花天月地『その姉妹、月と花のごとし』

七海ポルカ

第1話




 外の景色が見通せないほどの、激しい雨だ。


 周瑜しゅうゆは上着を肩に羽織った姿で窓辺に座っていた。


 時折空が光るのは分かった。

 雲はこちらに流れていたから、恐らくじきにあの閃光がこちらへとやって来るだろう。

 


 コンコン……、



 控え目な音が響いた。

 振り返ると寝室の次の間から、大喬だいきょうが顔を出していた。



義姉上あねうえ



 側の椅子に足を掛けて伸ばしていた周瑜が、その足を一旦下に下ろした。


「どうなさいましたか……なにか」


「ああ、違いますの。公瑾こうきん様がやはり起きていらっしゃったのだと思って……向こうの回廊から灯かりが見えたので」


「私は少し目が覚めて」


「わたくしも。それで、酷い雨ですから屋敷が大丈夫か少し見て回ろうかと」


 大喬がそう答えると、周瑜は優しい表情になって立ち上がった。

「そんなことなら私に言って下されば。義姉上はどうぞ部屋に戻ってお休みください」

「まあとんでもない……公瑾様にそんなことさせるわけには」

「私はその為に来たのですから。さぁ、病み上がりなのにこんな夜中に歩き回ってはいけません。戻りましょう」


 周瑜は優しく彼女の手から燭台を受け取ると、そっと促して部屋の外に出た。


「ほんとうに、酷い雨ですわね。庭の花が押し流されてしまいそう」

「そうですね。近隣の村にもあまり被害が出なければいいのですが……」


 言ってる側から、カッ! と外が光り、すぐさま落雷の音が響いた。

 思わず大喬は足を竦め、立ち止まる。


「まぁ……恐ろしいこと」


 胸を撫でて溜息をついている。

 すると、くすくす、と声がした。


「公瑾さま?」


「すみません。義姉上を笑ったわけではないのです。やはり小喬しょうきょうと、同じ反応をなさるんだなと思って」


 ぱちぱちと瞬きをしてから、大喬だいきょうは口許を押さえて吹き出した。

「まあ、あの子はまだ雷を怖がってますのね?」

「ええ。……私もつい、さっき空を見上げながら小喬しょうきょうは大丈夫かなと考えてしまって」


「ああ! 実は、見回りのことなど申しましたけれどわたくしもそうだったのです。

 こんな空が荒れてる夜はあの子本当に震えて泣いていたので、つい様子を見に行ってしまう癖がついてしまったのですわ。公瑾さまにも迷惑をまだお掛けしてるのかしら」


「迷惑というほどのことではありません」

 周瑜は微笑み、優しい声で答えた。


「でもこんな日は、私の腕の中で震えていましたから、今日は可哀想なことをしたなと思って……。伯符はくふに小喬のことは頼んでおきましたが……」


孫策そんさくさまは雷など、全く怖がられませんものね」

 大喬もくすくすと笑いながら、またゆっくりと歩き出す。


「公瑾さまも全く動じておられませんわ。何故なのかしら。殿方というものは雷がみんな恐ろしくないのでしょうか?」


「みんなというほどのことではないでしょうが……」


「でもうちは女は皆、雷はダメですわ。大きな音も怖いですけれど、あの予測が出来ないところも恐ろしゅうございますわ。

 孫策様はよく、幼子のようだなどと怖がってる私を笑いますけれど、女はみな、そうだと思います」


「女性は男より繊細な感覚をしているので、恐ろしさも大きいのでしょう」

「あら、では男はみんな鈍感ですの?」


 少し含むように大喬だいきょうが笑って言って来ると、周瑜は穏やかに笑って返した。


「でも……だからといってこんな日に男が震えて泣きじゃくる姿を、女性は見たいと思いますかね……」


「……あら……。まあ……そうね……。でも、孫策様なら見たいですわ。

 そうなったら今度は私が抱きしめて、頭を幼子のように撫でて差し上げたいですもの」


 また落雷したが、今度は大喬は足を止めなかった。


「同じ姉妹でも、雷に関しては貴方の方がお強いらしい」

「ふふ……でも、小喬しょうきょうもそれでも強くはなりましたのよ」

「そうなのですか?」

 周瑜が小首を傾げる。


「ええ。幼い頃はもう、空がピカピカし始めただけで屋敷の中を走り回って。怖い怖いと泣きじゃくって大変でしたの。今はそんなことはしないでしょう?」


「はい。彼女のそんな姿はかえって一度見てみたいですが……」


 にっこりと大喬が微笑む。


「ですから公瑾様の妻になってあの子も強くなっているのです。

 強くならなければと思うようになったのでしょうね。

 私もつい子供の頃のままあの子は大丈夫かしら、などと心配してしまいましたけど……。

 きっと杞憂ね。

 小喬は心細い想いはしていても、しっかり屋敷を守ってくれているに違いありませんわ。

 何と言っても周公瑾しゅうこうきん様の奥方なのですもの」


 大喬がそう言うと、周瑜も頷いた。


義姉上あねうえもどうぞ、安心してお休みになって下さい。

 風がこっちに流れているので今しがた、少し空は酷くなると思いますが……明け方前には静まるでしょう」


「はい。公瑾様が屋敷にいらっしゃると安心いたしますわ。孫策様がいる時と同じ……。

 やはりお二人は似ていらっしゃいますわね」


 ぴか、とまた空が光った。

 だが二人はもう足を止めず、穏やかに笑い合いながら廊下を歩いて行った。



「小喬もきっと、大丈夫ですわ」



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