第9話 期末前夜、言葉と点数の両立
朝、アプリの通知が乾いた音で跳ねた。
《モード切替:学業両立モード(期末)》
《評価:学業(科目平均)/自律(連絡・就寝)/共感(学習支援)/計画(学習計画と実績)》
《現在LAP:578pt(8位)》
(来たな。“恋も勉強も”を数字にされるやつ)
ホームルーム。榊原が淡々と告げる。
「本校の“恋愛教育”は基礎学力の上に立つ。期末の点は、アプリの両立評価にも反映される。——以上」
迅がすかさず手を上げる。
「先生、恋の偏差値ってありますか!」
「無い。あるのは誠実と自律だ」
「うっ……名言……!」
放課後、図書室。いつもの席。
「——沈黙30分、やる?」
「やる」
俺と莉玖は、ページをめくる速度を合わせるだけで、余計な言葉を省いた。鉛筆の芯が紙をなぞる音、時計の秒針、遠くの椅子が引かれる小さなきしみ。沈黙は集中の形をして、二人の間に静かに積もっていく。
30分が終わる。莉玖がノートを閉じ、囁いた。
「英語、長文の要約……少し見ます?」
「助かる。聞く7割、で良ければ」
俺は書いた要約を差し出す。すると莉玖は、赤ペンで二行だけ線を引いた。
「“結論→理由→例”の順が崩れてます。英樹くんの文章、理由が先に走る癖があるから、最初に“矢印の的”を置いてください」
「矢印の的」
「“何に向かって話してるか”を最初に一言」
なるほど、模擬告白で迅に黒板で叩き込まれた三角形(結論→理由→未来)と同じ構造だ。俺はうなずいて、要約を組み替えた。
アプリが小さく震える。
《共学支援 +6(相互レビュー)/計画実行 +4(沈黙30分)》
廊下に出ると、斑鳩澪音が壁にもたれていた。
「間隔反復、試す?」
「もちろん」
「単語カードを1日目・3日目・7日目に再接触。“覚えた気”のカードに赤印——“次回も見る”フラグ」
「“覚えた気”は落とし穴、か」
「データが示す」
澪音は淡々とタブレットを操作し、俺の学習計画に再接触リマインダーを組み込んでくれた。
「ありがとう」
「礼は点で返しなさい」
「がんばる」
* * *
三日前。
自習室の窓は白く曇って、指で描いた線がすぐ消える。俺は数学の過去問に向き合っていた。
そこへ、椅子を引く音。迅がどさっと座る。
「ボイルの法則、モルモットの法則って覚えてた」
「それは小動物の名前だ」
「PとVが逆に動くってアレでしょ? ペットとビタミン」
「雑な連想やめろ!」
思わず笑ってしまうが、迅は目が笑っていない。
「マジでやべぇ。俺、先生に“ここからが本番”って言われた」
俺は深呼吸して、紙を一枚引いた。
「図で行こう。四角の中に“空気の粒”を描け。ぎゅうぎゅう→圧力↑、広々→圧力↓。温度一定って大文字で書いとけ」
「お、おう」
「で、式を“矢印”で書く。P↑→V↓。言葉より矢印の方が残る」
迅の手が止まらなくなる。
「いける、かも……!」
アプリが震える。
《学習支援 +8(ピア指導)/共感 +4》
帰り際、莉玖からメッセージ。
『22時以降は連絡しない、守りましょうね』
『了解。自律守る。明日の朝、“進捗3行報告”送る』
短い往復。俺はスマホを机に伏せ、22時ちょうどに通知を切った。
アプリが静かに震える。
《自律 +6(連絡制限遵守)》
* * *
前日。
俺は早朝の空気を吸い込み、学校の屋上に繋がる踊り場で英単語カードをめくる。そこへ足音。
「おはよう」
怜央だ。朝日が横顔を立体にする。
「期末、どうだ」
「俺は“後から効く誠実”でやる」
「いいね。僕は“先に整える”で行く」
「先に整える?」
「睡眠・食事・机。点数は準備の延長にしかない」
「相変わらず、王道だな」
「君も王道を歩ける。選び抜いた素直さって、王道の別名だよ」
