第19話グラデーション

舟木は今、難しい選択を迫られていた。


人として、経営者として、最良の選択とは、一体どこにあるのだろうか。




社長室の重厚なデスクで、「宮西 美香里」の履歴書を凝視する。


先天性の心臓の疾患がある知的障がい  愛の手帳 4級


舟木は履歴書をデスクに置き、部屋を見渡した。

何も変わっていない社長室のレイアウト、過去の栄光を飾る静謐な空間。



障がい者雇用を始めた動機は、綺麗事ではない。


ついでに法律も遵守できたら、世間から後ろ指を指されないという打算もあった。


納付金も人件費も、会社の存続に関わってくる現実だ。




舟木は吸い寄せられるように立ち上がり、

棚にディスプレイされているインクの空瓶に手を伸ばした。


それは先々代が創業当時に使用していた、今は製造中止になっているインクの瓶。

色の4原色。マゼンタ、シアン、イエロー、ブラック。


全ての色はこの4色の配合によって生まれる。


そして、セーリングプリントの原点だ。

『ここから始まった』と、父親にくどくど教え込まれたことを思い出す。


新しい色は時に、周りを濁らせてしまうことがある。


面接での宮西の切実な表情が、インクの瓶越しにゆらりと反射して映し出された。



3日前、面接会場。


宮西は地域の相談員とともにやってきた。

福祉的就労での軽作業の経験があり、単純作業を安定して継続できること。

求人の業務内容を熟せる能力があること。


宮西は相談員と共に、自分の強みを丁寧にアピールしていた。


しかし、志望動機の質問で、彼女の感情が溢れ出した。


「一般の会社で働きたいです。みんなと同じお給料が欲しい。

A型事業所で箱作りもピッキング作業もしていました。

ゆっくり、一つずつ教えてくれれば、作業を覚えられます。

心臓の病気はお薬で安定します。お仕事中に皆さんにお願いすることはありません。

私が薬を飲めば良いだけなんです。でも、どこも雇ってくれない。

お願いします。チャンスを下さい」


諦念と必死さが入り混じった訴えに、舟木も人事社員たちも言葉を返せず、

困惑した空気が流れる。


相談員が慌てて、言葉を取り繕う。

「緊張して、個人的なことを言いすぎてしまいました。申し訳ございません。

もしよろしければ、無理のない範囲で、まずは実習という形で

ご検討いただけたら幸いです。成人してから、

病気の症状も服薬と定期通院で安定しています。

数値も問題ないので、宮西さんにステップアップの機会を……。

どうか、よろしくお願いいたします」 と深々と頭を下げた。


「言葉が違うだけで、宮西さんと相談員さんが伝えたいことは同じだ」

と倫心は叫びたい気持ちになった。

叫ぶわけにはいかないので

どうにか社長に、この切実な声が届きますようにと念じた。



ミーティング。



面接後、舟木と人事の社員でミーティングが行われた。

部長が最初に口を開く。


「社長、今回は見送った方が良いのではないかと。リスクが大き過ぎます」

「私も部長と同意です。法定雇用率の達成を目指すのであれば、

より確実なプランが良いかと思われます」と田中も続いた。


舟木は社員たちが遠回しに言いたいことを察していた。

6月1日の行政への状況提出前に、万が一のことが起きれば、

法定雇用率が未達成になる。


就職を希望する障がい者は他にもいる、と言いたいのだろう。


「あの……差し出がましいようですが、2週間の実習で様子を見ても良いのではないかと、個人的には思います」

倫心が、宮西の面接からずっと抱えてきた衝動を抑えきれなくなり、意見した。


「香山さん……ボランティアじゃないからね」田中が冷たい釘を刺す。

「確かに仕事はボランティアじゃありません。利益を生む必要があります。

でも、社長、障がい雇用を始めた理由は、法定雇用率のためだけですか?」


倫心の発言から、舟木の脳裏に**『迷彩君』**の顔がフラッシュバックした。

しかし、すぐに「若い社員の熱意からの質問だ」と冷静を装い、

「それはどういう意味ですか」 と舟木は質問を質問で返した。


「宮西さんは面接で『どこも雇ってくれなかった』と発言されていました。

うちが受け入れないと、宮西さんは自分を否定してしまうかもしれない。

社会を……うらむことになるかもしれない。そうなって欲しくないと、

私は思います」

「社長、お気になさらないでください」すぐに部長がフォローした。

「申し訳ございません。私の指導力不足です。社会人として

言葉を選んで発言するよう指導します」


田中も割って入り、

「私達は社長のご決断に従うまでです」と、

組織で働く社員のテンプレートのようなセリフで会議を締めくくった。



舟木は空気を読んで、「連絡します」とだけ告げ、席を立った。

その視線が倫心に流れる。


押し黙った倫心から、かみ砕けないような、何かの感情が、


ボロボロ零れ落ちているように感じられた。



舟木が居なくなったのを待っていたかのように、

田中が倫心に向かってまくし立てる。


「香山さん、気持ちは分かるけど社長相手に過激過ぎるよ。言葉は選ばないと。

学生のディスカッションじゃないんだから」


「まあまあ。田中も言葉を選ばないと」 部長に注意されて、

田中は気まずそうに苦笑いを浮かべた。



倫心は手のひらに違和感を感じて、確かめる。

強く握りしめた手のひらに爪の跡がついていた。

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