由々しき事態は見過ごせない
広野鈴
第1話 姉の消失は見過ごせない
気がつくと、由々しき事態に巻き込まれている。あたしの名前のせいかもしれない。
あたし、結々四季(ゆゆ しき)。ごく普通の高校2年生だ。……と、自分では思っている。けれど、あたしの身の回りには、いつも信じられないような由々しき事態が起こる。
昨日だけでもこうだ。
迷子のおばあさんを連れた教会で怪しい儀式に巻き込まれ、悪魔召喚の生贄にされそうになった。学校を休んだ同級生にプリントを届けたら、こっくりさんをする最中で金縛りに遭い、〈よからぬもの〉に憑かれた。お祓いしに神社へ行くと、もっと危険な呪物ことりばこの解呪中。巻き込まれないよう逃げ出したら、ひとりかくれんぼをする幼女に遭って異界へ送られかけた。
……と退屈しない。
あたしには、双子の姉、結々志衣(ゆゆ しい)がいる。性格は、いつも元気で考えるより前に積極行動するあたしと反対で、大人しくて慎重に頭を使うタイプだけど、そんな姉に、今までで一番恐ろしく、一番由々しき事態が起きていた。
朝、目が覚めたら、お姉ちゃんがいなくなった。
いなくなったと言うより、消えてしまったと表現するほうが合っているかもしれない。
お姉ちゃんは、あたし以外、みんなの記憶からも、写真や記録からも消えてしまったから。
まるで初めから、お姉ちゃんが存在しなかったように、痕跡(こんせき)が消え去ったのだ。
こんな由々しき事態、見過ごせない!
◇
お姉ちゃんがいないと気づいたのは、朝食の準備を終えてお姉ちゃんの部屋をノックした時だった。
結々家は、あたしとお姉ちゃん、おばあちゃんの三人暮らし、朝が苦手なお姉ちゃんと反対に朝から元気いっぱいのあたしが朝御飯係を担う。
お姉ちゃんの部屋を開けたあたしは驚いた。共有の資料と本が並ぶ本棚を残し、お姉ちゃんが寝ていた布団や制服もなく、着替えの入った箪笥(たんす)まで空になっていたからだ。
「どこへ行ったんだろう?」
あたしは、首を横に傾げながら一人ごちた。昨日、お姉ちゃんは、朝早くどこかへ出かけて、帰りは遅かった。学校も休んだし、夕食も一緒に食べていない。
あたしは、帰って来たお姉ちゃんの姿を見ている。一夜にして姿を消して、布団や着替えまでなくなるなんて。家出……ではないよね。
スマホを取り出したあたしは、また驚く。電話帳にもメッセンジャーアプリにもお姉ちゃんの連絡先が見つからない。通話やメッセージ履歴も消えていた。
「嘘……」
連絡先も履歴も消去した記憶はない。あたしは、共通の知り合いであるクラスメイトにお姉ちゃんの連絡先を訊ねる。
四季『ごめん。お姉ちゃんの連絡先、分かる?
アドレス帳から消えちゃって』
幽子『え? 四季にお姉さんとかいたっけ?』
◇
クラスメイトが悪い冗談を話しているのかと思ったけれど、彼女は、お姉ちゃんを知らないと言い続ける。
あたしは、居間でお茶を啜(すす)るおばあちゃんに駆け寄った。
「どうしたんだい、四季。家の中で走るんじゃないよ」
黒髪を後ろ結びにして、着物が似合う結々家当主の祖母は、結々詩乃(ゆゆ しの)という名前だ。彼女は、かつて伝説と謳(うた)われた大陰陽師だという。今は力を失ったと言っているけれど、我が家に振りかかる由々しき事態は、おばあちゃんの教えで解決したものばかり。
おばあちゃんは、由々しき事態に動じない。
「おばあちゃん、大変だよ。お姉ちゃんがいなくなっちゃったんだ」
あたしは、丁寧な所作でお茶を啜るおばあちゃんの前で立ち上がったまま告げた。
「落ち着きなさい、四季。そこに座りなさい」
おばあちゃんは、座ったまま茶碗を両手で持ち、その水面を見つめたまま話した。
「はい、でも……」
「でももへちまもない」
「はい……」
あたしは、渋々と正座して座る。
由々しき事態こそ落ち着いて考える。
結々家に伝わる教えだった。
「これを飲みな」
おばあちゃんは、湯呑みにお茶を淹れてくれる。
