コンビニでエルフと遭遇した件

1-1.

 便座に座ったまま、膝に貼ったティッシュが赤く染まっていくのを見ていた。痛いより、ださいの方が先にくる。下着は湿っていて、気持ちが落ち着かない。トイレットペーパーをもう少し丸めて押し込み、制服のスカートを直す。誰にも見られていないのに、背筋だけは勝手に伸びていた。

 スマホのライトが、壁のタイルを白く照らしている。コンビニのトイレなら普通は照明がつくはずなのに、閉店しているからスイッチを押しても反応がない。暗い個室で、片手でスマホを持ち上げて照らすのは不便で、余計みじめに感じる。

なんで私、閉店したコンビニのトイレにいるんだっけ。普通は入れない。鍵だって閉まっている。思い出す。さっき、塾からの帰り道。赤いバイクが音を立てて飛び込んできた。女が乗っていた。細い体。ヘルメットで顔は見えない。風みたいに横を切られて、体が勝手に避けて、足がもつれて転んだ。膝が焼けるみたいに痛かった。立ち上がれないでいた時、声をかけてきたのが玉野だった。クラスの男子。なんでいるの、と考えるより先に、アイツはポケットから鍵を出し、通用口の扉を開けて、私に中に入れと手まねきした。

 すかすかな売り場をまっすぐ通り抜け、トイレに入り込んで、水を出した。冷たい水を手にかけて、やっと息が整った。スマホを洗面台に立てかけて光を確保し、鏡に映った泣き顔っぽい目元を見て、むかついた。こんな顔を男に見られたと思うと、さらに腹が立つ。個室を出るとき、暗いせいで段差に躓きかけ、またため息が出た。

 売り場は暗い。照明は死んでいる。棚は外され、レジ台の上には何もない。埃のにおいだけが薄く残っている。外はまだうっすら明るい。夏至を過ぎたばかりで、日が長い夕方。ガラスの向こうは灰色がかった明るさなのに、この中は奥へ行くほど闇が濃くなる。

 その闇から、低い音が出ていた。ブウウン。モーターの回る音。冷凍庫だ。照明が落ちているのに、あれだけが生きている。体の表面がざわつく。

冷凍庫の前に、玉野が座っていた。床にあぐら。まるで自分の部屋みたいな顔。私に気づくと、少しだけ眉を上げる。

 「よくわかんないけど、落ち着いた?」

 「よくわかんないのはこっちだよ」思ったより尖った声が出た。

 「なんであんたこ こに入れるの。電気、通ってるなら、明かりもつけてよ」

 玉野は肩をすくめる。気の抜けた仕草。

 「ここ、うちのじいちゃんがやってた店。建物も土地もうちの。鍵は家にあって、俺も持ってる。今は俺の隠れ家みたいなもん。ブレーカーは冷凍庫だけつないでる」

 「なんでそれだけ」

 そう言いながら、私は足もとで視線が止まった。変な生き物がいた。蛇みたいに細長い胴体。小さな四本の足。薄い膜の羽。黒目がちの丸い目で、こちらをじっと見る。玉野のスニーカーに体をこすりつけて、尾を一度だけ巻き直した。犬みたいに、もう懐いている。

 口が先に動いた。

 「それ、何」

 玉野は答えず、冷凍庫のガラスケースに手をかけた。軽い音と一緒に扉が開く。白い冷気がふき出してきて、腕にまとわりつく。

 中にいたのは、人だった。一瞬、息が詰まった。なんでこんなところに。閉店したコンビニの冷凍庫に、人が入ってるなんて。

 私だって女として、それなりに自信のある部分はある。髪は黒髪のロング。伸ばしっぱなしだけど、長さは腰にかかるくらいで、ちゃんと手入れしてる。前髪はちょっと長めで、目にかかるのが嫌だけど。胸だって、中二の平均よりは大きいと思う。クラスで比べても、私の方が勝ってると感じる瞬間くらいある。

でも。

 冷凍庫の中のその女は、私の黒髪とは違って、光をふくんだ薄い色の髪を持っていた。金でも銀でもない。白に近いのに透きとおって見える、不思議な色。長さは同じくらいなのに、輝きだけで負けている気がした。肌はきめ細かく、睫毛は羽のように長い。鼻筋はすっと通り、唇もなめらかな形をしている。胸の前で組んだ手の指まで細く整っていて、飾り物みたいに完璧。

 比べるまでもなかった。唯一、胸の大きさだけは。私は負けてない。いや、むしろ勝ってる。中二の平均よりも少し大きい私の方が、こいつより上。そう思い込むしかなかった。

 冷気で鳥肌が立った。現実が急に遠ざかる。廃コンビニの暗さと埃と、この異常な美しさが同じ空間にある。それ自体がありえなくて、頭が追いつかない。

私が立ち尽くしている横で、玉野はまるで当然みたいに冷気を浴びながら口を開いた。

 「アニメとかゲームで出てくるじゃん。耳が長いし、これ、多分エルフだと思う」

バカじゃないのと思う前に、脳が理解を拒んだ。口から勝手に声が出た。

 「はあ? なにそれ」

 突っ込み待ちみたいで余計バカみたいだった。

 「で、こいつがエルフの使い魔ってやつだと思う」


1-2.

