第35話
薄暗い店内は賑やかで、まるでここだけ別世界みたいだった。
カウンターには、派手な化粧をした美しい男性――いや、女性のような人たちが3人横並びにならんでいる。
その前で、私とちーちゃんを出迎えてくれたのは爽ちゃんだった。BARのライトのせいか、いつもの爽ちゃんよりもずっと妖艶に見えるけれど、しゃべるとやっぱり爽ちゃんだ。
「ちーちゃん久しぶりねー!」
「久しぶりー!オカマバー来てみたかったんよ!まじ嬉しいわ!」
ちーちゃんもテンション高めだ。
「爽ちゃんの噂のノンケの友達ねー。何飲む? テキーラいっとく? それともシュワシュワ?」
横から、ママっぽい人が声をかけてくる。
つけまつげは爪楊枝が何本も乗りそうなくらい分厚くて、マリリン・モンローみたいな衣装。明らかにこの店で一番の大物だ。
「ママ! 私の給料から引いていいから、みんなでテキーラいきましょー!」
「了解ー!」
こうして、私の人生初めてのおかまバーでの宴が幕を開けた。
私はお酒に強いほうじゃない。最初のテキーラと、二杯目のウーロンハイだけで顔は熱くなり、全身が脈打つようにドクドクして、気分はすっかり愉快になっていた。
「青木さんと別れたん?!」
久々に会ったちーちゃんに青さんとの破局を伝えると、驚いて声を上げた。
「うーん、別れちゃったね」
「あんな理想的な人をよく手放せたな!! 大丈夫なん? 病んでない?」
「別れるときはしんどかったけど、それからは忙しいのもあって平気なんだよね〜。不思議と。」
「さめざめしててうらやまし!」
「でも今日は隼と女の子が一緒なのを見て取り乱してたのよね。」
爽ちゃんが口を挟んでくる。
「違う違う!取り乱してない!」
「なるほど……じゃあ青木さんとの破局は隼が原因?」
「うーん……間接的にはそうとも言えるけど、私は隼と付き合いたいとかじゃないけん! ただ、もう恋愛に向いとらん!」
「間接的にそうとは?」
「いやいや。青さんと一緒におっても、頭に浮かぶのは隼のことばっかりで……これは良くないなと思って、別れようとしたの。でも青さんなら冷静に受け止めてくれるって思ってたら、逆に『海辺から』の話を出されて……。小説の中だけでも自分のものにしたかったって、繊細で私の心をえぐる言葉をくれて……。それで泣いて……うわああ、思い出したら自分がひどすぎて泣きたい」
酔っ払っているせいか、言葉が止まらない。
「落ち着いて!」とちーちゃんがなだめる。
「要は、あんたは隼が好きだから青木さんと別れたんじゃろ」
「本質的にはそうかもしれんけど……でも隼はゲイだし! 幼馴染という尊い友情に傷をつけたくないけん、このままなの! ちーちゃん、絶対黙っといて!」
ちーちゃんは飲んでたレモンサワーを吹き出した。
「隼が……げ、ゲイ?」
「え、隼ってゲイなの?」爽ちゃんもカウンター越しに身を乗り出す。
「本人から直接聞いたわけじゃないけど、はっしが好きなんよ! あの子は!」
またちーちゃんが吹き出す。
「んなわけあるかぁ!!」ちーちゃんが叫んだ。
「いや、私は隼をよく見ちゃうからわかるんよ。明らかに、はっしを優しい目で見とるの!」
「いやー、ゲイの私からすると隼はノンケ臭いけどね」爽ちゃんが首をかしげる。
「え、じゃあ今日一緒に歩いてた子、彼女?」私は不安になる。
「ただの友達かもしれないけど……。てか杏、隼がゲイの方がいいってわけ?」爽ちゃんが訝しげに聞いてきた。
「うん……。だってはっしと隼がくっついたら、私は傷つかずにすむし、誰も壊れずに済むでしょ。そしたら三人仲良くいられるじゃん……。私って性格悪いなぁ」
自分で言って情けなくなり、頭を抱える。
「はっしは不憫だねー。杏のことが大好きなのに、隼とくっつけようとされてさ」ちーちゃんが笑う。
