魔法使いと隣のパン屋さん

禾乃衣

第1話 パンと微笑み

 エヴェルナの町。

 朝は少々肌寒かった気温が午後には暖かくなり、寒くなくてよかったと思いながら歩くミレナ。

 通りにはパンの香ばしい匂いや花屋の甘い香りが混じり春風が頬を撫でていく。


 歩いてるとそこかしこから話し声が聞こえてくる。


「町外れの空き家に魔法使いが住みはじめたって」

「町長もよく許したもんだね」

「なんでもその魔法使いが作る絵本が高く売れるからだってさ」


「(今からその魔法使いさんのところに配達に行くんだけどね)」

 と心の中で呟き少し緊張したように背筋を伸ばした。

 春の陽光が優しく降りそそぐ石畳の道を、ミレナは一歩一歩踏みしめて歩いていった。



 目的地に着き深呼吸して意を決して「パンの配達に来ました!」と大きめの声で言うとドアが開き、顔を出したのは背が高くてややつり目の青年風といった男だった。 ミレナと目が合い細い眉がぴくりと動く。

「(この人が魔法使い?)」

 あ、と言いかけたとき、男はお代を渡してパンを受け取りあっという間にドアを閉めた。

 ものの数秒のやり取りに「(無愛想な人……それとも言葉が通じない?)」とあれこれ考えたが、どうせこれっきりでしょと前向きに考えて店に戻ることにした。



 が、しかし——


「え!? 指名ですが!?」

 昨日の配達先の魔法使いがまたパンの注文をしてしかもミレナに配達に来てほしいと言うのだ。


「一人で来るようにって……なにか企んでるんじゃないだろうな」

「私がこっそり一緒についていこうか?」

 心配そうな顔をするパン屋のおじさんとおばさんに「大丈夫! やばくなったらダッシュで逃げるから!」と言い配達に行くことに。



 魔法使いの家に着くとまるで待ってましたかのようにドアが開いた。

「(なに? クレーム?)」

 なにを言われるか覚悟していたが予想に反する言葉が耳に入ってきた。

「俺のためにパンを焼いてくれ」

「へ?」

 素っ頓狂な声が出て目が点になる。

「聞こえなかったか? 俺のためにパンを」

「あーー聞こえてます聞こえてます」

「では早速引っ越してきてもらおうか」

 その言葉を聞いたミレナはサーッと青ざめてパンを置いてダッシュで逃げた。


「(やばいあの人やばいあの人やばいあの人)」


 店に戻ったミレナは息を切らしながらも必死で先ほどのことを話す。

 するとちょうどパンを買いに来ていた町長が口を挟んだ。

「気に入られたな」とニヤリと言う。

「困りますよー」

「コルヴァンは悪い奴ではないさ。 まぁちーとばかし悪さしてあそこに住むことに」


 言いかけたとき、コルヴァンが店に来た。

 目が合ったミレナはぎゃー!っと叫びたくなるのを抑えて町長にしがみつく。

「ちと先走りすぎたな。 物事には順序というものが」

「悪かった」町長の言葉を遮り頭を下げるコルヴァン。

 その場しのぎでもない誠心誠意溢れる謝罪にミレナは「頭を上げてください」と言い、コルヴァンと目を合わせる。

 無愛想な顔つきだが確かな誠意が見えた気がして「(悪い人ではないかな)」と直感する。


 そして話し合いが始まった。

「うちの大事な看板娘を引き抜くって!?」とおじさん。

「小さい頃から娘同然に育ててきたんだ。 なにかあったらただじゃおかないからね」とおばさんが眉をつり上げて言う。

 その言葉にミレナはうるっとした。

「ミレナちゃんがいなくなったらあのデニッシュ食べられなくなるのかい?」とお客さん。

「いきなり一緒に住むのはねぇ。 会ってまだ二日でしょ?」

 不安なおじさんとおばさんだったが、コルヴァンが町長の知り合いの弟子だということを知り少しだけ安心した。

 話し合いの結果、コルヴァンの家の隣に引っ越してデニッシュはこれまで通り店に出すというかたちで話がまとまった。

 町長がコルヴァンの頭をわしゃとつかみおじさんとおばさんにきちんと挨拶させる。

 その姿を見てミレナはクスッと笑った。


 こうしてミレナの小さな日常はほんの少しだけ魔法の世界へと近づいた。



◇コルヴァンside◇

 町の外れの空き家。 今日からここが俺の住処だ。

 毎日ただもくもくと絵本を作る。

 楽しみなど一つもない。 そう思っていた。


「おーい、おるかー?」


 ドアを開けると一人の老人がいた。 この町の町長だ。

「どうだ? ここでの暮らしは慣れたか?」

「別に」

「相変わらず無愛想だな。 メシはちゃんと食ってるのか?」

「別に」

 ハァーッとため息をついた町長は、町で人気のパン屋を教えた。 なんでもそこの看板娘が作るデニッシュが美味しいのだとか。


 数日後、町長が持ってきてくれた食料がなくなりパン屋のことを思い出す。

 配達もやってるとのことでとりあえずなんでもいいから腹に入れようとパン屋に電話する。

 配達に来たのはブラウンのボブヘアをした歳は20前後の女だった。

 金を渡しパンを受け取りドアを閉める。

 面倒なやり取りは不要。


 もう会うこともないだろうから。


 しかしデニッシュを一口食べたコルヴァンは固い表情が一気に和らいだ。

 今までなにを食べても味など感じなかったのだがこのデニッシュは毎日でも食べたいと思った。 いや、あの女の作るパンがもっと食べたいと思ったのだ。


「そうか」


 あの女をここに住まわせよう。


 ぶっきらぼうで無愛想で人付き合いが苦手な魔法使いの突然の思いつきだった。

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