あたしは、湯呑みを受け取るとそっと口に含む。香りの良いお茶を飲むと、心の底で波打つものが鎮まる。
落ち着いた……かもしれない。
「四季。お前に姉はおらぬ。お前の両親がいなくなり、結々家は、わしと四季の二人だけじゃ」
おばあちゃんは、静かにそう言った。
◇
「そんなわけないよ。あたしには生まれた時からずっと一緒に暮らして来た双子のお姉ちゃんがいる。昨夜も隣の部屋で見たんだ」
身を乗して声を上げたあたしを、おばあちゃんは目で制する。慌てて座り直してお茶を口に含む。
おばあちゃんにも、お姉ちゃんの記憶がない。震える両手を抑え、あたしは、信じられないという気持ちでおばあちゃんの双眼を見つめる。
おばあちゃんは、あたしの双眼を見つめ返すと、
「昨夜まで姉が傍(かたわ)らにいた。それは確かか?」
真剣な表情で訊ねる。
「うん」
あたしも真剣に答えた。
「そうか」
おばあちゃんは、静かに答える。
「あの部屋は、四季の母親が使っていた部屋じゃ。娘はわしの後を継いで怪異を調べていた」
辻褄は合う。お姉ちゃんがその部屋を継いだのはお母さん達が消えてしまってからだ。
「その部屋を四季の姉が使っていたと言うのじゃな?」
「うん」
「そうか」
おばあちゃんが静かに答えた。そして一度目を瞑り、
「姉を見つけられるか?」
あたしを見つめて問いかけた。
「うん。お姉ちゃんは消えてなんかいない。必ずどこかにいるから。だから……。絶対にあたしが取り戻すんだ」
声を上げて宣言した。
◇
「四季は、姉の存在を信じ抜くことじゃ。他の誰もが忘れ、お主だけが覚えているのなら、消えた姉をこの世に繋ぎ止めるのも、取り戻せるのもお主だけ」
おばあちゃんは、あたしを鼓舞するように話してくれる。お姉ちゃんの記憶がなくてもあたしを信じてくれている。
「お姉ちゃんをこの世に繋ぎ止めるのが、あたしなの?」
あたしは、おばあちゃんの目を見つめたまま訊ねる。
「四季も忘れてしまえば、姉を認識するものがいなくなる。それが本当の消失じゃ」
あたしの記憶から消えれば、誰の記憶からも記録からもお姉ちゃんが消えてしまう。もともと存在しないのと同じだ。
「あたしは、絶対にお姉ちゃんのことを忘れない」
「出来る限りこの世と姉を繋ぐものや手掛かりを探すのじゃ。お主と姉を繋ぐものを見つけることじゃ。何かヒントが見つかるじゃろう」
「わかった」
おばあちゃんの目を見つめて、しっかりと頷いた
◇
「おばあちゃん、これ、怪異かな?」
あたしは、おばあちゃんに核心を訊く。
「怪異じゃろうな」
おばあちゃんは、表情を変えずに答える。そうじゃなきゃ説明つかないもんね。
「怪異は、昨日までずっと普通に一緒に過ごしてきた大切な存在を消すことなんてできるの?」
「神隠しや生け贄のように人間や動物を異界へ連れ去る怪異なら昔から沢山おるよ。じゃが、皆の記憶や記録を含めて、初めから存在しなかったように消し去る怪異は訊いたことがない。
じゃが……」
「訊いたことがないからって、あり得ない訳じゃない」
おばあちゃんの言葉を、おばあちゃんの受け売りであたしが継いだ。結々家の格言でもある。
あり得ないなんてことはない。
「そういうことじゃ。そして……」
「こんな由々しき事態、見過ごせない!」
あたしは、またおばあちゃんの受け売りで答えた。
だってあたしは、由緒正しい怪異破り(ゴーストブレイカー)の末裔なんだから。
◇
怪異(かいい)。
結々家怪異対策マニュアル 序章 序文より
怪異とは、都市伝説や神話など、人々の噂や伝承、信仰などから生まれる存在で、妖怪や幽霊、神、呪い、現実的にあり得ないとされる現象の総称である。
怪異と呼ばれるものは、時代によって変化する。
科学的な理由が分からない不思議な事象を理解するために、昔は、理解できない現象を狐や鬼、天狗などの妖怪の仕業と捉えていた。
