6〈俺〉 インプ
〈あれはやっぱり猿じゃないよな…〉
俺は空中で光るダーク・シーの3Dホロ画面をぼんやり見ながら考えていた。
ゲームブックをプレイする為に薄暗くした部屋の中、空中に浮かぶ光が今日は普段より眩しく見えた。
〈本日第19巻「揺らぐ世界の法」発刊〉
アップデートファイルを読み込む画面にはそんな文字が踊っていた。
〈orbis terrarum commutationem〉
やがてダーク・シーのキャラクターシートが表示され、俺は自分のメインキャラクターである
仲間の一人であるユイには「中身オジサンが女キャラ使うって」と言われるが自分はこのキャラクターを気に入っていた。ノルを選択し、決定キーを押した瞬間3Dホログラフィが白く強烈に発光しブックのページがめくられた。
「そっか、こんなとこで終わったのか」
前回ブックアウトしたのは随分と初心者向けのストーリーだった。
ダーク・シー第一巻 第三章「白い夢の帳」この章の中で集められる草の蜜が必要で収集に来ていたのだった。この辺りには初級モンスターであるインプが生息するが、俺のレベルではレベル差がありすぎて襲われる心配すら無かった。
現に一匹のインプがチラチラとこちらの様子を
「おっと、ビールビール」
椅子から立ち上がりキッチンの冷蔵庫に向かう。ビールがあと何本か残っていた筈だ。庫内灯が暗いキッチンを僅かに照らし、《キン》と冷えたヱビスの350mlビール缶に手を掛けた時、俺は自分の手首にブレスレットのような物が付いている事に気付いた。
「何だっけこれ?」
確かに見覚えがある物なのだがいつ
「あれ~?」
疑問に思いながら部屋に戻った俺は異様な光景を目にした。
部屋に何かいる。
白い肌、子供ほどの体躯、背中からは汗が蒸発した湯気が立ち上り足に付いた泥で床を汚している。
インプ。
ダーク・シーの敵性怪物であるインプが俺の部屋にいた。3Dホログラフィックでなく、間違いなく俺の部屋のフローリングに足を着けて
「こいつッ!」
過去に何百と倒してきたモンスターである為か不思議と恐怖心は湧かず、俺は咄嗟にインプの顔面を殴りつけた。
「ゲォロッ」と声ともつかない音を口から出しながら、吹き飛ばされたインプは勢い良くTVに激突し、モニターは大きなヒビを入れながら「く」の字に折れ曲がり《ガシャァン!》と大きな音を立てて床に落ちた。
「あっ、ウソ!」
TVが壊れた事で我に返った俺の心に
〈逃げなくては〉
急いで玄関ドアを抜け《バタンっ!》と乱暴に背中で押さえインプを中に閉じ込めた。俺を追ってきたインプがドアの内側をドンドンと暴れて叩く事を想像していたのだがそんな事は無いようだ。むしろ部屋の中は妙に静まり返っているように思えた。
「とにかく一回落ち着こう」
あれはどう考えてもインプだった。匂いや肌の生々しさは初めて感じた物だったが、今迄に何百と倒してきたインプだった。武器を手にした事と
ドアの外側から《キィー》と音を立てて郵便受けの蓋を開けて中を伺う。
薄暗い部屋には何も動く気配がなかった。
俺は音を立てないようにそぉっとドアを開けて中に入る。右手にはきつく杖を握りしめている。キッチンを抜ければインプが居た部屋だ。キッチンにも何も異常は無い。TVが壊れた
手探りで壁のスイッチを探す。パッとペンダントライトが点灯し部屋は眩しいほどに明るく照らされ、明るくなった部屋の中で、折れ曲がったTVの画面に埋もれる様にインプが横たわっていた。『昏き森の雫』の先でインプの鼻先を押す。ただ押される
「死んでる…」
そのそも生き物であればだが、目の前のこれは完全に死体だ。
「ふぅうううう」
何なんだよ…。恐怖と緊張から開放され、床に膝を着いて俺は大きく息を吐いた。120㎝ほどの体躯、大きな頭に小さな胴と短い足、白い肌に粗末な革の腰巻きをして腕だけは妙に長い。傍らには粗野な造りの棍棒が落ちている。特徴的な豚のような鼻。
豚鼻の白い猿。
数週間前の世田谷に、数日前のアメリカに現れた豚鼻の白い猿、それがコイツだ。ダーク・シーの敵性生物、インプだ。これからこの死体をどうすれば良いのか…。野生動物でも勝手に捨てたりすれば違法になるんじゃ無かったっけ…。いや、それよりも俺は一体どうしたんだ。
リビングにある姿見に向かう。リビングの照明を点け、その姿見の中に居たのは20代の魔女、ノルだった。
「えええええええええ???」
胸があり、股間には無い。そもそも顔も全然違う、丸みを帯びた猫のような大きな吊り目にぽってりとした唇。少し褐色味のある肌。俺がゲームブックで作ったノルの姿がそこにあった。会社で気になっている後輩の女性社員に似せて作った顔だ。そしてダーク・シーの中の衣装、手にした武器、そこには俺個人の面影は僅かも残っていなかった。
「なんなんだよ…」と呟いてギョッとした。
声までブック内の女の声なのだ。
「ウソやん」
娘にどんな顔をして会えばいいのだろう、会社は?杖を握る手のひらが熱く汗ばむ。めっちゃヤバい…。考えれば考えるほど手が汗ばむ。不自然なほどだ。
「いや、これ…」
杖を握る手が熱いのは体から右手を通じて杖に何らかのエネルギーが流れているからだ。
まさか。半信半疑ながら小さな声でダーク・シーの呪文を囁く。
「
その瞬間杖の先から影が噴き出し部屋全体が闇に包まれた。仄かに光るはずの『昏き森の雫』もリビングの照明の光も見えず、完全なる闇の世界。壁を探り照明のスイッチをON・OFFするが部屋は変わらず暗闇のままだった。光の無い闇の中で、壊れたTVから出る《ブーン…》と云う音だけが耳に届く。魔法が使える…ダーク・シーの魔法が。魔法が使えたらもう働かなくて良くないか?いや、それよりインプが出てきてる現状を考えれば会社どころじゃないか。
「
魔法が使える、私は魔女…。
そして
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