 玉野は真顔で続けた。

 「裏山でサバゲやってたんだよ、ひとりで。そしたらこいつがいたんだ」

 足元の蛇みたいなやつを親指で指す。

 「追いかけてったら、エルフがいてさ。最初、生きてんのかと思って、背負ってき たけど、たぶん死んでて。だから冷凍庫に入れておいた」

 早口すぎて、何一つまともに頭に入らない。言葉が渋滞してる。サバゲ?ソロ?使い魔?エルフ?冷凍庫?私の思考はぐるぐる回って、出口が見えない。

 無理やり笑おうとして失敗したみたいに、頬がひきつった。こんな話、信じられるわけがない。ラノベや漫画じゃ無いんだ。本当にあるの?

 でも、冷気に包まれたガラスケースの中にいる女の姿が、全部を否定させてくれない。

 目をそらした先で、足元の生き物と視線が合った。丸い黒目がちの眼球が、何かを確かめるみたいに私を見ている。認めざるを得ない、ってこういうことを言うのかも。

 息を吸い直して、違う方向に苛立ちをぶつけた。「で?なんであんた、こんな廃コンビニに鍵持ってんのよ」

 思ったことが口から勝手に飛び出す。自分でも八つ当たりだってわかってる。でも止まらない。さっきの早口の意味不明さに加えて、この鍵の件。全部胡散臭く見えてくる。

 玉野はちょっと首をかしげて、あっさり言った。「ここ、うちのじいちゃんがやってた店。建物も土地もうちの。だから鍵もある」

 はあ。そんなこと知るわけない。じいちゃんの店って言われても、こっちからしたらただの廃墟。勝手に隠れ家にしてるくせに、当たり前みたいな顔で言うな。

 「じゃあブレーカー生きてんのも、あんたが?」

 「うん。冷凍庫だけつないでる」

 冷凍庫だけ。そっけなく言われて、また腹が立つ。なんでそれだけ。そこが一番気持ち悪いのに、答えが軽すぎて、逆に余計に考えさせられる。

 私、なにしてんの。塾帰りに転んで、トイレでパンツにティッシュ突っ込んで、今度は冷凍庫の中の異世界美女と蛇だかドラゴンだかと対面してる。やばい。頭おかしくなったんじゃないか。

 「意味わかんない」声が漏れた。玉野に言ったのか自分に言ったのかもわからない。

 玉野は肩をすくめて、また足元の変な生き物を撫でた。軽い。まるで、今の全部が普通の日常みたいに。

 「なんで冷凍庫だけ電気ついてんの」

気づいたら突っ込んでた。暗がりで、あのモーター音だけ浮いてるのが気持ち悪かったから。

 「そうしないと保存できないだろ」

 玉野は当たり前みたいに言った。正論とかいらないんだけど。こっちはただ変だって言いたいだけなのに。

 玉野が口の端を上げた。

 「さすが細かいな。クラスでリカドリルって言われてるだけある」

 体の奥でカッと音がした。本名のリカが、勉強しかしてないくせにって笑い半分で消耗品みたいに呼ばれるあのあだ名。親がつけてくれた名前を安売りされてるみたいで、本気で嫌いだった。

 「その呼び方やめて」吐き捨てるように言った。理由は言わない。説明したら余計に惨めになるだけだから。

 玉野はきょとんとしたあと、あっさり言った。

 「じゃあ、ドリルで」

 ふざけてんのか、本気なのか、その軽さ。ほんとデリカシーない。そう思った瞬間、もう負けた気がしてさらに腹が立った。玉野はもうそれで終わりみたいな顔をしていた。胸の奥がざわついて、呼吸が落ち着かない。

 私は冷気の向こうのエルフを見た。長い睫毛が影を落としている。あれは誰だって褒める。完璧に整った顔。自分が鏡で毎朝見ている顔とはまるで別物。比べたら負けるとわかってるのに、視線が勝手に吸い寄せられる。

 玉野がこれを背負ってここまで運んだってこと。太腿を抱えたのかな。だったのかな、じゃない。絶対そうだ。胸は歩くたびに背中に触れてたに違いない。間違いない、揺らしていたはずだ。童貞のくせに生意気だ。

 笑いそうになって、笑えなくて、口が勝手に動いた。「童貞。あんた童貞だわ」

玉野が眉をひそめる。けど反論しない。その顔が余計にむかつく。視線を落とすと、足元に安っぽい売れ残りのミックスナッツの袋が転がっていた。さっき蛇みたいな生き物がバリバリ食っていたやつ。頭の中でふたつがくっついた。

 「今日からあんたはドーナッツ」

 雑な命名。けど言った瞬間、もうそれしかないみたいに空気に馴染んでしまった。

 ドーナッツが何か文句を言ったが、聞こえない。アイツが私をドリルと呼ぶなら、私はアイツをドーナッツって呼んでやる。

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