陰陽道が進んだ時代では、式神や方術、お祓いに結界、蠱毒による呪物など怪異を呼び起こし、願いを乞う、または呪う手段として広まった。
近代でも、トイレの花子さんや狐狗狸さん、さらにはコトリバコ、ひとりかくれんぼ、きらさぎ駅、八尺様などの都市伝説の形で怪異は広がっている。
時代ごとの伝承や都市伝説のように、人々の共通認識が生み出す怪異もある。
一説では、怪異を生み出すのは人間の心であり、恐怖心や恨み、憧れが変化したものだと伝えられる。
はじめから怪異があったのか、それとも人間の心が怪異を生み出すのか。それは分からない。
どちらにしても、怪異は存在する。
ただそこに存在するだけで、あり得ないものなどない。
怪異には条件がある。発現条件を満たせば取り憑かれ、解呪条件を満たせば避けられる。
そこに「なぜ」はいらないのだ。
本マニュアルは、ただそこに存在し、それ以上ではない怪異の説明と発現条件、対策を記す。
◇
腹が減っては戦はできぬと、朝食の焼き魚定食をしっかりお代わりしたあたしは、結々家に伝わる怪異資料を調べていた。
怪異や呪いは、物理的な力では対抗できないものが多い。大事なのは、判別と条件の把握だ。
怪異の種類を判別して、なぜ怪異に遭ったのか、どうすれば解決できるのか、発現条件や解呪条件を調べないといけない。
お姉ちゃんの部屋にある本棚には、怪異や伝承、神話、地域の怪事件など古くから伝わる書物や資料がぎっしりと詰まっている。
おばあちゃんが話していたように、人間が消えてしまう怪異は、神隠しに類するものの可能性が高い。
「この辺りから見てみよう」
あたしは、神隠しと異界送りに関連する資料から調べる。
◇
神隠(かみかく)し。
結々家怪異対策マニュアル 神隠しの章 序文より
人間が忽然と姿を消す現象。山や森、神社など神域から消える場合だけではなく、街や村、家の中から突然消えてしまった者を、神に連れ去られたと捉え、神隠しと呼んだ。
神隠しは、天狗隠(てんぐかくれ)とも呼ばれ、神以外にも天狗や狐、鬼、山姥(やまうば)、蛇に連れ去られるなど地域ごとの伝承がある。
神隠しを行う存在の代表的なものに隠し神がいる。
隠し神は、油取り、隠しん坊、隠れ婆、子取り婆、ものまよいなど各地で呼び名が付いている。
隠し神は、共通して、禁足地(きんそくち)など入っては行けない場所に入り、帰るべき時間を過ぎても、かくれんぼをして遊んでいる子供など、禁忌を犯す者を連れ去らう。
沖縄県の櫛・ものまよいと呼ばれる隠し神は、失踪した者の部屋に愛用した櫛を取りに失踪した者が戻って来るという特徴がある。しかし、失踪者が櫛を手にして異界へ消えると二度と現世に戻ることはない。
神隠し事件は、現実的には怪異でないものも含まれる。
迷子、家出、夜逃げ、誘拐、殺人など未解決事件が神隠しの仕業とされていることもある。
貧しさに苦しみ、捨て子や口減らしが横行した時代もある。双子が前世で結ばれなかった心中者の生まれ変わりとされ、忌み子と扱われて消されたこともある。
それら忌まわしき事件を、怪異や神の仕業とすることで、心の平穏を保とうとしたのだ。
◇
異界送り。
結々家怪異対策マニュアル 神隠しの章 異界編より
人間が異界に入ること、または送られること。
異界とは、この世にあらざる地と、幽世(かくりよ)、つまりあの世のことを指す。
神隠しが神や妖怪など怪異主導により連れ去られる現象を示すのに対し、異界送りは人間主導で異界へ送り出す。
人間が、人形や魔法陣、生贄などを用いた儀式の手順を踏み、異界の扉を開く。自らまたは、他人を異界へ送り込む。
相反する手段に召喚術や降霊術がある。召喚術は、異界から現世に非ざるものを呼び出す術式で、魔法陣などを用いる魔術である。降霊術は、神や亡くなった人間の霊を呼び出し、予言や託宣を賜る呪術である。
