第17話 帰路=自由落下

「ジジ様! ジジ様見てるんでしょ!


 ━━━━フリューゲルッ!」


 空に、魔力をぶつけてやれば、背後に大きな気配を感じた。

 大きな黒竜が、欠伸で牙を見せている。


「やれやれ、ようやく思い出したのか」

「此処、夢の世界に作ったジジ様の結界の中ね。私は死んじゃったって……そういう訳じゃ無いんでしょ?」


 ずっと休養って言ってるし。

 この前、魂がどうとか言ってたしね。


 私の視線と、黄金色のジジ様の瞳がぶつかる。


「そうさ。……危なかったけれどね」


 危なかったの!?

 ……そういえば、さっき読んだ手紙の中、死にそうな人向けの言葉があったわ。

 うっわぁ……今回ダメージいってるの魂だもんね……。流石に勇者スペックチートも怯むか。


 内心血の気が引いているけれど、ジジ様は構わず話を続けた。


「キミは、ヴァル坊の離宮でずっと眠っている……もう、7ヶ月になるだろうか」

「……? 桜が咲いたとこなのに?」

「実はこの前倒れた時からねぇ、2ヶ月経っているんだよ」


 のんびり言わないでほしい。


「聖者が記憶を取ろうとした時、かなり抵抗したんだろう。魂にヒビが入ったんだ」


 魂だけの状態でも抵抗が出来る事に驚きだよ。

 あ、普通は出来ない? そうだよね。

 ジジ様が言うには、私がしぶと過ぎたから出来たウルトラスペクタクルな現象らしい。凄いな……若干引くわ。


「ヴァル坊が魔王の力を対価に、私を通して直したから安心しなさい」

「『魔王』? 『対価』??」


 不穏なワードがバンバン出て来て顔が引き攣った。

 安心って何だっけ?


「君には辛い事だったけどね、あの子が人間に戻るのには丁度良かったんだ。本当に気にする事は無いんだよ」


 パーシヴァル……ただでさえ人外の魔力と人畜非道な冷酷さ有ったのに、本当に人間辞めてたんだ。

 また後でその話聞こう。


「ジジ様、ヒビは完全に治ってる?」

「勿論だとも。記憶も戻ってて、そっちは君の執ね━━奇跡だね」


 もうほぼ言い切ってるよ。怒らないから『執念』で良いよ。


「じゃあ私戻ります。どうすれば帰れる?」

「落ちれば良い」


 …………なんて?


「そこの草むらを抜けていきなさい。すぐに分かるよ」


 私の背丈よりも遥かに大きな草が生い茂る場所を尻尾で指すジジ様。

 虫がいっぱい居そうで嫌だ等と、甘っちょろい我儘は言えない。

 あ、そうだアスカロンで━━


「あぁ、アスカロンで一掃は止めておきなさい」


 先手を打たれた。


「君がなかなか起きなかったせいで、とても苛立っている。思わず主人の物を泉に捨てるような、暴挙に出るくらいね」


 あー……、旅してた頃のデフォルト衣装といっても過言じゃ無い『妖精女王ティターニアの軽装』着た私の姿で手紙ぶちまけてたの……アスカロンか。

 擬人化とか出来たんだ……いや、此処が現実じゃ無いからかな? いつか確かめよう。


「分かりました。歩いていきます」


 草を掻き分けて、少し早足で進んでいく。

 桜から毛虫が落ちて来なかった時点で気付けば良かった。此処、虫が居ない。

 ざわざわばさばさと、少し乱暴に草を分けて進む事数分。


 星と月との距離が、通りでとても近いと思った。

 此処は、空に浮かぶ島だった。




 ***


(パーシヴァル視点)