「ノンケの安易な考えよ。ゲイなら対象外だから納得できるけど、相手がちゃんと女を好きなら、自分もフィールドに立てる。でもそこで違う相手を選ばれたら、一番きついの。アイドルへのガチ恋と同じよ。二次元キャラなら絶対叶わないから楽、でも三次元のアイドルは熱愛出たら辛い。それと一緒」爽ちゃんが言う。
「なるほど……ほんとそれかも」
「はあ……そんなに好きならいきゃいいのに」爽ちゃんが呆れる。
「そんな単純じゃないよ。 フラれたら友達に戻れないし、もし付き合っても私は隼を……隼を……」
涙が出てきた。私は泣き上戸らしい。
「隼を傷つけるとか言いたいん? せんじゃろ」ちーちゃんが背中をさすりながら言う。
「あんたは天然で理解不能だけど、優しくて周りのことばっか考える子じゃん」
「でも、青さんは傷つけた」
「それは杏の成長のためよ。自分の気持ちに気づくため。青さんだって分かってて付き合ったんじゃろ? お互い様よ」
「でも……青さんは成功者で大人で……。私なんて人生のほんの1ミクロンみたいな存在。それに比べて隼とは10歳から一緒におる。お互いに大きすぎる存在で……だから安易に動けんのよ」
「隼が杏のことを好きでも?」
「友達としては好きでいてくれてるかもしれないけど、女として好きなわけないもん。」
「はぁ……この子は……」爽ちゃんが口を挟む。
「いい? 根拠のない自信が女を幸せにするのよ。いちばん悲惨なのは、自信過剰なブスより、自尊心が低すぎる美人。……あんたみたいな!美人ってね、放っておいても束縛されるし、トロフィーワイフみたいに利用されがちなの。自尊心が低いと、そんな変な男に食い物にされるだけ。ほんとに大切にしてくれる隼みたいな男と向き合わないで、気づいたら彼に彼女ができて……寂しさに負けて、しょうもない利用してくる男に引っかかっちゃうのよ」
――正論だ。
二十歳の誕生日に隼と喧嘩して、もう嫌われたのだと思った。心細くて、寂しくて。
そのタイミングで手を差し伸べてくれた青さんに、私は縋った。青さんは決して私を利用するような人じゃなく、本当に大切にしてくれた。だからこそ余計にいたたまれない。
本当に私は弱くて、情けない。
「まあ飲め!! テキーラいこ!」と、ちーちゃんが強引に盛り上げ、また乾杯のショットを差し出してきた。
結局わたしたちは終電を逃した。爽ちゃんの家に泊まろうかと思ったけど、泊まったらもう大竹には帰れない気がした。翌朝のモーニング営業にも行けないだろう。翔子さんに迷惑をかけるわけにはいかない。だからタクシーを呼ぼうとしたけど――。
「はっしをアッシーにしよ!」
ちーちゃんの悪ノリに、私はつい笑ってしまう。
「杏が頼めば、ここが北海道でも飛んできてくれるわ!」
そう言われて電話をかけたら、案の定はっしは電話口で叫びように言った。
『杏たんのためならどこでも行くぜーー!待っとれ!』
一時間近くかけて大竹から広島市内まで車を飛ばして迎えに来てくれた。
「おまたせーーー!姫たちーー!」と運転席から顔を出すはっしがありがたすぎた。
「はっし〜!ありがとう〜!」とちーちゃんが叫んで。
「はっし〜!神様〜!」と叫んで私も車内に入る。
「ちょ、姫たち酔いすぎちゃう??まぁえっか!もりあがっていこ〜〜!」はっしの明るさは本当に底なしだ。
車内は私とちーちゃんの酔っぱらいテンションが全開で、はっしのナチュラルハイすら可愛く思えるくらい騒がしかった。
家に着いたのは午前二時すぎ。
翔子さんはもう寝てるだろうと思いながら階段を上がると、浴室からシャワーの音が聞こえた。
ちょうど翔子さんが浴びているらしい。
私は洗面所に入り、クレンジングオイルでメイクを落とす。たくさん飲んで、騒いで、まだ頭がふわふわしている。
目元のメイクをくるくると落としながら、浴室に向かって独り言のように声をかけた。
「今日さー、ちーちゃんと爽ちゃんのオカマバー行ったんよ! おもしろすぎた! 飲みすぎたー!」
返事はない。けど、身体を洗う音は聞こえる。たぶんシャワーの水音で聞こえてないんだろう。まあいいや。私はただ話したい。酔っ払いだから。