共通するのは、一定のプロセスを踏むことで、本来交わるはずのない現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)が、境界を越えて交わる点である。
異界送りとは、対象が望む望まぬに関わらず、人為的に生じさせる神隠しと捉えてよいだろう。
◇
「神隠しか、異界送りなのかなぁ」
神隠しと異界送りの概要を把握したあたしは、机に広げた本を眺めながら一人ごちる。
お姉ちゃんが消えた原因は、神隠しの怪異に遭ったのか、何者かに異界へ送られたのか、どちらかだろう。
お姉ちゃんは、あたしより霊感も強いし、怪異にかかり易い体質と言われていた。お姉ちゃんが自ら望んで異界へ入ったとは考えられない。
理由はある。明日は、あたしとお姉ちゃんの誕生日だから。あたし達は、いつも互いに用意した贈り物を受け渡す。
和装が好きなお姉ちゃんにあたしは、去年、木を削って作った手造りの櫛(くし)を送り、今年は、髪留めを作った。去年、お姉ちゃんから手造りの兎の髪留めを貰ったからだ。
今年もお姉ちゃんと私は、楽しみにしていた。お姉ちゃんが自ら望んで、この世から消えるわけない。
神隠しも、異界送りも、対象者を異界へ連れ去るけれど、周囲の人間の記憶や、対象者が存在した記録、痕跡まで消してしまう事例は見つからなかった。
あたし以外の人間から、お姉ちゃんの記憶を消し、スマホや書類からお姉ちゃんの記録を消した原因は何だろうか?
あたしは、お姉ちゃんが机の引き出しにしまっていた日記帳を探す。引き出しの奥に、それは残っていた。
◇
姉妹でも、勝手に日記帳を開くのは躊躇(ためら)う。
お姉ちゃんに関わる記録や、記憶が消えている今、形のあるもので、お姉ちゃんの痕跡が欲しい。
お姉ちゃんの想いが強く残る日記帳なら……とあたしは、日記帳を開く。表紙を開くと、白紙の頁が続いていた。やっぱり、消されている。
スマホの履歴が消えるのも不自然だけど、紙に綴(つづ)った文字さえ綺麗に消してしまうのか。
「あれ?」
あたしは、日記帳が不自然に厚いことに気がついた。後半の頁と頁の間に固くて薄い何かが挟まれている。栞が挟まれたような頁をそっと開く。
「櫛(くし)……お姉ちゃんの櫛だ」
あたしが去年、お姉ちゃんにプレゼントした櫛だった。
「良かった」
あたしは、目元が熱くなるのを感じる。
やっと見つけた。お姉ちゃんがこの世界に存在していた証だ。どうして櫛だけが消されずに残されたのだろう?
お姉ちゃんの服も、制服も鞄も、布団や小物類も消えているのに、櫛だけが消されずに残された。そのキーワードで思いつくことがあった。
櫛・ものまよい。
神隠しに関わる文献を調べていた時に、沖縄県に伝わる神隠しの伝承として説明があった。
お姉ちゃんの消失、この伝承に関係あるかもしれない。
◇
櫛・ものまよい。
結々家怪異対策マニュアル 神隠しの章 怪異事例より
沖縄県に伝わる神隠しの伝承。
ものまよい霊。物に迷うと書いて〈物迷い〉や〈櫛・物迷い〉などと呼ばれる神隠しを引き起こす隠し神である。
日本の南の地域での発生例が多いが、地域限定の怪異ではなく、どこにでも生じる可能性がある。
他の神隠しと異なる特徴は、神隠しに遭った者が連れ去られる時に身に着けている大切な何かを落とし、落とした物を取り戻すために、この世に戻って来ることである。
昔、その多くが櫛だったことから、櫛・物迷いと呼ばれる。
物迷いした者は、この世に戻り、自分の櫛を持って出て行くと、再び帰宅することはない。家族は、本人の櫛を隠して取られぬようにする必要がある。しかし、締め切った部屋でも知らぬ間に取られるという。
【解呪方法】
物迷いした者を救うには、櫛を取りに来た時に迷った者を捕まえて、この世に留まるように説得し、対価となるものを捧げる必要がある。
物迷いした者は、迷った時と同じ時間、同じ場所に霊体の姿で現世へ戻り、自分が落とした大切な物を探しはじめる。
このとき、物迷いした者が生還する条件は4つある。