怜央は笑って、手を振った。嫉妬は、不思議と湧かない。競う場所が、今ははっきりしているからだ。
* * *
試験当日。
チャイムが短く鳴って、紙が配られる。手の汗を袖でそっと拭く。
(結論→理由→例。矢印の的。沈黙30分。やってきたことを、そのままやる)
英語長文。冒頭の段落をまず**“一行要約”、問題は後回し。問三の自由英作文は最初に結論を書いてから**理由を二つ、例を一つ。
数学の大問二。誘導に逆らわず、等式変形は左から右へ。意地を張らない。
理科の法則は、矢印で補助線。P↑→V↓。
ペン先の音だけが世界で、時間はやけに短い。最後の一行を書き終えた瞬間、チャイムと重なった。
試験が終わると、アプリがしれっと通知を落とす。
《自己申告:学業手応えチェック(任意)》
「どう?」と莉玖。
「英語と数学は手応えあり。理科は“矢印”が助けてくれた」
「ふふ。矢印の的、置けましたね」
「置けた」
俺はそう言って、胸の中に一つ深い呼吸を落とした。
* * *
結果発表は二日後だった。
朝の廊下、掲示板の前に人垣。俺は息を整えて、数字を追った。
(英語——88。数学——86。理科——83。国語——84。合計平均——85.25)
目標の85をわずかに超えた。
横で歓声。
「やったぁああ!」
迅が掲示板にへばりついている。
「理科72! 俺にしては上出来! ペットとビタミンの法則、ありがとう!」
「違う名前で覚えるな!」
だが、嬉しそうに笑う顔を見て、俺もつられて笑ってしまう。
榊原が通りかかって、チラと俺の掲示板とスマホを見た。
「計画に数字が追いついたな」
「はい」
「両立は一度では証明できない。次も続けろ」
「続けます」
短い会話。それで十分だった。
放課後。図書室。
“沈黙30分”のあと、莉玖がペンを置く。
「おめでとうございます。平均、超えましたね」
「莉玖のおかげだ」
「半分だけ。半分は英樹くん」
莉玖は少しだけ、意地悪な顔になる。
「ご褒美、欲しいですか?」
「……え?」
「“来週、冬の公園を一周だけ散歩”。沈黙でも、おしゃべりでも。好きな方で」
「それ、最高の——ご褒美」
「じゃあ約束です」
アプリが静かに震えた。
《未来 +8(小さな約束)/共感 +5》
帰り際、澪音からメッセージ。
『平均85.25、確認。“覚えた気”カードの赤印、二週間は消さないこと。再接触、忘れない』
『了解。二週間は赤』
続いて、怜央から一言だけ。
『おめでとう。点で語れるようになったね』
『ありがとう。次は点の外側で勝つ』
『楽しみにしてる』
夜、22時前。俺はスマホの“就寝モード”を押した。
通知が最後に一つだけ、静かに光る。
《学業両立 集計》
学習計画実行(沈黙30分・間隔反復):+18
学習支援(ピア指導/相互レビュー):+12
自律(22時以降の連絡制限・就寝):+10
模試→本番への改善(要約構成・矢印法):+20
学業成果(平均85以上達成):+25
学習会運営・場づくり:+7
未来(小さな約束):+10
合計:+102
数値がまた一歩、静かに前へ進む。
【LAP】578 → 680pt
【ランキング更新】
1位:鷹宮怜央(LAP 930)
6位:崎津英樹(LAP 680)
33位:狛井迅(LAP 132/称号【教師に愛されし者】【手続きは正義】【参考書と和解した】)
(六位。見える。届く、って言葉がやっと現実になってきた)
ベッドに横になって、天井の暗さに指で矢印を描く。
——次は点数の外、選択の話になる。
クリスマス、年越し、そして新学期。
“選び抜いた素直さ”を、もう一段階強くする準備だけは、できている。
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