オイルを流し、歯ブラシを口に突っ込みながらも喋る。
「帰りはね、はっしが迎えに来てくれたんよ! 優しいよね。あんないい子はおらんわ。隼とうまくいってくれればなあ……。あ、そうそう、今日さ、隼と知らん女の子が本通り歩いとるん見たんよ。可愛かったんよねー! 私、隼はゲイって信じとるけど、ちーちゃんも爽ちゃんも“違う”って言うんよ。でも、隼はいつもはっしのこと見つめてるし、私的には絶対好きだと思うのに。でもさあ……青さんと別れたのも、もとは隼が原因じゃん? 隼が普通に女の子と付き合い始めたら……やっぱりしんどいっていうか……」
うがいをして、ぐじゅぐじゅぺっ。
洗面所を出てリビングに戻ると、まだ視界がぐらぐらして、妙に楽しい気分だけが残っていた。
早く翔子さんが上がってこないかなあと思っていると――。
がらがらと、後ろで洗面所のドアが開いた。
振り向くと、そこにいたのはスウェットを着て、片手で濡れた髪をタオルで拭いている隼だった。
「ぎゃああああああああ!」
私は予想外の出来事に思わず大声で叫んだ。
「どういうこと?」隼は真剣な眼差しで問いかけてきた。
「いや、こっちのセリフじゃ! なんであんたがここでシャワー浴びてんの!!」
「いや、実家の風呂場が壊れてて。今日バイトで、翔子さんに相談したら“この家で入っていいよー”って。で、杏が帰ってくるまで待っとこうかな思うてリビングにいたけど、帰らんから入ってたら……その間に杏が帰ってきたって感じ」
「いやいやいや! なんでLINEせんのよ! てか翔子さんは!?」
「いや、今スマホの調子悪いねん。翔子さんは神んとこ泊まってるんちゃう?」
「あ、あ、あ……あのさ……さっきの聞こえてないよね?」私は恐れてた事態の確認をする。
「いや、俺ゲイちゃうから」
終わった………………。
「てか、翔子さんじゃないなら早く言えよ!」
私は逆ギレをかましてた。
「いや、俺裸やったし……なんていうか、お前がベラベラ喋るの、聞き入ってもうて」
「はあああ。死ぬ死ぬ。死んだ!」
もう死にたい。私は手をバタバタさせた。
「てか、青木さんと別れたん? なんで言わへんねん?」
「別に報告することじゃないし!」
「俺が原因てどういうこと?」
「あ……もうそれは……なんでもない! ほんとに! 忘れて! 酔っ払いだから!」
私は否定した。
隼の目が、真っ直ぐに私を見ている。
頭の中ぐちゃぐちゃで、言葉も出てこなくて、心臓がうるさいくらい鳴っている。
私はそそくさと自分の部屋に戻ろうとした。
その時、隼に手を掴まれた。
顔が真剣だった。こんな顔、彼と出会ってからの十年で、一度も見たことがなかった。
「なあ……俺がお前のことを好きって言ったら、どうする……?」
「はあ?」
言葉の意味を理解する前に、隼の手が私の頬に触れた。
そして――唇が、触れた。
蛍光灯がちかちかと眩しくて、世界の音が一瞬消える。
私の目は、まるでシャガールの有名な絵の女性みたいに、ぱっと見開いていた。
夢か、幻か、現実か、わからない。
「なにすんの!?」
息が詰まったように叫ぶと、隼が叫び返した。
「こうでもせんと、お前にはわからんやろ!」
その声には、怒りも哀しみも、全部が混じっているようだった。
「俺はゲイやない! はっしのこと見てたんも、お前とはっしが仲良さそうなんが嫌やっただけや!」
「……は?」
「はっしにお前が取られそうで、ずっとずっと怖かったんや。十年……好きで、好きで……好きで仕方なかったんや……!」
胸が、きゅうっと締めつけられる。
隼の目は、泣きそうだった。
声も出せず立ち尽くす私の前で、彼はぼそっと言った。
「お前だけが、気づいてなかったんやで……」
私は、目の前の現実から逃げるように、ふらふらと自分の部屋に戻った。
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