第20話 佳奈姉さんは横浜デートを見守りたい(後編)
「ねぇ、お兄ちゃん」
展望台の窓辺に立ったあかりが、くるりと振り返った。
夏らしい白のブラウスと水色のロングスカート。その装いは、普段の家でのあかりとはまるで違って見えた。
「今日の服ね、佳奈姉さんにコーディネートしてもらったんだ。……どう?」
大きな瞳で見上げられて、思わず言葉に詰まる。
あかりの姿が、いつもの“妹”ではなく、同年代の女の子として映ってしまい、胸の鼓動が速くなる。
「……似合ってるよ。すごく、可愛い」
自分でも驚くくらい素直に口にしていた。
あかりは顔を赤らめ、嬉しそうに微笑む。
◇
そのとき、ポケットのスマホが震えた。
画面をのぞき込むと、佳奈姉さんからのLINE。
『飯代と交通費は全部あかりに渡してある。時計のある丸い乗り物に乗れ』
「時計のある丸い……観覧車か」
視線を横浜の街に向けると、海辺にそびえる大観覧車が目に入る。
そして展望フロアの一角に、不自然にサングラスをかけて新聞を広げている人物がいた。
——どう見ても、佳奈姉さんにしか見えない。
「……あの人は、今日はずっとあの感じなのか」
ため息をつきながらも、俺たちはエレベーターで下へ向かった。
◇
地上に降りると、休日の観光客であふれていた。
人混みを進むうちに、あかりがそっと俺の手を握ってきた。
「お兄ちゃん、はぐれないように、ね……」
小さな頃は当たり前に繋いでいた手。
けれど今は、汗ばむ掌の感触に心臓が跳ね、ドキドキが止まらない。
「……あかり」
「えへへ」
照れくさそうに笑う横顔を見て、ますます動揺する。
やがて観覧車の足元に到着した。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
あかりが不安そうに覗き込む。
実は俺、高いところが苦手だった。けれど、あかりが観覧車好きなのは覚えている。
(……ここで逃げたら、カッコ悪いよな)
「……乗ろう」
覚悟を決めてチケットを買い、二人でゴンドラに乗り込んだ。
◇
扉が閉まり、観覧車はゆっくりと動き出す。
ぎしぎしと鉄の軋む音。ゴンドラが揺れるたびに心臓が縮む。
「ひ、高っ……!」
街がどんどん小さくなっていく。真ん中より高くなった頃、足元がすくむような感覚に襲われた。
横浜の港のきらめきも、ランドマークタワーの雄大な姿も、今の俺には恐怖の材料にしか見えない。
「お兄ちゃん、落ち着いて」
あかりがそっと俺の頭を抱き寄せ、自分の胸に押し当てた。
「……!」
甘いシャンプーの匂い。柔らかい感触。
そして、伝わってくるのはあかり自身の鼓動。俺と同じように速く、高鳴っている。
数分が経つ。観覧車はさらに上昇し、俺はまだ彼女の胸に顔を埋めたまま。
ただ、さっきまでの恐怖は不思議と和らぎ、代わりに落ち着きと安心感が広がっていた。
「もう高いところは過ぎたから大丈夫だよ」
頭を撫でられ、不安がすっと消えていく。
「……あかり」
顔を上げると、あかりは少し照れて、うっとりとした表情をしていた。
「お兄ちゃん……ぎゅっとして」
言われるままに、俺はあかりを抱きしめた。
互いの心臓の鼓動が重なり合い、言葉が出ないまま時間が過ぎていく。
観覧車が地上に戻る直前まで、二人は抱きしめあったままだった。
◇
無言で観覧車を降り、自然と手をつないだまま歩いた。
そのとき、スマホに通知が届く。
『赤レンガ倉庫まで歩け。そこで鐘を見つけろ』
「……また佳奈姉だな」
「行こ、お兄ちゃん」
あかりが笑顔で言う。言葉少なでも、心はぽかぽかしていた。
やがて赤レンガ倉庫に到着。観光客で賑わう広場の一角に鐘があり、そこには——サングラスをした佳奈姉さんが待っていた。
◇
「はいはい、せっかくだから写真撮るわよ」
スマホを構えた佳奈姉さんの指示で、撮影会が始まった。
「手をつないだまま」
「……はい」
「恋人つなぎしろ」
「ちょ、佳奈姉!」
「いいから!」
言われるままに指を絡めると、あかりの手の温もりが増して、胸が苦しくなる。
「腕を組め」
「あのっ……」
「はやく!」
ぎこちなく腕を組むと、あかりの胸が軽く当たり、俺もあかりも真っ赤になった。
「次。あかりが抱きつけ」
「えっ……」
あかりは頬を染めながらも俺にぎゅっと抱きつき、シャッター音が鳴る。
「ほっぺとほっぺをくっつけろ」
「か、佳奈姉ぇ……!」
互いに顔を寄せ、頬が触れ合う。柔らかな感触に、思考が止まりそうだった。
「最後! あかりがほっぺにチューしろ」
「えぇ!?」
抵抗する暇もなく、あかりが小さく口をとがらせ、俺の頬に軽く触れる。
チュッ。
シャッター音が響いた瞬間、あかりはハッとした表情で真っ赤になり、頭を抱えて佳奈姉さんの元に逃げ込んだ。
◇
「今日はあかり、私の家に泊めるから。あなたは中華街でも見て帰ったら?」
佳奈姉さんがにやりと笑う。
あかりは何かを思い出したようにバッグを探り、1万円札を取り出して俺に押し付けた。
「お兄ちゃん、これ……! じゃあね!」
そう言うと、再び佳奈姉さんの元へ駆け戻っていった。
「はい解散」
軽く手を振って去っていく二人。俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。
頬に残る温もりがじんじんと蘇り、胸の鼓動が収まらない。
港に停泊する船を眺めながら、ドキドキが静まるのを待った。
◇
その夜。中華街で肉まんをかじっていると、スマホに通知が届いた。
添付されていたのは、地上から撮られた一枚の写真。
——観覧車の中で、あかりと抱き合う俺の姿だった。
「な、なんでこんなのまで……!」
顔から火が出そうになりながら、今日一日の出来事を思い返す。
恥ずかしさと同時に、次にあかりとどんな顔をして会えばいいんだろうと悩むのだった。
ーーーー
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