一、取り戻したい物が手に入りやすい場所にあること。
ニ、取り戻したい物を取られないこと。
三、現世に戻りたくなる愛する者が存在すること。
四、生還の代償に大切なものを怪異に捧げること。
これらが揃ってはじめて、神隠しに遭った者を現世に迎え入れることができる。
取り戻したい物を物迷いした者が取り戻し、再び異界へ行ってしまうと二度と帰って来ることはない。
また、ものまよいは、隠り世と現し世をつなぎ〈よからぬもの〉を連れて来ることがある。上記条件は〈よからぬもの〉による妨害を防ぎつつ満たす必要がある
上記の説得は厳しい場合が多い。
出現する怪異に驚き、ふいをつかれる間に櫛を取られてしまうことや、迷った者が帰還を望まない場合があるためだ。
神隠しに遭った者は、神に誘拐された被害者とは限らない。現世の生に悩んだ末に、自ら望んで迷う者も多い。
神隠しに遭うには、相応の理由がある。
遭う側にも神側にも理由があり、条件に合致している。
神の理(ことわり)に合致しただけなのだから。
◇
「伝承通りなら、お姉ちゃんは櫛を取りに戻るかもしれない」
あたしは、櫛を手に取って一人ごちる。お姉ちゃんをこの世につなぐ大切なものだ。櫛を手にして異界へ行くともう戻れなくなる。あたしは、櫛を守らなければならない。
櫛を大切に、強く右手で握ると淡く白く輝いた。視える。霊的な力が櫛に宿っているのが分かる。
あたしやお姉ちゃんは、結々家に伝わる陰陽の力、48のオカルト技を扱える。霊的な力や霊体を見分ける霊視は、その1つだ。
仏様のように半目に目を開き、その場にあるものを見るのではなく、目を開けたまま夢を見るような感覚で(この世と隠り世の境界を曖昧にして)見えないはずの霊的な存在を見る。
櫛に、お姉ちゃんの霊力が残っていた。
次の瞬間、日記帳が櫛の霊力と呼応するように淡く光る。
「えっ?」
白い仄(ほの)かな光が示した頁の隅に、お姉ちゃんが綴った文字が浮かび上がる。
日記というより、箇条書きで書かれたメモのようなそれは、お姉ちゃんが神隠しに遭った原因に関わるだろう重要なキーワードだった。
・石神神社
・コトリバコ
石神神社は、昨日、あたしもお祓いしてもらいに訪れた場所だ。同じ時、お姉ちゃんもいたのかもしれない。いや、確実にいたのだろう。
もう1つのキーワード、コトリバコがそれを示している。
◇
コトリバコ。
結々家怪異対策マニュアル 呪物の章 怪異事例より
コトリバコ、子取り箱とも表現され、検索してはいけない言葉として、大手掲示板を中心に広まった都市伝説である。
精巧な積み木細工で作られた1辺20センチメートルの正六面体の木箱は、子孫を絶やす恐ろしい呪術が仕掛けられている。子どもを生める女性や子供が呪われた木箱に近づくと内臓が千切れ、血を吐いて死ぬと言われている。
この怪談は、2005年に某大手掲示板サイトのオカルト板に投稿され話題となった。呪殺の箱は、今もネットを中心に語り継がれることで伝搬し、読んだ者の中に体調不良を訴える者も現れていることから、検索してはいけない言葉として共通認識を拡大している。
怪談は、内容から島根県のある地域にある、当時差別や迫害を受けていた村が舞台と推測される。
語り部は、ある日仲間内の飲み会を自宅で開く。その際、持ち込まれた珍しい箱〈納屋で見つけたパズルのような箱〉の危険性に気づいた神社の息子が、父親に電話しながら必死に解呪を行う。語り部は、地元に伝わる呪い、コトリバコについてそのルーツを調べてゆく。
コトリバコは、村へやって来た男が持ち込んだ呪物で、殺したい者、一族を根絶やしにする強い武器として伝えたという。
作り方は、非人道的なもので、箱の中に雌の動物の血を入れて、さらに死んだ人間の子供の指を入れる。
迫害された村人は、武器を受け入れ使用してしまう。コトリバコを届けられた家は、僅か2週間足らずで女1人と子ども15人が次々に血反吐を吐いて死んだ。その後もそれと知らずに箱を持ち帰った少女など、コトリバコによる被害が相次いだ。
