宜陽 その2

 劉秀、馮異・鄧禹が赤眉に敗れ、祭遵が賊を破って加勢に来るとの報を矢継やつぎ早に受け取る。馮異が敗れたと聞くと、劉秀は何故と冷や汗をき、鄧禹らが自ら三月を掛けて用意した策を台無だいなしにしたと知る。劉秀、祭遵の凱旋がいせんうれしく思うものの、赤眉への善後策ぜんごさくを考えねばと悩む。呉漢・耿弇・賈復を赤眉の背後に回すのでは、三輔さんぽ安寧あんねいさせるべしと馮異を派遣した意図いとと異なれば、いっそ祭遵を遣るかと悩む。


 回谿かいけいに敗れた征西大将軍馮異、塁壁るいへきを固め散じた兵卒を収め、諸所の陣営の兵を調べれば、思った程兵は減っていない。むしろ兵たちは、大樹将軍が生きていたと知って喜び駆け戻ってくる。その上、今一度戦い恥をすすごうと意気盛んである。兵は馮異が敗れたとは思っていない。鄧禹・鄧弘があやまったのだと思っている。よって、今、馮異の兵たちの士気は高いままである。兵の士気が高いことにしたことは無い。一方、赤眉の兵は戦いに疲れ餓えに悩まされて来たゆえに、士気は高くない。その割に、今勝ったが故に赤眉はおごっているであろう、馮異の軍は弱いと油断しているであろう。

 馮異、兵士を死地しちに置いて遮二しゃに無二むに戦わせれば勝てることは分かっている。そして、東に皇帝劉秀が備えれば、馮異は赤眉を東に追いやる為に、赤眉と戦い勝たねばならない。最早戦わずして勝つ策は失われた。よって馮異、陣営の兵士、その数万を召集し、赤眉に期日を決めて雌雄しゆうを決そうと挑戦状ちょうせんじょうを送りつける。馮異の予想した通り、勝ち奢っている赤眉は応じる。

 馮異、兵中の壮士そうしの服を変え赤眉と同じくし、道の側にせさせる。期日の明け方、赤眉は一万人の兵で馮異の前衛を攻めさせれば、馮異、前衛がついえない程度、小出しに兵を追加して救援する。歴戦れきせんの赤眉の将たち、これは本軍がほとんど無いと思い込む。本軍が大軍なら一挙に救いに来る筈と、戦いにれたが故に陥穽かんせいはまる。

 赤眉、敵が弱小軍なら一挙に蹴散けちらしてやろうと全軍を繰り出して馮異を攻める。そこで馮異も全軍を放てば、戦線は膠着こうちゃくする。士気の高い馮異の兵は頑張り続けるが、士気の低い赤眉の兵は長くは持たない。日が傾く頃には赤眉の戦意はかなりくじけていた。そこで馮異、赤眉に偽装した伏兵を立たせれば、赤眉には見分けがつかぬ故に撹乱こうらんおちいり、衆驚き慌て潰走かいそうする。馮異は追撃して崤底こうていに破り、男女八万人を降す。赤眉、尚十余万あるも、東の方、宜陽に走る。


 男は目を見開いて曰く「ふむ。戦いを見れば俗に言う、かわらを投げて玉を引く、水を混ぜて魚を探る、二計なり。しかし、本質は孫子の兵法よ。兵は詭道きどうなり、利にしてこれをさそい、乱にしてこれを取る。孫子はまた、利を以てこれを動かし、を以てこれを待つ、とも言う。そして時を見計らってこれを行ったのがこの将よ。朝の気は鋭、昼の気は、暮れの気は。故に良く兵を用うる者は、その鋭気を避けて、その惰帰だきを撃つ。これ気を修める者なり。味方を統制し敵の惑乱わくらんするを待ち、味方を冷静に抑え敵の慌てふためくを待つ。只この将、待たずに詐を用いるは、孫子の兵法に熟達しておる所以ゆえんなり」


 善後策に悩んでいた劉秀、馮異の勝利を報じる檄に喜ぶのは至極しごく当然である。し、と言い放つと、全軍を宜陽に集め、うるう一月十一日己亥きがい、自らも御幸みゆきする。

 そこに鄧禹、僅かに二十四騎を率いて宜陽に辿り着く。皇帝劉秀にびて、大司徒とりょう侯の印綬いんじゅ奉還ほうかんした。

 十六日甲辰こうしん、劉秀は六軍、すなわち天子の軍を皇帝自ら率い、兵馬をつらねる。大司馬呉漢の精鋭の突騎とっき兵が前衛と為り、左将軍賈復・建威大将軍耿弇をしたがえて皇帝劉秀の本軍がその後ろに来る。その左右を驍騎ぎょうき将軍劉喜りゅうき武衛ぶえい将軍の軍が固める。劉秀、騎都尉きとい臧宮ぞうきゅう旗幟のぼりばたを多く用意させ、それを配らせ、兵士が二倍三倍に見えるにはどうすれば良いかを教える。劉秀が、昔けいも見たであろう、あの王邑おうゆうの百万の軍のごとくと言えば、臧宮も当然それを忘れられぬ故に、劉秀の言おうとすることが分かる。兵士と幟旗の比率を変え幟旗を多くすれば、兵は多く見える。見抜かれぬように見せることが大事である。臧宮、軍の後ろにはなはだしく土煙を起こすべしと進言する。劉秀、うなずいて臧宮の兵たちに任せる。

 この間にも劉秀、鄧禹を如何いかに処すべきかと考えていた。鄧禹が関中かんちゅうに入ったことで得られたものを考える。司隷しれい河東かとう郡・左馮翊さひょうよくへい州の西河せいが郡・じょう郡・北地ほくち郡、りょう州の安定あんてい郡の一部、長安ちょうあんで得た十一帝の位牌いはい。劉秀が征西せいせいすべきを代行して、赤眉への前哨ぜんしょうとして働き、隗囂かいごう西州せいしゅう大将軍と為して味方に附けた。しかし、回渓に破れて兵を失った。専断権を与えた馮異にも、鄧禹をこばみ策を断行だんこうすべき所を為さなかった故に、められる所もある。それを言えば、馮異に念押ししなかった劉秀にも非はある。

 十七日乙巳いつし、劉秀、地を得て兵を失うなら賞罰しょうばつもまたそれにならう、とみことのりして鄧禹を大司徒から免じて兵権を取り上げ、梁侯の印綬は帰して、食邑しょくゆうは保たせる。

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