 所々新しくなった離宮の回廊を進む。

 迷う事なくこの部屋に通い続けて、もう7ヶ月か。

 春は終わりを告げ、少しづつ夏の匂いが空気に混ざり始めた。


「理玖」


 天蓋を開け、広く白いベッドに横たわる最愛の存在を呼んだ。

 長い睫毛に縁取られた瞳は、今日も固く閉じたまま。


 すっかりと定位置になった椅子に座り、手に触れる。

 体温を取り戻した手に触れる度、胸の奥底でくすぶっていた安堵と痛みが同時に溢れ出す。


 魂を戻す事は叶ったが、その後0からいきなり元に量に戻った魔力のせいで熱を出し、熱のせいでヒビが入っているという魂の回復に支障をきたし始めた。

 あの時は、生きた心地がしなかった。


 ミカエルが「魂の回復を優先させるために一定の夢の中に留めておければ……」と言った為、夢と現実を意のまま行き来する滅茶苦茶な幻獣に頼み込んだ記憶は、未だ鮮明だ。


 だが、今日はソレより大事な日だ。


「━━今日で、3年目だ」


 眠り姫になっているお前を求め始めて。


「良い加減、起きて返事を聞かせてくれ」


 言っても仕方ない事は分かっている。

 それでも告げずにはいられない。


 眠っていても関係なかった。

 妻になって欲しいと……毎日求めた。

 理玖は、初心で可愛らしい女だが、言葉選びにキレがある。


 そのうち『寝てる相手にプロポーズって、頭沸きすぎじゃない?』くらい可愛げの無い事を宣い、ひょっこり起きてくれるんじゃないかと願っていた。


「そう上手くは……いかないか」


 そもそも……記憶が無い筈だから。

 滑らかな手は、魂が抜かれた時とは違い暖かい。

 ずっと握っていたい。離したくない。


 なんでは……


「3年なんて、言ったんだろうな」


 長く設けたつもりだったのに。


「早いな……」


 今日目覚めなければ、理玖の身柄は、エイリスに返される予定だ。

 本当は、理玖はエイリス国民である為すぐ彼方に返さなければならなかったが、今日まではと……エルシュカと交渉した。


 ケジメの一つだ。


 記憶の問題も痛いが、それよりもいつ目覚めるか分からない理玖を皇后に迎えるのは不可能。別の女を迎える必要が出てくる。そうなれば、理玖をずっと離宮に置いてはおけない。

 朕が未練を断ち切れない。そして、理玖の為にもならない。


 いや……『理玖のため』とほざくのならば、最初から間違っていた。

 皇族の一員にするという事は……絶えない諍いの渦に引き摺り込むという事だ。

 朕は、守れると思っていた。

 だが聖者1人にこのザマだ。


 聖者が言った『茨の道』という言葉が、思ったよりものしかかっている。


 だから、これで良かったのかもしれない。

 諦めきれないと憤る自分の存在を、確かに胸の内に感じるが……理屈と感情が、何度もぶつかり合っては、答えを出せぬまま沈黙する。


 暫く理玖を眺めて、ようやく重たい腰を上げて部屋を出た。

 回廊を通過し、今日は庭から戻る事にする。


 理玖の部屋からよく見える位置に植えた桜達は、もう花が落ちて青く茂っている。


 いつもより、体が重たい。

 理玖の事があって、ここ数日あまり眠れていないからだろうな。

 我ながら子どものように我儘。

 これが当たり前になるまでの辛抱だ。昔は眠れないのは常だったか……ら。


 不意に、足が止まった。


 桜の匂いを思わせる魔力が身を掠めて通り抜けたように感じて。


 心臓が跳ねる。

 もはや走り出すのは本能のまま。

 振り返り、駆け戻って、荒々しく扉を開ける。


 乱れた息を整えながらベッドに歩み寄ると、景色がさっきまでとは違う。


 部屋の大きな窓ガラスの向こうが、淡い桃色の━━桜の花々で埋まり、陽の光を返すように煌めいていた。


「きょう……」


 その声に、窓の向こうの景色ばかり見入っていた体が固まった。


 嬉しい……ずっと聞きたかった声に、現実味が無さすぎて反応が遅れる。

 ぎこちなく目線を下へずらせば、薄く開いた双眸が映った。

 瞳を瞬かせ、枕元に漂う光を確かめるように視線を彷徨わせてる。


「3年目?」


 アスカロンが体の状態を保っていたからだろう。

 思ったよりも掠れていない。しかし記憶より小さく甘やかな声。

 少し力の無い笑みが痛々しくも、ようやく起きてくれたという安堵感で、胸に込み上げてくるものをどう表現すべきか分からない。


「り……く……」


 理玖の目が覚めたら、力の加減などお構い無しにかき抱いてしまおうと、考えていた。

 だが実際は、体が動かない。

 情けない。

 不格好に、名前を紡ぐ事すら覚束ない。


「なんて顔、してるんですか……?」

「きおく……」

「戻ってます」


 伸ばされた手を握りしめると、嬉しそうに目を細めた。

 長い髪が肩口を滑り落ち、白い寝間着の布地が僅かに揺れる。

 柔らかな動作ひとつひとつが、儚く、眩しく見えた。


「今日は……言わないの?」


 何を……などと聞く必要は無い。分かりきっている。


「……お前の笑顔が好きだ」


「そう」


「ずっと見ていたいと思っている。お前の笑顔を作りたい。幸せにしたい。悲しませたくない。苦しい思いを……させたくない」


「知ってる」


 静かな、優しい声音だ。

 次の言葉には、どう反応するだろうか。


「━━そう考えると、皇帝の妻という立場は……酷く矛盾する」


「……つまり?」


「俺は……お前が幸せで居てくれるなら……身を引いても良いと……




 ━━━━そう思いもした」


「過去形で……安心した」


 ベッドの膨らみが、緩やかに一回上下する。大きく息を吐いたようだ。


「随分、不安にさせちゃったんですね」


 理玖の目が、指先に向いた。


「……起こしてもらって、良い?」


 返事より先に体が動いた。背中を支えて上半身を起こす。

 すると彼女は、「ん」と。

 両の腕を差し出した。


 意味を取り違える余地は無い。


「ん!」


 真っ直ぐに見つめられて、抗うという選択肢など初めから存在しなかった事を思い知らされる。


 潰してしまいそうなほど小さな体。

 恐る恐る腕の中に迎え入れれば、背中に回された腕の力は、予想よりもずっと強かった。

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