強力すぎる呪いによる悲劇は続いた。作られた箱は16を超えており、定められた各家で持ち回り、神社で浄化したが、多くの箱はまだ力が残っている。
特にチッポウ、ハッカイ(箱の製作に使用された子供の数により名付けられる)と呼ばれる呪力の強すぎる箱は無力化できないと言われている。
【呪いの効果】
コトリバコの半径100メートルに近づいた子どもを生むことができる女性と子供は、呪いによる違和感、嫌な予感、寒気を感じる。コトリバコの半径10メートルに近づいた子どもを生める女性と子供は、呪いに憑かれ、解呪しない限り内臓が千切れるような強い痛みが強くなり、1日以内に命を落とす。
【解呪方法】
箱の強さにより浄化に必要な年数が異なる。解呪できるほど力が弱くなるまで誰も近寄らない場所(特に女性と子供)に保管し、力が弱くなった箱を、力ある神を祀る神社へ持ってゆき、祀神の力を借りて処分する。社に人を近づかせてはならない。人払いの結界を構築して神職と当事者以外の人間が近寄らないようにして、社の周囲を切板で囲み、社を箱に見立てた強固な結界を構築する必要がある。
◇
「おばあちゃん、あたし、行ってくるよ」
制服姿に着替えたあたしは、石神神社へ向かう前におばあちゃんに意思を伝える。
おばあちゃんは、神棚のある和室で瞑想していた。座ったまま、こちらを振り返ったおばあちゃんがあたしの双眼を見つめた。
あたしは、まだ何処へ行くとも伝えていない。お姉ちゃんを探しに行くとも伝えていなかった。おばあちゃんは、あたしの眼を見るだけで、目的を察して立ち上がると、神棚へ向かう。
神棚は、あたし達が生まれるずっと前から、結々家で代々祀っているものだ。通し屋根に御札や、神鏡、竹筒などの神具が飾ってある。
「これを持って行きな」
おばあちゃんは、神棚から小さな竹筒を取り出した。霊視すると、筒の中に“なにか”がいることが分かる。
「管狐(クダ)じゃ。決して強力じゃない動物霊じゃが、家に伝わる霊獣だよ。きっとお前の役に立つ」
おばあちゃんが操れる48のオカルト技、霊獣使役だ。あたしは、まだ霊獣を封印することや従わせることはできないけれど、クダは、使役の権利を受け継げる霊獣なんだ。
「よいか。四季。怪異事件を解決するには自分も怪異に飲まれる覚悟がいる生きる死ぬに関わる覚悟じゃ。わしにも見えぬお前の姉は、覚悟に値する存在じゃな?」
おばあちゃんが真剣な瞳で確認する。
「うん」
あたしもおばあちゃんの両方の瞳を見つめて答える。ただ一言、だけど真剣に答えた。
おばあちゃんの表情が優しく和(やわら)ぐ。
「覚悟は、気持ちだけの問題じゃない。強い覚悟には、十分な備えも必要じゃ。お前にこれを託す理由じゃよ」
おばあちゃんが淡い霊力に包まれた竹筒を差し出した。
「うん。ありがとう。必ずお姉ちゃんを取り戻すよ」
あたしは、笑顔でそれを受け取る。
「その笑顔がお前の強さじゃ。忘れるな」
「うんっ」
あたしは、もう一度笑顔で答えると、おばあちゃんの部屋を後にした。
◇
クダギツネ。
結々家怪異対策マニュアル 動物霊の章 怪異事例より
管狐(くだきつね)は、クダやクダンなどと呼ばれる憑きもの、動物霊のことを示す。
古くから狐使いと呼ばれる霊能者や陰陽師が使役した霊獣で、クダを操ることで情報収集や予言、呪詛の類に利用したと言われている。動物霊として強力ではないが戦闘能力も有している。
使役に成功すると、霊獣であるクダを竹の筒に封じておき、必要に応じて外へ放ち、操ることができる。
強い霊力を有する霊能者や、神職は、必要な手続きを踏むことで狐霊を管狐化することができる。
古来より、陰陽師は、式神と呼ばれる神や鬼、または動物霊をもとにする霊獣を使役した。
