ガイラボシ・水人

一本杉省吾

第1話 入江甲介

スポットライトの眩しい光の中、僕は、緊張していた。いつもの自分の居場所とは違うテレビ局のスタジオ。今日で何度目であろうか。どれだけ数を重ねても、慣れるものではない。

 (こんなヤキモキするんやったら、泳いでいた方がましや)

 そんな言葉が、頭の中に浮かんでいる。この一か月間、このようなインタビューの仕事を受けている。まあ、自分が頑張り、喜ばしい結果を出してしまった。一か月前、この日本中が盛り上がりあの盛り上がり、自分でも、アドレナリンが出まくっていた。国民に喜ばれて、その報告をしなければいけない義務とは云うものの、やはり、こういう場は、本当に慣れないものである。

 <やりました、日本の入江、金メダルでする百メートル平泳ぎ、日本の入江、やりました。やってくれました!>そんな実況、某国営放送局のアナウンサーの興奮を抑えた叫び声が、日本中に響き渡ったあの暑い夏の日から、もう一か月の日々が流れていた。そう、僕は、入江甲介は、オリンピックで金メダルを勝ち取ったのである。

 「こんにちは、今日は、よろしくお願いします。」

 まだ、新人アナウンサーなのだろう。立ったまま、そんな言葉を発しながら、深々と頭を下げてくれる。僕も、思わず、立ち上がり、こちらこそと、言葉を添えて、深く頭を下げた。目の前の若い女子アナウンサーは、自分と同じぐらい、緊張をしているようである。まだ、あどけない作り笑顔が、僕の緊張を緩和してくれた。

 僕は、金メダルを首からぶら下げて、まだ、新人であろう、女子アナウンサーのインタビューに返答える。僕にとって、夢にまで見たオリンピックの大舞台。強化選手になり、毎日、十時間も競泳用のプールで泳ぎ続けた日々。その結果、今、ゴールドに輝くメダルを首から掛けている。

はぁ!と、タメ息をつきたくなる。この一か月、同じような質問ばかり、内心、またか!と、表情に出てしまいそうになるのを、グッと堪えて、引き攣った作り笑顔を浮かべる。念願のオリンピックに出場して、金メダルを取り、首にかけている事は、喜ばしい事であるが、おまけのように、付いてくるメディアへの露出。平気な奴は、平気で、好きなのだろうが、入江甲介、僕は駄目なようである。

 

「あのぉ~、同じような質問ばかり、すいませんでした。」

 十五分ほどの、インタビュー時間を終え、自分に照らされていた、スポットライトのスイッチを消えた瞬間、目の前に、同世代の愛らしい表情を浮かべる女性アナウンサー。

 <えっ!>苦手なメディアの露出が終わり、安堵の表情を浮かべることもなく、突然、可愛らしい表情と、そんな言葉が耳に届いた。

 「そうですよね。電子表示板に、一番に自分の名前が表視された時、どう思いましたとか、レースを終えて、金メダルと云う結果についてとか、うれしいに決まっていますよね。」

 周りのスタッフが、業界で云う撤収、片づけを始める中、上司であろうデレクターらしい人が居なくなってから、声のトーンを落として、そんな言葉を口にしていた。

 「私も、自分の言葉で、インタビューをしたかったのに、自分で書いた原稿をボツにされて、この台本を…」

 自分が手に持つ台本を睨みつけ、縦の方向に丸め始める。世間で、よく言われる腰掛けOLではなく、自分の信念をもって、この放送業界に入ってきたんだけど、外見の可愛さから、客寄せパンダ的な扱いをされている自分。私のやりたい事は、こんな事ではないという苛立ちの感情が、表に出てきている。妄想ではあるが、僕は、そんな風に考えてしまった。

 <ふっ、ふふ…>思わず、笑みを浮かべてしまう入江。女性アナウンサーの悔しそうな表情に視線を向けて、こんな言葉を発していた。

 <正直者ですね>にこりと、笑みを浮かべる入江の方に視線を向けた女性アナウンサーは、ハッと我に帰る。両手に自分の口を押える。

 「多分、大丈夫ですよ。」

 入江は、小声で、女性アナウンサーの耳元に近づけて、そんな言葉を口にする。多分、彼女は、インタビューの合間に見せた、入江の表情の変化に気づいていたのだろう。たまたま、自分の抱いていた思いと、今、自分に降り注いでいるジレンマに、否定的な言葉を口にしてしまったのだ。

 「すいません、私ったら…」

 そんな言葉を口にする女性アナウンサーに、素直な気持ちというか、穏やかなに気分になる。

 「あの、面白いもの、見せましょうか。」

 入江は、急に親しみを抱いた女性アナウンサーの耳元で、そんな言葉を口にすると、自分の二つの手のひらを、大きく開き、女性アナウンサーに見せる。

 <えっ…>自分の耳元で優しく囁く金メダリストの言動にも驚きだが、目の前に見せられた手の平に、なんの面白いものがあるのか、気づかない。

 <わかりませんか>入江は、そんな言葉を発しながら、含み笑いをする。女性アナウンサーは、入江の表情と手の平に、交互に視線を送りながら、目元に、力を入れて、眼力を強めた。何か、違和感を感じる。しかし、それがなんであるのか、わからない。

 <あっ!>「気づきましたか。」

 女性アナウンサーは気づいた。入江の手の平への違和感。そして、自分の手のひらにはないもの。ゆっくりと、入江と視線を合わせて、何か、言葉を発しようとしていた。

 「面白いでしょ。水掻きが、異常に発達しているでしょ。」

 女性アナウンサーも、自分の手の平を開いてみる。入江の手の平と見比べて、空いた口が閉じれなくなっていた。

 「どうです。面白いでしょ。」

 笑みを浮かべながら、そんな言葉を口にする入江。自然と、人差し指を伸ばし、入江の水掻きに触れようとする女性アナウンサー。

 「すいません、いいですか。」

 触ってもいいですかと、言いたかったのだろう。入江は素直に、どうぞと応えた。

 すごい!ぷよぷよした感触、女性アナウンサーが、発した言葉。自分の手の平と、入江の手の平、明らかに、水掻きの発達具合は違っていた。

 「あっ、思い出した。どこかの国の水泳の選手が、入江選手みたいに、水掻きが、異常に発達しているって、テレビで見たような…。」

 女性アナウンサーは、入江の顔をまじまじと見つめながら、こんな会話を始めた。

 「僕も、そんな話聞いた気がします。まぁ、一日、十時間以上の水の中にいるんだから、こんな風になるのも仕方がないかもしれませんね。」

 入江は、含み笑いを浮かべて、再度、女性アナウンサーに、手のひらを広げて、目の前に突き出した。

 「でも、僕の場合は違うんです。生まれつきなんです。この水掻き…。もしかしたら、僕の先祖って、河童かもしれませんね。」

 入江は、そんな含みを持たせた言葉を口にして、笑ってみせる。そして、遠い記憶を思い出した。自分がまだ、幼い頃の思い出、曾おばあちゃんのこと。百歳の曾おばあちゃんが、話してくれた事を、思い出していた。



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