式神が紙や札で出来た人形に霊力を込めることで、神を降臨させて操るのに対し、霊獣は動物霊と儀式により契約を交わし、何らかの媒介に封じ込めたものを必要に応じて呼び出す。動物霊をもとにした霊獣は、術師の能力(または霊力の大きさ)によっては命令に従わないような事象も起こり得るが、式神降臨より術者の習得難易度が低い。
管狐は、人にも家にも憑く。
何代か前の先祖が霊能者だった可能性もあるし、豊穣を願って管狐を封じた竹筒を神職から譲り受けることもある。しかし、多くはその家が、憑物筋(つきものすじ)である。それが狐霊である場合、狐筋と言われる。
お稲荷(おいなり)様を祀っている神棚には、家族が知らぬ管狐が先祖から伝わっている可能性もある。また、家の中の神域である神棚に竹筒を置くことで、管狐の行動範囲が家の中のみであれば竹筒を手にしていなくても管狐を使役できる。緊急時に家を守ったり、神社など異なる神域から家の者へ管狐を通してメッセージを送ることもできる。
術者の願いを叶える動物霊としては、狐霊は有名である。こっくりさんのように運命や対象の想いを占う降霊術もあるが、これは狐霊以外の悪霊に憑かれてしまうなど不完全な術式である。
管狐は、不完全な呪(まじな)いではなく、きちんと手続きを踏めば、狐霊を正確に使役できる儀式である。
家に憑く霊獣のため、手続きを終えた管狐を操る必要条件は血筋である。但し、十分に使役し、自在に操るには、自らが主人の力を持つに値することを霊力または身体能力の高さなどで示す必要がある。
◇
ツキモノスジ。
結々家怪異対策マニュアル 動物霊の章 怪異事例より
憑物筋とは、憑きものに憑かれた家系を示す。個人ではなく家系に憑く。
代々家に伝わり、受け継がれた憑きものを使役して他人から財を奪ったり、呪いをかけることがあると言われ、憑物筋の家系は忌み嫌われていることも多い
一般に憑物筋の家系が農村部の比較的裕福な一族に多く現れたことにも由来している。
基本的には、動物霊がその家系の者に憑依する。有名な憑物筋に、狐筋(管狐(くだきつね)、飯綱(いずな)、人狐(にんこ)、オサキなどの狐筋の他、狗神(いぬがみ)筋、猿神筋、蛇神筋などがある。
憑物筋になるには原因がある。先祖において、動物霊を使役するための呪詛や儀式を執り行った過去がある。例えば、狗神筋の家系は、蠱術(こじゅつ)と呼ばれる動物霊を使役するための呪詛を使用し、飢餓状態にある犬の首を落として地面に埋め、その怨みを増大させることで呪物とさせる儀式が行われている。
憑物は、子孫にも世代を追って離れることはなく、家系に渡って伝搬して憑依する。
憑物筋の家系は、先祖にいた呪詛や儀式を行った術者の術が子孫へ伝わっている家もあれば、そうでない家もある。術が伝わっていない家でも神棚で憑物を祀るなど、守り神として家族に認知されることもあるが、憑物筋であると知らない家も多くある。この場合、無自覚に動物霊を使役し、周囲の者を傷つけたり、記憶がない行動をとることがある。
本地域を守護する二大陰陽家の一つである結々家(ゆゆけ)は、狐霊を代々使役する狐筋である。対となる陰陽家の幽々家(ゆうゆうけ)は狗神霊を使役する狗神筋である。
◇
出掛ける前に、もう一度持ち物を確認する。
怪異問題を解決する必需品である結々家に伝わる怪異対策マニュアル、霊獣を封じ込めた管狐の竹筒、お姉ちゃんを取り戻す鍵となる物迷い対策の櫛をバッグにしまって背負う。
神隠し、ものまよい、コトリバコの怪異、一体どの怪異が、お姉ちゃんの消失の原因になったのか分からない。
だけど、あたしは、決心した。どんな怪異が、あたし達の周囲で起きていても、全部まとめて解決してやる。
だってあたしは、結々家に伝わる48のオカルト技を受け継いだ怪異破り(ゴーストブレイカー)だから。
お姉ちゃん、必ず助けるよ!
第1話 END
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